T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1377話 「 免許のための眼鏡 」 10/31・火曜(晴)

2017-10-31 12:25:04 | 日記・エッセイ・コラム

                                      

 今朝の最低気温は、今年秋の最低の7.7℃と低く、酷く寒い朝だった。

                                 

 1週間ほど前に注文した眼鏡が出来上がった。

 10年ほど前に購入したものに、何かの拍子で先日ヒビが入ったのだ。

 来年3月に車の免許が切れるので、急いで購入した。

 なぜそんなに急ぐのかといえば、高齢者なので、

免許更新の手続きにの前に、面倒なことに、

「認知機能検査」と「高齢者講習」があるのだ。

                            

 それに、眼鏡の料金がこんなに高額とは思わなかった。

 枠が1万、眼鏡が4万で、5万円ぐらいを予定していたが、

知識がないことに自分ながら驚いた。

 少しオシャレな枠の眼鏡だが、これでも、

店主が出してきたもののうちの中間の値段のものなのだ。

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1376話 「 時間待ちの文庫本 」 10/30・月曜(曇・晴)

2017-10-30 12:22:08 | 本と雑誌

                                                                                                            

 医院での時間待ちに持参する文庫本を読み終えたので、上掲の本を購入した。

 私が購入する小説本は、現代小説、時代小説に区分もできるが、

机の前で、心に刻んでゆっくり噛みしめて読む本(ブログに粗筋をアップしたくなる本)、

寝床などで、のんびりと読む本(面白いと楽しんで読む本)、

医院などで、時間待ちに外に持ち出して読む文庫本(区切り区切り退屈しのぎに読む本)、

と区分することもできる。

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1375話 [ 自分史「-温故知新ー」 6/? ] 10/28・土曜(雨)

2017-10-27 15:25:12 | 日記・エッセイ・コラム

3. 現場時代2(新婚時代)

(3) 「管理者任用試験と通信局の係長への昇進」

 初めての係長になって1年経った頃だった。

 電電公社が初めて全国一斉で現場係長を対象に管理者(通信局係長、現場副課長以上)任用試験が実施されることになった。この制度は、どういうわけか、その年の一度だけで、それ以後は実施されなかった。

 私は、係長になっていて運が良かったと思っている。

 四国内の現場機関の係長は何千人もいただろう。合格者は20人弱だったと記憶している。

 丸一日かけての国語・数学・一般常識などの筆記試験があり、それに合格した人を対象にして、後日、通信局に集められての面接試験があった。

 面接試験は、これも一日かけて、受験者1名と数名の通信局幹部との面接が質疑項目ごとに数回別々の部屋で行われるといったものだった。

 朝から行われた面接試験が終了した夕刻には、くたくたになっていたのに、興奮していて、高松に帰るまで汽車の中で眠れなかったことを覚えている。

 筆記試験のための勉強は、特別にそのための用意はしなかったが、面接試験については、事前に2か月ほどかけて、局長から問題を出してもらって質疑応答集を作成して、局長に見てもらって修正し、答えを自分のものにしたことを覚えている。

 問題を出してくれて質疑応答集を作れと教えてくれた局長に、恥ずかしがり屋で人前で話すときに顔が赤くなる私には自信がついて大いに役だったことで、今でも深く感謝している。

 同年12月頃に合格通知を受けて、翌年の昭和39年(1964)2月の定期異動で、32歳の若さで通信局の係長といった管理者に任命された。

 段階から言えば、大局の係長、現場管理機関の係長を飛び越えての昇進であり、私にとって生まれて初めての喜びであった。

 母親と妻も大変喜んでくれた。妻は夫の出世だけでなく、電話付きのガス風呂がある近代的なマンション(当時マンションは珍しかった)に住めたことだ。実は、高松の家の風呂は薪で焚く五右衛門風呂であったので、私もほっとしたのだ。

 もう一つ、忘れられない出来事があった。

 それは、通信局の係長の辞令を現場管理機関の機関長のところへ頂きに行ったときのことである。

 その日は雪が降っていて、私は、長靴を履いて一旦勤め先へ出勤して、そのままの格好で、電車に乗って、現場管理機関の機関長室へ入って行ったら、出直して来いといわれた。庶務課長に尋ねると、長靴を履いたまま機関長室に入ったからだと教えてくれた。

 私は、ハンカチで泥を取ってもう一度機関長室に入り直した。しかし、機関長の顔に変わりはなく、辞令が差し出された。その後、

 「これからは、君は四国を代表して本社に出張したり、大企業の幹部と会う事もあるのだ。そのとき、絨毯が敷かれた応接室に入ることもあるのだ。その恰好は失礼にあたるし、君も何だこいっと蔑まされるのだ。だから、これから出勤するときは、いつも一番いい背広を着て行き、もし、長靴を履いていくような天候であれば、革靴をもって出勤しろ」とお叱りを受けた。

 四国を代表するといった責任のある仕事を担当するだということであった。

 たしかに、通信局へ行ってから、また、本社へも転勤するのだが、そこでの仕事は自分なりにも大変なことだったと思っている。

        「続く」

 

 

 

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1374話 [ 自分史「-温故知新ー」 5/? ] 10/27・金曜(晴)

2017-10-27 14:39:49 | 日記・エッセイ・コラム

                                  

3. 現場時代2(新婚時代)

(2)「田舎の局の係長に昇進」

 高松電話局で4年間、勤務した後に、昭和37年(1962)6月、31歳のとき、田舎の局の電話営業係長になって転勤した。そして、給料も少し上がった。同輩より1年ほど早く昇進したので、病気の休職で遅れた分を少し取り戻した。

 この係長になっての転勤は、後述するが、私の人生にとって運命の分岐点になった。

 小局なので、一つの係で、電話の営業全般(各種電話の販売、料金徴収)の仕事を担当し、私はそれを管理するようになった。

 電話営業係は、私を入れて5人の少人数の係員で広範囲の業務を担当するので、私は、窓口に近い場所に机を設置して、お客が多くお出でになった時やお客の申し出の内容によっては係員の援助をするなどして、窓口に来られたお客の接客サービスに留意した。

 そして、高松での勤務時と同様に、時間の許す限り、まだ売り手市場には変わりはなかったが、電話をよく使用される得意先を訪ねるなどの外回りにも時間を取ることにした。

 また、少しでも早く元いた高松電話局の係長になりたいこともあって、電車通勤時間などを利用して読書するなどして、勤務外の時間に一般的な業務管理の勉強をした。このことは、幸いなことに、次の題目で記述する管理者任用試験の筆記試験にも役に立った。

 小局に転勤して1年ほどした昭和38年10月、次男が誕生し、自覚も大きくなった。

           「続く」

 

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1373話 [ 自分史「-温故知新ー」・4/? ] 10/26・木曜(晴)

2017-10-25 15:24:13 | 日記・エッセイ・コラム

3. 現場時代2(新婚時代)

(1)「電話局営業課での勤務」

 私が高松電話局に勤務した昭和33年(1958)当時は、電話の販売は、その販売数が予算制限されていて(完全な売り手市場といった状態)、地域ごとに販売数が人口などで限定されていた。そして、その地域は市(普通郵便局区域)とその他の町村(特定郵便局設置区域)に区分されていた。

 それで、電話の設置を申し込みたい人や法人(会社)は、電話の設置場所が普通郵便局区域の場合は、直接、電話局に申し込みをする。設置場所が特定郵便局区域の場合は、電話交換設備がある特定郵便局に申し込みをする。

 もちろん、特定郵便局へ申し込んだものを含めてすべて、申込月日などによる設置順位の決定、設置工事は電話局で行う。そのため、特定郵便局に申し込まれた加入申込書は、そのコピーが電話局に郵送されていた。

 私は町村の区域を受け持つ営業担当だった。その受け持ち区域は半径20kmの半円の広さがあったが、販売数が少ないので、その区域を一人で担当していた。

 私の主要な仕事といえば、特定郵便局と連絡を取りながら、電話局の机に座って、設置の順番がきた申込者の方の電話の設置の工事通知書等を書いて関係部門へ通知することであった。

 しかし、設置数が少なく、業務時間に余裕があったので、私、自家用の中古のスクーターを購入して、設置時期が間近になった申込者の設置希望場所まで、そのスクーターで行き、分岐設備が付いている電話線の電柱の番号と、そこから引き込みの電柱が必要か否か、必要としたら何本ぐらいか、屋内のどこに設置するのか、といったことなどを事前に調べておき、その調査資料を工事通知書に添付することにしていた。

 おかげで、特定郵便局の係の方と電話の設置の話をするのに、スムーズに話ができた。

 また、設置して1か月ほどしてから、電話の申し込みを頂いたお礼を言って、電話の使用をしたうえで何か要望があるかと尋ねて回った。

 こんなことは、今であれば当然のことであるだろう。

          「続く」

 

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