話し聞いただけで、異論じゃねえだろ!とも思うが、
上野千鶴子の「アンチ・アンチエイジングの思想」にゃ、うむ?なんか違う、って気がしたのよ。

人間必ず老いる、老いの衰えを素直に受け入れよう、老醜で何が悪い!って、まっ、そうだよなぁ、老化に抗うなんて無駄なこっちゃしな。
ってちと寂しくも納得するんだが、
でも、なんか違うんじゃねえか?って反発もむくむくと起き上がってきやがんのさ。
そう、若さ保ちたいからって、2日おきに6キロ走ってる俺、ってアホなんか?
腹のぜい肉や弛み気にする俺って、不様なんか?
悪あがきする醜い年寄りなんか?
たしかに未練たらしいよな、失われつつある若さに必死で縋りついてる姿てのはさ。鏡見ちゃ、背筋伸ばす努力してたり、朝晩ストレッチして凝り固まった節々をなんとか柔らかにしようと頑張ってみたり。
どうせ、いつかは走れなくなるんだし、背中は曲がってくるんだし、関節の潤滑油は失われていくんだ。そうやって、日々衰えを迎えつつ、先はフレール、そして、寝たきり、ついには死、何を無駄にジタバタしてんだ、つい目と鼻の先だぜ。
って、迫りくる老いを受け入れる、そう、そりゃ正しき身の処し方にゃ違いないのさ。

でもな、身体を少しでも若く保とうと努力するのは、愚かしい努力なのか?
老いに抗うことは無謀で、無意味なことなのか?
美しい外面、肌艶とか姿勢とか筋肉の弾力とか、を保ちたいと鍛錬したり心がけたりすることは、見苦しいことなのか?
若さへの異常なまでの執着となれば、それは滑稽で恥ずかしいことかも知れん、いや、そんなこたぁない!
日々こぼれ落ちて行くみずみずしさを掬い取ろとする営みを馬鹿にするんじゃねえよ。美魔女?上等じゃねえか。筋肉ジジイ?頑張るじゃんか、ちっょと引くけど。
老醜を纏いつつもきらめきを保ちたいとひたむきに鍛える、嘲笑の対象なんかじゃないよな。
だってなぁ、俺の経験。
走って筋トレしてストレッチすると、俄然、体の調子よくなるからさ。農作業での疲れも感じなくなるし、頭の回転もトップギアとはいかないが、アクセルはたしかに効く。悪あがきてのも悪かないってことさ。
アンチエージングの効用!ってことさ。
つまりは、こうだ。
日々の老化を穏やかに受け入れたけりゃそうすりゃいい。でも、それは老いを自ら引き寄せることになるんだぜ、ってことよ。
いくら目を背けたって、老いは確実に襲い来る、それを恐れて何が悪い。それを少しでも押し返そうとすることを馬鹿にするな。
己の努力が万能だなんて思っちゃいない。懸命に抵抗したところで、少しずつ退却戦を強いられ、いつかは軍門に下る、そのことを頭のどこかに納めていればいいことだ。努力が無になる時にうろたえなけりゃ済むことだ。
今の健やかさを少しでも先延ばしし、老いの不自由さと次第しだいに折り合って行けばいいだけのことだ。
アンチのアンチ、なんてしゃらくさいことぬかすな、なんて、大先生に悪態ついちまったぜ。