三谷幸喜の『マジック アワー』、上手いねー!さすがだねー!あの作り物ぽさがほんと!良かった。セットと言い、ストーリーと言い、演技と言い、ほんとウソっぽくてね。わざとらしくってね。導入では、どうなるのって、心配したけど、見終わって見ると、ああ、この映画はああじゃなくちゃ!って納得、安心、お気に入りだった。
何が良いって、三谷さんのシチュエーションコメディへのこだわりだよね。伝説の殺し屋の代役に、売れないアクション俳優をはめ込む、ここまでは、まあ、よくある手だ。僕だって考えつく。おっとー!でも、その俳優が状況をまったく知らされずに、その仕事を映画の撮影として突っ走るって、これ相当の荒技だ。どうしたって無理がある。そこら中にほころびどころか、糸のほつれやら、かぎ裂きやらが、ちら見えで、そりゃないだろ!と突っ込み入れたくなることしきりなのだが、
でも、許す!おっと、僕なんかに許してもらっても仕方ないか。でも、このとんでなく無茶なシチュエーションを必死でこぎ渡ろうとした監督を、僕は、無謀を承知で夢に立ち向かう息子をほほえみつつ見守る母親のごとくに、抱き留めたい。だから、僕が抱き留めたら気持ち悪いって!つい軽い気持ちでついたウソを、必死で上塗りして、ごまかしの自転車操してるみたいな、そのひたむきなウソ八百への情熱を良しとしたい。つき始めたウソが、どんどんエスカレートして行き、どんどん荒唐無稽になっていく。その手練手管の巧みさではなく、そのがむしゃらさに心打たれた。
もう一つ、ぐっとくるもの。それは、三谷さんの映画への思いの深さだ。ほとんど過去の名画など縁のない僕には、どのシーンが何の映画のパロディなのか、オマージュなのかわからない。でも、幾つものシーンが、かつて三谷さんが恋いこがれた名シーンをイメージして作られたものなんだってことは直感できた。どっかで見たようなシーンやせりふの連続だった。でも、それは借り物ってことじゃない。嫌みなんて全然感じない。うふふ、やるやる!みたいな共犯者の心持ちかな。これが愛する映画への最高の捧げ物なんだってこと、よーくわかった。
できあがったシーンばかりじゃない。映画制作を陰で支えるスタッフへの尊敬と愛着。これも上手に組み込まれていた。何たって、ラストシーンは、裏方の大活躍で締めくくられたからね。ともかく、好きなんだよな、映画が。その熱い思いがふつふつとたぎる映画になっていた。
だから、エンドロールは、セットが組み立てられるまで。これ、見事なものだった。これだけでも、数百円の価値はあったんじゃないか。最後に裏方の凄技を持ってくる、監督の思いの深さ、並じゃない!!