ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

定期公演は野田秀樹『キル』に挑戦だあ!

2008-04-30 23:23:56 | 演劇

 もう書いてもいいんだ、定期公演は野田秀樹『キル』をやるぞぉぉぉぉぉ!

 そう、ようやく上演許可が届いて、上演料も振り込んだから、大手を振って言いふらそう。もう一回言ちゃう、定演は野田の『キル』だぁ!本読みを終えて、今は衣装・装置・道具の製作中だ。まずはなんてったって、衣装だよ。いったい何着作ればいいんだ?女子部員全員がミシンにしがみついて縫い物に一心不乱だ。いいねえ、実に『キル』じゃないか。

 おっと、『キル』の内容を知らない人のために、一言。この作品はジンギスカン=テムジンが主人公、でも、戦いは武力でなく、ファッションの世界っていう奇妙な作品なんだ。だから、オープニングは足踏みミシンの登場からだし、エンディングは舞台一面を覆う巨大な布が空に舞う。もちろん、途中にはファッションショーも随所にあって、もう、どんだけ服を作ればいいのか、布を用意すればいいのか、未だに部員一同誰も把握できていないっていう凄まじい芝居なんだ。

 すでに準備した布地は、和服の古着七着、ラッピング用不織布11本、裏地多数。見て分かる通り、徹底して節約大作戦なんだ。モンゴルの衣装は主として古着。兵士の制服は裏地の使用。ラッピング布はファッションショー向けだ。これらの素材を利用して、19人の部員が被服室のミシンに総掛かりで取り組んでいる。壮絶だよ、20台近いミシンが動いてる様子って!

 ところが、繊細なミシンは次々にダウン、40台もあったミシンが、今では、使えるもの4台まで減ってしまった。どうするどうする?まだ、入り口に入り込んだばかりだって言うのに。仕方ないので、まずは、手の空いた者には手縫いを指示。ミシンの調整、修理について家庭科の先生と急遽相談、演劇部の費用で修繕させてもらうことになった。うーん、実に『キル』的だ。

 装置のほうは、舞台に変化を付けたくて、幅2間、奥行き3間のスロープを造っている。これをどう使うかなんて、まるで考えちゃいないんだ。ただ、この芝居、動きがとっても激しいから、スロープを駆け上がり駆け下りするといいだろうな、ていう直感だ。ファッションショーもこのスロープがうまく使えるに違いない。

 ともかく、いろんな工夫を凝らしてみたい。思いがけない、途方もない仕組みを考え出してみたい。本当に、アイディア勝負なんだよ、この芝居。で、最後の極めつけは、テムジンを女が演じるってことだろうか。おいおい、ばらしちゃっていいのか?今の時代、義理人情は女がやってます!っていう『熱海殺人事件』のキャッチコピーじゃないが、女の方が、はるかに、男を、しかも戦う男を演じられるんだよ、今の時代は!

 さあさあ、見所満載のこの舞台、上演日時は6月7日(土)午後1時と6時の公演だ。女テムジンの熱い心意気が舞台を一気に突き抜ける!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耳を磨け!

2008-04-28 22:14:11 | 演劇

 耳を磨けったって、耳かきで耳の穴かっぽじけってことじゃない。鋭敏な聴覚を身に付けようって話だ。

 先週、ようやっと、台本読みが終わった。置農定期公演の稽古の話だ。1ヶ月かかったね、わずか一回読み通すのに。最初一度目は、わかってもわからなくても、ともかく読む。二回目は、徹底してだめ出しをしながら、じっくりと読む。一つのせりふで1時間とか、1ページ1日なんてこともまれではない。何度でも繰り返させる。いろんな言い方を試させる。せりふの意味を考えさせる。そうやって立ち止まり、躊躇し、悩んで一つ一つせりふを攻略していく。この課程を僕はとっても大事にしている。こちらの意図を伝え、僕の望んでいることをとことん引き出していく。せりふの意味を問い直し、情景を思い描かせ、作者の意図を感じ取らせる。時には、時代背景の説明をしたり、人生や人間について話したりしながら、ゆっくりじっくり進めていく。

 せりふの言い回しは、極力役者本人が見いだすことを願っている。だから、僕としては、ああだこうだと、せりふの周辺を言葉で埋めながら、適切な表現を引き出していく、間の取り方とか声のトーンとか、技術的なアドバイス、なども与えつつ、自らの発見を待つ。ところが、自ら表現にたどり着くってのがなかなか難しい。いい加減いらいらして、おいおい、まだわかんねえのか?もう、しょうがねえなあ!ってことで、ついつい僕が手本?をやってみせるってことになる。

 何度かやってみせ、ほら、真似てみろ、って言うのだが、これがまた、まるでできない。違うだろ!その間の取り方。ほら、この言葉は引っ張って、ここはささっと早口で!一カ所一カ所、解説付きで再演してみせても、まったく近づいてこない。おい、どうなってんだ?

 最初、僕は、彼らはわかってはいるが、真似出来ないなんだと思っていた。聞いたことをその通りに演ずるって、結構大変なことだから。演技者としの経験もゼロに近いしね。まあ、仕方ないかって半ばあきらめつつ、繰り返しダメを出し続けてきた。

 ところが、今回、新たな真実に思い至った!それは、彼らはどうやら、僕の手本が聞き取れていないらしいってことなんだ。強弱もせりふの調子もニュアンスもまるっきり感じ取れていない。ようだ!そう思ったのは、アクセントの矯正を通してだった。我が部には、アクセントのおかしなのが何人もいる。ちょっとした高低の変化がわからない。何度教えても、まるで直らない。何十回と繰り返し、もう、いい加減うんざりして、家で家族と練習して来いと突き放したら、翌日、家族全員同じアクセントでした、っておいおい、家族ぐるみでなまってんのかよ?

 アクセントを何度注意されても直らない部員たちってのは、自分がどう発音しているかがわからない。こちらの正しいアクセントとどう違うかがわかない。結局、言葉の細かいニュアンスや音程の変化、音の強弱が聞き取れていないんだってことに気がついた。なるほど!だったら、せりふについても僕の真似ができないわけだ。聞き取れないんだから。

 いったい、どうしてこんなに耳が悪くなっちまったんだろう。若さの故か?時代の影響か?人間関係の希薄さからか、理由はわからない。ただ、微妙なニュアンスを聞き取る力が弱体化しているってことだけはたしかだ。繊細な言い回しが感じ取れない。言葉に潜んだ感情が読み取れない。音の表情が聞き分けられない。

 対策は、耳を磨け!これしかない。人の言葉にじっくりと耳を傾ける。素晴らしい音楽を一音残さず聴く。言葉に封じ込められた話し手の感情を感じ取る。これって、人間としてあまりに当たり前のことだ。でも、この訓練がとことん欠けているんだと思う。

 おい、皆の衆!耳を磨こうぜ!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに芸と出会った:柳亭市馬独演会

2008-04-25 23:56:18 | アート・文化

 こつこつと地道に続けるプラザ寄席。今日の高座は柳亭市馬師匠。置農演劇部生徒27人を引き連れて噺を聞きに行った。

 噺は二題、最初は、なんとういう噺かな?けちん坊で財をなし大店の旦那が、三人の息子のうち誰に家督を譲るか、自分の葬式の仕方を問うて判断するって噺。ちょっとリア王風。以前聞いたことがある噺。落ちには確かに記憶があるから。でも、途中はまるで覚えていなかった。なのに、二番目の息子が語る葬式のおもしろさったらなかった。遊び人の次男は父親の葬式をお祭りにしてしまうんだけど、その祭り囃子の描写が実にお見事!絶品だね。太鼓、笛、チャンチキを矢継ぎ早に真似しつつ、ついにはお祭りマンボを歌い出すという盛り上がり、もう、すごい!と言うしかない。感激!中でも、笛の指使いが本物なんだよ、多分。会場も爆笑、爆笑、大爆笑だった。でも、演劇部の生徒にはちょっと難しかったみたい。言葉や芸事のお遊びがも一つピンとこなかったみたいだ。

 二題目は『らくだ』。懐かしいねえ!4、50年前、雲の上団五郎一座の舞台を思い出した。あのときは、八波むとしの兄いと三木のり平の屑屋だったけど、今でもくっきり覚えている。そのくらい面白かったんだ。さあ、市馬師匠、どう演ずるか?

 これまた、お見事!参りました!!酒を飲む仕草、煮物をほおばる様子、兄いのすごむ表情。見ていて、もう声を掛けたくなるほど見事な芸だった。中でも屑屋が酒を飲まされて、しだいしだいと酒乱の本性を発揮していく場面など、微妙な表情の変化、体のこなし、言葉の妙、実に心憎い出来映えだった。死人を背負ってのかんかんのうも、くっきりとらくだの死体が見えていた。

 こんな素晴らしい芸を生徒たちに見せてもらえたこと、それもこれも、このプラザ寄席を仕切っている鈴木さんのお陰だ。見終わっての感想、今日見た芸を、明日からの稽古に生かしましょう、部長トオルの言葉に嘘はなかったと思う。僕には久しぶり、部員たちには初めての、伝統的な芸能に触れることのできた貴重な機会だった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やられたよ!アマゾンマーケットプレース

2008-04-21 22:24:16 | 本と雑誌

 ものすごく期待してたんだ、島村抱月訳の『人形の家』が届くって。今日届いたら、さっそく、引用部分を島村訳に書き換えて完成、これでばっちり明治の芝居になるって、喜び勇んで、職場の歓迎会でも酒を飲まずそそくさと帰って来たって言うのに。届いたのはなんと、昭和27年初版の山室静の訳本だった!なんてこと!!

 先週、アマゾンのマーケットプレースで島村抱月訳ってのを見つけた時は、ほんと、狂喜したんだ。それも300円以下という破格の安さで手に入る。さすがは、アマゾン!さすがはマーケットプレース!!と、絶賛、感嘆、再度、驚嘆だったのに。どうなんての?

 さっそくアマゾンのサイトで『人形の家』を探してみたら、ない!ない!どこにもない!島村抱月訳がきれいに消えているじゃないか!いや、あるにはある。でもそいつは、名著復刻版でなんと一冊65,000円也というとんでもない稀覯本、僕らの世界のものじゃない。三四日前に確かにあった、あの島村抱月訳はどこに行ったんだ。

 マーケットプレースの本屋さんもいい加減だ。送られてきた本は山室静訳なのに、送り状にはBY島村抱月とあるんだ。で、念のため、その本の隅から隅まで探してみたけど、島村抱月がその本に関わったなんて記述は一切なし!!何だよ?BY島村抱月って。これって詐欺?まあ、下手なこと言うと名誉毀損なんてことで訴えられないとも限らないから、これ以上ぐだぐだ言わないけど、納得出来ないよなあ。

 商品に不満があったら返品すれば、って言うかもしれないげと、そんな、金銭の問題じゃないんだ。要は、信頼性の問題。裏切られたこの失望感をどうしてくれる?ってことなの。果たして、どこに責任があったのか?この本がアマゾンから消えたってことは、アマゾンも本屋も誤りに気づいたってことだろう。だったら、一言、なんとか言ってほしよ。

 結局、山室静の訳だったら、何もわざわざ原さんのものと差し替える意味はない。だって、どっちも昭和のものだもの。明治の香りを感じさせてはいないもの。もういいよ。すでに仕上げた原稿で印刷する。65,000円はどうしたって高値の花だから。ということで、『雲雀 はばたきて』の劇中劇『人形の家』は原千代海さんの訳で上演することにする。原さんには早速、上演の許可をお願いしよう。それにしても、残念!無念!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台本完成!『雲雀 はばたきて』

2008-04-21 06:53:46 | 演劇

 ようやく、書き上げたよ。菜の花座次回公演『雲雀 はばたきて』の台本。正確には今夜、作業が一つ残っているんだけど。そう、劇中劇として使うイプセンの『人形の家』、原千代海さんの訳を使わせてもらうつもりだったんだけど、なんと、島村抱月の翻訳が手に入ったんだ。まさか、100年近くも前のものが使えるとは思わなかった。アマゾン様々、マーケットプレース様々だ。時代設定はまさしく島村抱月の時代なのでね。引用部分を今夜書き換えてめでたく脱稿ということになる。いやあ、長かった!

 文翔館の旧県庁議場ホールを使って芝居を作る、という話が持ち上がってから2年、女学生とどさ回り一座の男女混合劇という骨格が定まってから一年。明治時代の資料漁りを初めてやっぱり一年。具体的な構想を練り始めて半年。そして、書き始めて1ヶ月。僕としては、こんなに長く準備期間を持ったのは初めてのことだ。

 なんせ、明治という”時代”を書くという大それた企てをしてしまったので、勉強しないわけにいかない。構想中はもちろん、書いてる最中もしょっちゅう年表と首っ引きの毎日だった。おかげで、いくらかは明治という時代の雰囲気がつかめた気がする。そして、この芝居の中にそれを表現できたんじゃないだろうか。

 ただ、あれも書きたいこれも取り上げようとエビソードにとらわれ過ぎたかなって心配は少しある。そう、個々の話のおもしろさに頼りすぎて、掘り下げ方が足りないって感じだ。要するに、良くも悪くもウェルメイドな作品に仕上がったってことかな。まあ、僕自身、淡々としたものより、ストーリーがばく進する作品が好きなので、当然の帰結ってことだ。お客さんに楽しんで観てもらえる自信はある。もちろん随所にエンターテインメント性を盛り込んである。一つばらすと、オッペケペー節なんかも歌い踊るしね。もうひとつ明かせば、二つの舞台空間を使い切って進行するってことも。

 こんなに苦労した理由の一つに言葉の問題がある。登場人物がどんな言葉で話すのか、これがなかなかつかめなかった。明治時代の後半という時代設定、山形県は置賜地方という場所の設定、女学生と旅役者、と、こう並べてみれば、彼らにどんな言葉を話させるか、大変だってことわかってもらえると思う。例えば方言一つにしても、女学生でも、中産階級出身者と没落士族の娘では違って当然だろ。教頭となれば、これまた違う。さらに、旅役者には壮士芝居を目指す者、歌舞伎くずれの女形、なんかもいて、それぞれがみな違った言葉でやりとりするわけなんで、この言葉を固めるのが実に大変な作業たった。

 ともかく、書き上げた。明後日には、台本を印刷して座員たちに配ることができる。予定を遅れること3週間、これまた、僕としては初めてのことだ。配役はすべて決まっている。当たり前だ、当てて書いているから。彼らが、本を読んでどんな感想を持つか、楽しみ、と同時に怖い。でも、どう思われようと、この作品は成功するって自信がある。予感がある。いよいよ稽古と制作に入る。これからがまた大変な作業の連続になるだろう。

 公演は10月12日(土)、山形市文翔館議場ホールだ。会場と舞台設定の都合で入場は200人程度に限定されるから、チケットはお早めに。お早めに。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする