桂川の支流・某沢で山女魚を2匹釣った。餌は山で捕まえたミミズ。本流ではなかなか釣れないので、こうして時々「沢釣」に来る。
4年くらい沢釣をしているが、上手くなったという実感はない。1匹も釣れないことは良くあるし、雨が降り、条件が良ければ釣れるというのは、以前から変わらない。多少変わったことは、(水苔などで滑って)転ばなくなった。釣り糸を木の枝などに引っ掛ける回数が減った。現場に忘れ物(タモ[網]・餌箱・・・)をしなくなった。それから無理な遡行(危ない滝を横から登ったり)をしなくなった。ということだろうか。
今年はあと何回釣りに行くだろうか。以前は毎週行ったが、最近は気分が乗らない時にはやめている。
今日、一匹も釣れなかったからなのか、北京での釣りを想い出した。
1992年頃、北京に留学中の私は自転車で10分程の「円明園(清の時代、西太后が離宮としていたところ)」で釣りをした。「福海」という大きな池で、糸を垂らしてみるが全く釣れない。そろそろ帰ろうかと思っていたら、近くにいた釣り人(中国人のおじさん)が見かねた?のか、「これでやってごらん」と言って自分の餌をくれた。その餌は、赤虫を大きくしたような感じ(ミミズよりは小さい)で、乾燥していてツルツル・ピカピカしていた。こんなもんで釣れるのか、半信半疑だったが、やってみると直ぐ釣れた。私のココロは踊り、おじさんに礼を言った。その魚は、鮒に似ていたが、日本の物よりは細身だった。
「福海」の池のほとりには、西太后がそれを眺めるための特別な場所があった。その跡が残っていたはずだが、どんな様子だったか思い出せない。遠くに見える山と、池の水のバランスが「絶妙」な、そんな場所だった。西太后は大きな椅子に腰掛け、「福海」を眺めながら何を思っていたのだろうか。権力を欲すれば、水の中は観えないだろう。私が釣ったのは当時から自由に泳ぎ廻っていた魚の子孫かも知れない。
桂川の本流で竿を出してみる(今季3度目・朝2時間ほど)が、魚の気配が無い。餌も川虫・みみず・ぶどう虫と変えてみるが、全く反応が無い。私の技術が拙いだけなのか。それとも水温が低すぎて活性していないのか、或いはそのポイントに魚がいないのか(去年の台風で渓相が変わり、山女魚が移動してしまったのか)。
あまり釣れないのも面白くないので、支流に行ってみた。しかしこちらも反応が鈍い。2回バラシテ、3度目に釣れたのがこの綺麗な山女魚。
帰宅後は、渓流シューズや竿の手入れをして、シャワーを浴びる。そして
至福の時である。ぼんやりと今日の釣行を振り返る(あまり反省はしない)。釣れた時の感触を想いだしながらビールを飲む。
ビール杯は信楽焼で、弥延潤太先生(小学生のときの担任の先生)の作品。ルックスもシブイが手に持ち易く(ピッタリ来る)、飲み口が広くなっているので、一気に大量のビールを流し込むのに適している。すごいのは、泡がクリーミー(繊細で柔らかい泡)になるのである(写真をクリックして大きな写真で観るとお分かりになるのでは)。