「鳩尾(みぞおち)」を弛めると、全身の力が抜けていく。ほとんど自覚できないほど力が抜けると、大袈裟なたとえだが「透明人間」になったような感じがする。意識はあるが肉体を感じない。そういう状態になると、普段の状態と比べて雑念が減り、欲が出て来なくなる。雑念や欲はからだの状態(力が抜ける)と関係があるのである。
私たちは、欲を減らしたいと思ったり、穏やかに生きたいと願うが、意識だけを対象にして改革しようとしても無理がある。意識はからだとつながっているから、からだも整える必要がある。からだが変われば意識も変わるのである。
からだが整うと、力が抜けるだけでなく、整った現状に「満足」する。「満足」すれば、「それ以上のもの」を求めないから、欲が減るのは当然である。からだに対する満足は自己の肯定につながっていく。自分を肯定することは、意識的にできることではない。他人の評価や数字(成績)に依るものではなく、自然に裡から湧いて来る思いに肯定されるのである。
私たちは、欲を減らしたいと思ったり、穏やかに生きたいと願うが、意識だけを対象にして改革しようとしても無理がある。意識はからだとつながっているから、からだも整える必要がある。からだが変われば意識も変わるのである。
からだが整うと、力が抜けるだけでなく、整った現状に「満足」する。「満足」すれば、「それ以上のもの」を求めないから、欲が減るのは当然である。からだに対する満足は自己の肯定につながっていく。自分を肯定することは、意識的にできることではない。他人の評価や数字(成績)に依るものではなく、自然に裡から湧いて来る思いに肯定されるのである。