厦門大学に留学していた時、ある人から、中村雅俊のテープを頂いた。
この中に入っていた「君の国」・「君の中のモナリザ」・「さらば涙~風の彼方に」などを気に入って、良くギターで弾き語りをした。
「白い寫真館」が好きだと言っていたその人は、今、何処で、何をしているのだろうか・・・
「俺たちの祭」は、「俺たちの旅」や「ただお前がいい」と同じく作詞は小椋佳。
「君の手をとり 心の海に 白い小舟を浮かべる」
「小舟」は自分の分身である。どうしようもなく小さくて非力な小舟は、大海原を自分では進んで行くことができないが
「愛の帆をはり 月のさやかに 風のそよぎに漂えば」
「いつか二人は 見知らぬ遠い島へ」行くことができるのではないか、という「夢」を見る。
「君の手をとり 別れをつげるつらさ・・・」
「別れをつげるつらさ」は相手を傷つけ悲しませる「つらさ」だけでなく、傷つけた人間が「自分」であるという事実から逃れられない「つらさ」でもある。
「まっすぐに俺を見る君」の視線を受け止めることのできる力など、別れをつげた人間の何処に有り得ようか。
「遠い島では 別れのない愛が あるそうな」
「別れのない愛」があるのなら、その「愛」は好き嫌いなどを超越したもっと大きな「愛」である。別れもないかわりに、出会いもまたない。
そんな「迷いもまどいも 消え果てる 光りの地」である「遠い島まで 君をつれて行きたいよ」
他に好きな人ができたのではない
ただ、愛が冷めていくのだ・・・
君を傷つけたくない
自分も傷つけたくない
現実の世界でそれを実現できないのだから、「遠い島」というユートピアを設定するしかなかった。そこは絶対の「愛」に包まれた世界である。相対することがないのだから、彼女を傷つけることもなく、自分も傷つくことはない。しかし「絶対愛の世界」では、将来二人の間に愛が芽生えることはなく、愛し合ったという証である過去も全て、失われるのだ。
ユートピアが無いと知っているから観た夢なのか、それとも在れば本気で行くつもりでいたのか・・・
テープをくれた、信仰心の篤いその人ならば、迷わないかも知れない・・・