[危急の夜]
同じ権兵衛酒屋から出発した長谷川平蔵と密偵の五郎蔵が、
別の場所で襲われる。
1章
頷きあった浪人4人が刀を構え、平蔵が乗っている駕籠へ襲いかかろうとした。
そのとき、「人がいるぞ。斬り合いだ!!」と、武家屋敷の土塀の潜戸から出て来た男2人が、大声で叫んで逃げた。
浪人どもが、中間たちの声に気をとられたのは当然だ。
平蔵は、この一瞬を見逃さず、座ったままの自分の躰を駕籠から投げ出すように転げ出て、大刀を抜きはらった。 たちまちに浪人どもに傷を負わせた。
刺客3人は傷を追いながら逃げて、1人は傷が深くしばらくして死んだ。
平蔵は、辻番の手を借りて、死んだ刺客を役宅に運び、人相を描くように指示した。
2章
曲者どもは、かの権兵衛酒屋の亭主夫婦を襲い、盗賊改方の長官〔かしら〕の一命を奪おうとした。これは何を意味するのか?
与力・佐嶋は、この際、お浜を厳しく糾明いたさねばと、帰宅した平蔵へ進言すると、平蔵は、もう少し傷が治るまで待てと言う。
―中略―
翌朝、平蔵が洗面を済ませて居間へ入ったところへ、密偵の五郎蔵が、笠屋の勘造が殺害されたことを急報した。
朝早く、同心・木村と五郎蔵が、同心・沢田小平次と密偵・仁三郎の組と権兵衛酒屋の留守番の交替をして、外へ出た。 数歩も歩かないところで、木村と五郎蔵の耳に勘造殺害の情報が入ったので、木村が勘造が住む裏長屋に走り、五郎蔵が役宅へ駆けた。
おのれ、酷いことをと、平蔵は怒りを抑えきれなかったし、勘造を呼び寄せたことを曲者が嗅ぎつけたので、(わしが、密かに吉祥寺門前まで出向くべきであった)と、それが悔やまれてならなかった。
勘造を殺したということは、相手が、権兵衛酒屋の女房の前歴を盗賊改方に(知られたくなかった)からだと看てよい。 女房のお浜のみか、お浜の前の亭主だった小千住の笠屋・友次郎のことも知られたくなかったのではあるまいか。すると、いまは亡き友次郎という男は、もしやして、(盗賊の一味でもあったのか)と、平蔵の推理は飛躍した。
それにしても、権兵衛酒屋の亭主が女房の打ち捨てて逃げたというのは、(盗賊改め方と名乗ったわしを怖れてのこと)だとすれば、亭主もまた、盗みの世界に関係があることになる。
平蔵は、ともあれ、勘造が住んでいた裏長屋へ行ってみようと思った。
与力・佐嶋へ駕籠の用意を言いつけたとき、昨夜から平蔵の指示で、佐嶋が差し向けていた与力・玉井広之進と密偵・鹿像が小千住の友次郎の探索から戻ってきた。
<権兵衛酒屋の亭主夫婦と勘蔵を襲い、平蔵の一命を奪おうとしたのは同じ一味か>
3章
与力・玉井の報告によると、友次郎が住んでいた小千住の家は古着屋になっていて、この古着屋は友次郎と何ら関係のないことが分かった。 また、近辺の店などで聞き込みをしても、友次郎は、よく家を留守にしていたことぐらいだし、お浜のことについても、役立ちそうな話は得られなかったとのことだ。
平蔵は、小千住には鹿像だけ残して、玉井ら3人は役宅に引き揚げさせた。
4章
翌日の朝。 同心・木村と五郎蔵夫婦は、権兵衛酒屋に詰めていた同心・沢田と仁三郎の組と交替した。
夕暮れが迫ってきたころ、紋付の羽織・袴をつけた人品の良い老人の侍が、店の主は居らぬかと入ってきたので、五郎蔵が、「夫婦して他行中です」と返事した。
いずれ、出直して参るとしようと、老人が立ち去ったので、五郎蔵は、「このことを長谷川さまへ……」言い、「行き先を突き止めてまいります」と、老人の後を尾けた。
5章
五郎蔵は、権兵衛酒屋を出て来た自分を尾けていないかと、二度、三度と、背後に気を配って、老人を尾行した。
老人は、六百石の旗本・清水源兵衛の屋敷の門へ消えた。
五郎蔵は、本人か用心か確かめようと思ったが、ともかく、長谷川さまのお耳へと身を返した。
武家屋敷が立ち並ぶ道を急ぐ五郎蔵の背後から、突然、ひたひたと迫る足音が起こった。その足音は次第に速度を加え、一定の間隔を置いて追尾してきた。
6章
上野山下の提灯店と呼ばれる岡場所の「みよし屋」に2人の客が入り、一人は亡き密偵・伊三次のいい仲だったおよねの客になった。
時間が過ぎて、およねが、階下に降りているときに、およねの客の浪人の部屋へ、連れの浪人が来ていて、
「おい、高橋。評判の鬼の平蔵を叩っ斬ってみぬか。50両もらえるぞ」
と言っているのを、階下から戻った廊下で、およねが耳にした。
7章
およねの話を聞いて、みよし屋の主の卯兵衛は、同心・沢田と深い関係がある近所の御家人の石塚屋敷に駆けた。
石塚才一郎自身が役宅へ知らせに、石塚家の小者の浅吉に浪人の尾行をさせることにした。
卯兵衛は、石塚に、およねが、「わたしの客になった高橋浪人は、また来ると言っていた」ということも告げた。
◆
尾行者はおよそ三間の距離を保ち、執拗に五郎蔵から離れぬ。
人通りのない寺の土塀が続く道に来たとき、追い迫った尾行者の一刀が、五郎蔵を襲った。
相手は一人でなく、もう一人が前に回ろうとしたので、五郎蔵は、弾みをつけて土塀を飛び越えた。
尾行者も少し遅れて土塀を越えた。
五郎蔵は、墓地の中を走った。
<五郎蔵を襲った曲者は何者か>
次の節「旧友」に続く