「仏造って魂入れず」という言葉があるが、円空の作品には魂が入っている。現代の仏師が外見的には瓜二つの円空仏を彫ったとしても、、円空のそれにはならない。形だけを真似てみても、魂が入っていなければ軽い。
太極拳も良く似ている。教科書通りの姿勢を作ることは、少しやればできるようになる。しかし姿勢(形)だけでは足りないものがある。
魂は抽象的ではあるが、具現もできる。円空は仏道の修行を通して、優れた身体感覚を身に付けたのではなかろうか。人が感情によって微妙に変わる姿勢や表情などの違いを見分けられたのではなかろうか。それを忠実に木の上に再現したので、どこまでも慈悲深い表情や、どっしりと包容力のある姿勢を創りだせたのではないか。