1990~92年に北京体育学院(現大学)に留学した。前回(1985~87年)厦門に語学留学していた私は、北京に来た当初、なんて色のない所(都市)なんだろうと思った。厦門には青い海と緑の山、そしてオレンジ色(洋館の屋根)があったが、北京の冬はその気候もあって鉛のような灰色だった。
そんな北京でも春になると桜が咲いた。「玉渊潭公園」の桜である。中国人の女性が連れて行ってくれた(紫竹院公園、円明園なども彼女と行った)。このことは当時誰にも言わなかったので、誰も知らなかったはずだ。あの日、桜の木の下で何の話をしたのだろうか・・・思い出せない。
いつだったか、彼女の自転車の後ろに乗ったときに、サラッと長い髪が流れてきて、それが心地よかったことを今、思い出した。あのまま自転車に乗り続けていたらどうなっていただろう・・・25年も前の春のことである。
そんな北京でも春になると桜が咲いた。「玉渊潭公園」の桜である。中国人の女性が連れて行ってくれた(紫竹院公園、円明園なども彼女と行った)。このことは当時誰にも言わなかったので、誰も知らなかったはずだ。あの日、桜の木の下で何の話をしたのだろうか・・・思い出せない。
いつだったか、彼女の自転車の後ろに乗ったときに、サラッと長い髪が流れてきて、それが心地よかったことを今、思い出した。あのまま自転車に乗り続けていたらどうなっていただろう・・・25年も前の春のことである。