ジャニス・ジョップリンの「ミー・アンド・ボビー・マギー」は、歌詞を読めば、情景が目に浮かんでくる。列車でニューオリンズに向かう旅の途中、
「アタシは汚れた赤いバンダナに包んだハーモニカを取り出し ボビーの歌うブルースに合わせて そっと奏いたわ」
「自由ってことは 失う物が何もないってことね 自由でなけれゃ なんにも なんにも意味はないわ」
「物」は物質的なものだけではなく、すべてに固執していないということ。しかしこの時点では、「彼」も失う対象であるということを自覚してはいない。
「彼がブルースを歌えば いい気分になるのは簡単だった いい気分になるだけで アタシにはもう何も言うことはなかったわ」
自由は長くは続かない。自由を歌うことは、他者の自由を認めることでもある(たとえ自分にとっては悲しくても)。
「ある日サリーナ近くで 彼と別れたの 彼は生まれ故郷を探していたのよ うまく見つかったのならいいけれど・・・」
「生まれ故郷」は、「自分が本当にやりたいこと」。彼女はそれ(彼の自由)を喜ぶ自分でいたかった。
「でもアタシは思い出の内のたった一日のために 未来のすべてを売り払ってもいいわ ボビーの体に ぴったり寄り添うためになら・・・」
こんな台詞、なかなか吐けたものではない。よくある「死ぬほど愛している」という言葉よりも、こちらの方が本気度が高い。一緒に暮らしてくれなどと懇願しているのではなく、「たった一日」で良いと言っているのだ。「彼の自由(故郷)」を邪魔するつもりはなく、ただ「その一日」を、彼女にとっての永遠にするために・・・。
過去に囚われているなどと軽々しく言ってはならない。彼女は、彼(過去)と誰か(未来)を比べるような時間軸では生きてはいない。彼女の中には今でも彼がいるのだから、過去ではなく現在なのである。
彼女のことを「後ろ向き」だと咎めることのできる人がいるとすれば、年老いて尚、次なる恋を最上だと思える感覚のある人だろう。
昔、弾き語りで使ったジャニスの歌集。