goo blog サービス終了のお知らせ 

気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

「答え」を探す前に

2021-02-21 07:39:38 | 「立つ」健康法
 悩みがあったり辛いとき、私たちはすぐにそれを解決する「答え」を探そうとする。しかし「答え」を探すことよりも先にすることがあるのではなかろうか。
 スポーツ選手が一番悔やむのは失敗したときでなく、自分の力を発揮できなかったときである。持てる力を出せたなら、たとえ結果がともわなくても後悔はしないものだ。子供の頃のアニメのヒーローたちはどんな逆境に立たされても、自分らしさを失わなかった。スポーツやアニメのヒーローたちが試練に耐えているとき、それは「不幸」なのだろうか。境遇によって幸不幸が決まるのではなく、自分らしさの有無でそれは決まる。
 「自分らしさ」とは身心のニュートラルな状態である。ココロだけでなくからだもまた自分らしくある必要がある。私はそれを作るために「立つ」練習をしている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「理想の立ち方を身につける会」 2021年2月 予定

2021-02-12 11:04:41 | 「立つ」健康法
 23歳のときに北京で太極拳に出会い、荘子や老子の思想に触れ、気功を始めた。再度留学して動気功や陳式太極拳を学んだ。日本では野口整体や禅を学んだ。当時ははっきりとはわからなかったが、これらに興味を持ったのは、単に面白さがあるということではなく、身心の解放という目的があったからである。換言すれば私自身の健康を求めたということである。最初の北京留学から30年経って、私が自分を整える方法は一つだけ、「キチンと立つ」ことだけである。
 
 スポーツや芸事をするときに力が抜けない人は多い。そういう人にもこの「立つ」練習は役に立つかも知れない。全ての基本のその前には「キチンと立つ」ことがある。或いは人生に迷い、生きる気力を失っている人は、騙されたと思って一度「立って」みるといい。からだが変わることで、気分が知らず知らずのうちに前向きになることは往々にしてある。

 「理想の立ち方を身につける会」を2月14日(日曜日)に開きます。関心のある方は是非ご参加ください。詳細はホームページをご覧ください。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分に飽きることはない

2021-02-05 11:17:51 | 「立つ」健康法
 
 ひとつの言葉を探している
 自分を表現し 解放する言葉
 
 外から与えられることがある
 本や対話中の誰かから

 自分の中から突如現れることがある
 知らないことを自分が書き出す 

 私は知識を詰め込んだ箱ではない
 新しい自分を次々と発明する友達だ
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知識・技術の前

2021-01-29 10:45:44 | 「立つ」健康法
 臨済が「仏は私の話を聴いているお前だ」と言ったのは、自分以外に頼るべきものを無くすためである。たとえ仏であっても頼っていてはいつまでたっても自立できない。臨済は弟子に、地位の上下や能力の優劣がなく全てが平等に並んでいる世界を、そのままに観させようとしたのである。同様に野口晴哉も、自分自身の力でからだを整えられることを説いた。臨済も野口も、自分だけでできないことがあることを承知の上でそのように発言したのは、自身を信じて生きていくことが何より大事なことだということをわかっていたからである。たとえ能力が劣ろうとも、現在持てる力の全てでやろうとするところに初めて生きていく力が湧き、その人らしさが現れるのである。言うまでもなく知識や技術の習得は二の次である。学ぶ姿勢が転倒していては、本当のものが実ることはない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アタマから気へ

2021-01-23 09:06:49 | 「立つ」健康法
 「立つ」練習をするとき、アタマのモードを変える。物事を相対的に見るモードから、一つに見る「気」のモードへ。「気」というのは仮の名で、全てを一つにするものならば神でも道(タオ)でも自然でも何でもよい。この価値・基準の転換は、好みの変化などという小さな物ではなく、180°の大転換である。
 万物を一つに見ることが難しいのは、アタマは何でもすぐに分けてしまうからだ。そこで「気」である。「気」は全てに浸透し、分けることができない性質を持つ。言葉や五感を超えたところにあるのが「気」だ。試しに言葉(知識・科学)を使わずに物を分けてみればいい。分けることができないことに気がつくだろう。それはそのまま全てのものに共通するものとしての「気」を認めることになる。この「全てのものに共通するもの」があるという認識が、からだに大きな変化をもたらすのである。何故なら私たちは日常を、物がバラバラに分かれている世界だと思い込んでいるからである。
 問題は、如何にして「アタマ」モードから「気」モードへ転換するかということ。それは一朝一夕にはできないが、キチンと立つことから始まる。その後全身で呼吸をしている感じを得て、からだの質的均衡をつくる・・・と続けていけば、完全に「気」のモードにならなくても、からだの変化に気がつくようになる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする