ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

定期公演は『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』だあ!

2007-05-30 23:16:28 | 演劇

 忘れてたよ、すっかり!没頭し過ぎて、大切なこと、ぽろっと抜けちまってた。定演ですよ、置農演劇部定期公演ですよ。これ宣伝しないで、なんのためのブログだって言うの。

 改めまして、第8回置農演劇部定期公演のお知らせです。

 作品:『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』作:横内謙介・演出:河原俊雄

 期日:6月9日(土)午後1時と午後6時の2回公演

 会場:川西町フレンドリープラザホール

 入場料:無料

 すっごく面白い作品だ。あのけれん味大好きの横内さんの作品、しかも、岸田国士戯曲賞受賞作だからね。アンデルセンの裸の王様とセルバンテスのドン・キホーテとミュージカルのラ・マンチャの男、それにシェークスピアのリア王、これらをごちゃ混ぜにしてシェィクして、チャンプルーにしたような作品だから、これは絶対、見所いっぱい!どんでん返し盛りだくさん!ぐいぐい引き寄せられて、手に汗握る舞台、に、なる、・・はず・・・だ。たぶん?・・・おそらく?・・・・

 いいや!なります!!置農演劇部の底力お見せします。

 高校生には、たしかに手強い。だって、女郎屋とか、淫売とか、ホモなんて言葉がポンポン飛び交うからね。おまけにストリップだってある。ええーっ、どうやってやるの?って、それは見に来てもらわなくちゃね。あ、男が女装して、なんて、誤魔化しはしないから、念のため。おっと、男のストリップもあったんだった。これは、見物と言えるかな?テーマは、目に見えない真実を探しに行こうって話しだ。う~ん、ちょっと難しいかな。でも、目に見えるものしか信じない社会なんて、なんか、今の物欲礼賛の社会に通じる問題じゃないか。それに、いじめに通じるエピソードがあったり、マイムの息詰まるシーンがあったりで、高校生にも、その面白さは十分に伝わるはずだ。

 これまでも、定期公演では、永井愛『見よ、飛行機の高く飛べるを』とか、鴻上尚史『プロパガンダ デイ ドリーム』とか、シェークスピア『夏の夜の夢』とか、井上ひさし『11ぴきのネコ』とか、常に名作、大作を手がけてきたからね、今回だって、そうそうお手軽な作品でお茶濁すわけにはいかないじゃないか。

 さすがに、今回の作品は役者の力量が大きく問われていて、本番10日前の今といえども、よし、行ける、と言い切れないところが辛い。でも、高校生って、ほんと、伸びるもんなんだ、つくづく感じる。十一人ほどの役者一人一人が着実に上手くなって行ってるもの。経験の乏しい高校生には、大人の芝居は無理、なんて、絶対決めつけちゃいけないと思う。知らないこと、思い当たらないこと、体験にほど遠いこと、そんなことを一つ一つのセリフを通して、感じ取り、心にしまい込み、舞台の上で体験する。これこそ、演劇ってもんなんだ。そして、一つの作品を演じきった時、役者のみならずスタッフも、それまで知らなかった人間の真実を体得しているってことなんだなあ。

 待ってます。拙いかもしれないけれど、置農演劇部の一人一人が感じ取った真実!見てやって下さい。ただ一つの気がかり、それは、本当なら男二人でやらなきゃならない主役を、男と女でやってるってこと。部員構成の限界だ。こればっかりは、勘弁です。ご容赦です。

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失敗!ネットショッピング!!

2007-05-27 21:38:37 | アート・文化

 情けな~い!恥ずかし~い!がっかりだぁ~!

 こんなはずじゃなかったのに!何よ、この大きさ!!寸法だって書いてあっただろ?画像だって載ってたろ?もう、ほんと、信じられないよ!

 ネットショップでチンドン屋の太鼓買ったんだよ。本来はゴロス太鼓って特別な太鼓なんだけど、どうしても見つからなくて、サンバ用のスルドって大太鼓で代用することにしたんだ。5月に一緒にチンドン屋やったよっちゃんが持ってて、なかなか良い具合だったのでね。

 で、楽天市場とか楽器屋のページとか様々あたったけれど、結局、2カ所しか見あたらなくて、まあ、どっちもどっちてことで、東京の楽器屋さんに注文した。それが、今日届いたってわけだ。

 開けてびっくり!いやいや、開けないうちからびっくりどっきり!な、なんという大きさなんだ!小さめの洗濯機くらいあんじゃないか!開けて取り出して、さらにびっくり、そして、がっくり!!小型のドラム缶だよ、こりゃ!これどうやって持つって言うの?肩から吊してどんだけ歩ける?うちの予定じゃ女性なんだよ、これ叩くの。あ~あ!

 なんて、びっくりマークの多い文章なんだ!って、またびっくりマーク。どうして、こんな大失態を引き起こしてしまったのか。それは、カタログの寸法がインチで載ってたってことなんだ。

 インチとセンチの換算の仕方知らなかったのかって?知ってますよ、それくらい。1インチは2.5センチ強でしょ。わかてたよ、そんなこと。だから、センチに直して、大きさイメージしてみたんだ。なのに、数字ってほんと魔力だ。インチで表すと数値が小さいでしょ。頭に描いた大きさも、数字に引きずられて小さく縮小されちまってたってことなんだ。あ~あ、情けない!

 こんな恥ずかしい話しとても人に喋れない!でも、この悔しさ、情けなさは、なんか、ずーっと、尾を引きそう。ええーいっ!だったらこのブログに書いちまえ。ぱーっとね、ぱーっと。どっかで発散しなくちゃ、とてもやってられないよ。

 ってことで、この記事は、かなり私的な八つ当たりなのです。お読みいただいた方、笑ってください。嘲ってください。そして、許してください。も一つ、この太鼓叩く役者にも、ゴメン!!

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演劇の力だぁ!⑧:地域に飛び出す!

2007-05-25 22:34:49 | 演劇

 高校生→芝居→一生懸命→でも、下手→まっ、見てあげようって流れで見る人がほとんどだと思う。当然だよ。僕だって、そう思うもの。ところがね、置農演劇部の舞台を見た人の感想。「高校生の芝居とは思えない!」「高校生がここまでやるとは!」・・・アンケートの中に必ず見つかる言葉なんだ。

 いやいや、置農演劇部が上手だなんて思えない。そりゃそうだ、演劇初めてたかだか、2,3年だからね。しかも、見る方の経験だって極度に乏しい。芝居はおろか映画だってほとんど見ていない生徒達だから。

 でもね、下手は下手なりに、とこんとんやると、なにか見る人に伝わるものができてくるんだよ。役になりきるって言うか、役を無理矢理自分のものにしてしまうっていうか。冷静かつ批判的に見れば、なんだあの演技は、とか、発声が今一だ、とか、いろいろボロは見えてくる。でも、芝居の空間ってそんなしらーっとしたものじゃないんだな。高校生達の発散するエネルギーとかオーラとかが、ばんばん降りかかってくるから。また、演出もそれを狙って熱い舞台作りを目指すから、結局、見終わったあと、ほほーってことになるわけなんだと思う。

 今回の子どもミュージカル『”いただきます”見つけた!』も、公演するたびにじわじわと評判が広がりつつある。子どもの通う小学校の担任の先生に、公演してくれるように手紙を書いたお母さんとか、どこで聞きつけたのか、小学校の先生方の研修会で上演してほしいとか、小学校のPTA会長さんから上演の打診があったりとか、目標の10回公演もほぼ確実の勢いだ。

 高校生の一つのお芝居が、10回も公演したなんて、記録だし、本当に幸せなことだと思う。知り合いでもなんでもない大人達や小学生に見てもらいながら、部員達は役者として、さらには、人間として間違いなく成長している。演劇には、そんな凄い力があるし、地域や観客の視線には、それを育む偉大な力があるってことなんだ。

 高校演劇の可能性をだらだらと書き連ねてきたこのシリーズ『演劇の力だぁ!』もこれでお終いだ。最終回は、そのものずばり、

⑧地域に飛び出す

演劇は作るからには、見てもらわなければならない。せっかくの舞台を本校関係者のみに限るのはもったいない。多くの人に見てもらいたい。音楽ほど気軽にできるわけではないが、演劇も地域に出て行くことは大いに可能だ。子供達を対象にした子どもミュージカルはもう5年の実績を持つ。最近は、評価も定まり、来年の予約もいただくほどになっている。高校生の舞台などと馬鹿にはできない仕上がりだ。

今、地域社会は身近な文化芸術活動が貧弱だ。テレビやインターネットに頼れば見たい映画や聞きたい音楽を次々に手に入れることができる。その気軽さが、地域における地道な活動を停滞させている。

メディアがもたらすプロ作品の質は高い。スイッチの一押しで、レベルの高い作品が画面のすぐ向こうに広がる。そんな状況では、身の回りの文化芸術活動には目も届かず、足も向かない。自分は単なる享受者でありながら、地元の創作者を馬鹿にするといった滑稽な思い違いが広がってしまった。実際、創造活動は手間も暇も半端でない。そんな苦労をして未熟な作品を作る意味があるのか、ということだ。

しかし、地域の活動が高まらなければ、地域の衰退はますます進むに違いない。たとえ技術的には拙い面はあろうとも、その地の人々が精一杯作り上げたものには、メディア経由のプロ作品にはない力がある。特に生身の肉体が目前で演じる演劇にあっては、その存在感は決して捨てたものではない。ネームバリューやプロ信仰に毒されない子供達が置農子どもミュージカルに強く惹きつけられていることが何よりの証明であろう。

一方、部員達にとっても、地域に飛び出し、地域の人々の前で演じきることは、大きな自信につながる。公演を終え、多くの子供達に囲まれて記念写真を撮っている姿は、喜びに溢れ、満足感に浸りきっている。力を出し切って精一杯作れば、こんな凄い感動が待っている。素晴らしいことだ。この経験は、社会に出てからも地域活動を継続していこうとの意欲を高めることだろう。創ることの喜びを知り、感動を分かち合う素晴らしさを知った人間を多く生み出すこと、高校演劇にはまだまだ大きな可能性が秘められている。

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西田佐知子って知ってる?

2007-05-23 23:01:38 | アート・文化

 いやぁ~便利になったもんだなす!って、ついつい訛っちまうよ。レコードが自分とこでCDにできちゃうんだからね、まったく。いいの?こんなことできてって、おじさんとしては、嬉しいような、不満なような不思議な気持ちだ。

 ソニーだかどこだかから、レコードをCDに簡単に作り替えるプレーヤーが発売されて、大人気だって聞いたけど、よおーくわかるよ、買う人の気持ち。だって、音楽好きの熟年ならLPの100枚や200枚、大切に保存してあるもんなんだから。もちろん、僕にも、あるゾ、ある。シュタルケルのバッハ無伴奏チェロソナタ全曲とか、ビートルズとか、ローリングストーンズとか、中には、今じゃ手に入らないカルメンマキとか浅川マキとか。なんちゅう聞き合わせじゃ、って僕も思うけど、人生60年近くも生きてくりゃ、いろいろ聞くんだよ、音楽だって。寄り道、道草、遠回り、これが人生だから。

 でも、人並みはちょっと嫌いな僕としては、ソニーのお膳立てにすんなり乗るつもりはないからね。だって、コンピュータあんじゃないの。ソフト入ってんじゃないの。そいつ使いこなせなくて、なんだよ、ってそれほど肩肘張るほどのことでもないけどね、VAIOに最初からインストールされてるSONIC STAGE MASTERING STUDIOを使ってやってみた。もう、何年も埃かぶったままになってたレコードプレーヤー引っ張り出してきて、パソコンにつないであるミニコンポに接続し、SONIC STAGE MASTERING STUDIO立ち上げて、後は指示に従って録音するだけ。簡単なもんよ、って終わってみれば言えるけど、実は、結構、大変だった。どこに差し込むんだこのコード?なんのポジションで再生すれはいいの?取れたみたいだけど、どこに保存されたの?保存形式?なんじゃ、それ?・・・・・もう、難問続出!

 でもね、このLPをなんとしてもCD化するんだ、っていうきつーい執念があれば、最後はなんとかなるもんよ。どんだけ時間かかったか?って、それは言わない。僕のためと言うより、この後、この記事見てやってみようかな、なんて思った熟年のためにも。ともかくできたんだから、僕にだって、これだけは言っておこう。これで、大切に取っておいたLP200枚の命も長らえたってことだ。めでたしめでたし!

 なんで、今回、こんな血眼になってLPのCD化に食らいついたかって言うと、やっぱりお芝居なんだよね。菜の花座次回公演『おもかげチャンチキ』の中で、西田佐知子の『アカシヤの雨がやむとき』を若い役者に歌わせることにしたんだ。ところが、西田佐知子ってだれ?西田敏行の奥さん?って有様だからね。聞かせてくれなくちゃわかんなあい、はいはい、じゃあ、LPあるから、持ってくる。レコードなんてどうやって聞くの?そうか、レコードプレーヤーのある家なんて、特殊中の特別だったんだ。よし、わかった!CDに焼いてくるから。と、まあ、こんな行きがかりで、この新しい事業に取りかかったっていうわけなんだ。

 録音しながら、2回も全14曲聞いてしまった。う~ん、いいねえ!懐かしいねえ!と、もうほとほと思い出に浸るおやじになった数時間だった。捨てられる女の嘆き節。それにしても、若いとき、こんなもん聞いてたんだ、って我ながら、恥ずかしいような、嬉しいような、そんな恥部が、今となれば貴重だったな、ビートルズだけじゃウソだもんな、なんて、自分を慰めたり褒めてやったりしながらの、懐かしのメロディ大全集だった。

 で、どれもみな良い曲なんだけど、お芝居で使わせてもらう『アカシヤの雨がやむとき』の歌詞(作詞:水木かおる 作曲:藤原秀行)の一部だけ、あっ、著作権侵害になるといけないから、一部だけ紹介させてもらおう。もちろん、上演の際は、著作権料お支払いいたしますよ。

「アカシヤの雨にうたれて このまま死んでしまいたい・・・・・・・冷たくなった私をみつけて  あの人は 涙を流してくれるでしょうか」

 こんな歌詞を涙を流しながら、何度も何度も聞いていたんだ。括りたくはないげと、やっぱ、青春だったんだ。

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芝居はなによりキャスティング!

2007-05-20 20:36:11 | 演劇

 芝居作るときいつも感じること。配役どうするか、これが決め手なんだよね、その舞台が成功するもしないも。もちろん、いい台本があっての話しだけど。特に、アマチュア劇団では、鉄則って言ってもいいじゃないかな。だって、どんな役でもこなすなんて役者なんて、ほんと少ないからね。何やっても、何処まで行っても、その役者そのものなんだよな。だから、持ち味を引き出せる役だと、ぐーんと生きるし、外せば目も当てられない。これがアマチュア役者使う時の、使用マニュアルその一だと思う。プロだって細かいところでは、同じことなのかも知れないけど、プロは、幾つも引き出し持ってるからね。

 だから、既成の脚本選ぶ時は、本当に苦労する。こんな内面的に深い役、あいつにできっか?この上品さ、うちの奴らにねえものなあ!ラブシーンなあ!だれさせる?・・・持ち味以前に男女の比率、年齢の壁など、もうハードルが何十本も立ち並んでいて、ゴールは、はるか彼方に霞んでるって状態だ。年に2回の公演のうち一本は創作で行く、ってのも実は書く方が楽ってことでもある。創作なら当て書きできるからね。

 それと、菜の花座の場合、団員構成が極端に偏ってるって大問題がある。二十歳前後の娘達がぞろっと一揃い、これに熟年のおじさん、おばさん数名、それに、スタッフのあんちゃん達。どこにこんなアンバランスなお芝居あるって言うの?ほんと!台本選びは地獄の責め苦だ。

 そこいくと、今日見てきた劇団ぬーぼーは、実に羨ましい。若手から中堅まで、男女偏りなくいるからね。伝統の差って言っちまえばそれまでだけど。で、今日の舞台はキャラメルボックスの『TRUTH』。生きの良い男達の芝居に、ばっちりはまった役者が集まった。脚本の要求するキャラクターにかなり近いからね、これは驚くよ。そして何より、みんな、チャンバラ好きなんだもの!時代劇、待ってましたの連中なんだもの出来が悪いわけがない。みんな、ノリノリで楽しんでたからね。はまり役のキャスティングが出来た芝居は、かくも天下無敵なのですよ。それと、キャラメルボックスの時代劇ってことも、ドンピシャだった。ギャグあり、殺陣あり、激論あり、恋有り、あっ、恋の方は、ちょっと苦手だったみたい。でも、間違いなくこのメンバーのための芝居のようだった。

 細かいあれれ?は幾つかあった。例えば、内外での草履の扱いとか、四六時中大小差してることとか、人を切ってもいないのに血のりを切るしぐさがやたら多かったこととか、せめて、刀が触れ合うちゃりんの音が欲しかったとか、あっ、そうそう、やたら慎重に刃合わせてたけど、あれって刀の持ち主からの貸し出し条件だよね。あと、前後する時間の扱いも、ピンとこなかったかな。

 でも、一番の難点は、舞台が狭かったってことじゃないかな。あのエネルギー充満男達5人に、いかんせん、あの舞台は狭い。もっと、広い舞台で思う存分飛び跳ねさせてあげたかった。そうすれば、あんな風にこわごわ立ち回りやってることもなかったし、もっと動きのある疾風怒濤の舞台になったと思う。まっ、これは予算とかなんとかいろんな制約の中の話しなんで、言ったところで無い者ものねだりなのかもしれないけどね。

 動きが小さくて残念だったもっと大きな理由は、キャラメルボックスの芝居って、スピードが命だって思うからなんだ。じっくり見せる、しっかり聞かせるって芝居じゃないと思うんだな。あんまり見てもいないし、読んでもいないで、こんなこと言うのもどうかと思うけど、じゃあ、止めろ!って言われても書くんだけど、成井豊さんの本って、読むとほんと、つまらないんだ。いいのか?そんなこと言って?待て待て!でも、キャラメルボックスの舞台になるとこれが、結構面白いし、引きつけられるんだ。

 で、以前から考えてたんだけど、これは、あの劇団の、ぐんぐん突っ走るかっ飛び感に秘密があるんじゃないか、ってこと。セリフ回しも早いし、大声だし、動きも大きく素早いし、場面の転換も瞬間勝負だ。観客をバイクの後ろに乗せて疾走してるってところかな。観客もああだこうだ考えてなんかいられない。必死で役者にしがみついて芝居のスピード感に身を任す。こういう芝居だから、台本をじっくり読むと、あらが見えてくるし、底の浅さが気になってくる。上演して生きる本ってことなんだよな。だから、上演に当たっては、動きの早さと激しさは、欠かせないんだと思う。それと転換を素早く感じさせる照明効果と音楽・音響もね。もっともっと華やかに賑やかに切々と男達の青春の痛みを一気に疾走させて欲しかったって、最後にぴりっと厳しいことを。でも、何人かの男達には、男の色気、感じたよ。誰とは言わないけどね。

 

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