ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

山形新聞日曜随想12月

2016-01-04 08:44:44 | アート・文化

 三が日を過ぎて、いよいよ、新たなる出発!なんて気負っちゃいないが、気持ちのけじめは付けておこう。だらだらと記事を続けないように、ここらで切れ目のページを入れよう。昨年一年間、月一で書かせてもらった山形新聞日曜随想、12月が最終回だったから、色あせて時効にならないうちにアップしておこう。タイトルは、「心開き、突っ走りましょ!」だ。

 「さあて、最終回だ!一年間、たわいのない話題を勝手気ままにほざいてきた。呆れながらも読んでくださった方、ありがとう。

 年末でもあるし、この随想も総集編でいこう。で、キーワードを拾い出してみた。「かく」「みる」「はしる」そして、「しょくす」の4つの動詞だ。わざわざ平仮名で表記したのには理由がある。それぞれに複数の意味を持たせたいと思うからだ。

 まずは「かく」。この一年、書き続けた一年だった。まずはこの随想、毎月締め切りに首を締め上げられ、もがき苦しみながらも楽しく書き通せた。台本もコント含めて6本の新作を書き下ろしたし、ブログ「ステージおきたま」(最後だから宣伝しちまおう)も2月以降毎日更新を続けている。もうこうなると、夜ごとのアルコール同様、書きもの依存症と言っても過言じゃない。前夜の酒が翌日の鋭気を養う(と、信じている)ように、書くという作業が、頭脳の退化を防ぎ止めている、と、信じている。「かく」には恥を掻くって意味もある。普通、マイナスの感覚で捉えられる言葉だが、この際あくまで前向きに考えたい。知らないことに面と向かっていくから恥を掻く。挑戦するから恥を掻く。そう、無謀に突っかかって、大いに恥を掻こうってことだ。冒険は若さの証し。

 しかし、無謀だ、冒険だ、と言っても、しっかり「見る」ことなしに突き進めば危うい。「書く」ことだってまずは「見る」ことから始まる。いろんなものを、いろんな人を、いろんな出来事をしっかり見る、これはつまり好奇心ってことだ。興味を失えば、心は萎縮し硬化して、世界も限りなく収縮していく。「みる」には、やってみるの「みる」もある。恥を掻くためにもやってみる、やってみないことには新しい世界も開けない。飛び込んでみれば、人とのつながりも広がる。これも生活を豊かにする。

 「はしる」、「走る」ことの効用についてはすでに書いた。歩くことも含め、身体を動かすこと(有酸素運動)が認知症予防の一番の決め手、これが科学の先端知見だ。健康、美容、脳活性化、どこから見ても走らぬ(歩かぬ)手はない。身体を使って走るばかりが「はしる」ではない。これだと直感した新たらしいものを見つけたら、思い切って「突っ走る」ことだ。仕事でも、趣味でも、ボランティアでも精一杯やってみる。演劇ならなおのこと良い。引っ込み思案や及び腰には手に入らぬものが、見えない世界が必ずある。

 そして、最後に「しょくす」。何事も健康が基盤、そしてその健康は言うまでもなく「食す」ことに支えられている。健全な食生活の大切さは、もうすでにうるさいくらい言われている。ちょっと耳を傾け、少しの手間をかければ済むことだ。爽やかな毎日と健康長寿が待っている。食べ物ばかりじゃなく、テレビや映画や音楽や演劇や、食べず嫌いをそっと横に押しやって、食してみようじゃないか。こんなもん食えるか!って思い込んでいたものが、意外にも結構な美味だったりする。

 と、ここまで書き連ねてきたが、要は、心を開きましょうよ、挑戦しましょ、突っ走りましょうよ、ってことに尽きる。シニアばかりじゃない。若い人たちだって同じことだ。実年齢に老若はあっても、実質年齢は人それぞれ。68歳の私だが、身体年齢は49歳(タニタの体重計による)だし、精神年齢はおそらくもっと若い(カワハラの精神計による)。あっ、待った!えばっていられないんだった。突き上げ食ってたんだ、シニア団員から。文翔館の創作劇場?無理だろ、全国シニア演劇大会、福岡?遠すぎだろって尻込みする私を、「出たいやりたい、山形市で!」「福岡にも行きたい!」って。いかん!こっちが受け身になっていた。」

コメント
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