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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「心の持ちよう」が自然に変わる

2020-07-18 06:34:44 | 「立つ」健康法
 「心の持ちよう」によって物事が以前とは違って観えたり、嫌なことが嫌でなくなったりすることがある。しかし、長年染みついている「考え方の癖」を変えることは難しい。
 私は「立つ」練習を通して、「考え方が自然に変わる」ことを実感している。無理して変えるのではなく、身心を整えた結果、変わっているという感じである。

「立つ」練習の特徴は意識(イメージ)を使うことである。イメージをするということは、従来の意識を残したままそれに付け足すことではなく、従来の意識の上に、かぶせることである。いわば「上書き」である。「上書き」すれば、前の意識はなくなる。少なくとも意識の表層には上がって来ない。
 
「身心一如」の鉄則により、意識が変わればからだが変わる。からだが変われば、ココロ(意識)が変わる。からだの変化に伴うイメージが次々と現れ、ココロとからだは互いに影響し合いながら自然体(ニュートラル)に近づいていく。
 
 自然体(ニュートラル)は、単に力が抜けてリラックスしている状態ではなく、物事をありのままに(相対的でなくひとつに)観ることのできる状態である。完全にそれを実現することは難しいが、多少なりともそこに近づくことはできる。そうなれば「心の持ちよう」を変えようと努力しなくても、自分らしい、偏りのない状態になれるのである。

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新しい快感

2020-07-10 07:49:37 | 「立つ」健康法
 一昨日の教室が終わったとき、生徒の一人から「とても気持よくなりました」と言われた。また「その気持よさは普段のものとは違う感じです」と。この言葉は、まさに私が伝えたいことを現わしている。
 「立つ」練習で得られる快感は、日常のものとは違う。日常にある快感は、主に五感を楽しませる物質的なものである。たとえば美味しい物を食べる、温泉や風呂に入る、いい香りをかぐ、よい景色を眺めたり、芸術を味わう、好きな人に触れる…。対して「立つ」ことの快感は、余分な力が抜けるという物理的な快もあるが、意識(気分・ココロ)が変わった(整った)ことによるものだ。
 「意識が変わる(整う)」とはどういうことか。それは単にリラックスしたり、落ち着くことではなく、普段の意識(脳)の使い方とは違う「もう一つのモード」になることである。普段は物事を分け、相対的に観ているのに対して、「もう一つのモード」は世の中を(たとえ完全にはできなくても)一つに観ようとするモードである。このモードが現れると、普段は感じることのない初めての快感が湧いてくる。
 
 上述したように人には二つの物の観方(意識の使い方)があり、どちらか一方ではなく、両方を同時に実現することが理想である。しかし日常生活でいきなり実践するのは難しい。そこで「立つ」練習に於いて、それを目指しているのである。

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自分に合う健康法

2020-07-04 08:19:58 | 「立つ」健康法
 野口晴哉氏はある著作の中で、外国人に「君は幾つ健康法をつくったのかね」と問われ、自分がつくった(健康法)は「オンリーワンだ」と答えている。これは活元運動一つが、全ての人の健康法に成り得るということである。活元運動は決まった型がなく、自分の裡から自然に湧いてくる欲求にのって動くものだから、現れる形は皆違う。一つのものが万人に合うことがあっても、万人にそれぞれ合うものを作ることはできないのである。
 私のつくった「立つ」健康法も、万人とは言わないが、いろいろなタイプの人にも合うものだと考えている。なぜなら能力によるものではないから、誰でもできるということ。それから練習中に行なうイメージなども、自分に合うようにアレンジすることもできるからである。
 現在世の中には多くの健康法がある。気功、太極拳、体操、ヨガ、呼吸法…どれがよいというよりは、自分に合うやり方で行うことが大事である。人はそれぞれ異なるからだと感受性をもっているから、画一的な方法に合わせるのは、自分に合う健康法とはいえない。料理において、レシピを参考に自分好みにアレンジした方がよいように、健康法においても自分が主になり、合うものを探していく、或いは合うものに作り変えていく姿勢が大事なのである。

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よい「立ち方」を観るのは嬉しい

2020-06-27 08:49:25 | 「立つ」健康法
 教室などで「立つ」練習をして、誰かが良い「立ち方」になると、私も嬉しくなる。その喜びは、愉気法のように掌を当てたり、整体をして変わったときよりも遥かに大きい。愉気法や整体を受けた人は、「してもらった」という意識になりがちで、それでは自分のからだを信じられず、「頼る」気持が抜けない。
 一方「立つ」は、自分の力に拠ってからだを変えていることを自覚できる。自分でからだをコントロールしている(整えている)自覚があることは、からだに対する自信にもなるだろう。
 からだの各処はその機能を十全に働かせているが、主宰者である自分が何もしないでいいわけではない。「立つ」ことを通して自分(意識)と、からだの距離を近づける。その一体感が静かに表情やからだに現れる。本人だけでなく、それを観ている人もまた嬉しくなるのである。

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久しぶりの腰痛に「立つ」を試す

2020-06-11 15:52:45 | 「立つ」健康法
 昨日、久しぶりに腰に痛みを感じた。原因はからだの使い方の問題ではなくて、一週間ほど前の「がっかり」したこと。「がっかり」といっても趣味でのことだから、傍から見れば何てことのないことだろう。
 「がっかり」すると力が抜ける(野口晴哉氏ならば、「がっかりして力が抜けないのなら、それは本当にがっかりしたのではない」というかも知れない)。そういう状態の時にからだを動かそうとすると、余分な力を加えてしまい、バランスを崩す。日々の「立つ」練習で整えてきたが、昨日何らかのきっかけで痛みが生じた。先日の「がっかり」が「痛み」になって表れたのである。真っ直ぐに立つだけでも痛いから自然と「猫背」になる。
 そこで私の取るべき方法は、やはりキチンと「立つ」こと。みぞおちを弛めるだけで、からだは猫背から起き上がってくる。全身の力が弛み、揃ってくるからである。まるでゴムボールの中の空気が、偏りなく分散されている感じである。痛みや違和感は半減した。たったこれだけのことに感動する。
 今朝起きると、昨日ほどではないが痛む。そこでみぞおちを弛めるとバランスが回復する。何度か繰り返すと「よいバランスの状態」が基準になってきて、そう崩れなくなった。多少痛みがあっても、うろたえずにふつうに生活ができればいいのである。
 

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