ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

井上さん、ご勘弁!ご勘弁!演出編

2010-12-17 22:41:31 | インポート

何日ぶりのブログ更新だろう。

もうもうとってもパソコンに向かえる状態になかった2週間!まったく休み無しの連続稽古だったから。連日帰宅は23時。

追いつめられてたねえ、とことん。

役者は来ない。来てもせりふは入ってない。小道具はできてない。衣装はそろわない。もちろん、照明プラン?何の話。

それどころか!辞退続出。出演者が決まらない!!本当かよ?!本番の2週間前にだぜ!!!

こっちも堪忍して!の忙しさだったから、後手後手後手で崖っぷち。

演出プランもエンディングの決め手が浮かばない!

台本じゃあの世行きの銀河鉄道を出せって、井上さん無茶言うよ。十数人の死者がそれに乗って下手にはけるって、生徒じゃないけど、無理無理むーーーーり!

まさかなぁ、歩いて袖にはけてくなんて、しょぼいことできないし。

はりぼてみたいな銀河鉄道作るのなんてお断り!だし。

もう!あっちもこっちも行き詰まりの行き止まり。

でも、投げ出せないよ、今回ばかりは。井上さんの追悼公演なんてぶちあげちまったからね。

こうなったら開き直りあるのみ。置農演劇部フルに使って乗り切るって決めた。ごめん!みんな。で、一つ決断すっとあれれって感じでアイディア出てくるもんなんだ。

森の紗幕を下ろしてその奥に、列車シーンの客車?を出して銀河鉄道にでっち上げることにした。紗幕が2間三枚に切れているのでここから奥へ抜けることにした。紗幕の向こうが彼岸ってこと。

列車そのままてのも芸がないのでベッドカバーに使った白布を椅子にかけてみた。裏地のテカテカした感じが葬送をイメージさせてとてもよい。

病院シーンも旅館シーンも下宿シーンもすべて横壁はなしにしてスムーズな転換を心がけることにする。場転で使える曲は、星巡りの歌と種山ヶ原と精神歌。これはどうしても時間がかかる場転とオープニング、エンディングで使うことにして、後は生歌と列車走行音で場をつなぐ。

丸太で作った列車シートとベニヤでつぎはぎした壁パネル。死に行く百姓たちの思い残し芝居に相応しいと考えてひらめいたアイディアだ。

さて、本番。どうやらこちらの演出意図は通じたようだった。列車は思いがけず重厚な作りになって奥の森紗幕とぴたりと絵に成っていた。列車音をオノマトベで出すという井上さんの狙いとも上手くマッチしたように思う。置農演劇部のがんばりもあった。

エンディングも美しく心に残るシーンに仕上がったと思う。アンケートにもそう書いてくれた人がいた。思い残し切符を生きる人につたえていく趣向、改めて井上さんの凄さを納得した。

井上さんが、注文の多い料理店ならぬ注文の多すぎる脚本を残してくれたお陰で、ぎりぎり苦労した。でも、どうにか演出としては井上さんの注文をさばきつつ新しいものを作れたのではないかと思っている。

ねえ、どうですか、井上さん。ここらで堪忍してくれますよね。

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まずは成功!菜の花座小劇場

2007-12-16 23:29:01 | インポート

 まさか、まさかね、こんなに人が入るなんて!菜の花座の日頃の集客力ほぼ150名。でもそれは、劇団上げての公演の話しだ。今回のように若手中心、しかもキャストは5人だけとなると、まあ、集まっても知れてるよな。それに、出し物が本谷有希子の『遭難、』だもの、客層はさらにぐっと狭まると思うから、まあ、よくて、90、下手すると60くらいなんて寂しいことになるんじゃないかと思っていた。

 だから、最初に設えた椅子は90席だった。開場直前に思い立って、まあ、あるだけ椅子並べておこう、ってことで、110席を準備した。ところが、いざ開けて見ると、なんと、行列だよ!驚いた!用意した椅子は見る見る埋まって、とうとう満席!それでも客席後ろには何人も詰めかけている。ロビーから大慌ててで椅子を運んでみたが、それでも駄目!仕方ないので、置農演劇部員全員を立たせて、どうやらこうやら収まった。都合140名の入場!予想をはるかに上回る観客動員数だった。

 この予想外の大入りの理由だ。まずは、菜の花座のファンが確実に広がっているってこと。次に、置農演劇部の東北大会出場も追い風だったかな。それと、新聞!山形新聞で事前に取り上げてくれたってことも大きかったと思う。どちらにしても、菜の花座を中心にして、この土地にアマチュア演劇を見ようって意識が根付き始めているってことは間違いないことだと思う。

 さて、舞台の方は、昨夜のゲネでの強烈な駄目だしが効いてか、本番は見違えるような緊迫感と笑いの充溢した舞台になった。一言の駄目だしをしっかりと理解して、たった一晩でそれを役づりに生かせた役者たちの力には、感心した。さすがだ。それと、今回はあえて自分の持ち味とは異なる役を振り当てて、演技の幅を広げることを試みたのだが、これもまずまず成功だった。役者たちはかなり苦しんだけどね、それぞれ新しい境地を開拓できたように思う。

 装置も僕が一度も現場に顔を出さずに製作を終えてくれた。感謝とともに、団員たちの成長を感じた。こうやって少しずつ、一人一人が力を身につけていくんだと思う。今度は、宣伝やチケット販売などの制作面も若手が率先して取り組んでもらえるようになって欲しいね。

 さて、まずは成功、のまずはの意味だ。独創的な舞台内小劇場の試み。狭い空間にぎっちりの観客の中で演じるって目標は達成できた。けど、客席の段差が小さすぎて、舞台が見づらくなってしまったことだった。舞台を1尺の高さに上げて設定したのだけれど、それでもまだ、不十分だったようだ。あるいは客席の段差を大きくするか。いずれにしろ、立った演技しか見えなかったお客様には大変失礼なことをしたと思う。次回は、っていつのことだ?まあ、いつかやるから、その時は、今回の経験を生かして、演じる側も見る側も満足できる劇場を作りたいと思う。だから、今回の不具合に腹を立てずに、

 次回菜の花座小劇場をよろしく。

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50(歳)を過ぎたら板(舞台)地獄⑬:人には向き不向きがございます!

2007-10-14 21:56:17 | インポート

 菜の花座の旗揚げ公演は、高泉淳子の『僕の時間の深呼吸』に決まった。どことなくノスタルジックでナンセンスなエチュードを次々つなげた不思議な作品だ。今思えば、よくもまあ、って感じがしないでもない。気負いだね。

 僕の役割は、役者と舞台監督。おいおい!しかも4役だぜ。ほんと、知らないってことは恐ろしい!役者としての僕は、上手かないけど、楽しめた舞台だった。何故か野球のアンパイアー風の国語の先生から、羽織・袴の書道の先生にわずか15秒ほどで早変わりしたり、チャップリンを真似た格好で、高さ一間のゲートの上に上ったりと、随分とおいしい役所をもらったからね。

 舞台監督の方は、これはもう、演出にごめんなさい!としか言えない。本来なら、演出の意図を汲んで、それを具体化していくのが舞台監督の仕事なのに、ともかく、勝手だったもの、僕っていう舞台監督は!演出の意図なんてお構いなく、これでいいさ、とか、演出の要望に、そんなん無理とか、ほんと、滅茶苦茶な舞台監督だった。中でも、演出が、舞台の進行に合わせて時計の針を動かしたいって強く主張したのに、まったく、無視しちまったからね。もう、なんて舞台監督なんだ、俺って奴は!

 理由は、一言、舞台監督ってものがまるでわかっていなかった!どことなく、演出助手的なものと勘違いしてたんだ。だから、舞台スタッフのT氏からのきつーいおしかりは、本当は僕が受けるはずなのに、演出に向けられてしまった。もう、至らぬこと極まれり!だった。今、思い出しても身が縮む。

 それと、もっと大きな理由は、向いてないってことなんだな。舞台監督って仕事が僕にはまったく向いていない。だって、まるで大雑把だものね。アバウトそのものだものね。細かく段取ったり、連絡や準備を律儀にしたり、全体をきめ細かに掌握したりって、もう、ほんと苦手中の苦手だから。それと我が儘だもの。自分勝手だもの。やりたいようにやってしまうものね、僕って奴は。役者としても才能ないし、まっ、演出あたりがお似合いなのかなって、その公演でつくづく思った。

 この公演で、良かったんじゃない!って思えるのが、舞台装置だ。いやあ、これまた、知らないってことは恐ろしい、の産物だったけど、知らぬが仏!これが上手く作用した。普通舞台装置って言ったら、パネルだよね。6尺×9尺とかのパネルを角材と薄いベニヤ板(うすべに)で作るってのが常道なんだけど、なんせ、そん時は、そんなこと全然知らないからね。幅10センチ厚さ1.5センチの板材を組み立ててすけすけの構造物を舞台全面に作った。しかも、色はオレンジ色!だから!板組み合わせただけの、言ってみれば、平面的なジャングルジムのような装置、これが思いがけず、この芝居のまか不思議な感じにぴったりと重なっちまったんだ。この装置と、この舞台は随分多くの人に惜しまれた。今日だけでおしまいなの?もったいないねって。ほんと、ありがたかった!ほんと、うれしかった!おっと、ただし、この装置の構想は演出のSさんのアイディアだったんだけどね。

 で、この舞台で、それから先の僕の役割は、ほぼ固まった。我が儘いっぱい、勝手気ままにやれる仕事。つまり、演出と装置ってことだ。人に人の向き不向きってものがある、ってことがよーくわかった旗揚げ公演だった。

 

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キャスト全員・スタッフ全員!

2007-01-22 21:36:36 | インポート

 三日後に迫った置農演劇部校内公演のゲネプロが、昨日、終わった。やれやれだ。部員16名を二つに分けて、二本の芝居を作ろうってんだから、本当にようやるよ。16を二つに割れば、8。そのうち舞台に立つのはなんと6。つまり、演出と舞監を除く全員が役者ってわけだ。もう一チームも然り。じゃあ、音響は?照明は?舞台スタッフは?これらすべて相手のチームがやる。つまり、自分の芝居が終わるとすぐスタッフに早変わりして部署に着くってわけだ。一昨日までは役作りで精一杯だった役者達、会場の設定とともに、ようやく裏方の打ち合わせができたという次第。それぞれのチーム1時間かけて、相手のチームに照明やら音響やらを事細かに御願いした。台本に必死で書き込む部員たち、みんな真剣!!だって、失敗したら相手のチームに顔向けできないからね。って言うか、その後なんて言われっかわかんないから。

 昨日は最初に、その打ち合わせの通り、一度通してみた。いやあ、いくら真剣にやったからって、昨日の今日じゃ上手く行くはずはない。音は出ない。明かりは消えない。色は間違える。道具はあっちゃこっちゃ。いやはや大変な右往左往だったが、ともかく時間がない。見切り発車でゲネプロ突入。事前のあたふたが信じられないくらい、まずまずの出来になっていた。ホッホッホッの一安心。あと、三日間、通しを大切に繰り返し本番を迎えるばかりだ。これからの三日間、スタッフはもちろん、役者も一気にレベルアップするはずだ。だからこそ、今日の通してでは、あえて、きつい言葉で叱咤した(怒鳴りとばした?)。

 それにしても、なんで、役者もスタッフも一緒にやるような無茶な舞台を作るのかっていうと、これはもう、私の信念を通り超えて、妄執だ。理由は、できるだけ多くの部員に舞台を踏んでほしいからってことだ。部員には、役者に向くのもいれば、スタッフばっちりって奴もいる。「役者でなきゃって嫌!」、って我が儘者も、「舞台はちょっと」、って尻込みするのもいる。声の良し悪し度胸のあるなし。舞監や照明は専門職だから、これは是非とも育てたい。となると、どうしても分業が効率的ということになる。スタッフはスタッフ、役者は役者ってわけだ。一般に劇団はこのパターンで活動を行っている。それが、良い芝居を作る条件だったってことは重々承知。高校生だって、その方がよりましな舞台が仕上がるってのは言うまでもない。

 でもねえ、そいつぁ、ちっと違うんじゃないかって思っているんだ。高校生の演劇部活動は、まずは教育活動だと思う。それぞれの分担仕事で精一杯力を付けて協力し合うことも、大いに教育的だが、舞台に立って、人前で大声で台詞をしゃべり、夢中になって役になりきるってのは、これはもう、何ものにも代え難い貴重な体験なんだと思うんだ。もしかしたら、と言うより、まず間違いなく、多くの生徒とって、この数少ない経験が、一生に一度か二度のものになるんだよ。ってことは、これは彼らの人生の宝物になるってことだ。こんな凄いことをやれるのに、少しばかりの完成度追求のために、その大きな可能性を棒にふりたくないじゃないか。

 だから、この校内公演は、見に来てくれる人たちには申し訳ないが、確実に上手くない。あまりの下手さにウンザリする場面もあるかも知れない。でも、日頃、ほとんど声を出さないような子が、一生懸命長台詞をしゃべり、いつもは、恥ずかしがって、下ばかり向いてる生徒が、しっかと視線を中空に放つのを見れば、その姿や声はきっと観客の素直な心に届くに違いないと思うのだ。感動とは言えないが、何か心打つものがきっとある。

 とは言え、下手でいいんだってもんじゃないぞ。おい、やる気あんのか!声が観客に聞こえなくて、何が芝居だよ!舞台出んなら、それだけのことやれよ!!って厳しく最後のだめ出しをしていこう。

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劇場は視聴覚室

2007-01-19 21:53:16 | インポート

 置農演劇部校内公演まで、後一週間に迫った。16名の部員が二つのチームに分かれて、それぞれ作品を仕上げる。スタッフは二つに分かれた相手側がすべて担当する。会場となるのは視聴覚室だ。普通教室よりはやや広い、3×4間の何の変哲も空間だ。違いは二つ。遮光性の高いカーテンが掛かっていることと、校舎の突き当たりで外部の音が届かないことくらい。ここが、ちょっとした小劇場風の舞台空間となる。ちょっと大袈裟か。

 さて、その秘密、ってほどでもないが、仕立て方を軽く紹介しよう。フロアは平台がないので、残念ながら観客と同一平面だ。両袖は掲示用のパネルで作る。パネルを組み合わせ、それに暗幕をかけて、一袖、二袖を作った。ただ、パネルの高さは一間しかないので、背伸び用の専用木組みを使って7尺の高さにしている。専用木組みったって、なに、角材を変形コの字に作っただけのことで、これをパネルに針金で固定する。

 照明は、スタンド付き凸灯体を二台を前から点け、シーリング代わりの前明かりにする。これは、ピンスポットにもなるし、フロントの代用も果たす(例えば夕日の差し込みとか)。上からの地明かりは、教室の蛍光灯を使うしかない。以前は、気負って両袖に建設用足場を組み、そこに鉄パイプを渡して、体育館ステージのサス用のフレネルを持ってきて下げたこともあったが、今はもうとてもとてもそんな気力はなくなった。せめて、舞台空間だけを照らすように、周囲の不要な蛍光管はすべて外した。しかし、これでは、前と上からの明かりだけで単調だ。せめてもの悪あがき、ピンスポット二台をステージサイドの明かりとして、両袖から照らすことにした。照明はこれですべて。微妙な表現など及びも付かないが、まあ、劇場っぽくはなる。ただ、この照明、調光卓にまとまっていないので、点灯、消灯はすべて、コンセントを抜くしかない。だから、灯体の数だけ、照明係が必要になるという凄まじい装置なのだ。

 こんな、あるもの全部総動員のちゃちな演劇空間だが、いざ、組み立て終わってみると、なかなかどうして、いいじゃないか!部員達もぐぐっと気が引き締まってきた。明日の土曜はこの舞台を使っての初の舞台稽古。そして、明後日はゲネプロだ。さあ、あと一週間、精一杯、気張って行こうじゃないか!

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