T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1291回 [ 「この嘘がばれないうちに」を読み終えて 11/? ] 4/30・日曜(晴)

2017-04-29 13:52:27 | 読書

そのⅢ―[倉田が待つ喫茶店に麻美が現れる]―

 例の席に座っていた倉田は、麻美は現れなかったので、来ないのだろうと手元のカップを口元に近づけた、そのとき……

 カランコロン。

 カウベルの音が鳴り、駆け込むように入ってきたのはダッフルコートを着た森麻美だった。

 真夏の過去からやってきた半そで姿の倉田、クリスマスに現れたコート姿の麻美が向かい合うという、季節感のちぐはぐな再会となった。

 麻美は、倉田を怖い顔で睨みつけ、

「二美子先輩に全部聞いたわよ。何考えてるの。死んだ人間に会わなきゃならない、こっちの身にもなってよ」と、早口で吐き捨てた。

 麻美の顔をじっと見つめていた倉田は、「ごめん」と、一言つぶやいた。

 倉田はゆっくりと観察するように麻美を見つめていた。

「なに?」と、麻美が怪訝な顔で言うと、倉田は、

「……いやなんでもない。もう、戻らなきゃ」と呟いた。

 麻美は倉田の前に歩み寄り左手をパッとかざして見せた。その左手の薬指にはっきりと光る指輪が輝いている。

「私はちゃんと結婚しているから」とはっきりと宣言した。そして、

倉田君、亡くなってから、もう2年だよ。二美子先輩まで巻き込んで何考えてんの。心配過ぎるでしょ」

 倉田は、嬉しそうに苦笑いした。麻美が何を思ってここに姿を見せたのか不明であるが、麻美が結婚しているということを聞いただけで倉田は満足した。

「俺、行くわ」

 倉田は、過去に戻ると半年後にはこの世を去る。未来に来たところで、倉田が死ぬことは変わらない。麻美も「倉田は2年前に死んだ」とはっきり言っている。だが、倉田の表情に一切の曇りはない。晴れ晴れとした、幸せに満ちた笑顔である。

 倉田は一気にコーヒーを飲みほした。その瞬間、ぐらりと目まいを感じると、倉田のまわりの景色がゆらゆらと揺れ始めた。カップをソーサーに戻すと、倉田の手が徐々に湯気に変わっていく。

   

 カランコロン。

 喫茶店に入ってきたのは冬の装いの二美子である。

 二美子は、二人の話が終わるまで、扉を半開きにして、中の声に聞き耳を立てていたのだ。

  倉田が消えた宙を見つめたまま、麻美を小さなため息をついた。

 二美子は、「麻美ちゃん……」と、呟いた。

「私、倉田君のことを忘れませんでした……倉田君以外の人と結婚なんて無理だろうな、って」

 麻美は震えながら言葉を絞り出した。

 二美子は、そんな麻美を見つめながら、「うん」とだけ答えたが、麻美は、違うことを考えていた。

 流産したときに、倉田から言われた、

(君が、これから幸せになれば、その子は君を幸せにするために70日という命を使ったことになるのだ。だから君は絶対に幸せにならないといけないんだ)

 とのことを思い出していたのだ。

 麻美は、倉田の言葉を呟いた後、続けて、

「だから、思ったんです。今は、まだ、結婚できないかもしれないけど、でも、絶対、幸せにならなきゃだめなんだって……。私の幸せが、彼の幸せになるなら……」

 麻美は、そう言って、手からさっき借りた指輪を抜き、二美子の前に差し出した。

 麻美は、自分がちゃんと結婚していると倉田に思わせるために、二美子に指輪を借りて嘘をついたのだった。

 ―中略―

「いつまでも、あさみがしあわせでありますように」

 ふいに、ミキが倉田の残した短冊を読み上げた。

 その短冊がどのような経緯で書かれたかは麻美の知るところではなかったが、それが倉田の言葉であることはすぐに分かったのだろう、その瞬間、麻美は大粒の涙を流し、その場に頽(くずお)れた。

                  

         第四話「夫婦」に続く

 

 

 

 

 

 

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1290回 [ 「この嘘がばれないうちに」を読み終えて 10/? ] 4/29・土曜(晴・曇)

2017-04-28 15:48:06 | 読書

そのⅡ―[倉田の依頼で、二美子は倉田が来ている喫茶店に麻美を誘う]―

 2年半前の夏……。

 倉田は、急性骨髄性白血病と診断され、治療次第で助かるかもしれないが、放っておけば余命半年と宣言を受けた。麻美との交際が始まって2年目の夏のことだった。

 密かに結婚指輪も準備し、プロポーズしようと決めていた矢先のことだった。

 この喫茶店では、過去に戻れるだけでなく、未来にも行けるということは、二美子から聞いてはいた。だが、いざ、自分の計画を実行するとなると、二美子から得た情報だけでは心もとない。そこで、倉田はこの喫茶店に出かけ、自分の考えた計画が実行可能か直接聞いてみることにした。

 ここには、二美子に連れられて二度ほど来たことがあったので、(医師から余命半年の宣告を受けてすぐに)迷うことなく喫茶店を訪れた。

 倉田は挨拶もそこそこに、すぐさま、数に自分の計画を話し始めた。

 未来に行った場合のルールの説明を受けて、内容は理解できたが、ひとつだけ困ったことは、麻美は、この喫茶店を訪れたことがなかったのだ。しかし、訪れたことがある人が案内した場合は、この限りでないとのことで、二美子を案内の協力者に選んだ。

 ―中略―

 倉田は、相談があると言って二美子を呼び出し、こう切り出した。

「僕はおそらく半年後にはこの世にいません」

 驚く二美子に、倉田は診断書を見せ、医者からの見解診断を説明し、1週間後には入院することになる、と。そして、

「僕は、例の喫茶店へ2年後(2年も経てば麻美の心も落ち着いていることだろうとの倉田の計算だろう)の未来に行きます。2年後、僕が死んでいたら、麻美をそこに連れてきてもらえませんか」と告げた。

 二美子は、倉田の「死んだら」という言葉を聞いて複雑な表情を見せた。

「ただし、麻美を呼ばなくてもいい場合の条件が二つあります。まず、僕が死ななかった場合は連れて来なくても結構です。それと、僕が死んだ後、麻美が結婚をして幸せになっている場合は、連れてこないでください

「え? 言っている意味が分からないんだけど……」

未来に行って、麻美に会えなければ、麻美が結婚して幸せになっているんだと判断して、戻ってきます。でも、もしそうでない場合には、麻美に伝えておきたいことがあるんです(流産した後に言った、麻美が幸せなることが僕の幸せにもなるという信条)……だから……」

 倉田はどこまでも麻美の幸せを願っていた。

 最後に、倉田は、「この計画を麻美に話すかどうかは、二美子の采配にお任せしたい」と告げて、深々とと頭を下げた。

   

 倉田の死後、二美子は、どのタイミングで、どのように麻美にこの話をしていいのかを直前まで悩んでいた。

 二美子が倉田から出された、麻美を連れて来なくてもいい条件は、

  一、倉田が死ななかった場合

  二、倉田が亡くなった後、麻美が結婚をして幸せになっている場合

 この二つで、一の場合は当然のことと理解できるが、二の場合、二美子の解釈で言えば、

「倉田のことを引きずって、麻美が結婚できないでいる場合は連れてきてほしい」ということになる。しかし、麻美が倉田を忘れようと努力しているのに、結婚していないという理由だけで倉田に会わせるのは避けたい。

 麻美はというと、倉田の死後、しばらくは悲しみに暮れていたが、半年も経った頃にはいつも通りの生活に戻っていた。二美子からは、倉田の死を引きずっているようには見えなかった。そけだけに、会わせない方がいいのではないかと、約束の日に麻美を連れて行くかどうか、判断が難しかった。

 気がつけば、約束の日は1週間後に迫っていた。

 二美子は悩みぬいた末、夫の五郎に相談した。五郎は、

「おそらく、これは君以上に彼女をよく知っている彼が、彼女のなんらかのトラウマから導き出した絶対条件なんだと思うよ。だからシステムエンジニアとして論理的に判断したらどうか」と言われた。

 二美子は、「結婚していても幸せではないという場合もあるが、その場合は、条件を満たしていないから、連れて行くことになるのね」と了解した。

 約束の日は、1週間後の12月25日(この日は、倉田が二美子に依頼した日から、2年と数か月後の未来になる)のクリスマス。19時。

 もちろん、条件の話は内緒にして、その時間に倉田が過去からやってくると告げると、麻美は消え入るような声で「わかりました」と呟いた。

 ―中略―

 倉田が来る当日、麻美は会社を無断欠勤していた。誰が連絡してもつながらない。

 麻美自身も、会うか会わないかを悩んでいるのかもしれない。

 二美子は、(今日、19時に例の喫茶店の前で待っているからね)とだけ、メールを打った。

 ―中略―

 その日の夜。時刻は倉田との約束を少し過ぎたところだった。しかし、麻美は現れない。

 二美子は、麻美に携帯を入れたがつながらない。

 仕方なく、喫茶店で待っているだろう倉田に電話で現状を伝えた。

 電話を切った後も、なんとなく後味の悪さを感じながら、帰ろうと思い足を一歩踏み出した。

 そのときだった。

「先輩、倉田君、まだ、いますか」と麻美が息を切らせて立っていた。

 二美子は腕時計を確かめた。19時ぴったりに来ていたとして、今は19時8分。

「行こう」と、二美子は麻美の背中を押して階段を駆け下りていた。

 地下一階。麻美は喫茶店の扉の前まで来ると、二美子に、

「先輩の指輪を貸してもらえますか」と願い出た。去年貰ったばかりの大事な指輪である。

(訳は後から聞こう)、二美子は迷うことなく麻美に差し出した。

   

  そのⅢ―[倉田が待つ喫茶店に麻美が現れる]―に続く 

 

 

 

 

 

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1289回 [ 「この嘘がばれないうちに」を読み終えて 9/? ] 4/29・金曜(晴)

2017-04-28 10:55:06 | 読書

『第三話「恋人」』

 ※薄黄色の蛍光ペンのところは、心理や情景等の描写で感動させられた文章。

 ※薄青色の蛍光ペンのところは、私が補筆したところ。

 ※下線を付けたところは、ポイントになる文章。

「第三話の登場人物」

 倉田克樹→ 主人公。

        2年半前、病気で余命半年と診断され、その通りに亡くなった男。

 森 麻美→ 克樹の恋人で会社の同僚。清川二美子の後輩。

 賀多田五郎→二美子の恋人で、数年後に彼女と結婚する。

「本作の文章を抜粋しての粗筋」

 そのⅠー[恋人の麻美に会うため、未来の例の喫茶店にやってきた主人公・倉田]―

 例の席に、過去から(2年後の未来に、)やってきたという男が座っている。

 この喫茶店では、過去に戻るだけでなく、未来に行くこともできる。

 しかし、未来に行くものは殆どいない。なぜなら、向かった未来での会いたい人のルーチンな行動が不明で、都合よく、この喫茶店に来ているかどうか分からないからだ。

 それでも、過去からやってきた男がいた。男は倉田克樹と名乗った。半袖のTシャツにハーフパンツ、ピーチサンダルという真夏の装いである。

 しかし、店内には天井に向かって聳え立つ大きなクリスマスツリーが飾られていた。

 今日は12月25日、クリスマスである。

「その恰好、寒くないですか」

 カウンターでミキの隣に座っている木嶋京子が倉田に声をかけた。

「何か、羽織るものを貸しましょうか」と、流がキッチンから顔を出した。

 倉田はすぐに小さく手を振って、「お冷を一杯いただけますか」と数に声をかけた。

 ―中略―

「お父さんの足がいい匂いになりますように」

 ミキが自分が書いた短冊を元気よく読み上げると、京子は「ぶっ」と声を上げて噴き出した。

 ミキは字の練習のために、クリスマスツリーに願い事を書いた短冊を括り付けているのだ。まるで、クリスマスと七夕が一緒に来たようなものである。

「馬鹿なこと書いてんじゃねーよ」と言って、流がケーキの箱を持ってキッチンから現れ、京子に渡した。京子に頼まれていたクリスマスケーキで、流の手作りである。

「これは絹代さんに……」と言って、持ち帰り用にコーヒーをひとつ添えた。

「本当に、ありがとう」と言って、京子は喫茶店を後にした。

 カランコロン。

「書けた?」と言って、ミキは倉田の前のテーブルの上を覗いた。

 倉田の手元には、ミキの使っているものと同じ短冊とペンが置かれている。これは、ミキが倉田にもお願い事を書かせようと渡したものだった。

「あ、ごめん、まだ、ちょっと……」と言って、倉田は、天井を見つめ少し考えて、ペンを走らせた。

 ―中略―

「二美子さんにもう一度連絡してみましょうか ?」

 流が、キッチンから顔を出して倉田に話しかけた。

 数分前にも、二美子の携帯に連絡しているのだが、二美子は出なかったのだ。

 二美子は、旧姓が清川といい、7年前に、この喫茶店で過去に戻って恋人に会った客で、今はその恋人の賀多田五郎と結婚し、今でもちょくちょくこの喫茶店に出入りしている常連客である。

 倉田は、「お気遣いありがとうございます」とだけ言って頭を下げた。

「二美子お姉ちゃんのこと、待ってるの?」と言って、ミキが倉田の顔を覗き込んだ。

「あ、いや、清川先輩ではなく……」と濁した倉田の言葉を聞いて、流が、

「二美子さんは、昨年、賀多田五郎さんと結婚されて、姓も変わられました。二美子さんとばかり思ってましたが、一体誰をお待ちなんですか?」と尋ねる。

「先輩、結婚できたんですね。本当によかった」と、驚いた倉田は、

「待っているのは同僚の、森麻美という女です。清川先輩には、彼女をここに連れてきてもらうようお願いしていました」と戸惑いながら答えた。

 倉田が、過去から会いに来たのは、森麻美という二美子の後輩で、倉田とは同期入社である。

 その同僚の麻美に、どんな理由があって、過去から会いに来たのか分からない。流も、それ以上は聞くつもりはないのだろう。

「なるほど……。早く来てくれるといいですね」と呟いた。

 すると、倉田は、少し微笑んで、

「来なければ来ないで、それはそれでいいんです」と返した。

「どういうことです?」と、流が聞くと、

「結婚の約束はしていたのですが、おそらく叶えてあげられないと思うので……」と、気まずそうに俯いた。

(別れた彼女のことが心配で会いに来たのか)と、流も、倉田の沈んだ表情を見て、なんとなく事情を察したのだろう、「そうですか」と言ったまま、それ以上何も言わなかった。

 るるるる、るるるる……。

 奥の部屋で電話が鳴ったので、流が奥へと姿を消した。

   

 倉田と麻美は同期メンバーでよく飲みに行った。そういう飲み会では、仕事上の愚痴などが多くなりがちだが、倉田は、一度も会社や上司を悪く言うことはなかった。

 麻美はそんな倉田を「超ポジティブな人」と評価はしていたが、入社当時は付き合っている彼氏もいたので、倉田を男性として意識することはなかった。

 そんな倉田と麻美の距離が縮まったのは、麻美が別れた彼氏との間にできた子を流産したことを話したのがきっかけだった。

 もちろん、妊娠が分かったのは別れた後であったし、別れたショックから流産してしまったというのでもない。麻美は、もともと流産しやすい体質だった。

 しかし、どんな事情であれ、妊娠を知った麻美はひとりでも産んで育てるつもりだった。だから、検査の結果、自分の体質が原因で流産してしまったことを知った麻美のショックは大きかった。赤ちゃんを殺したのは自分だと思いつめていた。

 麻美はこのままではいけないと、職場以外の女友達や家族などにも相談したが、心が晴れるような言葉をくれる人はいなかった。

 そんなとき、「何か悩んでいる?」と声をかけてくれたのが倉田だった。

 麻美は、倉田は男だからとは思ったが、誰でもいいから聞いてほしいという気持ちもあり、思いの丈を正直に話した。

 倉田は、赤ちゃんがお腹の中にいたのは何日間だったのかと尋ねた。麻美が10週だと答えると、

「じゃ、その70日間、お腹の子は一体何をするためにこの世に命を授かったんだろうね?」と問いかけた。

 これには麻美も怒りを覚え、「私が悪いっていうの?」と反論した。

 麻美は、子供を産んであげられなかったのは自分のせいだと思っている。

「お腹の子は何もできなかったわ。生まれてくることさえできなかった、私のせいで。私はこの子に70日の命しかあげることができなかったのよ。たった70日しか……」

 倉田は落ち着いた表情で、取り乱した麻美が泣き止むのを待って、こう言った。

「その子はね、70日という命を使って、麻美ちゃんを幸せにしようとしたんだよ」

 それは優しく、迷いのない、革新のある言葉だった。

「もし、このまま、君が不幸になったら、その子は70日という命を使って君を不幸にしたことになる」

 倉田の言葉は同情などではなかった。

でも、君がこれから幸せになれば、、その子は君を幸せにするために 70日という命を使ったことになるんだ。そのとき、その命に意味が生まれる。その子が授かった意味を作るのは君なんだよ。だから、君は絶対に幸せにならないといけないんだ。それを一番望んでいるのは、その子なんだよ……」

(私が幸せになることで、この子の命の意味を作ることができる)

 それは明確な答えだった。

 麻美にとって、倉田がただの「超ポジティブな人」ではなくなった瞬間であった。

   

 電話をとって、奥の部屋から戻ってきた流は、

「倉田……さん? 二美子さんからです」と言って、倉田に電話の子機を差し出した。

 倉田は、礼を言って電話を受け取った。

「あ、はい、そうですか……なるほど、いえ、とんでもない……ありがとうございました」

 電話の内容は分からないが、倉田が落ち込んでいる様子はない。

 倉田は流に子機を返し、「帰ります」と囁いた。笑顔ではあったが、消え入るような声だった。やはり、未来まで来たのに、麻美に会えなかったのは残念だったに違いない。

「これ、飾っといてもらえるかな」と、さっき願い事を書いた、短冊をミキに差し出した

 倉田は、「お世話になりました」と言って数に頭を下げると、目の前のカップを手に取った。

   

  そのⅡ―[倉田の依頼で、二美子は倉田が来ている喫茶店に麻美を誘う]―に続く

 

 

 

 

 

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1288回 [ 「この嘘がばれないうちに」を読み終えて 8/? ] 4/24・月曜(晴・曇)

2017-04-23 11:22:30 | 読書

そのⅢ ―[母への嘘をばらした数のマドラー]―

 豆を挽く音で、幸雄はカウンターに目を向けた。

 ゴリゴリと豆を挽いているのは、見たこともない、糸のような細い目の大男である。

 店内を見回したが、幸雄のほかにはその大男しかいなかった。幸雄は、すぐに、

 (本当に過去に戻って来たのか?)という疑問を抱いたが、確かめる方法は思いつかなかった。

 絹代が入院したのは半年前の春だと京子に聞いていたので、幸雄は、「今は、何年何月ですか?」と聞くために、「あの」と大男に声をかけた。

 カランコロン。

「あ……」

 絹代の姿を目の前にした瞬間、幸雄は、絹代から見えないように顔を伏せた。

 (入院直前に来てしまったのか……)

 目の前に現れた絹代は、「あら……。どうしたの?」

 京都に居るはずの幸雄が、突然この喫茶店に現れたことに驚いた。

「元気そうだね。ちょっとね」と、幸雄も笑顔で返した。

「流さん、私にコーヒーをこちらにお願いできますか」と告げて、幸雄の座るテーブル席に向かって行き、向かいの席に腰を下ろした。

 絹代は、何十年も前からの常連である。この席に座っている幸雄が未来から来たことは言わなくても理解しているだろう。幸雄は、この状況で、未来から来た理由を聞かれるのだけは避けたかった。

 (亡くなった母に会いに来た……)なんて、口が裂けても言えるわけがない。

 幸雄はとにかく何か話さなくてはとあせってしまい、つい、

「ちょっと、痩せた?」と口走ってしまった。

「あらそう。嬉しい」と言って、頬を両手で押さえ、喜びの仕草を見せた。

 幸雄はその反応を見て、

 (もしかして、まだ、自分の病気の事を知らないのかもしれない……)と思って(よかった)とほっとした。

「あんたもちょっと痩せたんじゃない? ご飯、ちゃんと食べてる?」

「食べているよ。最近はちゃんと自炊も始めたんだ」

 (幸雄は、絹代の訃報を聞いてから、まともな食事をしていなかったんだ)

「洗濯は?」

「ちゃんとやっている」

 (もう1か月近く、同じ服を着ている。分かったかな)

「どんなに疲れても、ちゃんとお布団で寝るのよ」

「分かってる」

 (自宅アパートはもう解約済みなんだ)

「お金に困ったら、人に借りずに、ちゃんと言うのよ。沢山は出せないけど、少しなら何とかなるから」

「大丈夫……」

 自己破産の手続きは昨日終わった。もう、多額の借金で、絹代や京子に迷惑をかけることはない。

 幸雄はただ、最後に絹代の顔を見たいだけだった。

 幸雄は生きる意味を見失っていた。

 絹代を悲しませたくない。その一心だけで、騙されても、どんなに苦しい状況になっても踏ん張ってきた。

 親より先に死ぬわけにはいかないと、前を向いて生きてきた。だが、その絹代は、現実に戻れば、もういない……。

「俺、やっと陶芸家として自分の窯が持てることになったんだ」

「本当に? ……よかった」

 絹代の目から涙があふれ出た。幸雄は、

「だから、これ……」と、絹代の前に差し出した。幸雄が京都に旅発つときに、絹代から渡された通帳と印鑑だった。

 どんなに生活が苦しくても、このお金だけは使うことができなかった。陶芸家として成功したら返そうと心に決めていた。

「でも、これは……」

「いいんだ。これがあったから、どんなに辛いことがあっても乗り越えてこれたんだ。これを母さんに返すために頑張ってきたんだから……」

 嘘ではなかった。

「受け取ってほしい」

 幸雄は深く頭を下げた。

 (これで、思い残すことはない。あとは、コーヒーが冷めるのを待つだけでいい)

 幸雄は最初から、現実に戻る気はなかった。

 絹代が死んだと聞かされてから、この瞬間だけを思い描いて生きながらえた。ただ死ぬわけいかない。借金を残せば、家族に迷惑がかかる。

 幸雄は、この1か月、必死で自己破産の準備を進めてきた。葬儀に出るための交通費すらなかったが、日雇いのバイトを繰り返し、弁護士に支払うだけのお金と、ここに来るだけの交通費を捻出した。

 すべてはこの瞬間のためだった。

 今、幸雄の心には、(よかった)という満足感と、(これで楽になれる)という解放感だけがあった。

 その時である。

 ピピピピ、ピピピピ……。

 幸雄のカップから小さなアラームが鳴り響いた。

 音が鳴ったことで、数の言葉を思い出した。幸雄は、音のなっているマドラーをカップから取り出しながら、

「そういえば、ここのウエイトレスさんが母さんによろしく伝えてくれって……」と、数から託された言葉を絹代に伝えた。

「数ちゃんが……?」

 絹代は一瞬表情を曇らせたが、すぐに、にこやかな顔を幸雄に向けた。

「絹代さん……」

 カウンターの中から、流が青い顔をして絹代に声をかけた。絹代は微笑んで、

「分かっている」とだけ答えた。

 ―中略―

 絹代が、なんとなく幸雄に尋ねた。

「その席に座っていた白いワンピースを着た女性がいたでしょ」

「うん?」

「彼女は亡くなった旦那さんに会いに行ったんだけど、過去に戻って、どんなやり取りがあったかは誰にも分からないのだが、戻って来なかったの……」

「……」

「そのとき、コ―ヒーを入れたのは、当時7歳だった数ちゃんなの……」

「……そうなんだ」

 幸雄は興味なさそうに呟いた。絹代は続けて、

「数ちゃんは戻って来なかった彼女と母娘なのよ。数ちゃんは、それからは、死んだ人に会いに行く人のカップには、そのマドラーを入れるの。コーヒーが冷めきってしまう前に鳴るのよ……」

「え?」

「数ちゃんはね。私にしかできない最後の仕事をくれたのよ。……戻るのよ、未来に……」

 絹代は優しくそう言って、微笑んだ。

「嫌だ」

「さっきの、通帳と印鑑、あんたの気持ちが詰まったものだから、母さんも使わずにお墓まで持ってくわ」

 カランコロン。

「母さん……」

 絹代は、優しい笑顔で幸雄の目を見た。

「数ちゃんに、ありがと、って伝えてくれる」

「……」

 幸雄は(わかった)と返事をしたつもりだっだ、息を飲むと、震える手でカップを持ち上げた。

 ―中略―

 幸雄は、(自分が死ねば全てが終わる)と、思っていた。死んだ絹代には関係ない、と。だが、それは違ったのだ。死んでも母であることに変わりはない。想いに変わりはない。

 (死んだ母をも悲しませるところだった)

 幸雄は一気にコーヒーを飲みほした。

 ぐらりと目まいがして、体が湯気になる。

 幸雄のまわりの景色が上から下へと流れ始めた。時間が過去から未来へと戻っていく。

 ―中略―

 (もし、あのとき、アラームが鳴らなかったら……あのまま、コーヒーが冷めるのを待っていたら、母さんを最後まで不幸にするところだった……)

 (陶芸家を目指して、成功に捉われ、騙され、自分ばかりが、なぜこんな不幸な目に合わなければならないのかと、嘆き苦しんだけど、自分がそれ以上の苦しみを母さんに与えるところだった……)

 (生きよう……何があっても……最後の最後まで、自分の幸せを願ってやまなかった母さんのために……)

   

 トイレからワンピースの女が戻って来た。

「どいて」と、不服そうに呟いた。

 ―中略―

 幸雄は、数の背に向かって声をかけた。

「母が……あなたに感謝していました」

「そうですか……」

「私も……」と、幸雄は深く頭を下げた。

                     

                              

      第三話「恋人」に続く

 

 

 

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1287回 [「この嘘がばれないうちに」を読み終えて 7/? ] 4/23・日曜(晴)

2017-04-22 15:24:58 | 読書

そのⅡ ―[亡き母に会いたくて、過去に戻る主人公・幸雄]―

 その日の夜。

 店内には、数と白いワンピースの女だけがいた。

 カランコロン。

 閉店時刻が過ぎ、「closed」の看板を出している店に、30代後半の浅黒い顔の男が入ってきた。

「もう、終わりですよね?」と、弱々しい声で訊ねた。

 数は、「構いませんよ」と言って、カウンター席に座るよう手で示した。

「じゃ、コーヒーをお願いします」

 男の注文に数は答えて、キッチンへ姿を消した。

 ―中略―

 男は数が戻ってくると、

「あの……、彼女が幽霊だというのは本当ですか?」と質問を投げかけた。

「ええ」と数はさらりと答えた。

 コーヒーの香ばしい薫りが漂ってきた。

「……これは」

 男は、出されたコーヒーの酸味に驚いたのだろう、眉間に皺を寄せ、唸るように呟いた。

「絹代先生が好きだったモカ・ハラーです」

 数がそう伝えると、男は、「え?」と声を洩らし、険しい表情で数を見た。

 男の名前は三田幸雄。陶芸家を目指している絹代の息子で、京子の弟である。

 絹代は、昔からこの喫茶店の常連客だったが、幸雄は、今日まで一度も来たことはない。

 幸雄は、「いつ……」と呟くと、頭を掻きながら、

「……わたしが、母の息子だと分かったんですか?」と訊ねた。

 数は、コーヒーミルの掃除をしながら、「顔が似ていましたので……」と答えた。

 幸雄が、まだ腑に落ちていない表情をしているので、

「偶然かもしれませんが、昼間、京子さんも見えていて、あなたのことが話題になりました」と告げる。

「そうですか……。弟の三田幸雄です」と名乗って頭を下げた。

 数も軽く会釈し、「時田数」と返す。

 幸雄は、数の名前を聞いて、

「あなたのことは、母から手紙で伺っていました。あと、この喫茶店の噂も……」

 と呟いて、ワンピースの女に視線を走らせた。

 そして、カウンター席から立ち上がると、

「お願いします。私を過去に母がまだ生きていたときに戻らせて下さい」と言って頭を下げた。

   

 幸雄は高校の修学旅行で陶芸の体験をし、ぼんやりと陶芸家になりたいと思い始めた。

 そして、高校卒業後、学費などで家族に金銭的負担をかけたくなく、京都の陶芸家のところへ住み込んで働きながら陶芸を学ぶことにした。

 京都に立つ日、新幹線の駅のホームまで絹代と京子が見送りに来た。

 絹代は、「少ないけど……」と言って、自分が海外旅行に行くために貯めていた通帳と印鑑をそっと手渡した。

   

 数は、いつものルール説明を始めた。

 とくに、会いたい相手が亡くなっている場合、このルールは必ず伝えておかなければならないと、最初に、

「過去に戻ってどんな努力をしても、現実を変えることはできませんよ」ということを伝えた。

 幸雄は、どうやらこのルールも知っていたようで、少しも表情を変えることなく、「分かっています」と答えた。

 数は、幸雄がある程度のルールを絹代から聞いていると思ったが、すべてのルールについて、いつものように「そのほかのルールについて、簡単に説明しておきましょう」と説明を始めた。

 ―中略―

 幸雄は、注がれた水を口にすると、

「母から聞いたのですが、コーヒーが冷めきる前に飲み干せなかった場合は幽霊になる、というのは本当ですか?」と、数の目をじっと見つめながら質問した。

 数は、「本当ですよ」と、さらりと答えた。幸雄は、

「それはつまり、死ぬ……と、いうことですよね」と念押しするように尋ねた。

 数は、一瞬、表情を曇らせたが、すぐにいつもの涼しい顔に戻り、

「その通りです」と答えた。(幸雄は過去に戻ったあと、死のうと思っていたのだ)

 ひと通りの説明が終わると、数はワンピースの女を見て、

「あとは彼女が席を立ちのを待つだけとなります。お待ちになられますか?」と声をかけた。

 幸雄は迷うことなく、「ええ」と即答した。

 数は、幸雄のカップを下げながら、

「なぜ、葬儀にいらっしゃらなかったのですか?」と幸雄に尋ねた。

「答えなければいけませんか?」との幸雄の返答に、数は、

「ただ、京子さんは、あなたが葬儀に出なかったのを自分のせいだと気にされていましたので……」と言って、キッチンに姿を消した。

   

 実は、幸雄が絹代の葬儀に出なかったのは、京子のせいではなかった。京都から東京までの交通費を工面できなかったのだ。

 絹代の訃報を知らされたとき、幸雄は多額の借金を抱えていた。

 今から3年前、幸雄の師匠の家に出入りする卸業者から窯を開くなら融資するという話が舞い込んだ。

 東京を離れて、17年。幸雄は、資金を貯めるために、六畳の風呂なしアパートに居を構え、贅沢は一切せず、ただただ真面目に生きてきた。

 そこには、絹代に早く陶芸家として活躍する自分を見てもらいたいという思いもあったに違いない。実際、幸雄も30代後半という年齢に少し焦りを感じていた。

 幸雄は、話を持ちかけられると、足りない分を消費者金融から借り、それまで貯めていた資金とともに業者に預け、窯を開く準備にとりかかった。

 だが、融資を持ちかけた業者は、幸雄から預かったお金を持って逃げてしまった。幸雄は騙されたのだ。

 毎日、頭の中は返納のことで一杯になり、

(いっそ死ねたら……)と、何度もそんな考えが頭をよぎったが、自分が死ねば、親である絹代のところに借金の取り立てがいくことになる。

 幸雄は、それだけは何としてでも避けたいと思い、必死に自殺を思いとどまっていた。

 絹代の訃報を聞いたのは、1か月前、そんな渦中のことだった。

   

 幸雄は、店外に出て、姉の京子に携帯をかけて帰ってきた。

 数に、「姉に連絡しておきました」と席を外した理由を説明する。

 数から、「そうですか」との返答があり、

「お席が空きましたが、お座りになられますか?」と訊ねられた。

 幸雄は、「ええ」と答えて、例の席に座った。

 数は、10cm程度の長さのマドラー(飲み物をかき混ぜるための棒状の物)のような銀のステックをカップに滑り込ませた。そして、

「絹代先生によろしくお伝えください……」と囁いてから、

「コーヒーが冷めないうちに……」と、続けて、カップにコーヒーを注ぎ始めた。

 幸雄がコーヒーとカップの黒と白のコントラストを見つめると、注がれたコーヒーからゆらりと一筋の湯気が立ち上がった。その瞬間、まわりの景色がゆらゆらとゆがみ始め、まわりの景色は上から下へとゆるやかに流れて行った。

   

   そのⅢ―[母への嘘をばらした数のマドラー]―に続く

 

 

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