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気を感じながら暮らす

からだや自然について思うことなどを気ままに

友は自転車に乗ってやって来た

2012-12-06 11:37:38 | 中国

 14年ぶりに友と再会した。

 14年ほど前に、ちょっとしたことで彼とケンカのようになり、長い間、連絡は途絶えていた。彼も私も頑固でねじれている(野口整体でいう「ねじれ体癖」・勝負にこだわり、譲らない)ので、これだけ時間がかかったのかも知れない。

 二週間ほど前に、彼から突然手紙が届いた。なんでもインターネットで何かを検索(私を探していたのではなく)していたら、たまたま私のホームページにぶつかったので、連絡をくれたという。

 待ち合わせの店で、私は入口に背を向けて座っていた。髪の薄くなった私を直ぐに見付けてくれたのは、やはり少し髪の白くなったLちゃんだった。変わらないものが観えるのが友なのかも知れない。澄んだ眼と歩くと猫背になる姿勢、、そしてクダラナイことを話すときのニヤケた顔は、26年前、出会った頃と変わらない。

 

 彼とは1987年に、1ヶ月ほど中国各地(敦煌・成都・昆明・・・)を一緒に旅をした、いわば同志である。今後気が向いた時に、その旅の様子を紹介するつもりだ(写真は敦煌。Lちゃんの写真を掲載すること、本人快く承諾)。

L

 


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門番Yさん

2012-07-01 17:38:29 | 中国

 中国の大学には、出入りする門が幾つかあり、各門には門番(守衛)がいる。私は留学していた北京体育大学(前北京体育学院)の門番のYさんと挨拶を交わすようになった。門番の中では高齢のYさんは、私がそこを通ると、いつも何かしら話掛けてくる。「Baishi(白石)~どこに行くんだ?」「Baishi(白石)~何を買ってきたんだ?」私もそれに気さくに応じる。「グランドに走りに行くのですよ」「リンゴを4つ買ってきたのですよ」といった具合に。

 そんなYさんとある日、偶然大学の外で会った。彼も私も自転車で出かけた帰り道だった。彼は日に焼けた人懐っこい顔で言った。

「中国で一番有名な人は誰だか知っているか?」

「毛沢東主席でしょ?」

「Liu xiao qing だ」

私はすぐにはわからず、中国語名の似ている人と勘違いした。

「ああ 劉少奇(Liu shao qi 元国家主席)ですか?」

「違う違う、Liu xiao qing だ」

私はようやく「劉暁慶」だということに気がついた。名作「芙蓉鎮」の女優である。確かに演技も素晴らしく、綺麗な人だというのは私も同意する。しかし一番というのはちょっと・・・Yさんの好みなんだろう。

 

 「無可奈何 花落地~(どうしようもないことさ、花が落ちてしまうことは)」という言葉は授業ではなく、Yさんに教わった。京劇風のイントネーションで歌うようにそれを発音してみせた。

 私は帰国するときに、釣り竿を差し上げたが、劉暁慶のポスターの方が良かったのではないかと思っている。


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青唐辛子

2011-10-06 17:45:38 | 中国

 唐辛子は調味料として使われることが多いが、知人である中国人のZさんが作ってくれた「唐辛子炒め」は、青唐辛子そのものを味わう。その料理は、青唐辛子と豆腐を赤唐辛子で一緒に炒めたようなもので、白いはずの豆腐が真っ赤になり、それをヒィーヒィー言いながら食べた。圧倒的な辛さの中に、微かに美味いと思える味が隠れている。

 Zさんの故郷の湖南省の料理は、四川料理に負けず劣らず辛いのである。

 写真はうちで採れた赤いシシトウ。

Photo


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友と「香山」に行く

2011-09-29 17:31:49 | 中国

 北京に留学していた頃、中国人のY君が時々遊びに来た。彼はいつも、うつむき加減でボソボソと話をした。私の知る中国人の中で、一番声が小さい。中国語の教師をしていたが、上手く行かなかったようだ。

 「彼の書は素晴らしい」と、彼を知る中国人から聞いた(中国人同士はあまり褒め合わないので、確かな情報だといえる)。彼にそのことを言うと、「書がかけても何にもならない」と言った。それは、恐らく「書がかけても良い仕事が見つかるわけではない」という意味だろう。

 ある日、彼が「香山」に行こうと言った。「香山」は北京の郊外にある低い山で、紅葉の名所である。私の居た北京体育学院(現北京体育大学)から、自転車で1時間くらいかかる。香山に着くと、Y君はどんどんと前を歩いた。いつもの前かがみの姿勢では無い。腰が伸び、堂々と前を見据えて、歩いている。黙々と景色も観ずに進んで行く。私も遅れないように彼の背中に付いて行く。一心不乱に歩くことで、何かを吹っ切ろうとしているのか。いつの間にか彼は、歌を唄い出した。大きな声で。こんな大きな声が出せるとは、驚いた。彼の歌声は山の中へ、気持ち良く響いていた。

 「そろそろ帰ろうよ」と言わなければ、彼はもっと前に進んでいたに違いない。終わりを予感させない足取りと、歌声だった。Y君の背が伸びたのも、歌を聴いたのもその時だけで、翌日には再び元の彼に戻った。あの時、もう少し彼に付き合えれば良かったと、いま思っている。


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北京の冬空の下で

2011-02-17 16:34:58 | 中国

098 ピンボケで恐縮です。

 北京体育学院(現大学)正門近くのベンチに私は座っている。

 前日私は一通の手紙を受け取った。差出人は Miss Yuan 。見知らぬ人である。開封すると中国語で大体こう書かれていた。

 「私は先日のパーティーに参加していた中国人女性です。一度お会いしてお話がしたいと思っています。つきましては、12月〇日〇時に北京体育学院・毛沢東像近くのベンチで待ち合わせしましょう。」

 確かに先日、パーティーがあった。。参加者が多くて(外国人・中国人あわせて60人くらいはいただろう)、とても全員とは話もできず、顔も憶えていない。

 顔は憶えていないが悪くない話である。翌朝早く目が覚めた私は、部屋の掃除をしたりした(こういうところはマメな男である)。

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 寮で隣に住んでいるTomとHiroが近くを通りがかったので手を挙げて挨拶をした。

 しばらくすると、中国人女性が現れた(なかなかカワイイ)!そして「ニイハオ・・・」

このとき、突然先ほどのTomとHiroが草むらの陰から飛び出して来た。そして謝りながら「実は・・・」

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 そう、私は見事に引っかかったのだ。この二人にまんまとしてやられたのだ。しかしこの二人、やることが細かい。手紙は中国の女性に書いてもらい、別の女性(カワイイ娘を探したらしい)に当日待ち合わせ場所に来てもらうように頼んでいた。

 今気が付いたことだが、Yuan という名前も「猿(中国語ではYuanと発音する)」から採ったのではないだろうか。猿のことを中国語では「猴子」というが「猴」には「いたずら」という意味もある。

 Tomが写真の裏に書いてくれたメッセージも参考のために載せることにする。

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 1990年の出来事だ。


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