ようやっと、ここに書けるよ。もう、上演許可が来なくって、どうなるのかって気が気じゃなかった。もちろん、稽古は始めてるし、チラシもポスターもできあがって、あとはばらまくだけってところで、ストップだものね。メールで一度、手紙を二度出して、ようやく返事が来たと思ったら、担当者がアメリカ出張中でした、って、留守中の手だてくらいしていけよ。まっ、許可もらったので、強くは言えないんだけど。
この作品、菜の花座が取り上げたりしていいんだろうか?やるべきか?やめるべきか?随分悩んだんだ。だって、最初のセリフが「うんこ、しなよ。」だからね。もちろんその後だってそれ以上に刺激的だ。ええーっ?こんなんで悩むの?って都会の人なら、馬鹿にするだろうね。でも、山形だから、東置賜郡だから、大字だから。きついよ、この内容は。菜の花座を支えてくれている人たちって結構年齢が高いからね。どうなんだろ、こんなのやって、うーん!心配。
でも、やることに決めた。理由は、今の時代を鋭く捉えてると思ったから。僕が、近頃つくづく感じてることにずばりと切り込んだ作品だったから。
例えば、いじめ。この言葉聞くと、大方の人は、いじめは悪い、いじめられた人は悲惨だ、いじめる奴はとんでもない悪人だって方向に流れるよね。でもね、高校生と身近に接してると、そうは単純に片付かないってことに気付くんだ。友達同士の仲違いとか、喧嘩とか、そりや、悪態の一つや二つつくわな、とか、気に食わなきゃ口聞かないって当たり前じゃない、なんてことが、いじめとか、しかと、ってことになっちまう例が結構あるんだよ。いや、全部そうなんて言ってないからね。たしかに非道いいじめってものもあると思う。でも、どう考えても、当人の思いこみとしか見えないものがある。
ただ、問題は、その被害を受けたと思っている人が、心の底からそう信じ込んじまってるってことなんだ。だから、学校来られなくなったり、一人孤立したり、ついには自殺したりもする。と、なると、周囲は、きっと、もの凄いいじめがあったに違いないって断定する。だって、人が死んだんだゾ!ってことだ。まして、親なら、尚更のこと。そこで、徹底的に学校追求が始まる。マスコミもあおり立てて、犯人捜しが燃え上がる。ところが、学校がいくら調べてみても、死に至らしめるような悪質ないじめの事実なんて、見つからない。こんな話しいろんなところから聞こえてこないか?
いじめる子どもたちがいるのは間違いない。今の子たちには、陰湿な部分があるのも、たしかだ。でも、いじめられてるって感じる側の耐性・感受性に問題ないだろうか?友達=命って思いこんでる子どもたちのなんと多いことか。グループから外れたら、世界が破滅ってまじに信じてるものね。新しい友達作りゃいいじやない、とか、しばらく一人で生きてみたら、ってアドバイスしたいけど、そんな助言したら、いじめに荷担したって言われかねないからね。
ともかく、人間が、なんか、へなちょこになっちまってるんだ。弱くなって、なんでも、人のせいにして、自分は被害者。そんなぐちゃぐちゃ人間が狭い職員室に頭付き合わせて、ぐじぐじしながら、のっぴきならないところに、突きすすんじまう、ってのが、この遭難、のあらすじだ。
ね、ちょっと、引いちゃうでしょ。だから、迷ったの!
でも、やるってきめたからね。だから、見に来てよね。12月16日(日)午後2時スタートだ。もちろん、川西町フレンドリープラザ。このブログ、公演の最初の宣伝だから、例の通り、メグミのポスター原画を載せることにする。今回の作品は、メグミの痛ましい世界にぴったりだ。