「概要」
直木賞受賞作者・葉室麟の時代小説で、藩政の抗争を背景にした友情を描いた第14回松本清張受賞作。
(解説から抜粋) 一人は、文人「月堂」としても天下に名を馳せている九州小藩家老・松浦将監。一人は、居合と鉄砲の名手で出世とは無縁の下級武士・日下部源五。もう一人は、学問にも熱心な笹原村の農民である十蔵。境遇の全く違った三人の男の恋にも似た友情が「銀漢」いわゆる天の川を友情のシンボルとして情感たっぷりに描かれている。
友情の物語は将監を中心として展開している。将監には、父母の敵である藩政の最高実力者・九鬼夕斎がいた。
壮年期に差しかかった将監は、十蔵が指導した一揆を鎮圧し、その勢いに乗じて夕斎を追い落とし藩の実権を握る。だが、その代わりに友人の十蔵を死なせた。
十蔵を見殺しにしたと思う源五は将監に対して絶交を宣言する。
それから20年。自らの死期を一年以内と医師から告げられた将監は、藩の将来を強く危惧して、久し振りに源五と腹を割って話す機会があり、源五も命を懸けて援助する。将監は、江戸に出て老中・松平正信と会うことができて、藩の安泰を実現した。
将監は二人の親友に支えられて自分の人生の可能性を見事に開花させ、生き切ることができた。壮年期に差し出された十蔵の友情。中・老年期に差し出された源五の友情。「わしには友がいた」という充実感が将監の人生を輝かせる。
「文章構成」
最初の章は、余命幾ばくもない将監が、最後の大仕事のために脱藩を準備する彼の生涯の終わりに近いところから始まっている。
そして、事を成就した最終章までの大部分の章ごとに、現在とそれに関わる回想が記述されていて、ミステリー仕立てになっているともいえる。
「あらすじ」
権力闘争に関わる策略、政争等に伴う決闘場面、多くの素晴らしい女性も登場しての恋情場面もあり、十分楽しめてくれるが、以下に、まず、先代の8代藩主惟常時代の藩政の状態を記述し、その後に、私の心を打った三人の友情に関わる部分だけを取り上げて纏めてみた。
先代藩主惟常は藩主家の親類筋にあたる佐野家から養子に入り、佐野家から連れてきた側用人の九鬼夕斎をいきなり家老とし、代々の家老職だった名門を遠ざけた。夕斎は10年家老を務め、引退した後も隠然たる勢力を持ち続け、息のかかったものを30年間家老に据え続けた。
「1」 -余命をかけた政事への準備ー
(現在) 月ヶ瀬藩の家老・松浦将監が地元の三人の庄屋の嘆願を聞き入れ決断し、5年の時を費やして井堰を完成させて造成した新田を、将監は、その開発を指導した郡方の日下部源五に案内役を命じた。
工事監督者として当然ではあったが、やや不審なものを源五は感じた。
かっては将監と源五は親しい間柄であったが、今では身分も隔たり、ある事件で源五から絶縁状を出したままなので、将監から疎んじられていると思っていたからだ。
源五は、この新田開発に、将監への友情によるものなのか、理由は表に出さず、何かに憑かれたように病弱な妻がいる家にも帰らず寝食を忘れるほどの態様で取り組んだ。妻もこの時期に病死した。
視察の途中、「源五、今日はわしの我が儘を聞いてくれ」と友の言葉で指示し、巡視の予定に入っていない月ヶ瀬藩から領外に抜ける風越峠へ登った。
源五は、将監の顔色が悪いことが一目見た時から気になっていた。二人になって、将監は医者から余命一年と言われていると告げた。そして、「源五よ、わしは間もなく逆臣と呼ばれることになるぞ」と呟いた。源五は背筋に戦慄するものを感じた。
ー(回想)ー 幼いころ、二人は同じ普請組の子弟であり、源五は50石、将監は岡本小弥太といい70石で同じ剣術道場の友人だった。
将監の岡本家は元々150石の家で江戸詰側用人だった父が出入商人と吉原帰りに斬られるという不慮の死をしたので、特別の計らいから半地の70石を貰っていた。その後、岡本家の遠縁で元勘定奉行であった250石の松浦家の次女の婿として養子に入り家督を継いだ。長女は8代藩主惟常の手がついて側室となり、現9代藩主惟忠を産んだ。
将監は御生母の実家を継いだことで出世の糸口をつかんだが、源五は、将監が文武両道に秀でていて、特に南画の才は江戸まで知られ有名人との交際も広く、その上、頭脳がずば抜けていたので羨むことはなく、友情が薄れることはなかった。
道場の道すがら、剣術の目的について、源五は強くなり勝つために、将監は私も同じだが己を鍛えて頓死した父上の無念を晴らすためだと言う。また、源五は、道場での将監の気迫と気の強さに目を見張っていた。
そんな帰り道に、城下に大きな魚籠を担いで鰻を売りに行く笠原村の十蔵がよろけて、源五にぶっつかりそうになったので、源五が突き飛ばした。十蔵は、ぶっつかっていないのに突き飛ばされて迷惑したのはこちらだと不敵な目つきをして一歩も引かない。源五は詫びのしるしに鰻を全部買ってやった。
そして、将監の家で母親の千鶴が焼いた鰻を三人で食べた。
(現在) 峠を下りながら、源五はあの時の鰻は上手かったとぽつりと呟いた。
千鶴もそれから4年後に自害した。十蔵は、20年後に、一揆の首謀者として役人に引き立てられながら、源五に振り向き白い歯を見せて笑っていたが、刑死した。生きているのは自分と将監だけではないかと思い至ると虚しくなった。
そして、先ほどの将監の弱気な言葉に、仲違いして久しいが意外なほど懐かしさが込み上げてきて、わしに何もかも話してみろと言ってみたい気がした。しかし、今の将監からは、若い頃のような率直な答えが返ってくるとは思えなかった。
「2」-藩主惟忠の野心ー
(現在) 源五は郡方の上役・坪内庄右衛門を酒に誘って、最近の政事について聞いたところ、幕府が朱子学を官学としたことにならって、側用人・山崎多聞が藩主の意に沿って興譲館という上士のための藩校をつくり、今まで庶民の子弟のための郷学であった至道館への給付金を興譲館の財源に当てようとしていて、これに将監が反対し、藩主と家老の間にひびが入って底が見えない暗渠が出来つつあると言い、また、名君としての評判を得たいとの願望を持つ藩主惟忠は幕閣入りを狙っている節もあるとのことだった。
源五は、将監が、惟忠が幕閣に入りたいという野心を疎ましく思って、興譲館の設立に反対したとすれば、将監自身の老人特有の頑固さや偏狭さからで、昔の将監だったら藩校の費用ぐらいどうにでもして両学舎の両立で調整を成したであろうと思った。出来るであろうことに反対されて惟忠も不満を持ったのだろうと源五は思った。
そして、あの美少年だった将監がなあと呟いた。
-(回想)ー 将監たちが行く剣術道場に十蔵も来ることもあり、十蔵が持参した食材で源五と共に度々千鶴から馳走になった。
千鶴は池坊の生け花の心得があり、家の中に花を絶やすことはなく、「花の美しさは形にあるので鋏を入れるが、人は文武で鍛錬し自分の心を美しくする。人の美しさは覚悟と心映え(心づくし)ではないだろうか」と言っていたことを想い出した。
そして、夏祭りの時の夜空を見て十蔵が天の川だというと、将監が天の川は銀漢ともいうと教えた。銀は金銀の銀、漢は漢江、大河のことだと。
千鶴も自害して果てた。将監の父が夕斎を裏切ったので、殿のお伽に召し出す無理を押し付けたことから自ら果てたのだった。
「3」 -藩主との確執ー
(現在) 源五の娘・たつは津田伊織の母親に見込まれて四百石の家に嫁いでいる。
源五が伊織から呼ばれて屋敷に出向き、寄合での藩主の幕閣入りを果たすためのお国替えを願い出る運動に対して、そんな金はないと将監が猛烈に一人反対したことを聞いた。今の藩領には長崎警備の役があてがわれているので、幕閣入りをするには別の土地にお国替えをする必要がある。多くのお金がいるとしても殿の意向だから、場合により将監が上意討ちにされるかもとの噂があると聞かされた。しかし、表立っての上意討ちは難しく私怨を持って片を付けざるを得ないと考えられていると。
源五は、幕閣入りの野心は容易なものでないことを知った。
伊織から義父は将監と昔は竹馬の友であったと聞いているがと言われ、今はわしのほうから絶交していると言う。
伊織が、源五を将監を斬る役目で藩主側に売り込もうとしているのだとみて、源五は、わしでよければお役にたとうと言う。その裏には将監が狙われる情報を真っ先に知っておきたかったからだ。
伊織は側用人・多聞にこの知らせをもたらすために源五を置いたまま外出した。たつは良い話がまとまったものと勘違いして、昔、諍いの種だった女中のたみの娘の蕗を妾にして女中をおけば体裁も良いと言った。
たつが、蕗が十蔵の娘であることは知らないにしても、源五は、この前まで蕗を家から出せと言っていたのにと、腹を立てて急ぎ津田家を辞した。
-(回想)ー 20年前、十蔵は一揆の首謀者として妻子を残し刑死した。源五は、村での生活が困難になった妻子のたみと蕗を、自分の家に引き取った当時を思い出した。最初はたみ達と妻のさきとの仲は悪かったが、源五が井堰工事で家を留守がちにした時に、さきの看病をしてくれ、そのたみも亡くなり、蕗も一度嫁に行き離縁して源五の元に戻ってきて、今は27歳になっていた。
「4」 -狙われる将監ー
(現在) 近頃、将監は城に上がらない日は、客も途絶え、絵を描き、七弦琴を奏でることで過ごすようになった。
その頃、城中では、将監は若殿を藩主に画策することも考えられ油断できぬので、藩主惟忠と側用人・多聞の間で、将監の暗殺もやむを得ないと言った話になっていた。
源五は、その大役を主命であると多聞から仰せつかった。
源五は、昔、十蔵が一揆の首謀者として刑死された時のあることで将監を斬ろうかと思ったことがあった。
-(回想)ー 20数年前、源五は砲術の腕前を買われて普請組から鉄砲組に移った。
将監が心中深くに父母の仇である夕斎への復讐の念を抱いていることを知っているのは、藩の中で源五だけだった。そして、源五は、将監が夕斎と対決できる郡奉行になっていたことから、もし、藩を二分するような事件が起きた時は将監のもとに駆け付けるっもりでいた。
組頭の佐多新蔵から、一揆が起こりそうなので、発頭人の天狗を撃ってもらいたいと告げられた。このことは将監も知っているのかと問うと、将監の発案だと言われたので同意した。
一揆の原因は銀で納めさせていた夏物成の大麦、小麦等も秋の物成と同様に税率を10分の1から3分の1にすると藩当局が打ち出したのだ。
源五は、発頭人の一人が十蔵に間違いないと思い、二人の友人の間にあって悩んだが、結果として、鉄砲の狙いを外した。
前に進み出た天狗の面を斬るとやはり十蔵だった。源五は、一揆を率いようとする十蔵の覚悟に爽快なものを感じ、心の中で密かに「十蔵うまくやれよ」と呟いた。
「次回に続く」