ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

毎日更新、2ヶ月続いた!ああ、もうネタ切れかも・・・・

2015-03-31 09:18:42 | アート・文化
 気負い込んで、毎日書く!なんて断言したわけじゃない。春になれば農作業も始まるし、マラソンの大会も続く。演劇関係も、シニア全国大会、菜の花座、シニア4期生講習開始と目白押しだしね。それに根っからの怠け者だから、まっ、続きっこないよ。と、ここらで連日更新の放棄を臭わせておくか。途切れれば、やっぱり忙しいんだね、ってちょっとは同情をもって見過ごしてくれるだろうし、続けられれば、うん、頑張ってるね、お見事!って自分でもちょっぴり鼻高気分を味わえる。

 多忙ってこともあるけど、ネタ切れ!って手の内も大きい。大したこと書いてるわけじゃないけど、自分の日常を日記よろしく垂れ流してるつもりはない。取り上げるテーマは身近でも、読む人が、なるほど!とは行かないまでも、ふーん、そんなこともあるんだぁぁ!程度には楽しんでもらえるように料理しているつもりだ。

 だから、題材探しには常に頭を働かせている。時には、ブログ書いてなきゃぜったいやらないよ、ってことだって、テーマ欲しさに実行してしまったりする。浅はかぁぁぁ!ほら、糠味噌の越冬とかね。そうそう、この冬越し作戦、続いてますよ、ニンジンを漬け込んでは糠床をかき回し、ニンジンの漬け物が食卓に乗るって日々が続いている。いやはや、涙のブログ更新てもんだ。

 こんなの本末転倒で、卑しいなぁ!って反省したりもするんだけど、考え直してみると、これって好奇心が高まったってことでもあるわけだ。ブログがなけりゃ興味関心向かなかった出来事にも情報センサーがピピッっと反応するようになったということだ。新聞もよく読むし、ネットの情報にも鋭敏になった。悪くないんじゃないか、これ?ブログが超停滞していた昨年あたりは、なんもかも気乗りせず、どんどん井の中の無感覚蛙みたいになって行ってたもの。もしかすると、ブログを書き続けているお陰で、大いに救われているのかもしれない。

 そう、老化を防ぐって面からは間違いなく効果的だ。頭使うから。言うまでもなく、文章書くってかなりの知的作業だ。構成を思い浮かべ、言葉を選び出し、文章としてつないでいく。どう書いたら面白く伝わるか?どうすれば他人に書けない視点で書けるか?ありきたりの表現に頼ってないか?羽目を外しながらも下品に堕してはいないか?書いたもので傷つく人いないか?嘘をついていないか?あっ、いかん、これは自信なし。針小棒大はけっこうあるなぁ、そこんとこ、わかってるよね、読んでる人は。

 毎日言葉探しや言葉と隠れんぼうしてるから、以前に比べて言葉はスムーズに出てくるようになった。すらすらとはいかないが、ぞろりぞろり程度にはこぼれてくる。感じるのは演劇の稽古の時。ダメだしの際、表現に困って言葉に詰まるとか、不適切な言葉でその場をやり過ごす、なんてことが少なくなった。ダメ!とか、違う!そうじゃない!こんな役者泣かせのダメだしは無くなったと思う。

 感覚鋭敏、頭脳明晰、こうも効果が上がってるとなると、こりゃ、そろそろ途切れるかも!なんて泣き言並べていらんないね。読んでくれてる人には迷惑でも、老化防止、心身の健康維持のためにも続けないといかんのじゃないのか?とは言ってもなぁ、書くこと無いしぃぃぃ。などとぐじぐじ書き連ねて、今日のネタ切れなんとかやり過ごしちゃった。
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観客面前!怖ぁ!!シニア卒業公演は舞台上舞台

2015-03-30 09:23:52 | シニア演劇
 プラザシニア演劇学校3期生の卒業公演、迫ってきたよぉ!次の日曜、4月5日の14時開演だ。あと6日、当然、今週のブログは卒業公演宣伝特集になる。で、まずはその舞台から。舞台たってお芝居そのもののことじゃない。舞台そのものの舞台。ややこしい!舞台ったって、ホールでやるわけでしょ、あそこでしょ、だったら、何んでそう騒ぐのさ?って疑問、質問はその通り。実は特設舞台なの、舞台の上に別に小さな舞台を作ってそこで演じる。



 客席もこんな具合に段差付けて、お客さんも見やすいように配慮してある。



 たかだか1時間半程度の公演、なにもこんな手間かける必要ないって見方もある。その分演技に磨きかければいいじゃん、って思いもある。でも、たった1年間の演劇学校ではあっても、生徒たちには様々な経験を積ませてあげよう、て言う親心じゃなかった講師心。

 狭い舞台の上にさらに舞台作って、その前に客席設けるとなると、客席と舞台の間は、うわっ、近!。最前列だと役者まで1mあるかなし。相撲の砂かぶりならぬ唾かぶり席ってことだ。役者の呼吸だって聞こえれば、皺の一本一本だって見切れる。えっ、それまずいでしょ、シニアじゃ!まっそれはそうなんだけど、刻まれた皺も貴重な人生の勲章のようなもの、違う?しわはしわ!そんじゃ、皺など気にならないほどに演技に集中してもらう!ためにもこんな狭く小さな舞台にこだわっている。

 すぐそこにお客さんのまなざしを痛いほどに感じながら演じるって、客席から離れたホール舞台でのびのび動き回るのとは、天と地ほどの隔たりがある。役者にしてみれば、ピリピリのドッキドキで、恐怖に縮み上がるような体験に違いない。震えだの足ガクガクだって見えちゃうものね、そりゃ怖い。だからこそやる。サドか?お前は!その究極の緊張感をとびっきりの集中に転化できれば、これはもう役者として一段階上がる経験になるじゃないか。

 感じられるのは観客の呼吸ばかりじゃない。笑いもため息もかみ殺すあくびも、反応のなにもかもがビーム光線のように突き刺さってくる。お客さんの気合いが舞台にも広がって行くってことなんだ。これはなんたって魅力だ。恐ろしいことだけど避けて通れない。そう、芝居はお客さんと作るもの!それを実感させてくれるのが、この小劇場風舞台なんだ。

 怖いのは観客にとっても同様かもしれないな。だって、寝てたら役者にわかるもの。だから真剣勝負の場が作り出されるってこと。厳しいぃぃぃ!いやそれは一面的、和やかで暖かい雰囲気が狭い空間を心地よく包んでくれるも、この小さな劇場空間なればこそ。寄る年波に不安を感じて飛び込んだシニア演劇の世界、日々衰え行く肉体にあらがい、薄れ行く記憶力を叱咤しながら取り組んで来たこの1年間、お客さんたちだって十分知ってるから。労をねぎらう笑いや拍手、さらにはひそやかな賛嘆の声が溢れるに違いないんだ。それを直に感じられる小劇場空間。ねっ。

 だからって、甘えちゃいけない。芝居や得意芸の質はもっともっと上げなくちゃ!ってことで今日から本番まで連日の稽古だぁぁぁ
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いいのかなぁ?責任追及社会

2015-03-29 10:19:16 | 世の中へ
 そうそう、コント書かなくちゃ。月一コント、願かけたわけでも、お約束したわけでもないけど、続けられればそれに越したことはない。となると、題材どうする?セクハラVsパワハラなんての考えてみた。女性上司がパワー有り余り系の人で、その部下たちはへなちょこ男子系。やるき満々の上司のパワハラに巧みなセクハラで対抗する、なんて筋立てどうだろう。悪くないとは思うんだけど、地域性ってことでは、サラリーマンものって、観客に切実感ないんだよね、置賜の田舎じゃあ。

 もう一つ頭にあるのが、責任追及社会ってやつ。最近やたら責任追及厳しいじゃないか、その先端はクレーマーだけどね。いじめ追求や教師の暴力って問題も時に度を超してんじゃないの?って感じることもある。世の中、犯人捜しが当たり前、責任者出てこい!って声高な叫びがあちこちで飛び交ってる。

 最近の判例二つ。校庭で蹴ったサッカーボールが外を通行中の男性に当たって大けがをさせた。監督責任ってことで子どもの保護者が賠償を命じられたって。も一つは、プロ野球見に行ってファールボールが顔面に当たって片目失明、球団への賠償請求が認められたって例。ええーっ!本当かよ??ってのけぞってしまった。

 子どもがサッカーやったり野球やったりてほほえましくはあっても、とがめ立てされることじゃない。まして、保護者に監督責任って!どうすりゃいいの?ボール遊びさせるな、てか?こんなたまたまの危険なんて、鬼ごっこしてたって縄跳びしてたって、道ばたでおしゃべりしてたってあり得るだろ。急に飛び出したらそこに自転車走ってきて衝突!なんてこと考えたら切りがない。ファールボールの件について言えば、野球見に行ったら野球に集中してなよって話だ。せめて打撃の瞬間くらいはね。

 で、こうも責任追及されると、校庭では遊び禁止とか、ボールを使った体育はダメとか、校庭も球場も馬鹿高いフェンスで囲む必要有りとかなってくわけだ。つまり、過剰反応、行き過ぎ対応って奴だ。そうそう、教師は生徒にメールするな、なんて通達も出た。性的トラブル防ぐためって、おいおい、先生はみんな性犯罪予備軍かよ?

 あっちでもこっちでも、きつーく責任追及されると、どうなる?子どもたち外遊びダメ、体育はいつでも体育館、親は子どもに付きっきり、外には出さずゲーム漬け。球場フェンス高ぁぁくなって、選手は檻の中。危険防止のアナウンスは一球ごとでうるさいばかり。よそ見しやすい人向けの檻ボックスなんてできるかも。先生だって大変だ。授業以外生徒に話しかけてはいけない。笑顔だって向けられない。ハグなんて即免職だから。

 これってどう見たって、コントの世界だろ。面白いもの書けると思うよ。なんでもかんでも、犯人捜しするなよ、無理に犯人仕立てると、その行き着くところは過剰管理社会だぜ、窮屈で息苦しい世の中になるよって皮肉いっぱい詰め込むかな。

 責任、責任と騒ぎまくる風潮って、なんかせちがらくてせせこましくてうんざりだなぁ。自分のせいか、他人が悪いか、自己責任と他者責任、実はこの間にどっちつかずの曖昧領域が広く深く広がっているんじゃないのかなぁ。自然災害とか、交通事故とか、日常のアクシデントとか、・・・不運とか、つきがなかったとか慰めの言葉を選びながらやり過ごさざるを得ない場合がたくさんある。今の世の中、この曖昧さが我慢できなくなってんだろうな。

 あっ、でも、原発事故についちゃ正反対。まるっきり責任追及されてない!許せんぞ、これは!でも、コントにはならないな。
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冬とお別れ:味噌作り

2015-03-28 09:04:07 | 暮らし
 とうとう、と言うべきか?やっと、と言うべきか?やって来ちゃったよ味噌作り。もう一週間も前に糀屋さんから仕上がった糀が届いて、忙しい、忙しいと先延ばししてきたけど、さすがにもう限界、腹括ってやるっきゃない、味噌作り。糀は生き物、いくら塩切りして勢い止めてあるって言っても、この暖かさだ、これ以上放っておけば悪くなる。それに春を迎える作業も矢継ぎ早に押しかけてくる。引き延ばしもここらが限度。

 前日からうるかしておいた大豆は15kg、大きなブラ桶3杯、これを鍋に移して火に掛ける。以前は、近所の加工所から大鍋と竈を借りて炊いていたけど、量も減ったことだし、えっ!15kgで!!そう、これで3家族分程度、けっこう食べるもんだろ、味噌って、竈も工夫して煮よう。

 竈は鉄製簡易竈の他に、ブロックを積んで2カ所作り、計3つの竈を作った。





火を絶やすことなく熾きを作ってとろとろふつふつと煮上げること5時間、大きなたらいに均等に移し替えてあら熱を取る。以前、味噌作りが上手く行かないって加工施設があって、聞いてみたら、熱々の大豆に糀を混ぜ込んでたんだ。これじゃ糀の中の大切な酵素、タンパク分解酵素とデンプン分解酵素が熱で壊れて味噌にならない、美味しくないわけだよ。なので、手が突っ込める程度まで温度を下げて、塩切りした糀を混ぜる。





 大豆と糀を万遍なく混ぜ合わせたら、煮汁も少々加えて硬さを調節してから、みそすり機に放り込む。にゅるにゅると出てきた味噌の前身は、まるでうどんかスパゲッティのよう。これを丸めて空気を抜いたら、味噌樽の中にたたきつける。そう、力一杯たたきつける。こうすることで空気がとどまることを防ぐわけだ。中に空気の層が残ると、かびの原因になったりするからね。





 全部の味噌前駆物質を詰め込んだら、表面を平らにならし、かび防止の塩を振って表面をビニールで密閉し、落としぶたをして重石をたっぷり乗せて終了、後はふたをして夏を越せば、かぐわしい自家製味噌の仕上がりとなる。



 冬場の作業にしている所もあるように、春の暖かさが来る前に終わらせる必要がある。暖かくなれば雑菌も大いに活動し始めるから、その前に糀の力を発揮させておこうっていう昔からの知恵だ。今年もどうにか春到来の前に済ますことができた。次に来るのは、種籾の塩水選、育苗ハウスの整備とビニール張り、そして種まき、育苗、田んぼの準備と怒濤の春作業が押し寄せる。味噌作りは、冬のぐうたら暮らしから、春のてきぱき生活への切り替えの儀式。頭からざぶっと水をかぶって、鈍った身体とおっくうがる怠惰な心目覚めさせる。

 さっ、春よ来い、いつでも来い!でも、もうちょっとたらだらしてたいんだよな、ストーブの前で。

 
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妄想ランニング

2015-03-27 09:53:36 | ランニング
 ランニングマシーンで10kmって、辛いんだよねぇ。身体じゃなくて、気持ちの問題。そう、飽きるんだ!7km過ぎるともううんざり、まだか?まだか?と経過タイムやら走行距離のメーターばかりに目が走る。目の前はテレビのモニターが、よそ見は許さないわよって感じて立ちはだかってるから、ガラス窓越しの景色も見られない。ひたすらひたすら、呼吸のリズムに気を紛らわせつつ走るっきゃない。

 走ってる時間たっぷりあんだから、なんか考えれば?ってそれ傍観者の戯言だから。まず筋の通った思考とかアイディアのひらめきなんてぜんぜん縁がない。景色見てきれいだな、くらいには頭回転するけど、気の利いた文章一つ、わき出してくることはないもの。一度呆け防止のトレーニングってことで、走りつつ簡単な引き算やら尻取りやってみたけど、走るペースが速すぎて頭ついていかなかった。

 この退屈、なんとかならんもんかい?

 そうだ!音楽聞きながらって、みんなやってるじゃないか、あれいいかも。さっそくしまい込んだままになってたウォークマン取り出して、曲目を入れ替えた。どう考えたって、初期のマイルスで走るのって無理だよね。クラプトンも聞き入って足止まってしまいそうだし、・・・・まっ、試しだからいろんなアルバムから1,2曲ずつ入れてみることにした。



 さっ、イヤホン耳に差し込んで走るぞ!うーん、ちょっと走り憎そう、自分の呼吸が聞こえなくて戸惑った。でも曲が2曲目3曲目と進んで音楽に乗って走れるようになってきた。最初に、おおっ!って思ったのは菅野洋子「カウボーイ・ビバップ」からの曲。なんか追っかけられるぅぅぅ。深夜の倉庫街を必至で逃走する感じ。乗るなぁ、走りにイメージがまとわりつく。テンポもなかなかだ。次は東欧のブラス音楽。映画監督クストリッツアの世界だ。これも走るもんね、映画『白猫黒猫』ではちゃめちゃな結婚披露パーティ、鶏がかけずり回り、鳩が飛び、新郎がテーブルの下を四つん這いで走り抜ける。もう完全にその気になっちまう。デパペペの曲だと、これは新緑の草原だな、恋人同士が戯れながら走り回っている。次々に流れる曲に誘われて頭の中は妄想劇場!

 7km過ぎ、いよいよ辛くなるところでかかったのは、グッキーの「グッド・ラッキー」。この曲不運なんだ。ちょうど売れ出した時にあの3/11、世の中、グッドとかラッキーなんて受付なくなったもの。震災の直前、とっても気に入って置農演劇部に踊らせたいって購入してた曲。調子よくって、おっ、いいね、って聞き始めたら、「頑張って!」だって、ついつい、「よっしゃ!」って応えてしまった。「おつかれさん!」なんて歌詞もでてきて、そうそうわかってんじゃん、って歌と対話しつつ走ることできた。



 こういう明るくてたわいなくてテンポの良い曲がランニングには向いてるみたい。AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」とかご当地アイドルの「君の心に解き放つ」なんかも入れて行ったんだけど、その前に10km走り終えてしまった。最後にかかったのは、なんと「雨の御堂筋」!どうだと思う?これがさあ、なんかせつなくって走れるなだよ。大阪の御堂筋、女が男を捜して夢中になって走り続けてる。で、その男、どこにいるのかって思ったら、なんと大阪マラソンでランナーとして参加中、バカバカしい妄想!でも、そのお馬鹿かげんが嬉しくて、一旦落としたスピードをもう一回アップして余計に500m走ってしまった。

 ってことで、ウォークマンと音楽の力借りての妄想ランニング、新しいお楽しみ与えてくれたみたい。さっ、次は何入れて行こうかな?
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