『排外主義克服のための朝鮮史』梶村秀樹著・平凡社刊。
群馬の慰霊碑も取り払われちまったし、朝鮮学校へのヘイト攻撃は相変わらず。どうしてこうも朝鮮人を嫌悪し続けるんだろ?
朝鮮人だけじゃないか、中国人も、最近はクルド人も、自分と違う人たちの暮らしぶりが我慢ならんって、どんだけ狭量なんだよ。
ますます広がる、外国人出てけ!の風潮、ヤバいよねぇ、ここんとこ、しっかりひっくり返さないと、また、関東大震災時の二の舞、朝鮮人とか外国人とか虐殺が再来しちまうぜ。
能登地震でも、中国人の窃盗団がバスで大挙到来!なんてヘイトデマ流れたくらいだから。
ずっと気になってたんだが、ここらで朝鮮の近現代史をじっくり、まっ、さらっとかな?知っておこうか、で、何冊か手に入れたうちの1冊がこれ。
えっ、なんか読みにくいんだけどぉ!?
朝鮮史を考える上での基本から解き明かす、そこからかよ。福沢諭吉の朝鮮蔑視は知ってたけど、わっ、大井憲太郎までやり玉に挙がってるぜ。うんでも言いたいことはわかる、大阪で強盗やって資金集め挑戦に渡って革命だって、日本で政治改革できない奴が朝鮮でならなんとかって、甘く見過ぎだろ、その感覚が大陸浪人たちの横暴な行動につながったわけだ。
つまり、著者がとことん否定したいのは、朝鮮は自ら変われない、ずっと停滞社会だったって、それまでの歴史学説や巷に流布した共通認識は決めつけで現実じゃないってことなんだ。
つまり、他律性史観と停滞史観、これが日本の韓国併合、植民地化の口実になったってわけだ。お前ら自分じゃ近代国家に変われんだろうから日本が引っ張り上げてやるよってお節介。今でも信じてる奴らうようよいるよな。
って、他人事で済ませられないんだぜ。俺もなんとなくこの印象、差別感に囚われてたもの。解放以降の朝鮮半島の歴史なんかも興味なし、漠然と知らないまま過ごしてきた。この無意識の無視、漠然と、遅れた国なんだぁ、って蔑視感覚に流されてた。まっ、ヘイト発言繰り返すネトウヨたちと大差ねえよな。
実際の歴史じゃ、何もなかった、なんてとんでもない。日本の植民地化の強圧の中で、様々な抵抗が諦めることなく繰り広げられていたんだ。民衆の粘り強い活動が歴史が時代を追って紹介されている。
朝鮮史の主人公は朝鮮人人民だっ!
この事実を明らかにすることが本書の最大の目的なんだ。
地を這い、山野を駆け巡った人々の絶えることなき抵抗活動、東学党の甲午農民戦争から3/1独立運動、厳しい弾圧にさらされながらも、言論で、組織で、民衆運動で引き継がれていく反日独立闘争。
それは決し途切れることなく8/15の解放以降にさらに大きく盛り上がって行く。が、自主的即時独立を目指すうねりは、ソ連とアメリカの身勝手な意図で引き裂かれ、ついには朝鮮戦争の惨事へと流れ込んでしまう経緯、戦線が畝ローラーのように国土を国民を押しつぶして行った悲惨。
こんなこともほとんど知ろうとしなかったなぁ。
その後の繰り返される独裁政権、幾多の犠牲を出しつつも自主独立と民主主義を求めた人たちの尊い活動の連続性。彼らには決して屈しない反骨の精神がずっと受け継がれているんだ。
ほとんど民主主義が機能しなくなって久しい日本の現状、好き勝手やり玉たい放題の政治に効果的な反撃一つ打てない日本、学ぶものはいくらでもある。
どんなに苦しくとも、どんなに屈辱的であっても、怒りの炎を絶やすことなく粘り強く行動し、言うべきことは発言し続ける朝鮮の人たちの姿、著者の断固とした主張、民衆への信頼、たしかに受け取ったぜ。
ただ、この本には疑問点もあった。
一つは、左翼運動に偏り過ぎちゃいないか?ってこととか、民衆ってもんを型に嵌め過ぎじゃないか?ってことなどだ。
それと、なんせ古い本、刊行は1990年、再刊が2014年、でも、実際に書かれたのは1970年代。韓国の漢江の奇跡以降の韓国には当然触れようがない。北朝鮮の軍事国家化、独裁化と経済停滞についも当然言及しようがない。著者が今の時代に生きていたら、どんなまとめ方をしてくれるんだろうか?
そんなないものねだりしてたって仕方ない。もっともっと知りたい韓国のこと、北朝鮮のこと。その容易ならざる紆余曲折の歴史。だったら、さらにじゃかじゃか読めばいい。
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当分は朝鮮、韓国読書月間が続くな。