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3. 現場時代2(新婚時代)
(3) 「管理者任用試験と通信局の係長への昇進」
初めての係長になって1年経った頃だった。
電電公社が初めて全国一斉で現場係長を対象に管理者(通信局係長、現場副課長以上)任用試験が実施されることになった。この制度は、どういうわけか、その年の一度だけで、それ以後は実施されなかった。
私は、係長になっていて運が良かったと思っている。
四国内の現場機関の係長は何千人もいただろう。合格者は20人弱だったと記憶している。
丸一日かけての国語・数学・一般常識などの筆記試験があり、それに合格した人を対象にして、後日、通信局に集められての面接試験があった。
面接試験は、これも一日かけて、受験者1名と数名の通信局幹部との面接が質疑項目ごとに数回別々の部屋で行われるといったものだった。
朝から行われた面接試験が終了した夕刻には、くたくたになっていたのに、興奮していて、高松に帰るまで汽車の中で眠れなかったことを覚えている。
筆記試験のための勉強は、特別にそのための用意はしなかったが、面接試験については、事前に2か月ほどかけて、局長から問題を出してもらって質疑応答集を作成して、局長に見てもらって修正し、答えを自分のものにしたことを覚えている。
問題を出してくれて質疑応答集を作れと教えてくれた局長に、恥ずかしがり屋で人前で話すときに顔が赤くなる私には自信がついて大いに役だったことで、今でも深く感謝している。
同年12月頃に合格通知を受けて、翌年の昭和39年(1964)2月の定期異動で、32歳の若さで通信局の係長といった管理者に任命された。
段階から言えば、大局の係長、現場管理機関の係長を飛び越えての昇進であり、私にとって生まれて初めての喜びであった。
母親と妻も大変喜んでくれた。妻は夫の出世だけでなく、電話付きのガス風呂がある近代的なマンション(当時マンションは珍しかった)に住めたことだ。実は、高松の家の風呂は薪で焚く五右衛門風呂であったので、私もほっとしたのだ。
もう一つ、忘れられない出来事があった。
それは、通信局の係長の辞令を現場管理機関の機関長のところへ頂きに行ったときのことである。
その日は雪が降っていて、私は、長靴を履いて一旦勤め先へ出勤して、そのままの格好で、電車に乗って、現場管理機関の機関長室へ入って行ったら、出直して来いといわれた。庶務課長に尋ねると、長靴を履いたまま機関長室に入ったからだと教えてくれた。
私は、ハンカチで泥を取ってもう一度機関長室に入り直した。しかし、機関長の顔に変わりはなく、辞令が差し出された。その後、
「これからは、君は四国を代表して本社に出張したり、大企業の幹部と会う事もあるのだ。そのとき、絨毯が敷かれた応接室に入ることもあるのだ。その恰好は失礼にあたるし、君も何だこいっと蔑まされるのだ。だから、これから出勤するときは、いつも一番いい背広を着て行き、もし、長靴を履いていくような天候であれば、革靴をもって出勤しろ」とお叱りを受けた。
四国を代表するといった責任のある仕事を担当するだということであった。
たしかに、通信局へ行ってから、また、本社へも転勤するのだが、そこでの仕事は自分なりにも大変なことだったと思っている。
「続く」