井上さんって、どうしてこうも新鮮なエピソード切り取ってくるんだろう!?今回の主題は、終戦直後の日本放送協会ラジオ放送、「尋ね人の時間」だ。日本人だけでも数百万が死んだあの太平洋・日中戦争、その最後は壮絶を通り越してグチャグチャな大混乱だったから、生き別れたり、行方知れずになった人たちはたくさんいた。そんな家族や知人の消息を訪ねる番組、それが「尋ね人の時間」だった。薄っすらと覚えている。生で聞いたのか、噂とかを耳にしたのか、1962年まで続いたそうだから、どちらの可能性もあるなぁ。うん、あのほとんど棒読みのアナウンスが耳の奥に蘇ってくるから、きっと直に聞いているのだろう。
ウィキペディアによれば、放送された尋ね人探しは、19,515件、その約1/3にあたる6,797件が尋ね人を探し出せたんだって。これ、凄い達成率だよ。心当たりある人たちが毎日、この放送時ラジオにかじりついていた様子が浮かんでくる。ラジオを頼りに再会を果たした人たちに、どれほどの喜びだったことだろう。そう、それだけの人間ドラマ、芝居ではそれを奇跡と呼んでいたけど、がぎっしり詰まった題材だってことだ。これは芝居になる、いいもの作れる。埋もれていた宝物を探し出し、磨き上げた井上さん、やっぱりすこぶる付きの勉強家だし、敏感なアンテナの持ち主だったってことだ。
舞台公演を見る時、なにがお目当てか、そりゃ人によって違うだろう。僕の場合は、やっぱり真新しさってことだな。知らなかった話題、初めて目にする光景、未知なる人物との出会い。あっ、それ知ってる!とか、どっかで見たぞ、聞いたぞ!てのは、そう感づいた時点でアウトだ。先月の二兎社公演『ザ・空気』はこの既視感で、もう一発で興味半減してしまった。中身はとっても濃かったし、ち密に組み立てられた凄い芝居だったんだけどね。
井上芝居はこの点ほとんど裏切られたことがない。太宰や賢治、一葉、芙美子、なんか知れ渡った知名人を書いても、そこで扱われるのは、ほとんどお初のお話しだったり、切り口だったりする。この新鮮さがまず凄い。
次に圧倒されたのが、そのシチュエーションから繰り出される空想力の雨あられだ。主人公のアナウンサーの弟は、特攻命令を拒否して自死しているし、原稿制作係は脚本賞を狙っている。原稿校正係はもともと築地小劇場の文芸部出身で内職に文章添削のアルバイトをしている。番組の監督役の米軍将校は、日系二世で育った神奈川県丹沢の僻村の村再生に心を砕き、なんと村人から村長に推されている。タイトル『私はだれでしょう』の元になる記憶喪失の青年は、偽親の引き取りであやうく小指を詰められそうになったり、信州の山奥で畑仕事にこき使われたりする。まだまだエピソードは限りない。もう、話題の速射砲と言ってもいいくらい、次から次と投げつけられ、引き据えられ、食らわされる。この空想力の絶え間なき破裂!これがこの作品を飽きさせぬものにしている。
でも、突拍子もないエピソードの連続攻撃だけで、惹きつけられるわけじゃあない。記憶を失った青年が、ちょっとずつ記憶を呼び戻して行くミステリアスな構成、これも興味津々、観客の関心をグイグイと引っ張って行く。実に巧みな構造だ。サイパンの捕虜収容所で意識を取り戻した青年は英語が得意、頭脳明晰、身ごなし軽く、柔道、剣道、空手は達人の域。さらに歌も上手けりゃタップダンスもお手の物?!こ、こ、こんな風に育てたってどういう家庭なの?どいうう境遇なの?うーん、井上さんの挑戦受けて、舞台見ながらずっと考えていたけど、降参!なんと、あっと驚く結着の着け方だった。恐れ入りました、井上さん。
ここまでだったら、お上手なストーリーテラー、楽しいエンタメ舞台で終わるところ、ところが、どっこい井上さん、こんなとてつもない笑いふんだんの設定を操りつつ、しっかり観客の胸に突き刺さるシーンや言葉もたくさん仕込んでいた。賑やかな歌と元気な踊りの合間合間、報道するものの責任とか、権力と戦う姿勢とか、死者から託された使命とかがぐさりと客席を抉る。ラストの歌の歌詞、負けて、負けて、負け続けて 石になる。そのたくさんの石が積み上げられて、戦いは続く、て内容だったかな?これ、井上さんの生きる姿勢の表明であると同時に、見る者に対する投げかけでもあるって厳粛な気持ちになって聞いた。
公演は観客の少なさを除けば、大成功。盛大な2度のカーテンコールの後も、点灯した客電にも去りがたく拍手が続いていた。ほんと、熱い拍手だった。井上さん、聞いたでしょ、この拍手。まだまだ生き続けますね、まだこれからもご一緒ですね。