ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

『どんがら山奇譚』はあり得るか?

2007-08-31 23:35:22 | 地域文化

 置農演劇部、地区大会の出し物は、『どんがら山奇譚』。もちろん僕が書いた。ミュージカルだってことや、生バンドが入るってことはすでに書いた。今日はストーリーについてだ。

 僕の家の便所には、ながらくチェルノブイリの写真入りカレンダーが飾られていた。とてつもない大事故をおこしたあのチェルノブイリ原発。カレンダーはそこで被爆した子ども達の支援カンパのために作られたものだ。放射能汚染地帯となってうち捨てられた廃屋とか甲状腺の手術を受けた子ども達の姿とか、再生しつつある自然の営みといった写真の数々が毎月一葉眼前に現れる。

 大便をしつつチェルノブイリの写真を見るということが、不遜な事なのか、意義深いことなのか、崇高なことなのか、どうにも判断に苦しむところだが、うちの奥さんが、断固張り続けることなのなので、これはもう、否応無い。彼女の思惑としては、日常生活のもっとも思弁的な時間に、あの人類史的悲劇に対面すべきだとの思いなのかも知れない。あるいは、心地よい便通の瞬間にこそ、チェルノブイリの人たちの苦痛を思い浮かべよということなのか。

 そんな写真の一枚に、立ち入り禁止の村に戻った年寄りたちの写真があった。質素な我が家の前のベンチで屈託なくくつろぐ老人たちの姿。花壇には花が咲き、木々は緑に彩られている。どこにでもある田舎の風景。でも、その写真を見る者は知っている。そこが地獄の一隅であることを。今なお、高濃度の放射能に汚染された土地であることを。

 年寄りたちだって知っているんだ、当然!ここに住み続ければ、日常的に被爆し、いつかは恐ろしい障害に襲われるだろうってこと。急性障害となって現れるのか、癌や白血病として訪れるのか。いずれにしても、健やかな老後はあり得ないだろう。でも、・・・でも、彼らは帰ってきた。一人、二人、三人と村に戻ってきた。関係者の制止を振り切って。

 そんな老人たちの笑顔が、ずーっと気になっていた。彼らを駆り立てるもの、それは故郷だ。生まれ育った家であり、その中を飛び回った自然だ。あの事故の発生したその直前まであったその土地での豊かな暮らしだ。確実な危害の到来を予期しながら汚染地帯に舞い戻った彼らを、無知とか身勝手と切り捨てることは容易だ。でも、彼らの有無を言わせぬ選択には、何か、こちら側で訳知り顔の僕たちに深く反省を迫るものがあるように感じるのだ。

放射能があろうと無かろうと、故郷は故郷だ、暮らしはここにしかない。町の避難所なんかに余生はない。たとえ苦難が待ち受けていようと、たとえ不便な生活を強いられようと、生きるなら故郷以外にない。老人たちは、別に大きな決断をするでもなく、ごくごくありきたりに村に戻っていったのじゃないか。

 で、辺りを見回せば、日本にだってこんな状況は随所に生まれつつあるのじゃないだろうか?最近の異常気象や地震災害に追い立てられ、かなり人たちが避難所生活を余儀なくされている。三宅島にしろ山古志村にしろ、未だに復帰の目途はたっていない。あるいはこのまま、廃村という選択だってあり得るのじゃないか。もともと過疎の村なら、復興に金をかけるより、廃村という方向が選択される可能性は大いにある。その時、日本の年寄りたちはどうするだろう?避難所での飼い殺しのような余命を大切に生きながらえるのか?チェルノブイリの老人たちと同じように、誇らかに村に帰還するのだろうか?

 『どんがら山奇譚』は村に敢然と戻ることを選んだ老婆の話だ。彼女が戻らざる得ない苦悩を思い描いてみた。彼女が舞い戻るすがすがしさを書いてみた。でも、きっとこれは絵空事なんだと思う。日本の年寄りたちは、村の不便さを思い不慣れな町場暮らしに仕方なく順応していくのだろう。いいや、彼らを責めることなんてできない。僕だって、今の便利な暮らしを捨てて、山に入るなんてできっこない。

 『どんがら山奇譚』はあり得ない!だからこそ、『どんがら山奇譚』を書いた。便利さに絡め取られない人間の潔さを書いた。現実にはあり得ないとしても、舞台の上では生きてほしいと願った。おすぎ婆さんは、果たして、あり得るか?

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素人が音楽って!こりゃ泣けるぜ!!

2007-08-26 21:08:46 | アート・文化

 昨日はかなりやばかった!家に帰るなりリコーダーの稽古だったから。いえ、夕飯は食べたんだけど。置農の地区大会用ミュージカル『どんがら山奇譚』の話しだ。芝居の中で生バンドを出すってことはすでに書いた。大太鼓と締太鼓がリズムをとって、アコーディオンとソプラノ、アルトのリコーダーがメロディを受け持つって編成だ。演奏するのは4曲。3曲は土井先生の作品。もう一曲はゴータンプロジェクトの曲。僕としては、そう難しい曲でもないし、リズムもゆったりだし、まっ、できるでしょって軽く考えてた。ところがところが、なかなかどうして、演奏にならない!音楽にならない!

 楽譜渡して一週間、そろそろ形になってるだろう?うん?なに?これ音楽?うそでしょ?どうして?楽譜あんでしょ?演奏のデモCD全員に渡したでしょ?君たちなにやってたのこの一週間?次から次と質問は詰問へとエスカレートしたってわけ。

 いや、こんな紳士的にというかねちねちと問いつめたわけじゃない。まっ、その場を再現するなら、なにやってんだよ、おめえら!!でしたね。

 楽譜があって、デモCDがあれば、なんとかなんじゃないか、って思いこんだ僕の間違いだった。音が流れてれば、その音を楽器や声で出してみるってそんな難しいことじゃないって思ってたんだけど、これって意外と大変だったんだってことにようやく気が付いた。

 そう言えば、菜の花座のサオリもチンドン屋のクラリネット押っつけられて恨み辛みの連発銃だったものな。世の中こんなに音楽が溢れてるってのに、どうなってんだろ?若い連中なんて、のべつ幕無しIpodやらオーディオプレーヤーなんかで音楽垂れ流してじゃないの?音楽漬けって生活じゃないの?なのに、こんな簡単なリズムが刻めない!な!ん!て!

 で、考えたんだけど、音を聞くってことと音を出すってことの間には深くて暗い溝があるってことなんだよね。いっくらたくさん良い音楽聞いたからって、その音楽を演奏できるってもんじゃない、当たり前だ。いやいや、演奏はともかく、そのメロディやリズム口ずさむってことだって出来ないってことなんだね。で、さらに、辺り見回してみると、音楽は溢れてるけど、音を出してる人間って意外と少ないってことに気付いちまった。

 昔はこうじゃなかったよ!って、ああ、もう年寄り!でも言っちゃう!例えば歌声喫茶てのがあったしね。新宿駅西口フォークゲリラなんてのもあった。若い奴はギター抱えてフォークソング歌うってのがごくごく当たり前の光景だった。宴会だって、みんなで手すり手拍子で民謡歌ったしね。要するに今みたいに聞くばっかりの人なんてほとんどいなかったんだよ。僕だって、中学は吹奏楽、高校、大学は合唱と過ごしてきたから、聞くことと出すこととが、結構直結してるんだ。

 で、そこに気付かぬあなたが悪い。そうです、その通り。なら、僕が教えましょってことで、昨夜は3時間リコーダー吹きまくってたってわけなのだ。その成果を今日は夢中で披露して、特訓、特訓、また、特訓!どうやらなんとか様になってきたんでした、今日やっと。

 演奏とダンスと台詞がからむオープニングシーン、う~ん!いいよー!なかなかいい!これに照明さんが上手く明かり作ってくれれば、相当インパクトあると思う、ってそんなこと書いてたって見てない人にはわからないってーの。そうです、だから、見てください、『どんがら山奇譚』。置農の上演は15日(土)14:20からです。レベルアップの置農ミュージカルお見せできますよ、きっと。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くせになる!角野志ん生

2007-08-19 22:03:27 | 演劇

 こまつ座公演『円生と志ん生』。二回目だ。何がなんでも見なくっちゃってわけの2回目じゃあない、こまつ座の皆さんごめんなさい。井上先生、ごめんなさい。フレンドリープラザにかかった芝居はすべて見るってスタンスだから、当然今回も見た。理由はそればかりじゃない。うちの高校生(置農演劇部)に料金安くしてくれたのでね、そりゃ絶対行かなくちゃ、で、全員で見に行ったってこと。いくらにまけてもらった?それは言えません。本当は、特別料金のことだって書いちゃいけないんだけどね。こまつ座さんにしろフレンドリープラザさんにしろ、ほんと地元高校演劇部にはよくして下さってありがとう。きっと、将来の大切なお客様になりますから、なか~い目で見てください。

 さて、2回目だから、飽きた、眠った、なんてことは少しもなかった。知ってる分だけ、照明やら装置やらにきょろきょろ目を走らせることもできたし、ギャグの一つ一つについて、間合いやら表情やらをこまめに観察することができたから、ある意味とっても勉強になった。まっ、舞台や演劇の勉強のためには、二度も三度も見る必要があるってことだろう。

 今回装置で特に気に入ったの、途中でがくんと片側が落ちて斜めになる吊りものと、電飾のアーチだ。中でも電飾アーチだね。別に新しいものじゃない。ブロードウェーなんかじゃよくある奴、ほら、宮本亜門の『アイ ガット マーマン』で使ってたあれですよ。舞台の間口をぐるっと囲んで赤、青、黄色の豆電球が様々に点滅するあれ。あのアーチ見ると、ああ、ミュージカルだよなぁってつくづく感じる。今回もあのアーチを情景に合わせて、時には音楽に合わせて、点滅させて華やかなステージ効果を上げていた。その煌めきのなかだと、おじさん二人の歌と踊りも、なんかとっても洒落た味わいになるから不思議だ。ああ、ぜひ一度、あの仕掛けで舞台を作ってみたいもんだなぁ!

 芝居の中身では、そりゃもう、角野さんの志ん生でしょう。辻萬長さんの円生も頑張ってますよ、頑張って。でもね、根本的に違うんだよね。どうしても、萬長さんは僕の知ってる円生に結びつかないんだ。まっ、僕が知ってるのはもう、名人として芸風も人柄も確立された時期の円生師匠だから、まだ駆け出し時代は、あるいは萬長さん演じる円生風だったのかもしれない。いいや、違う。きっと違うな。駆け出しだろうと、ぺえぺえだろうと、噺家には、噺家の風情ってものがあるんだよ。語り口とか表情とか仕草とかね。どちらの名人も江戸落語の大家だからね、粋ってもんがあるんだ、本物には。いや、あったんだ。志ん生の粋は職人や貧乏長屋の大家の粋で、円生の方は、大店の旦那さんとか吉原の粋って違いあったけど、どっちも、いやー、粋なんだよ。

 その粋が、残念ながら萬長さんにはない。円生のきざったらしさがない。円生のきどりがない。誠実そのもの素朴ありのまま、ってことなんだ萬長さんは。そこいくと、角野さんの志ん生はもう、そのものずばり、江戸の噺家なんだよね。志ん生なんだよ。あのお調子者の軽さといい、面倒ごとからは「受付交代」ってすぐに投げだしちゃういい加減さといい、ああだったんだよ、志ん生って。野暮は嫌だぜ、面倒くせえのはでえきれえだ、って雰囲気、角野さんは見事再現してくれていた。

 でも、これはお二人の演技力とかの差ではないと思う。きっと角野さんには、江戸っ子の血が流れているに違いない・・・って思って、ウィキペディアで調べてみたら、・・・・なんと、広島県議会議員の父と医者の母からの東京生まれの大阪育ちと来た。う~ん、なんとしたことか。まあ、生まれや血の中にあのいなせぶりを見つけることはできなかったけど、でも、きっとあるよ、彼の人生の中にその源泉が。僕はどうしてもそう感じるんだ。ほんと、そのくらい志ん生なんだもの。

 だから、今回も楽しませてもらいました、角野志ん生。もう!あの人のしゃべり、あの人のそぶり、あの人の表情、見ているだけで、嬉しくなってしまう。ああ、こういう人が生きていてほしいんだよ、身近でなくともいいから、居てほしいんだよ。筋なんてどうでもいい、あの調子であることないことしゃべくってくれてたら、それでいい。それが、きっと、噺家ってものの存在感ってものなんだろうね。

 角野志ん生はほんと、くせになる!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食育ミュージカル台本、公開!!

2007-08-16 21:36:59 | 暮らし

 置農食育子どもミュージカル『”いただきます”見つけた!』の台本目当てのアクセスが結構あるみたい。メールで連絡を、ってしてみたけど、そこまではどうも、って人たちなんだろうね。まあ、多くの人に読んでもらえればそれでいいわけだから、ここに公開しちまうことにした。皆さん、読んでみてください。ただし、上演の際は、ひと言お断り御願いしますよ。

置農子どもミュージカル2007

『”いただきま~す”

見つけた!!』

作:河原俊雄

登場人物

    紙芝居屋:ネズミ・・・・・・・・鈴木美登里

    コメ太郎・・・・・・・・・・・・佐藤友里恵

    王子様・・・・・・・・・・・・・高橋千尋

    大臣・・・・・・・・・・・・・・土井槙里子

    ゴキブリ(ゴキブラー)1号・・・杉内郁久美 

  2号・・・梅津聡美

               5号・・・吉田夏奈実

    ハンバーガンマン・・・・・・・・鈴木徹

    スパゲッティーチャー・・・・・・土井槙里子

    カップラーマン・・・・・・・・・清野由佳

    花作り・・・・・・・・・・・・・鈴木徹

    フードマシーン・・・・・・・・・佐藤光樹

    食べ物作り・・・・・・・・・・・佐藤光樹

    豆っ子三兄弟・味噌・・・・・・・杉内郁久美

           豆腐・・・・・・・鈴木成美

           納豆・・・・・・・吉田夏奈実

    家来A・・・・・・・・・・・・・梅津聡美 

      B             清野由佳

      C             鈴木成美

 D             新野真衣奈

    ごちそうマシーン・・・・・・・・新野真衣奈

キャスト

    舞台監督・・・・・・・・・・・・町田真沙美

    副舞監・・・・・・・・・・・・・米野朝美

    照明・・・・・・・・・・・・・・島崎美香

    音響・・・・・・・・・・・・・・町田真沙美

シーン1

          紙芝居屋大きな紙芝居を引っ張って登場する。紙芝居には太鼓が結びつけられている。紙芝居屋、その太鼓を叩きながら、賑やかに、調子よく口上を述べる。

紙芝居屋  さあさ、みなさんお待ちかね、紙芝居屋がやってきたよ。町から町へ村から村へ楽しいお話し届けよう。不思議なお話聞かせよう。さあさ、坊ちゃん、嬢ちゃん寄っといで。紙芝居が始まるよ。坊ちゃん、嬢、あっ、そうか、坊ちゃん、嬢ちゃんてわかんないんだ?昔はね、男の子は坊ちゃんで、女の子は嬢ちゃん。どんな憎たらしい小僧でも、(客席の男の子をいじって)違う違う君のことじゃないからね、男の子ならお坊ちゃん。こましゃくれた生意気娘でも、だから、あんたじゃないから、あっ、怒っちゃった。女の子ならお嬢ちゃん。さあさ、寄っといで。お菓子食べ食べ、見ておくれ。お口もぐもぐ、見ておくれ。今日のお菓子は特別製だ。賞味期限切れのペコちゃんシュークリームなんかじゃないよ。昨日焼いたばかりの、手作りクッキーだ。それも、栄養満点、野菜クッキー!ニンジン、トマトにほうれん草、彩り豊かな野菜クッキー!えっ、野菜、嫌い?ウッソー!じゃあ、みんなに聞いてみよう、ニンジン嫌いな人、ええーっ!どうして?じゃあ、ニンジンクッキーは?ほーら、美味しそうだよ。はい、今、まずそって言ったそこの君、後で、話しあるから、残るように。よーし、よしよし、そっちの、よだれ垂らしてるお坊ちゃん、君には、ただで、クッキー上げちゃおう。

          と、観客の子どもにクッキーをあげる。

紙芝居屋  どう?美味しいだろ?あっ、まだ食べてない?いいんだよ、遠慮しなくって。ゆっくり食べなさい。みんなに見せびらかしながら。見せびらかすと、一層美味しいからね。えっ、君も欲しい?君も、君も。じゃあ、仕方ない!・・金出しな!なに?小遣いないの?そっか、わかるわかる、不景気だからな、父さん、母さん辛いんだよ。よし、そんじゃ、途中でクイズ出すから、それに答えられたら、賞品に上げちゃおう。なに?クイズだめ?なんだよ、金はない、勉強はダメ、ってか。ほんじゃ、そういう人は、最後まで紙芝居見ていきな。寝ないで最後まで見たら、ご褒美上げるから。さーて、今日のお話しは、自分探しのお話しだ。僕って、誰?私って、何んなの?そんな、悩み多き・・太郎って男の子と、王子様のお話だ。さてさて、太郎は首尾良く、自分が誰だか突き止めることができるのかな。ゆっくり見とくれよ。ためになる豆知識もあっからね。あっ、そうそう、おいらも出るんだよ。て、言うか、おいらが仕切らなくちゃ、この話し、どこまですっ飛んでくかわかんないだろ。その点もよろしく!さーさ、紙芝居のはじまり、はじまりー!

          紙芝居屋、絵を一枚抜き取って下手にはける。紙芝居の絵は、空っぽの倉庫の中。上手から、コメ太郎、ころころと転がるように登場する。

シーン2

コメ太郎  何なのさ?だれか僕のこと呼んだ?せっかく寝てたのにさあ。用も無いのに起こすなよな。お休み~。

          ネズミのドブン(紙芝居屋)、慌てて登場。

ドブン   おい、こら、寝るんじゃない。ほら、お話しは始まってんだぞ。

コメ太郎  うん?何だよ、お話しって?

ドブン   もう、忘れたのか?

コメ太郎  だから、何よ?

ドブン   さがしもの。

コメ太郎  何だっけ?

ドブン   まったくもう、お気楽な奴だな。自分探しだろ。

コメ太郎  自分探し?

ドブン   だから、お前はいったい何ものか、どこから来たのか、この先どうなんのか。お前知りたいって言ってたじゃないか。

コメ太郎  そうそう。(急に深刻になって)僕はいったい誰なんだろう。何処で生まれ、どこに行くというのか。

ドブン   急に変わりやがって。

コメ太郎  今までずーっと、考えてたんだけど、

ドブン   ずっーとって、いつ、いつ考えてたって言うんだ?お前、ついさっきまでしっかり寝てたじゃないか。

コメ太郎  あっ、寝てるように見えた?

ドブン   見えたって、寝てたろうが。

コメ太郎  ならば、成功。忍法狸寝入り。

ドブン   いい加減にしろ。もう、遊んでやんねえよ。一人で勝手にさがせ!

コメ太郎  あっ、ごめん。寝てました。きもちよ~く、心地よ~く、すやすや~と、やすらか~に、にこやか~に、

          と、また、寝始める。

ドブン   こら、おい、寝るんじゃない。

コメ太郎  はっ!僕はどうしてこう眠いんだろ。

ドブン   まあな、仕方ねえよ、何十年も寝てたんだから。

コメ太郎  何十年?そんなに?そうだったのか。そうか、そうだよね、仕方ないよ、・・・むにゃむにゃ、

ドブン   ちょっと同情したら、すぐこれだ。いいのか、おまえの任務ってのほっといて。

コメ太郎  はっ、いかん、寝てはいかんのだ!僕には大切な任務があるのだ。重大な使命。それは、僕自身のルーツ、あっ、ルーツってわかる?根っこって意味だからね。つまり、僕の生まれ育ちがどこだかってこと。僕のルーツを見つけないことには寝るに寝られない。

ドブン   わかった。お前の眠いのも、お前の芝居染みてんのも。どっちも、よ~くわかった。で、どうすんだ?俺と一緒に行くのか?ここで、寝てンのか?

コメ太郎  もちろん、行きますよ。自分探しの旅に!(急に深刻になって)僕はいったい誰なんだろう。何処で生まれ、どこに行くというのか。

          コメ太郎とドブンのデュエット(交互に歌ってもよい)

SONG1『自分さがしのブルース』

    ここはどこ    僕はだれ

    ここはどこ    僕はだれ

    だれも知らない  僕の素顔

    何も知らない   みんなのこと

    長い眠りに    過去は埋もれた

    時の流れに    記憶は途絶えた

    教えてよ  伝えてよ  僕のこと

    振り向いてよ  気付いてよ  いるんだから僕

    そこはどこ    あなたはだれ

    そこはどこ    あなたはだれ

    見たこともない  この景色

    聞いたこともない 話しばかり

    目覚めれば    一人寂しく

    見回せば     さらに悲しく

    教えてよ  伝えてよ  僕のこと

    振り向いて  気付いて  いるんだから僕 -->

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏イベントから地域を考える。

2007-08-15 22:26:20 | 地域文化

 今日は高畠町の『青竹ちょうとん祭り』。その昼の部『ストリートパフォーマンスINたかはた”真夏と雪の祭典”』てのに招かれた。もちろん、チンドン屋さんだよ。まずは、チンドンパフォーマンスの反省。

 う~ん、相変わらず失敗だらけ、本番に弱いんだよなぁ、なんて言ってられないけど。まっ、僕のへまは置いといて、菜の花座チンドン屋としては、一歩前進ってとこかな。まず、メンバーが集まった。総勢8人!こうこなくっちゃ。やっぱり下手は頭数でカバーだよ。それに、若い子たちは、この暑さ(36℃しかも灼熱のストリートだ!)をものともせず、和服で勝負だったからね。ご苦労!ご苦労!!

 それと、口上と途中MCの台本作ったこと。昨日渡して今日だから、も一つこなれてなかったのは仕方ないけど、これからも、今回のように大筋決めてきっちり取り組むって仕方が大切だと思う。そのうち、上手にアドリブで客あしらいできるようになんでしょう。

 あと、我らの音楽的バックボーン・ユキエちゃんのアコーディオンが無かったのに、なんとかかんとかこなせた?あれで?ってのも、小さな一歩かな。お客さんには悪いけど、一回一回、経験を積ませてもらって上手くなっていくしかないよ。もちろん、日頃の稽古も欠かさないけどね

 さて、今回は高畠町、僕の住む町だ。で、僕たち菜の花座は川西が本拠地。二つの町は隣町で、人口規模もほぼ同じ、どうしたって、比べてしまうよな。で、勝敗を言うなら、これはもう、だれがどう見ても、高畠の圧勝。だって、川西じゃ夏の花笠踊りだって数年前から途絶えたままだもの。同じような昼のイベントも5年ほど前、一度町のよさこいグループが中心になってやってみたことがあったけど、これはもう、悲惨のひと言だった。出演者は、よさこいグループ、アマチュアバンド、ダンスグループ、それに置農演劇部。たしかに出演者は少ない。でもね、観客が置農演劇部以外数名!ってそりゃないよ。町の人ら、だれも来ないんだぜ。いやあ、冷たいねぇ!町のど真ん中、役場前でやっていてだよ。中心になって必死で駆け回ったスズキ君たちの顔を見ることも出来なかった。

 まあ、金がなくてプロを呼べなかったってことも、確かに大きいけど、そういう、プログラムや運営方法の問題じゃないと思う。高畠の場合、まだまだ、イベントとして人気が確立したってほどではないし、一方で取っておいた雪積み上げてスノーボードをさせたり、その横で、各種ジャンルの音楽やってるってのも、も一つ、まとまりにかけるかな、なんとも感じる。だけど、まずは、観客も数百人集まったし、盛り上がりも相当にあったからね。しかも、結構、集まってきた層も若いしね。それと、何より、スタッフがしっかり動いていたよ。イベントの主力、高畠青年会議所ここにあり!って感じだった。

 ここが大きな違いなんだと思う。片や、みんなが集まってきて盛りあげる高畠と、若い人の試みを見殺しにする川西と。ここが勝負の分かれ目だよね。フレンドリープラザっていう凄い装置がありながら、今ひとつこれを生かし切れない現実。ここが川西の問題なんだと思う。

 この違いはいったいなんなんだろう。町の勢いってもんなのか?新幹線通る町とローカル線の違いなのか?はたまた、米作単作地帯(川西)と果樹複合経営(高畠)の違いか?何もデータの無いところでは、判断するのは止めておこう。

 ただ、望むことは、つい隣り町なんだから、せいぜい見に来て、負けてられないよ、って気概をもって欲しいってことだ。でも、誰も来ちゃいないんだよ、川西の衆。結局、ここが勝負の別れ目なのかも知れないね。

 頑張れ川西!チャッチャッチャ!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする