岩崎宏美がこの歌を唄う時、「聖母(マドンナ)」に見えてしまうのは、私だけではあるまい。
「さあ眠りなさい 疲れきった体を投げだして」と言えるのは、母だからではなく、母性である。歳を取っても特に男は、子供の頃の記憶がある限り、それを求めることがある。
「この都会(まち)は戦場だから 男はみんな 傷を負った戦士」
聖母は「どうぞ 心の痛みをぬぐって・・・」と言う
「恋ならば いつかは消える
けれども もっと深い愛があるの」
この女性は、始めから聖母だったわけではあるまい。信仰や思想によってそうなったのではなく、「恋」を「愛」に昇華させたのだ。それは簡単なことではない。恋は所有することを求め、触れることを求めるが、愛は見返りを求めない。ただ一方通行の「想い」だけが通り抜けるだけで、何の「形」も残さない。
「ある日あなたが 背中を向けても
いつも私は あなたを遠くで 見つめている 聖母」
聖母は一人では存在しない。温かい眼差しを感じ取れる人がいて初めて存在する。巷にあふれる、お金を介在させた安っぽい「癒し」とは、次元が違うのである。