ステージおきたま

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舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

やったぜ!ディクシ・チックス(DIXIE CHICKS)

2007-02-27 22:51:37 | アート・文化

ディクシー・チックス(DIXIE CHICKS)、グラミー賞5部門総なめ!おめでとう!!!ってここでいくら叫んだって、彼女たちには届きっこないし、届いたところで、見向きもしないよな。でも、受賞が決まった時、やったぜ!なんて、口走ってた、もうすぐ、60歳だって言うのに。

 受賞したのは、最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞がNOT READY TO MAKE NICE。最優秀アルバム賞がこの曲が入っているTAKING THE LONG WAY、て゜、この三つが主要な部門なんだって。って、ぜんぜんわかってないよ、グラミーのこと、知らないで喜ぶなって。

 DIXIE CHICKSが、03年ロンドンのコンサートでブッシュ批判をしたってのは、知ってると思うけど、なに?知らないって?じゃあ、ネットでチェック!メンバーの一人ナタリーメインズが、「(イラク戦争を進める)ブッシュと同じテキサス出身で恥ずかしい」って発言したんだ。その頃は、アメリカは、行け行けやっちまえで沸騰してたから、彼女たちへの攻撃はものすごかった。例えば、彼女たちのCDをトラクターで踏みつぶすなんてことまでやったそうだ。怖いしつらい話しだよ。もちろん、演奏活動もほとんどストップ。このアルバムはその時からの沈黙を破って、3年ぶりに出たものだった。

 NOT READY TO MAKE NICEは、その3年間の濃い沈黙の、謂わば総括みたいな曲なんだ。許し合って水に流すなんて、気持ちにはまだとてもなれない、って歌ってるんだ。この曲やアルバムがグラミーに選ばれたって意味は、とても大きいね。さすが、アメリカだよ。奇妙に誠実なんだよな。悪いと気付くとしっかり謝れる、これって日本人にはとっても苦手なことじゃないか。でも、この事件に対してああだこうだ言おうと、この記事を書いてるわけじゃない。なんで、グラミーとって、やったぜ、なんて、叫んじまったか。それは、この曲を、昨年、菜の花座の芝居で使ってたからなんだ。

 『さよならのメモワール』作・演出:河原俊雄。5人の女性の一人芝居をダンスでつなぐっていう、ちょっと、粋(って、思はない?)なステージだった。その第一話『おひとよし』のオープニングにRUBBOCK OR LEAVE IT、エンディングにNOT READY TO MAKE NICE、をこのCDから使わせてもらったんだ。

 愛する男の代わりにひき逃げの罪をかぶる女の話だ。警察での取り調べが主なシーン。刑事や弁護士との対応を女一人のセリフと表情で表現した。男が運転していたに違いないと、厳しく追及する刑事。あっ、もちろん、その場に役者はいない。頑強に自分の罪を主張する女。そこには、下積みからはい上がろうともがく男への愛情と共感があったのだか、男が罪を逃れようとしたのは、父親の社会的地位を守るためだった。気付いた女は、真実を自白しようとするが、すでに、警察にも裏から手が回されていた。罪を被せられたまま、取調室に取り残された女。激しくドアを叩き、無罪を主張する、そこにこのNOT READY TO MAKE NICEが静かに流れる。

 どうですか、いいじゃないですか。いやあ、今思い出しても、涙がこぼれるもの。って、テメエで感動しててどうすんだよ。この曲を選んだのは、歌詞をじっくり吟味してってわけじゃない。ただ、直感。これで、この芝居は幕を下ろしたい。ただ、これだけだった。でも、今、考え直してみると、結構、芝居の女の気持ちは歌詞につながってるんじゃないか。男と社会のしたたかさに、陥穽(落とし穴)にはめられた女。きっと、懲役刑だろうな。刑務所の中で、この曲のような、静かな怒りをたぎらせる続けるだろう、で、刑期を終えてしゃばへ出てきた女は、きっと言うんじゃないか、NOT READY TO MAKE NICE。

 それと、オープニングのRUBBOCK OR LEAVE IT、これは、このアルバムで一番激しく疾走するロックだ。下積みの男女が、社会への恨み辛みをたたきつけるようにバイクを暴走させる幕開けシーンにぴったりなんだなあ、これが。だって、この曲は、メンバーの一人が、偽善的で押しつけがましい保守的な故郷に、三行半を叩きつけて飛び出す歌なんだから。ということで、およそ、半年前、このアルバムに込められた思いを、舞台の上で役者と一緒に生き抜いていたってことなんだ。いやいや、彼女たちの苦しさ、苛立ち、恐怖の重さにはとてもとても及ばないけどね。

 ってことで、DIXIE CHICKS、グラミー賞5部門総なめ!おめでとう!!!と、もう一度叫んでしまおう。それにしても、彼女たちの強靱さは凄い!国や権力と真っ向勝負で、一歩も下がらず、ありとあらゆる迫害、脅迫、恫喝にも屈することのなかった強さ、しなやかさ。もし、似通った境遇におかれた時、私は、同じ地点で踏みとどまれるだろうか?

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チンドン屋の本当

2007-02-25 12:26:52 | アート・文化

 チンドン屋で書こうと思ってたんだ。菜の花座の次回作の話し。きっかけは二つ、一つは、若手座員のAが、忘年会で披露した芸が爆笑ものだったってこと。何と言うのかな、あの箒をギターに見立てて歌うパフォーマンス、あれなんだよ。乱れかけていた宴会を一気に引きつけてしまったからね。歌も、なんかこう、若いってことのうっとうしさにうじうじしながらも、懸命に突き抜けようとするような、エネルギーと切実感がぐちゃぐちゃにこんぐらがったいい味わいだった。

 で、その時、ぴこぴこっと閃いたわけ。チンドン屋だ!

  なぜ?どうして?なにが、チンドン屋なんだ?いや、そんな、閃きに理由なんてないよ。まあ、今、冷静にと言うか、こじつけ的に考えてみると、こうかな。歌が好きで目立ちたがり屋の若者。路上ライブ(実は座員A、以前、東京某所に夜な夜なギター抱えて出没してた)で機会を狙ってきた、でも歌で食ってくだけの力はない。母親からはまともな職に就けって愚痴と小言と泣き言の三連発。どうする、どうする?と、ここまで来れば、チンドン屋までは後一歩!えっ、ぜんぜん近づてちゃいないって?そう思う人は想像力の足りない人です。って、いいのか、そんな簡単に切り捨てて!

 もう一つの理由は、数年前、フレンドリープラザ演劇祭のサブステージで見た、チンドン屋さんだった。その時の驚きと印象は、えっ、まだやってる人いたんだ!やっぱどっかうらぶれてるよな!でも、このうらぶれた感じ、懐かしくていいよなあ!だった。ああ、俺の人生の通奏低音だよ、このもの悲しさは、とも考えてた。でも、一つだけ、予想外があった。それは、若いお姉ちゃんがメンバーに加わっていたこと、そして、その娘(こ)が、思いがけず、見事な歌唱を披露したことだった。なんだ、この娘は?なぜ、チンドン屋にいるの?チンドン屋に満足してんのか?きっと抜けるね、残されたおじさん、おばさんどうすんだろ?捨てられた落ちぶれチンドン屋の行く末は?と、まあ、いい加減なもんだけど、勝手に空想しながら、あっこれ書けそう!と、この時も閃いたわけなんだな。

 これがきっかけ。チンドン屋で行こう、チンドン屋で芝居作ろう。これだと、舞台で楽器使えるしね。にぎやかな音楽(ちんどん)入りの舞台、いいじゃないか。と、決まれば、まずは資料集めだ。アマゾンでチンドン屋関連本を注文した。

 送られてきたのは、『ちんどん屋です。』林幸次郎・赤江真理子著、思想の科学社刊、『チンドン屋!幸次郎』林幸次郎著、新宿書房刊、『笑う門にはチンドン屋』安達ひでや著、石風社刊、『大道芸人』森直実著、ビレッジセンター刊の4冊だった。

 一読、いや、驚いたのなんのって、目から鱗どころか、目やにもコンタクトも飛び出したね。ウソ、コンタクトなんてしてないくせに!チンドン屋が斜陽産業だなんて、20年前の話しだったんだ!林さんの東西屋(根拠地:大阪)も安達さんのアダチ宣伝社(根拠地:福岡)も、メンバーは若者で溢れかえっているし、仕事は、チンドンだけじゃなく、イベントのアトラクションやら、宴会の出し物やら、遊園地でのパフォーマンスその他その他と、ともかく、一目を引く仕事ならなんでもござれの大活躍なのだ。知らなかった!失礼しました!舞台は、日本全国言うに及ばず、世界各地を飛び回ってる。林さんの外国での公演記録はゆうに20回超えるというのだから凄い!

 しかも林さんも安達さんも、文章が実に上手い!!林さんや赤江さんの文章には、チンドンへの愛情ももちろんだが、生きることの知恵や文化への深くて鋭い洞察がいっぱいだ。お神楽やらどさ芝居、地車(だんじり)囃子など、庶民の中で生きつ続ける伝統文化にラブコールを送る、赤江さんの熱烈な文を読んでいると、私など、ほんと、文化的根無し草だよなと、つくづく感じる。林さんのニューヨーク、チンドン初お目見えの章もお勧めだ。チンドンとニューヨーク、二つの文化の思いがけない交流に、頷き、唸ることしきりだった。

 安達さんは、チンドン屋にたどり着く道程が、無類に面白い。《イカ天》、(なんて、知ってるかな?若い人、知らないことはネットでチェク!これ、今回のチンドン屋大発見で私が得た貴重な教訓の一つ。チンドン屋さんのホームページ、たくさんある。それも、どれもこれも元気で華やかで工夫があって、本当に楽しい。ぜひ、覗いて見て下さい。http://www.tozaiya.co.jp/ http://www.h3.dion.ne.jp/~adasen/チンドン音楽のCDなんかも売ってる。)安達さんはその《イカ天》の人気ロックバンドのボーカリストから地方局のDJを経て、チンドンに天職を見いだしたって人だ。彼の本は、まさに、迷える若者の成長・成功物語なんだ。なんか、うちの劇団のAにもちょっとかぶるじゃないか。

 さて、そんな、思いがけない現実が、ががーんと出現して、困ったよ、とっても。時代に置き去りにされる人々、職業、=チンドン屋、っていう設定が、まるで成り立たないじゃないか。さあて、どうしたものか?今のとびきり生きの良いチンドン屋で書くのか、林さんや安達さんのチンドン人生を下手になぞるのか、時代設定を変えるか、それとも、潔く、諦めるか、う~ん、迷ってます。まっ、しばらくは、この、ああでもないこうでもない状態に身を任せてみようかな。でも、原稿締め切り3月末なんだよな、どうする?

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演劇の力だあ!本編②

2007-02-23 22:25:07 | 教育

 農業高校にはどこにも農業クラブというものがある。クラブとはいうが、部活動ではなく、授業など正課に近い立場だ。いろんな競技会が校内、県、東北、そして全国とつながっている。研究発表あり、測量競技あり、情報処理技術を競うものもある。中には、家畜審査と言って、牛のお尻を見て、(いや、尻ばかりじゃないけど)立派な子牛を生めるかな、乳がたくさん出るかな、なんてのを見極める競技もある。

 そんな、数ある競技の中に、意見発表というのがある。自分の将来の希望や、農業にかける夢、さらには、環境問題や地域の課題などを大勢の仲間の前に立って語るというものだ。置農は、この分野では、全国のトップレベルにある。毎年県大会を勝ち上がり、東北大会に出場している。この十年のうちに、全国大会最優秀も二度ほど獲得している。熱心に指導してきたE先生の力が大きいのだが、学校全体の盛り上がりも相当のもので、これが底辺アップを保証している。

 県大会出場者を決める校内大会には、代表はクラス一人と決まってる。なのに、必ずどこかのクラスから、複数出場がある。曰く、甲乙付けがたい、発表区分が違う。要するに、担任が、自分のクラスから代表者を出したいだけなのだ。それだけ、熱しているってこと。

 さらに、置農の力を押し上げているのが、クラス予選の存在だ。担任が読んで優れたものを推す、なんてずるはしない。生徒一人一人が、クラスメイトの前で、およそ4分間の意見発表をする。それをクラス全員が聞いて、判定評価し、指導の先生の意見と付き合わせてクラス代表を決めている。

 さて、いよいよ『演劇の力』の出番だ。2年前、なんと、学校代表枠3人のすべてを演劇部が占めてしまった。舞台立つの慣れてるからね、などと、軽くながさないでほしい。発表力だけで、代表権は取れるものではない。内容がなけりゃ、いくら立て板に水でも、予選落ちだ。そして、演劇部員は忙しい。とても、中身を積み上げている暇などないのだ。それでもなお、学校代表総なめ、そして、うち一人が東北大会出場を決め、残り二人も県大会優秀を勝ち得たのだ。胸を張って、『演劇の力』だぁ!と叫びたい。

 いや、そりゃ、たまたま優秀なのが集まっただけだろ、ってお疑いの方もあるだろう。でも、一昨日、行われたクラス予選で、またまた、凄い『演劇の力』を見てしまったのだな。クラスの演劇部員(7名)が軒並み、立派な発表してみせたのだ。いや、これは、驚いた。顧問で担任の私がびっくりした。なんと、堂々とした発表態度じゃないか。声もしっかりと通って、発表要旨もなかなかいい。いやあ、ここまで成長していたなんて、気付かなかった。自信だよな、自信に溢れている。自信に裏打ちされた発言が、こうも、説得力があるとは、新鮮な驚きだった。

 と、言うことで、ここまでは前振り。私の不運な論文、『演劇の教育的価値について=地域に飛び出せ演劇部』の続きををアップすることにする。

3)Cの場合:身体的不調により中学時より欠席が目立った。高校入学後も欠席が多く、演劇部でも公演直前のリハーサルに欠席するなど、自分自身をコントロールできない状態が続いた。しかし、二年次から舞台監督の仕事を任され、徐々に自分の役割を自覚し部員をリードするようになった。二年、三年と欠席も減少し、これに伴い成績も一気にクラストップに上昇した。<msnctyst w:st="on" addresslist="06:山形県米沢市;" address="米沢市">

米沢市

</msnctyst>内で事務職として働きながら、地元劇団にも顔を出している。

4)Dの場合:現在二年生。極度の寡黙。入学時クラスでの自己紹介で言葉が出ずに立ち往生した。家庭ではよくしゃべるが、クラスメイトや先生にはまったく言葉が出てこない。部活動の決定時に、生活部か演劇部か迷い、担任から、自分を変えたいなら演劇部、居心地良く過ごしたいなら生活部と助言を受けて、自ら演劇部を選択した。発声練習は今でも苦手だが、冬の校内公演では舞台に立ってやや自信を持ったようだ。スタッフとしては、衣服を塗料だらけにしながら頑張っている。学校も部活動もまったく休まない。顧問に対してもためらいがちながらコミュニケーションがとれるようになってきている。同級生とは冗談も言い合える間柄になったが、まだ、下級生との関係を作れずにいる。これからの一年半で、スタッフキャップとして力を発揮し大きく変身するものと楽しみにしている。

5)Eの場合:幼い頃から慢性的な持病があり、中学は特殊学級(病院内学級)を卒業。このため、身体的に未熟な上、対等の人間関係を保った経験が乏しく、置農入学時も親は大変心配した。入学と同時に演劇部に所属。これまで体育など身体的トレーニングの機会は少なかったので、筋力、持久力、等すべてに女子に負ける状態であった。限られた日常生活から表現方法も未熟であったが、数少ない男子ということもあって、常に役者として舞台に立つことができた。体調は常に思わしくなかったが、大変な頑張り屋で、基礎トレーニングなど率先して辛いメニューに挑戦し自分を鍛えた。三年次の長距離走大会では上位入賞するまでになった。これらが大きな自信となって、学業成績も三年間通してクラス一番を通し、三年次では難しい四年制大学の管理栄養学科をOA入試で突破し、進学した。

③生活の安定

 1)忙しく大変な部活動であるが、部員達はほとんど休むことがない。心から楽しんで活動しているため、精神状態も安定しており、生活も規律正しい。部活動だけでなく、学校も皆勤、精勤の生徒がとても多い。

2)部員達は学校生活全般に対して意欲的である。また、礼儀正しいので校内での評価も極めて高い。

④学校の活性化

 1)熱心で意欲的な活動が他の部の手本となっている。       

2)チアーダンスなど、演劇部の特性を生かして、他の部の応援にも積極的に参加し、学校全体のやる気を盛り上げている。

⑤地域への貢献

 1)子どもミュージカルの公演を通して、地域の中で役割を果たすことができている。

2)各種の町文化行事にボランティアとして参加し、大変評価されている。

3)卒業生が地域の劇団に入団し、地域文化を支える一翼を担っている。

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食育ミュージカル予告編

2007-02-21 22:18:00 | 演劇

 置農演劇部、食育子どもミュージカル『”いただきます”見つけた!』を宣伝する機会をもらってしまった。山形農政局主催の『My食、フォーラム~食事のバランスを考える~』という食について考える集いなんだ。2月28日(水)山形市の霞城セントラル3階の山形市保険センターで行われる。

 この集いを知ったのは、わずか、1週間前、今から割り込むなんて、まあ無理だべと思いつつ、高校生の参加と食育ミュージカルの宣伝を御願いした。内容は決まってるし、チラシ・ポスターも広く出回ってんだから、まあ、許してもらって、参加・見学だけだろな、とも思ったが、当たって砕けろ、ダメでもともとの精神で御願いしてみた。

 その返事が、昨日届いたってわけ。いえいえ、担当者がわざわざ、お二人もいらして、朗報を伝えてくれたんだ。すでにフォーラムの構成は固まっている、だから、それは崩せない。そりゃ当然だ。でもせっかくの要望なので、意見交換の時に時間をとりましょう、というありがたいお話し。でも、あちらさんにしても、置農?高校演劇部?子どもミュージカル?どこからどう見ても胡散臭さいばかりだよな。半信半疑なんてもんじゃないと思う。これも当然。まあ、会場から手を挙げていただいて、発言って形でどうかって提案だった。

 う~ん、どうせ山形まで行くんだもの、なんとか、舞台に上がりたい。だって、うちの部員、フロアからの発言なんててんでダメ、舞台に上がればこっちのものって人たちだからね。で、こっちも、これまで4回の子どもミュージカル公演の実績やら、今年の作品のプレゼン資料やらぱっぱと広げて、おおいに吹きまくった。

 作戦見事に成功!本番の衣装や着ぐるみを着けて、コントと歌で宣伝するってことなった。あちらも、堅苦しい講演や事例発表ばかりより、高校生の色物があった方が、面白いって考え直してくれたんだろうね。さらに、話しが弾むうちに、とうとう、最後の5分間を置農演劇部が盛りあげるってことになってしまった。しかも、5分以内ではなく、5分以上とのお言葉までもらって、いやぁ、ありがたい、喜ばしい。

 さて、打ち合わせでは、ご要望に合わせて、どうなりと、なんて、調子よく言っていたが、5分間以上の舞台って結構、大変。だって、作品の一部切り取るだけじゃ、さっぱり意味わからんしね。宣伝なんだから、『”いただきます”見つけた!』の全体像提示しなくちゃならないけど、ただ、言葉じゃ面白くない。ミュージカルの雰囲気や登場のキャラクターのイメージも、現物でもろに伝えたい。歌も当然披露しよう。でも、「こんな歌歌います。」ではいかにも芸がない。

 よし、わかった。新しいコント作っちゃえ!

 ってことで、ついさっき、原稿用紙10枚のコントを仕上げて、参加・出演する三人に、手渡したところ。二日で台詞入れて、三日で仕上げろよ、ってね。それで、彼女らの反応、ええーっ、無理!セリフ多すぎ!覚えられんねえ!なんか、キャラ濃すぎ!!とかぎゃはぎゃは言いながらも、さっさと読み合わせに入るってとこが、さすが、うちの部員だよ。その嬉しそうな顔!いいよなぁ!!尻込みなんて誰もしない。舞台を前にわっさわっさ元気が湧いてくるんだもの。

 これが、舞台の魔力。演劇の底力ってもんだよなぁ!!

 

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騙してくれれば文句はない!

2007-02-20 00:32:54 | 演劇

 『殿様のちょんまげを切る女』

新橋演舞場だ。中村勘三郎だ。藤山直美だ。これはもう、ばりばりの大衆演劇だ。

 これまで、どうも、新橋演舞場や明治座には足が向かなかった。俺の世界じゃねえよな、下北沢や新宿とはちがうものって感じてた。さらに、白状するなら、貸し切りバスで来る人らとか、豪華なお召し物見せびらかしに来る連中なんかと、一緒に座ってられますか、って小生意気にそっぽ向いていたとこもある。

 それに、幕間にお食事タイムが入るってのもね、どうもねえ。いや、それはそれで、お芝居見物、物見遊山って感じで結構なんだけど、私の場合、一人でしょ。ジジイが一人で弁当食ってる姿って、惨めったらしくてってね、せっかくの料理も味気ないしね。それと、根が真面目なもんだから、たかだか、2~3時間集中したって罰はあたらねえだろなんて、つい、思ってしまうんだよね。それから、明治座、新橋演舞場、って言ったら、スター主義でしょ。芝居も安直だしね、これが、印象でした、正直なところ。

 でも、最近は、劇団新感線がド派手な舞台ぶち上げたり、歌舞伎の御曹司連中が新しい趣向を競い合ったりと、おっとー、こいつぁ、目がはなせねえや、って事態もほの見えてきたからね。さらには、劇団M.O.Pのマキノ ノゾミとか、ラッパ屋の鈴木聡なんていう、面白さ請け合いの小劇場座付き作者が抜擢されたりしていて、これは、いつか見にいかなくちゃ、って待機モードになっていました。で、今回、初めて、新橋演舞場に乗り込んで、いやいや、そっと、忍び込んでみたというわけです。

 勘三郎も直美も魅力だったね。二人の息の合った掛け合いの素晴らしさは、『桂 春団次』で存分に堪能してたからね。でもね、一番のお目当ては、中島淳彦の脚本だったんだ。何も、通を気取ってるわけじゃないですよ、拙いながらも脚本書く者としては、やはり作者が一番気になるんです。中島は劇団『道学先生』の座付き作者だそうだが、芝居は見たことはない。でも、彼の脚本集『エキスポ 無頼の女房』(論創社刊)には感動した。しっかりとした時代性、批評性を持ち、描かれる人物も生きている。それにそこはかとないおおらかな笑い!いつか絶対、うちの劇団でもやってやるぞって思ってたんだ。その中島が、大劇場お目見えなんだもの、ひそかな注目株が、一躍、一部上場ってもんだろう。こいつぁ、ひとつ、ご祝儀でも、って気にもなるでしょうよ。もっとも、三階の最後列じゃ投げ銭だって届かないけどね。それと、演出のラサール石井。気になるあいつ、なんて馴れ馴れしいか。

 で、見ての感想は、これが実に、実に良かったね。まさしく、ツボ。芝居のツボ。ああ、効く~~~ってところだろうか。中島が細かく指示したツボの位置を、ラサールがあの手この手のマッサージ方法を考えだし、それを指圧名人勘三郎と直美が絶妙の指使いで押してくる。観客はもう、あぁ~、うぅ~、そこ~って、なされるがまま。時に笑い、時に考え、時に涙した。

 とりわけ、二幕は絶好調。大村昆(ごめんなさい、字が出ない。コンの字山冠が付きます)のとんま天狗の大立ち回りに始まって、勘三郎の女形、そのまんま東ネタまで飛び出してのサービス満点盛りだくさん。大いに楽しませておいて、すいーっと、時代の転換期(江戸から明治へ)へと誘い込む。時代の激動を誠実に生きる人々がじっくりと描かれて、もう、完全に手玉に取られてしまいましたね。聞かせどころ、泣かせどころが、ほんと巧みに組み上されて、緊張、リラックス、笑い、感動、という感情の波動が見事にできあがっていた。騙して通してくれるなら、大衆演劇だろうと、なんだろうと構やしない。筋立てに少し無理があろうと、人物がステレオタイプだろうと関係ない。要は、最後まで騙し通してくれればいいんですよ、芝居ってもんは。

 さらに、小憎らしいのは、観客層をしっかりつかんで作られていたことだよね。会場が会場だから、観客の中心は熟年層。さらに言えば団塊の世代だからね。大村の昔懐かしギャグの数々とか、上演前後合間の音楽がフォークル(若い人にはわからんでしょ、フォーククルセーダーズって60年代後半から70年代初頭一世を風靡したグループです。団塊世代の青春の歌ですね)や赤い風船だなんて、初めは、ちょっと、やりすぎじゃない?って、嫌みに感じたけど、幕が降りて、ロビーに出てきたら、実に心地よくて、よし、許すって思わず、呟いてしまった。

 さて、今回の観劇行での最大の発見は、団塊男の劇場デビューだ。これまで、女天国、男子禁制の感があった劇場に、むくつけきじじいども(私も含め)がぞろっと、登場していたんだ、これは驚きだった。それも、奥さんに尻を叩かれ叩かれ渋々付いてきたという感じではない。結構、楽しんでるし、様にもなっているんだな、これが。中には、夫婦で和服姿なんていう粋な二人もいたりして、2007年問題はあきらかに時代の転換点だってこと実感した一日でありました。

 ついでに、銀座の歩行者天国も熟年天国だった!

 

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