ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

演劇の力だぁ⑥:十人十色が舞台を創る!

2007-03-29 23:22:01 | 演劇

 置賜農業高校演劇部では、スタッフ、キャストを固定しない。

 だって、どっちも面白いし、大切なんだもの。面白いものは、みんなにやってほしい。大切なことはみんなが経験してほしい。だから、スタッフ専門、キャストオンリーって人間は作らない。分業は効率いいかも知れないけど、演劇は効率じゃないものね。まして、高校演劇はね。部員一人一人が育つのが目的だから。

 どんなに下手でも、舞台に立たせる。どんなに苦手でもダンスを踊らせる。これが置農演劇部だ。そんな、いやなこと無理にさせなくたって、というのは、人間理解が浅い人だ。人間、どんなに恥ずかしがり屋でも、人前でいい格好はしてみたいもんだし、どんなリズム音痴でも、踊ることは快感なんだ。少なくとも、演劇部に来るような人はね。

 だから、機会があれば、人前に出す。機会が無ければ、作ってでも出す。例えば、今なら、3月27日、新入生オリエンテーションの日に玄関前で踊った。4月1日は米坂線盛りあげイベントで、小松駅前と駅プラットホームで踊る。翌2日は新任の先生方の着任の日。この日も演劇部が歓迎イベントを買って出た。で、踊り歌う。入学式も校歌斉唱に手を挙げた。式終了後、出てくる新入生を前にして玄関前で踊る。上手な生徒だけ、なんて、しみったれたことは言わない。上手かろうと、下手だろうと、全員で歌い踊る。これがいい。これが大切なんだ。

 とは言うものの、人間にはやはり得意不得意がある。厳然としてある!どう見ても、スタッフ向きって奴は、たしかに、いる。舞台で映える奴がいるのと同じで、物作りでキラリと光る奴がいる。機械いじりが無性に好きな奴がいる。人を動かすことが何より好きな奴、絵が得意な奴、大工仕事の達人、・・・世の中いろいろ、十人十色だ。で、その才能はやっぱり伸ばしてやらなくちゃね。いろんな才能が出会い、互いに補い合って、舞台空間はいよいよ輝いてくるわけだから。そして、自分の力が出せれば、こりゃもう、満足いっぱい、充実の春ってものだろう。(なんで春なんだ?)

 ということで、今回のテーマは、演劇に不要な人はいない、だ。

⑥演劇に不要な人はいない

演劇に不要な人は誰一人としていない。これは、井上ひさしさんの言葉だ。一本の芝居が上演されるには、役者、演出、舞台監督、音響、照明、衣装、装置製作、大道具、小道具、メイク、制作といった仕事がある。どれ一つ欠けても完成しない。演劇というと、とかく人前に出たがる人、出たい人のものとの思いこみがあるが、そんなことはない。華やかな舞台の裏で、光を当てたり、音楽を流したり、装置を転換したりしている何人もの人間がいる。さらに、その舞台装置や道具類を作り上げたスタッフもいる。

演劇部の部員達を見ていると、このことがつぶさに実感できる。舞台に立つのが何より好きな者がいる、ダンスというと目の色が変わる者がいる、道具作りとなるといつまででもこつこつと続けている者がいる、ジャージを絵の具だらけにしてパネルの塗装をする者、みんなを動かすのが得意な者、照明の専門技術に長ける者、実に様々な才能が集まってくる。そんな十人十色の能力が出会い、補い合って一つの舞台が作られていく。

そして、大切なことは、そんな多くの仲間達の協同作業を通して、お互いがその力を認め合い、お互いが尊敬し合う関係が築かれることなのだ。一人一人の個性が尊重され、その個性の故に大切にされる、人間関係のもっともあるべき姿がここにある

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食育ミュージカル、まずは出発!

2007-03-27 21:20:47 | 演劇

 置賜農業高校演劇部、食育子どもミュージカル『”いただきます”見つけた!]』第一回川西公演が無事終わった。

 ほんと、無事だよ。毎回毎回、綱渡りの度合いが高まっているんだけど、今回は、格別だったね。だってね、8曲もある挿入歌の音取り(録音)が、なんと、公演前日の昨日だから。しかも、そのうち一曲は、一昨日2番3番の歌詞をつけたばかり、そんなのありか!まっ、そんなこんなで、しっかり音をつけて通したのが、わずか3回!よくぞ、頑張ってくれました、部員達!ありがとう!!力をつけたよ、君たちは!と、おだててごまかす。

 だいたいこの年度末の忙しい時期に、公演引きうけるのが間違い。わかってます、ほんと、その通り。年度内提出の書類は山積み、会議は目白押し、送別会は連日連夜。さらに、菜の花座の台本でもせっぱ詰まって、その上、このブログだろう、あちこち、あれやこれや手抜きとなるのは仕方ないこと、なんて、無責任なこと言うな、って、ごしゃかれる(おこられる)よな、四方八方から。

 さらに、今回の子どもミュージカルは、おまけ付き。最初の予定は、野菜クッキーだったけど、どうせやるなら、米粉パン試してみよう、ってこれまた、気軽に思いついて、で、そっちの仕事は、顧問Nにぜーんぶ押しつけてしまった。なんだって、そう、次々行き当たりばったりアィディア思いつくんだよ。勝手に自分でやれよ、って思ってるんだよ、顧問N。でも、根が真面目だから、僕に言いくるめられると、う~ん、やっぱやんなきゃって、米粉の仕入れが5日前、前々日に試作、前日に配布のバターロール焼き上げと、怒濤の一気仕上げをやり遂げてくれた。ひどい!他人まで無理矢理巻き込むこの強引さ!言語道断!!死んだら地獄落ちは必定だ。

 さて、初公演の反響だが、う~ん、まずまずってとこか。奇抜なキャラクターはみな受けた。歌は、作詞、作曲はいいんだが、歌い手がまだまだ、手の内に入れていない。ギャグについては、も一度仕切り直し。ストーリー展開は、小学生には、ちと難しかったかも。

 今回の観客は、不思議な取り合わせだった。在宅介護を受けてるお年寄りと、学童保育の子ども達と、精神薄弱者施設の入所者ってすごいでしょ。だから、反応が、いまいち読み切れない。アンケートが楽しみだ。ただ、子ども達については、やはり、説教臭かったみたい、食育だからなあ。芝居見に来て、勉強させられるの、やっぱり、嫌だよな。どうせなら、楽しくおかしくおもしろくで、行ってよ、って願い、僕も同感!って、降参してどうする。これから。まだ、決まってるだけで5回、多ければ10回近く公演してくっていうのに。

 というこで、次回5月公演までの課題は、①後半の説明ぽいシーンを作り直す、②歌を仕上げる、③ギャグに磨きを書ける、ってことだな。

 バージョンアップの次回公演は5月5日米沢市児童会館、5月6日高畠町浜田ひろすけ記念館だ。ぜひぜひ、見て下さい。次回も米粉バターロールのおまけ付いてると思うよ。顧問Nが切れなけりゃ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジテーター・鴻上

2007-03-24 23:55:56 | 演劇

 『僕たちの好きな革命』(山形公演)作・演出:鴻上尚史・原案:堤幸彦、面白かった!

 まずは、原案。あっ、それがあったのか、やられた~一本、てとこだ。学園闘争で、ガス銃の直撃を受け、意識を失っていた男・山崎(中村雅俊)が、30年間の眠りから覚める。意識は30年前の高校生、身体は、中年のおじんが、突如、高校生活を始める。ごりごりの全共闘が、時間の隔たりを、一挙に飛び越えて今どきの高校生の中にちん入するんだから、これはもう、面白くて当たり前。言葉や習慣や意識の違いが次々と大爆笑を引き出していた。

 例えば、アジビラ。山崎には自明の言葉でも、今どき高校生には、鯵の開きとしか理解できない。例えば、むかつく。連発する高校生に山崎は、胃腸薬を差し出す。例えば、流行語。山崎の口から出るのは、あっと驚く為五郎!クリープを入れないコーヒーなんて!なんだもの。シチュエーションの秀逸さを、ギャグにきっかり生かして、さすが!鴻上。

 でも、一番憎いのは、30年前の高校生の、熱くひたむきな心と行動力を、白けきった今どき高校生につなげたことだろうな。自由なようで管理されてる。何でもやれるようで、心底望むことは許されない。そんな、もやもやとした今どき高校生の不満が、未来を信じる30年前の無垢な心と出会い、刺激され、鼓舞されて、噴出する。そのエネルギッシュな暴発を見事に作り出していた。

 と、ここまでは、演劇評的に書いてきたが、実は、見ていてちょっとつらかった。僕自身、山崎の30年前と同じ時代を生きてきたからなんだ。ただ、僕の時間は止まらなかった。そこが違う。だから、登場人物で言えば、全共闘の先輩・兵藤さんが僕なんだ。いやいや、僕が、戦闘的アジテーターだったってことじゃない。かつて大学解体を叫んだ身で、今、高校生の生徒指導に専心してる、その境遇が、兵藤さんとそっくりだってことだ。

 だから、体育館からの退去を迫る兵藤さんに、山崎が、僕は動きませんよ!と宣言したとき、兵藤さんと同じように、動いてきた自分、流されてきた自分への厳しい糾弾の声を聞いたのだった。かっての思想はどうした?過去の熱い思いはどこへやった?

 40年近い歳月は、大きな潮の流れだ。決して時代や権力に媚びたわけではない。でも、たしかに、自分が定めた定点からは、大きく漂ってきた。自分と家族の暮らしのために。

 でも、ここからが、芝居への違和感だ。今人生のテーマは何かと問いつめられて、二人の子どもの幸せと答えた兵藤は、やはり違うと思うのだ。兵藤が、それだけのために、管理的な生徒指導をしているとは到底思えない。まして、教頭としての自己保身などではない。何かしら積極的な意味づけ無くして、生徒指導はできないと思う、これが僕の実感なのだ。

 人は、暮らしのために信念を曲げる。それは確かだ。でも、曲げつつも、必死で自分を裏切ることの少ない道を探し求めているのだと思う。それが、時には、かつての思想を裏切るものであっても、それはそれで、真剣な生きる営みなのだと思う。

 誤解しないでほしい。子どものために生きて何が悪い、といった、生活至上主義で開き直っているのじゃない。多かれ少なかれ人は、時代の中で、絶えず自己を検証し、修正し、正しい道筋を求めて生きているってことなのだ。時代とともに変わること、それは、時代に流されることではない。

 一度感じた違和感は、次々と、そりゃ違うぜ、そりゃねえだろ、と広がって行ってしまった。山崎の戦いが、ただビートルズを聴きたかっただけ、ってそりゃねえよ。あの頃、そんな甘ちゃんで戦ってた奴なんていやしない。自分のやりたいことをやればいいんだ、だって、冗談言うなよ。どの時代だって、そうやってエゴがぶつかり合って悲惨な結果が産み落とされてきたんだろ。

 で、一端白けてしまうと、なるほど、この芝居は、鴻上のアジテーションだったんだって、気が付いた。未来を信じ、仲間を信じ、熱い心で、行動しよう、そこには必ず連帯が生まれてくる、って。そして、カーテンコール。中村雅俊に(ってことは、鴻上に)アジられて、観客は、拳を突き上げシュプレヒコールを叫んでいた。もちろん、僕は、シュプレヒコールには加われなかった。アジテーションはもうたくさん、これが、40年の歳月の中で、僕が学んだ大切な幾つかのことの一つなのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

主役が飛ばされたぁ!!

2007-03-21 09:23:10 | 演劇

 こまったぁ!まいったぁ!お手上げだぁ!

 菜の花座の花形スター!になるはずの、役者文ちゃんが飛ばされちまった。春の嵐にかっさらわれて、海辺の町に転勤だよ、転勤。まさかね、移動になるなんて、ゴキブリの涙ほどにも思わなかった。何を根拠に?そりゃありますよ、ファイブ(5)ドア冷蔵庫みたいな動かし難い根拠が。でも、長くなるし、当事者以外には通じにくい話だからここでは触れない。こんな天災が、うん、天災なのか?いつか襲ってくるとは思っていた。しかし、今回か?よりによって、今年なのか?

 菜の花座のユニークさの一つは、置賜農業高校教員が、やたらと団員にいるってことだ。僕を含め、現在4名。4月からさらに一人加わるので、5人になるはずだった。一つの高校から5人だよ。考えられない話しだ、日本の文化貧困状況からは。もう、文化庁やら、文科省から表彰されたっていいぐらいのもんだ。

 教員が多いからには、転勤・移動による退団は折り込み済みではあった。けど、まさか、今回、けど、なんで、文ちゃんなんだよ。文ちゃんは、次回公演で一躍スターの座に躍り出るところだったんだ。彼の役者歴はを見れば、それはもう、誰もが納得いくってものなんだ。

 初舞台は、ヤクザの若頭、セリフは、うっす!だけだった。なのに、客席は爆笑の渦。出てきただけで拍手が起きたのは、菜の花座で文ちゃんだけだ。次の舞台は、おかまバーのママさん役。髭の剃りあと青々と、柔道仕込みのがに股を無理矢理、内股に変えて(お陰で、股ずれができて、その後しばらく苦痛を訴えていた)、言うまでもないね、もう、人気沸騰だった。そして、前回は、こわ~い女将さんと、きかない女板前に挟まれて右往左往する、気の弱い旅館の主人って役所。ほとんど出ずぱりなのに、会話からはじき飛ばされてるって、つらい立場をよく演じきった。

 と、こうくれば、次は主役でしょう。次回七月公演は、彼の特技と特異なキャラを最大限いただいて、チンドン屋でいこうと決めてたわけなんだ。詳しくはこのブログの『チンドン屋の本当』を読んでほしい。あの文ちゃんなんだよ。どうする!どうする!!どうする!!!もう書き始めてたのに。劇のクライマックスは彼の路上ライブって決めてたのに。人の心はおろか、身体だって揺さぶる、文ちゃんの熱唱シーンを思い描いていたのに。恋人役だって決めてたのに!えっ、ほんと!なら転勤やめるって戻ってこねえか?

 もう、やけ酒しかないね。焼酎煽って、校長呪って、文ちゃん偲んで、あっ、そうか、死んだわけじゃない。でも、死んだも同じ。死ぬよりつらい生き別れ。それよりむごい、主役失踪!今夜一晩、悲しみと絶望を相手に酒を酌み交わすしかない。

 ああ!どうすんのよ、公演台本!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お~い!団塊や~い!!

2007-03-19 18:55:13 | 演劇

 やろうぜ、熟年劇団!呼びかけ。さっぱり反応なし。まあね、ちょこっとブログで書いて、ぱぱっと、人が集まるなら、苦労はないけどね。だいたい、このブログを熟年が見てるかっていうと、う~ん、微妙!どころか、ありえねー!だろうしね。いや、だいたい、熟年に、ブログを見る習慣って、あるのか?都会ならともかく、ここらではねぇ。

 先日、職場で熟年劇団結成なんてぶち上げたら、あっ、それいいですよ。人助けになります、ってどういう意味よ。その心は、今、暇な年寄りはパチンコ屋に入り浸っている。そして、たいがい大損する。そして、年金を使い果たす。そして、サラ金地獄に堕ちる。だから、熟年劇団ができれば、その内の何人かは、演劇で時間をつぶすので、地獄から救われる、って言う話しなんだけど、ほんと?

 職場で反応が、もひとつあった。私、入りますよ、熟年劇団。えっ、ほんと?ええ、15年後!娘が大学入ったら、それまで有りますよねって、ありがたい申し出だけど、僕、生きてる自信ありません。

 まっ、ブログは見てないかもしれないけど、見た人から話し聞いてとか、さらに、噂聞いたから、なんて、口コミで広がることを期待して、今回も、懲りずに書いている。

 思いついたきっかけは幾つもある。蜷川さんや、流山児さんのすごいお手本は、恐れ多いばっかりだが、以前、NHKの海外ドキュメンタリー番組で、熟年のダンスチームの紹介が流れた。アメリカの話しだ。パートナーを無くして生きる意欲を失っていた人とか、プロとして活躍した頃が忘れられない人とか、ドラッグに溺れていた人とか、いろんな過去と現在を持った女性達が、ダンスチームを作り、厳しいレッスンを繰り返しながら、全国を股に掛けて公演しているという番組だった。

 老齢だから、身体は思うように動かない。激しいステップも無理だ。でも、粋な衣装を手作りし、表情たっぷりのそのダンスは、老人ホームでもステージでも大喝采を浴びていた。観客の方が歳が若いのに、高齢者から若さと元気をもらってるんだ。リーダーはなんと、82歳の大学教授。

 いいねえ、リズムに身を任せて踊るって。これって、人間の根源的な欲求だよね。それに、見られること。これもすごく重要。(『演劇の力だあ!本編③』かな?参照)他人から見られるから、しゃきっとするし、努力もするんだ。身体でも心でも、健康にいいわけだよ。そして、その健康を、見る人々にぶわーっと、放射していくわけだから、こんなにすごい奉仕活動ってそうはないと思う。

 演劇だと、さらに、伝えたい思いや考えも表現できる。子ども達なんかには、ぜひぜひ、伝えておきたいことが、いっぱいある。これをじいちゃんやばあちゃんが、小言や繰り言でなく、せりふとして伝えることができるんだ。いや~、やっぱりすごいことだよ、熟年劇団は。

 ということだから、僕が関わる熟年劇団はダンスをします。歌も歌います。できれば、ミュージカルも創ります。

 あっ、いかん!こんなこと書くと、敷居がさらに高くなっちまうか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする