ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

音楽にゃぁかなわねえな

2007-01-30 22:35:39 | アート・文化

 米沢の文化ホールに、高校演劇県大会について泣きついた。なんとか料金安くしてもらわんねべか。演劇は、ともかく金がかかる。12校参加の県大会だと、フルに4日間会場を借り、しかも、照明、音響、舞台設備ありとあらゆるものを使いまくった上に、さらに、舞台スタッフも最低5人は必要だ。これで楽に50万は超える。高校生の出せる金じゃないんだ。しかも、演劇部は年々部員が激減。部の消滅も富士山どころか、チョモランマから真っ逆さまの有様。県大会事務局としては、なんとか、金づるを引っ張り出したい一心で粘ってみたのだ。

 答えは、いやぁ、冷たかった!「どこも経済的に苦しいのは同じですよ。」まあな、そりやそうだわな。ちょっと納得しかかったが、次のひと言でちょい切れしてしまった。「吹奏楽だって同じです。」おいおい、ちょっと待て、そりゃ違うぞ。貧乏人と金持ちを一緒にするな!だって、知ってんだからな。吹奏楽の大会は、地区でさえ連日満員の盛況だってこと。それも、入場料取ってだぜ。さらに細かいこと言えば、照明器具だってほとんど使っちゃいないから、大会そのものに関して言えば、まず間違いなく黒字だね。演劇みたいに、一人500円出して、さらにチケット10枚もかぶって、てことは、高校生一人3500円の自己負担で、どうにかこうにか大会できるのとは訳が違う。

 と、まあ、惨めったらしく書いてきたが、なんも、吹奏楽に恨み、妬みがあるわけじゃない。まあ、もうちょっと、演劇業界に愛の手をって言ってみたかっただけだ。そう言えば、石田衣良のうらぶれ劇団を描いた小説『下北沢サンデーズ』の帯にもこうあった。「夢を追い続ける自信はありますか?ずっとビンボーでいる覚悟はありますか?」。演劇=ビンボー!もう、これは定理を超えて公理になっているんだ、どうだ、まいったか!

 吹奏楽と演劇との東京タワー的落差(リリーフランキーのお陰でこんな表現も何十年ぶりで有りになった。)は、当然、その人口の差にあるわけだ。そこで思い浮かぶのが、川西町で今年3回目となる、東北学生音楽祭のことなんだ。なあんて、書いてるけど、実は最初からこれが書きたかったの。東北学生音楽祭って言ったからって、東北選りすぐりの学生バンドが集まってくるってわけじゃない。学生のバンドは遠くて県内大蔵中学の吹奏楽部(これがいっつも泣かせるのよね。十数名のセーラー服がスィングスィングスィングなんてやっちゃってね。)ほとんどが地区内の高校、中学。そして、目玉は山形市のアマチュアジャズバンド:スノーモンスタージャズオーケストラ(これがまた、実にいい。若い衆からお年寄り、あっ、ごめん!まで一つになってジャズを楽しんでいる。)なんだから、こんな誇大広告の音楽祭って他には絶対あり得ない。

 種明かしは、数年前の映画『スゥィングガールズ』だ。あの映画の舞台が置賜、そして、最後のクライマックス東北学生音楽祭の会場になっていたのが、川西町フレンドリープラザだったってわけ。そんなわけで、その後毎年、映画『スィングガールズ』にちなんだ出演者を用意しながら、イベント東北学生音楽祭が開催されているってことなんだ。

 で、私が、吹奏楽または、音楽が凄いと思うのは、ここなんだな。はっきり言って、この企画はかなりきわどいと思うんだ。NHK大河ドラマにあやかっておらが地域を売り込むみたいなクサイ部分が大いにある。だから、最初、この企画の話しを聞いたとき、まあ、一回限り、よくて2回だねって正直思った。だって、他人のふんどしでいつまでも相撲とってるわけにいかんじゃない。

 ところがだ、今年、とうとう第3回目に突入するというんだから、驚きだ。看板に偽りありで、プロが出るってわけでもなくて、バンド自体も実力抜群ってわけでもないのに、この盛り上がりはいったいなんだろう。吹奏楽人口の厚さは当然ある。でも、それ以上の何かだね。

 思うに、それはジャムセッションの魅力じゃないだろうか。リズムが刻み始める。次々と楽器を手にしてその中に入っていく。一つ、一つ、と音を重ね、フレーズをやりとりしながら、いつの間にか心弾む音楽の渦巻きができあがる。そのうねりにはまり、揺れ、漂い、いつしか心地よさに我を忘れていく。ジャムセッションの陶酔。東北学生音楽祭そのものが、ジャムセッションなんだ。このエネルギーがこのイベントを支えてきたのだと思う。陶酔は、フィナーレ参加者全員のムーンライトセレナーデで極に達する。

 そんな参加者たちの輝く表情を舞台袖で、スタッフとして見ながら、いつも感じてきたんだ。「チクショー!音楽っていいよなあー!!」

 やっぱ演劇はビンボーだあー!!!

東北学生音楽祭の公式サイトhttp://www.nagaiwalker.com/~sg-ongakusai/p/

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創作は部員との真剣勝負

2007-01-28 21:12:12 | 演劇

 来て、見て、元気・置農!の稽古が始まった。5本のコントと創作ダンス一本を一週間で仕上げる。つい、一昨日、校内公演が終わったばかりだ。土曜も日曜もない。休み無しのハードスケジュールが1月4日から続いている。この公演!これが済めば、ゆっくり休養だからと、部員達も自分自身もなだめすかして、今日も稽古だ。

 新しいコントの台本を部員達に渡した。創作の台本を渡すときは、いつも緊張の一瞬だ。観客以前に、まずは演じる当人達が認めるか。面白いと感じるか。これが怖い。何故か?私の書くものは、高校生向きじゃないからだ。だいたい等身大の演劇って奴が何より嫌いだ。身の回りのありきたりの出来事や情感をなぞって何が面白いのか、というのが、私の演劇観なので、いわゆる高校生ものは書かない。いや、正直言えば書けない。さらに、笑いについても、今どきの笑いにはまったくついて行けないから(ついて行く気もないけれど)、高校生からは、これ、何が面白いの?っていうギャグばかりになってしまう。(いえいえ、駄洒落中心のおやじギャグではありませんよ。)

 今回は、直前の校内公演で高校生ギャグものを出して、笑いを取った部員達だけに、私のコントとのギャップがどう受け止められるか、かなりの心配だった。なので、言わずもがなの弁解などしながら台本を渡した。高校生には受けないかも知れないよ、なんて、弱いよなあ、もっとしゃっきりせい!って思うんだが、あるいは、多かれ少なかれ、物書きなんてものは、自信と不安がない交ぜになった状態で、自作を押し出すもんじゃないか、と自らをなぐさめた。

 さて、その評価だが、これが殊の外の良さだった。自分が死んだのも忘れて、入れ歯や眼鏡を探す婆さんのコントも、自己中の占い師の話も、クイズを装って同級生を口説く男の子のコントも、配役のおもしろさもあって、爆笑のうちに本読みが進んだ。残り2本が問題だったが、落とし物を通りかかりの人たちが一緒に探すうちに探し物が次々に誤り伝えられていく、という連想ゲームのような一本も、徹底的に駄洒落で貫いた作品(金を探している人に、友達が次々かねの音に近い別物を持ってくるというコント)も出し物がかけそばあり、屋根ありで、結構シュールな仕上がりだったのに、楽しんでくれた。やれやれだ。あとは、もう部員達の頑張りに待つしかない。残り5日、どこまで仕上げてくれるか、楽しみだ。

 ダンスの方は、もう一人の顧問Nが振り付けを担当した。約束の昨日までに仕上がった振り付けに、私はダメを出した。前日まで三日間もの出張で、しかも、様々な仕事が押しつけられていて(そのうち幾つかは私からのものだが)、しかも、ダンスが得意というわけでもなくて、もう、いくつもの『しかも』が重なる悪条件なのはわかっていた、が、ダメを出した。たとえ、わずか十数分の舞台でも、与えられた機会には全力で答えなくてはいけない。これが、アマチュアといえども、舞台を志す者の基本姿勢だと思う。また、顧問が部員に演じさせる創作は、部員達がその価値を認めるものでなくてはならない。彼らがその作品を好きでなくても良い、うん!さすが!と思わせねばダメなのだ。残念ながら、彼女の振り付けはどちらもクリアできていなかった。

 そして、今日、彼女が作ってきたものは、生徒も私も満足のいくものに変わっていた。昨日のだめ出しから一昼夜、悔しい思いを抱えながら、夜を徹して仕上げてきたのだろう。何度も何度も、踊っては考え踊っては知恵を絞って作り上げたのだろう。素人だから、素晴らしいとは決して言えぬが、彼女なりの新しい試みに満ちた作品になっていた。

 ダメを出されるのは、私も嫌いだ。できれば称賛の心地よさの中で安らいでいたい。でも、より高い地点をめざすなら、ダメ出しから逃げてはだめだ。ダメ出しに真剣に立ち向かった彼女の意欲と誠実さ、心に残った。

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舞台は人を育てる

2007-01-26 21:22:27 | 演劇

置農演劇部校内公演が終わった。心配なんてどこ吹く風、部員達は颯爽と2本の舞台を演じきった。一人一人が、役者としての立ち姿になっていたもの。中でも、大受けしたのはタクとユキ。当人達の呆けキャラが見事にはまって、会場は大爆笑に包まれた。

実を言うと、この二人、とっても心配していた。タクの方はいたって生真面目な男だが、なんせ、動作がぎこちない。ダンスのステップなど絶対人と合った試しがないし、台詞の間も終始演出泣かせだった。真面目なだけに言動も今風でない。そんな彼だから、クラスでも部でも格好のいじられキャラだったのだ。その彼が呆けをやることになった。笑いはきっと起こるだろう。それは予想が付いた。でも、そいつは、もしかすると嘲笑と抱き合わせになるかもしれない。舞台に立ってまで嘲りの笑いを浴びたのでは、目も当てられないではないか。

ところが、本番はこのつらい予測が一挙に吹き飛ばされたのだった。観客のだれもが、タクをではなく、タクの演技に大笑いしていていた。彼のコミカルな動きに、大袈裟な台詞に、みんな手を叩かんばかりに笑った。そして、後半、アホな高校生がただ一度見せた真剣な怒りの場面も、しっかりと観客に届いたのだった。

もう一人の心配はユキだ。これはもう、声が出ない、仲間内以外人前では喋らない部員なのだ。顧問で担任の私にだって、怖がって近寄らない。冗談を投げかけても、どう受け止めてよいかわからず、顔をこわばらせて立ち往生する、そんな生徒なのだ。でも、道具作りなどは心底好きで、止めさせなければ、夜中までだって作業を続けているし、普段来ているジャージは、まるでペンキ屋の作業着、そんな子だ。だから、日頃の大きな舞台では当然、スタッフに回る。当人もそのことに不満どころか、生きがいを感じている。

その彼女が、芝居のキーワードとも言うべき役についた。しかも男役だ。専業主夫をめざす料理の得意な不気味な男子生徒という役所だった。これもまた、きわどい。下手をすれば、彼女の対人関係の不器用さが笑いものになりかねない。それより以前に、台詞が観客に聞こえるだろうか。棒読みの台詞に心がこもるだろうか。演出の生徒ばかりか、今回は口出ししないはずの私までが、何度も何度もダメだしをした。

しかし、これまた、心配は杞憂に終わった。彼女はその大切な役を見事に演じきったのだった。天然呆けのキャラを見事に生かしながら、何とも不思議な笑いの渦を巻き起こしたのだった。そして、最後の長台詞、訥々とした語り口は、思いがけずも、高校生達の戸惑う心の奥底を、飾ることなく自然とさらけ出すことに成功したのだった。

舞台は、人を育てる。日頃スタッフに入ることの多い部員を極力キャストに起用するこの校内公演の目的が、今回ほど、見事にその真価を発揮したことはない。二人の大ブレイクは、校内で大きな話題となって飛び回ったのだった。今回の舞台が彼らの人生に、これ以上ない大切な記憶として刻まれたことは間違いないことだと思う。

改めて言おう。舞台は人を育てる。

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高校演劇部だって営業するぜ

2007-01-24 22:28:47 | 地域文化

 アマチュア演劇やってて、何が辛いかって、観客の少ないことくらいやりきれないもんはない。とりわけ地方では、観客不足の悩みは深刻だ。

 菜の花座だって、そろそろ旗揚げ十年に迫ろうというのに、未だに一公演200人の壁を超えられずにいるんだから。こりゃ、辛いよ。「面白くねぇんだよ、お前んとこ」、って言われちまえば、身も蓋もない。面目ねぇって頭下げるしかないんだが、見てくれた人たちは、結構楽しんでくれているって現実もある。まっ、お世辞半分ってとこはあんだろうがね。

 でも、まじに「えっ、この芝居この公演一回で終わり?もったいないね!」なんて、涙がこぼれるようなこと言ってくれる人も毎回いるわけだし、2時間を超す長い芝居にも、時計を気にする人はほとんどいないって事実もしっかりチェック済みだから、もちっと幅広い人たちに見てもらえれば、きっと、ひとときの娯楽として、定着するに違いないって思っている。やっぱり、田舎じゃ、演劇見るって習慣がほとんどないってことが一番大きなネックだね。演劇って奴は、見るのも経験がものを言うから。

 いやいや、見てる人だっていることはいるんだ。井上さんのこまつ座はいつでも席はほぼ埋まる。プロだからか?違うね。だって、山崎清之助さんの子どものためのシェークスピアカンパニー、素晴らしい舞台なのにまるで入らなかったから。その違いは何なのか?要するに安心ってことじゃないだろうか。確実に楽しめるもの、間違いなく感動できるものなら来る。でも、知らないもの、初めてのものは、ちょっと、ってことなんだろう。まして、アマチュアじゃねぇ、って、激しく眉ひそめる様子が目に浮かぶ。で、こういった食わず嫌いの人たちと、端から演劇と無関係な大多数の庶民に迎撃されて、地方劇団はしょぼしょぼと消えていくってことなんだ。まさに、地方文化の有り様、ここに極まれりってところだ。

 高校演劇部となると、もっといけない。いやいや、都市部の名門演劇部は別世界。農業高校のポットでの演劇部となると、同級生だって見に来ないからね。部員達の親類縁者と先輩達、そして、先生達がぽつらぽつら。700人入るホールに70人ってことだって経験した。寂しいよ、これって!だから、いろんなことやってきた。昼・夜2回公演とか校内公演とか。でも、どうしても仲間内から抜けきれない。

 そこで、こう考えた、高校過ぎたら人間すれっからし、新鮮な気持ちで芝居を見ることなんてできゃしない。いいや、中学生でも生意気だ。テレビの毒に心底染まっちまってる。見てもらうんなら、生身の舞台に素朴に見入り、素直な気持ちで心を開いてくれる、子ども達しかないだろう。よし、子どものための舞台を創ろう。ってことで始まったのが置農子どもミュージカルだ。

 さて、舞台は創った。でも、どこでやる?どこに行ったら子どもはいるんだ?自分たちでホール借りて公演したって来るはずない、これはわかってる。子どもは車運転しないからね。チラシ配ったところで、それ見てやってくるほど今の子どもは暇じゃない。なんとか、子ども達を集められるところと話しを通す以外にない。学校か?幼稚園か?学童保育か?公民館か?

 企画書を作り、手当たり次第に発送した。電話はもちろん、めぼしい所には、乗り込んで行って頭を下げまくった。気付いてみれば、これって文字通り営業なんだよな。県立高校の演劇部顧問が自分の部の作品売り込みに歩いているってわけだ。なんか、笑ってしまう。

 思惑は半分当たり、半分外れ。外れは小学校。これはだめだっだ。結構こまめに町内の学校を回ったけど、4年間でこれまでのところ契約(?)はゼロ。公民館は毎年1~3カ所は声をかけてくれるので、こっちは○。でも、一番喜んでもらえたのは、高畠町の浜田ひろすけ記念館と米沢市の児童会館だった。いずれも、5月の連休中の子ども祭りの行事に迎えてくれた。

 そして、今年は、ついに、企画書を送る前から、公演の予約をもらうことができたのでした、じゃじゃーん!高畠も米沢も、じゃじゃじゃじゃーん!!。これって、すごいよね。台本できる前から、呼んでくれたんだから。5月3日は高畠ひろすけ記念館、5月5日は米沢児童会館で公演することになる。この調子だと、これまでの一作品5回公演の記録を破ることになるんじゃないだろうか。さらにさらに、これまで鬼門の小学校での公演も決まるかもしれない。よお~し、台本書きがんばるぞ~って、こんなブログ書いてねえで、早く台本にかかれよ!

 

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キャスト全員・スタッフ全員!

2007-01-22 21:36:36 | インポート

 三日後に迫った置農演劇部校内公演のゲネプロが、昨日、終わった。やれやれだ。部員16名を二つに分けて、二本の芝居を作ろうってんだから、本当にようやるよ。16を二つに割れば、8。そのうち舞台に立つのはなんと6。つまり、演出と舞監を除く全員が役者ってわけだ。もう一チームも然り。じゃあ、音響は?照明は?舞台スタッフは?これらすべて相手のチームがやる。つまり、自分の芝居が終わるとすぐスタッフに早変わりして部署に着くってわけだ。一昨日までは役作りで精一杯だった役者達、会場の設定とともに、ようやく裏方の打ち合わせができたという次第。それぞれのチーム1時間かけて、相手のチームに照明やら音響やらを事細かに御願いした。台本に必死で書き込む部員たち、みんな真剣!!だって、失敗したら相手のチームに顔向けできないからね。って言うか、その後なんて言われっかわかんないから。

 昨日は最初に、その打ち合わせの通り、一度通してみた。いやあ、いくら真剣にやったからって、昨日の今日じゃ上手く行くはずはない。音は出ない。明かりは消えない。色は間違える。道具はあっちゃこっちゃ。いやはや大変な右往左往だったが、ともかく時間がない。見切り発車でゲネプロ突入。事前のあたふたが信じられないくらい、まずまずの出来になっていた。ホッホッホッの一安心。あと、三日間、通しを大切に繰り返し本番を迎えるばかりだ。これからの三日間、スタッフはもちろん、役者も一気にレベルアップするはずだ。だからこそ、今日の通してでは、あえて、きつい言葉で叱咤した(怒鳴りとばした?)。

 それにしても、なんで、役者もスタッフも一緒にやるような無茶な舞台を作るのかっていうと、これはもう、私の信念を通り超えて、妄執だ。理由は、できるだけ多くの部員に舞台を踏んでほしいからってことだ。部員には、役者に向くのもいれば、スタッフばっちりって奴もいる。「役者でなきゃって嫌!」、って我が儘者も、「舞台はちょっと」、って尻込みするのもいる。声の良し悪し度胸のあるなし。舞監や照明は専門職だから、これは是非とも育てたい。となると、どうしても分業が効率的ということになる。スタッフはスタッフ、役者は役者ってわけだ。一般に劇団はこのパターンで活動を行っている。それが、良い芝居を作る条件だったってことは重々承知。高校生だって、その方がよりましな舞台が仕上がるってのは言うまでもない。

 でもねえ、そいつぁ、ちっと違うんじゃないかって思っているんだ。高校生の演劇部活動は、まずは教育活動だと思う。それぞれの分担仕事で精一杯力を付けて協力し合うことも、大いに教育的だが、舞台に立って、人前で大声で台詞をしゃべり、夢中になって役になりきるってのは、これはもう、何ものにも代え難い貴重な体験なんだと思うんだ。もしかしたら、と言うより、まず間違いなく、多くの生徒とって、この数少ない経験が、一生に一度か二度のものになるんだよ。ってことは、これは彼らの人生の宝物になるってことだ。こんな凄いことをやれるのに、少しばかりの完成度追求のために、その大きな可能性を棒にふりたくないじゃないか。

 だから、この校内公演は、見に来てくれる人たちには申し訳ないが、確実に上手くない。あまりの下手さにウンザリする場面もあるかも知れない。でも、日頃、ほとんど声を出さないような子が、一生懸命長台詞をしゃべり、いつもは、恥ずかしがって、下ばかり向いてる生徒が、しっかと視線を中空に放つのを見れば、その姿や声はきっと観客の素直な心に届くに違いないと思うのだ。感動とは言えないが、何か心打つものがきっとある。

 とは言え、下手でいいんだってもんじゃないぞ。おい、やる気あんのか!声が観客に聞こえなくて、何が芝居だよ!舞台出んなら、それだけのことやれよ!!って厳しく最後のだめ出しをしていこう。

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