[ 秋天清々 ]
1章
同心・吉田は、藤沢から朝早く役宅へ到着した。
「堀本伯道らしき老人と鍵師・助治郎が南湖を尋ねて来た旅の男二人を連れ、東海道を上ったと申すか……」
と言って、平蔵は、吉田にご苦労だったゆるりと休めと労った。
◆
与力・佐嶋は、下谷の根岸の寮が新田の奥なので、見張りがばれない場所を探すために、朝早く、様子を見に出かけた。
昨夜から根岸へ入っていた密偵の五郎蔵が、寮のそばに稲荷の祠と祠を守る狭い小屋があることを見つけていて、佐嶋に報告した。佐嶋は五郎蔵の案内を受けて、小屋の住人の権爺に見張り場所としての了解を得た。
佐嶋は、急ぎ平蔵に、見張り場所と、寮は2年ほど前に、どこかの医者が買い取ったという噂だとのことを報告した。
平蔵は、それは伯道だと確信し、事態が煮詰まってきたことを感じた。
◆
昼前に、深川の尾張屋の見張り所・瓢箪屋に詰めている同心・松永から、別に以上はありませんとの報告が入った。
鰻売りの忠八の居所は、一昨日の夜、屋台を閉まって帰るのを、同心・小柳と密偵が尾行して、本所の裏長屋に住んでいることを突き止めた。
2章
怪しい寮を見張るための根城にした西蔵院に泊っていた密偵・五郎蔵は、権爺の小屋で見張っていた同心・岡村の指示で、寮の裏手に別の出入口があることを平蔵に報告するため、役宅に駆け向かった。
それから間もなくして、寮の表門から、一昨日、丸子から寮に入った浪人剣客の一人が出てきた。岡村は、庄吉に尾行するように命じた。
そのころ、五郎蔵の情報を聞いて、平蔵は、与力・佐嶋と相談して、深川の尾張屋と根岸の寮の二つに的を絞ることにして、その手配を佐嶋に指示した。
そして、五郎蔵を、丸子に残っている沢田に、「道場にいる剣術つかいは伯道の門人で盗めばたらきの手下に間違いない……」と、役宅にいる密偵を2人ほど連れて、その旨を伝えよと差し向けた。
3章
堀本伯道一行の4人が小田原城下の手前の一色村に入って、村はずれの鍛冶屋に向かった。
その後、伯道一人が江戸へ向かって出発したので、同心・木村は、伯道が江戸へ向かうことが確かになった大磯の手前から、密偵・駒蔵をして、「鍵師・助治郎が一色村の村はずれにある鍛冶屋に入ったこと、伯道が江戸に向かっていること」を平蔵に連絡した。
―中略―
平蔵は、その夜のうちに、同心・吉田は折り返しになるが、駒蔵を付けて品川まで出張らした。
4章
堀本伯道が、単身、品川宿に姿をあらわしたのは、翌日の昼下がりであった。
平蔵は、同心・酒井を伴い、朝から品川宿に出張って来ていて、以前、お上の御用をつとめていた煮売屋・富五郎の店の二階に詰めていた。
密偵・おまさも駕籠で伯道を追い抜いて、半刻前に煮売屋の二階にあらわれていた。
「あ……」と言ったあと、「あれでございます。あれが、堀本伯道でございます」
と、おまさが平蔵に知らせた。
伯道の顔は、笠に隠れて見えなかった。しかし、その躰つきには見覚えがある。
20数年前、亡師・高杉銀平宅の門前で見た剣客そのものであった。 となれば、今年の正月に、平蔵を襲った剣客と同一人物なのかというと、(やはり、違う)、平蔵は、はっきりと否定することができた。 では、わずか8ヶ月前の正月に、平蔵が刃を交えた覆面の曲者は、(いったい何者か……何処にいるのか?)……。
おまさに袖を引かれて、平蔵は我に返った。
5章
日暮れ前に、品川の富五郎の店から堀本伯道を尾行していた同心・酒井からの報告が、役宅に届いた。
伯道は、亀井天満宮の門前にある茶店・ひたち屋へ入った。
酒井は、その茶店こそ、伯道の盗人宿の一つに間違いないと見極め、然るべき見張り所を設けたいと、密偵に伝えてよこした。
平蔵は、与力・佐嶋を亀戸へ差し向けた。
佐嶋が役宅を出て間もなく、密偵・五郎蔵と共に丸子へ向かった密偵・直八が役宅に駆け戻り、同心・沢田の手紙を平蔵に渡した。
「道場の剣客どもは、およそ7名ほど。それと、根岸の寮を出て密偵の庄吉が尾行した剣客は丸子の道場に帰ってきました。今後の行動は?」と尋ねていた。
指図があるまで、密かに見張っておれとの、平蔵の返事をもって、直八は丸子へ引き返した。
続いて、夜に入ると根岸の寮を見張っている同心・岡村から、
「寮の門から、そっと出て来た老爺が何処かへ出かけて行きましたので、すぐさま後を付けさせています」との報告が入った。
鰻売りの忠八を見張っている盗賊改方の報告も届いた。
それによると、忠八は今日もいつもの場所で商売をしたが、彦兵衛とのつなぎもなく、裏長屋へ帰ったとのことだった。 平蔵は、(もはや、何もないであろう。盗賊一味の尾張屋への押し込みの夜が間近いな)と、看てとった。
―中略―
平蔵が、同心の木村と吉田に、
「一色村の助治郎と伯道の手の者は、間もなく江戸へ引き返してくるに違いないので、この者たちが品川宿へ入る前に引っ捕らえよ」と、命じた。
―中略―
暫くして、平蔵は、妻の久栄に、今夜は戻らぬと言い、与力部屋の天野へ「根岸の見張り所へまいる」と伝えた。
6章
根岸の寮から出て来た老爺は、夜に入り亀戸天神門前のひたち屋の前にあらわれ、中に消えた。
このことは、密偵の尾行者から、ひたち屋を見張っている筋向いの料理茶屋・玉屋の二階へ伝えられた。
そのころ、ひたち屋の二階に上がった老爺の松蔵は、伯道から叱責されていた。
「なぜ、もそっと早う、知らせてくれなかったのじゃ」
「お知らせいたせば、必ず先生が、虎太郎さまを……」
「申すまでもない。 わしは、我が子・虎太郎を成敗するために、引き返してきたのじゃ。虎太郎めは、あの手紙にしたためてあったような畜生ばたらきを何時から始めたのじゃ。申せ」
「ずっと以前から」
「それだけでなく、盗賊改方の役人や門番も合せて3名も殺害したというが、まことのことなのか? それに近いうちに、また、あさましい外道の盗めをするという……」
「はい。 三日後に、小石川の菓子鋪・京枡屋へ押し込むことになっているので、……こうなっては、もう先生へお知らせするよりほかに道はございませんでした。 つい半月前の、長崎屋への押し込みでも、16人も皆殺しにしたもので……」
「根岸の寮には、虎太郎の他に誰がいる?」
「浪人が3人。それに盗人が2人。女が一人……」
「よし。 この紙へ、寮の間取りを描いてくれぬか。 で、松蔵。 今夜は帰って、明朝、空が白む前に、寮の門扉を開けておいてくれ」
この後、松蔵が帰って行くのを盗賊改方が尾行したのは言うまでもない。
7章
翌朝。 まだ、辺りが暗いうちに、亀戸から西蔵院へ駆け込んできた密偵は、堀本伯道が単身、こちらを目指してやって来ることを告げた。
飛び起きた平蔵は、同心・岡村を従えて、権爺の小屋へ駆けた。
小屋にいた与力・小林に、役宅に戻り、いつにでも捕物に出張れるように支度をしておけと命じて、伯道を待った。
脇差一つで東海道を下がってきた伯道が、いまは大小を腰に帯びて、寮の門をくぐった。
平蔵は、同心・岡村に西蔵院へ赴き、詰めている者たちで、あの寮を遠巻きにせよと命じて、一人で伯道を追って門の内に入った。
―中略―
「外道め。父の手にかかれ」
と、堀本父子は、ぱっと飛び離れ、約三間の間合いで睨み合っていたが、そのうちに双方が、じりじりと間合いを狭めつつ、晴眼に構えた刀を右脇に側めた。 まさに、父子相伝の雲竜剣である。
この対決を木陰から凝視していた平蔵は、すべてが(腑に落ちた)思いがしている。金杉川のほとりで自分を襲った大鴉のような剣客こそ、いま、伯道と刃を交えている男に紛れもない。
気合い声を発した父子が弦を離れた矢のごとく、双方から刀を打ち込んだ。
伯道の手から刀が落ち、老体がゆっくりと草の中へ伏し倒れてゆく。
このとき、「動くな」と叱咤して、平蔵が木陰から庭に進み出た。
―中略―
雲竜剣を制して、平蔵の剣が、振り向いた堀本虎太郎の喉元を切り裂いた。
8章
その日のうちに、丸子宿の道場の浪人剣客を斬殺・捕縛し、亀戸天神門前のひたち屋にいた伯道配下、それに、鰻売りの忠八と下男の彦兵衛を捕縛した。
忠八の申し立てにより、忠八と同心・金子は互いの正体を知らぬまま親しくなっていたらしい。
平蔵は、密偵・五郎蔵に命じて、牛久の左馬之助と密偵・仁三郎を呼び戻した。
牛久で左馬之助を襲った浪人は、誰か判ったかと平蔵が左馬之助に問うと、その浪人が、再度、夜更けに旅籠に忍び込んだところを捕えて白状させたところ、左馬之助が以前、旅をしていたときに立ち会った者だったと分かったので、逃がしてやったと、笑って答えた。
傍らにいた与力・佐嶋に、平蔵は、
「この度のことがうまく運んだのは、的を絞って、尾行の人数をたっぷりと使うことができたからじゃ」
と、しみじみと漏らしたのである。 そして、左馬之助に、
「今度の事件は、おぬしと出会った鍵師・助治郎が、慌てて江戸へ舞い戻ったことから、足がつき始めた。 ありがとうよ、左馬。 持つべきものは友達だのう」と言う。
―中略―
堀本虎太郎や配下の剣客が平蔵を襲ったのも、虎太郎は以下の剣客たちが、それぞれに形を変えて、片山・金子の二人の同心と門番の磯五郎を殺害したのも、すべて、盗賊改方の警備を攪乱し、その隙に、江戸市中の商家を続けざまに襲う計画だったことが、虎太郎一味の自白によって明らかになった。
―中略―
尾張屋の金蔵の合鍵を作り上げた鍵師・助治郎と付き添う伯道配下の二人は、品川の煮売屋の前にさしかかったときに、平蔵と同心・吉田などによって捕えられた。
終