「心の持ちよう」によって物事が以前とは違って観えたり、嫌なことが嫌でなくなったりすることがある。しかし、長年染みついている「考え方の癖」を変えることは難しい。
私は「立つ」練習を通して、「考え方が自然に変わる」ことを実感している。無理して変えるのではなく、身心を整えた結果、変わっているという感じである。
「立つ」練習の特徴は意識(イメージ)を使うことである。イメージをするということは、従来の意識を残したままそれに付け足すことではなく、従来の意識の上に、かぶせることである。いわば「上書き」である。「上書き」すれば、前の意識はなくなる。少なくとも意識の表層には上がって来ない。
「身心一如」の鉄則により、意識が変わればからだが変わる。からだが変われば、ココロ(意識)が変わる。からだの変化に伴うイメージが次々と現れ、ココロとからだは互いに影響し合いながら自然体(ニュートラル)に近づいていく。
自然体(ニュートラル)は、単に力が抜けてリラックスしている状態ではなく、物事をありのままに(相対的でなくひとつに)観ることのできる状態である。完全にそれを実現することは難しいが、多少なりともそこに近づくことはできる。そうなれば「心の持ちよう」を変えようと努力しなくても、自分らしい、偏りのない状態になれるのである。
私は「立つ」練習を通して、「考え方が自然に変わる」ことを実感している。無理して変えるのではなく、身心を整えた結果、変わっているという感じである。
「立つ」練習の特徴は意識(イメージ)を使うことである。イメージをするということは、従来の意識を残したままそれに付け足すことではなく、従来の意識の上に、かぶせることである。いわば「上書き」である。「上書き」すれば、前の意識はなくなる。少なくとも意識の表層には上がって来ない。
「身心一如」の鉄則により、意識が変わればからだが変わる。からだが変われば、ココロ(意識)が変わる。からだの変化に伴うイメージが次々と現れ、ココロとからだは互いに影響し合いながら自然体(ニュートラル)に近づいていく。
自然体(ニュートラル)は、単に力が抜けてリラックスしている状態ではなく、物事をありのままに(相対的でなくひとつに)観ることのできる状態である。完全にそれを実現することは難しいが、多少なりともそこに近づくことはできる。そうなれば「心の持ちよう」を変えようと努力しなくても、自分らしい、偏りのない状態になれるのである。