T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1182話 [ 感じたこと ] 10/31・土曜(晴)

2015-10-31 13:04:54 | 書籍概要

                                                                                                             

 昨日今日、感じたこと3点。

 [ハロウィーン]

  20数年前、米国に赴任していた長男とその嫁から、

  10月31日の夜は、近所の子供たちが「トリック・オア・トリート」と言ってお菓子を貰いに来る、

  また、仮装してハロウィーンを祝うといったことを初めて聞いた。

  今は日本でも仮装が流行っていて、渋谷などでは、警官が出て交通整理をするとか。

  来年あたりは地方都市でも多くの人が夜の市街に出るだろう。

  今は、クリスマスイブの市街は静かになっているが、

  ハロウィーンも10数年したら静かになるだろう。

  それにしても、何故、西洋の収穫祭を真似しなくてはならないのだろう。

 [剪定⇀庭を作ったこと]

  昨日、職人に庭の剪定をしてもらった。すっきりと綺麗になった。

  毎年、晩秋か初冬に、職人に剪定をしてもらっている。

  そのほかに、年2回延べ4時間ほどかけて、私も少し剪定している。

  30年前に、庭を作ったときには、将来、毎年多くの金と労力がいることなど、

  全く考えなかった。それだけ若かったのだろう。

  若いから、そのようなことは考慮する必要もなかったのかもわからない。

  今は、何をするにしても、10年ほど先のことを考えることにしている。

 [公表しない女優の年齢]

  朝刊で今年の文化勲章受賞者と文化功労者が発表されていた。

  女性の方が6名いたのだが、黒柳徹子さんだけ年齢が記述されていなかった。

  女優は、このような場合、年齢を公表しない慣わしらしいことに気がついた。

  どうしてだろう。公表しても良いと思うのだが。

 

  

  

 

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1181話 [ 古本購入 ] 10/27・火曜(晴・曇)

2015-10-27 14:44:31 | 本と雑誌

                                                                                                                 

 次男が昭和時代の終に購入した文庫本が押入れに積んであった。

 整理してみると、小説の文庫本だけでも50冊ほどあった。

 いずれの本も字が小さくて老眼鏡かけても見難いものばかり。

 作品が良くても、読む気にならない。

 昭和の末の時代の文庫本の字は、なぜ、見難いのに、この大きさだったのか不思議だ。

 ちなみに、新潮文庫の標準文字の大きさは、Webサイトで調べると、

 創刊時(昭和元年)              7.5ポイント(6号…5号→10.5ポイント)

 昭和42年から          8.0ポイント

 昭和57年から          8.5ポイント

 平成11年から          9.0ポイント

 平成14年から          9.25ポイント(現在にいたる)

 と変化しているようだ。

 古本屋(Book.OFF)に持っていき、1冊10円で引き取ってもらった。

 そのお金で、写真の本を購入した。

 

 

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1180話 [ 十三夜の月 ] 10/26・月曜(晴)

2015-10-26 12:44:36 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                      

                                                                                                       

                                                                                                       

 昨夜の月は、十三夜の月。

 旧暦の9月15日の月を十三夜の月というらしい。

 今年の十五夜の月と同じく真ん丸でないので、今夜あたりが真ん丸だろう。

 秋の空は、夏の空と違って、真っ青だから、昼の月もはっきり見えて綺麗だ。

 夜の月も昔から「十三夜は曇り無し」といわれていて、

 十五夜のように雲が多くなく、これも綺麗だ。

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1179話 [ 「五郎治殿御始末」を読み終えて-2/2- ] 10/25・日曜(晴)

2015-10-25 11:07:25 | 読書

[柘榴坂の仇討]

「内容紹介」

 井伊大老が桜田門外の変で斬殺されたのに、駕籠周りの近習・志村金吾は無傷であったことから、御禄預りとなり、罪をそそぎたくば刺客の首級を挙げよといわれた。

 13年間、逃亡者を検索したが見つからず明治の御世になった。元旗本から、廃藩置県や仇討禁止令などの時の流れを感じて、仇討は止めろとの説諭もあり、逃亡者の一人に遇った時に、金吾は仇討はすべきでないと心から感じて、お互いに苦しみを越えようと言う。そして、金吾は、それまで酌婦をして苦労をさせていた妻と新たな人生を歩むといった武士の人情話。

「登場人物」

 志村金吾: 元彦根藩士で、桜田門外の変での大老井伊直弼の駕籠周り近習役。

 直吉:    本名、佐橋十兵衛。桜田門の変の刺客のうちの逃亡者の一人。

「あらすじ」

 雪が降りしきる朝、桜田門外で藩主井伊直弼が斬り殺された。「討ち取ったり」の声に、藩主の傍らを離れていた駕籠周り近習の志村金吾は振り返り、脇差を握った手をだらりと垂らしたまま、やがて腰がくだけ、水たまりに両膝をついた。金吾の魂は天に飛んでしまっていたのだった。

 駕籠の左側を警護していたもう一人の近習は斬り死にした。右側警固の金吾は手傷も負わず、お駕籠を離れた雪の中に呆然と蹲っていた罪は重かった。 詮議の声が甦る。

 『もはや切腹など許さぬぞ。父が腹を切り、母者までもが喉をついたるは、うぬが身代わりじゃ。御禄召し上げのうえ放逐の儀は、父母の衷情に免じて御禄預りとする。罪をそそぎたくば、騒動に関わりたる水戸者の首級の一つも挙げて、掃部頭様の御墓前にお供えせよ』

 おのれのとるべき道は仇討のほかはないと悟っていたから、詮議のあった夜のうちに上屋敷の長屋を出て、刺客一味の探索のため、江戸市中の貧乏長屋に潜むようにして暮らしていた。そして、彼の妻は、場末の酌婦をしながら生活を支えてくれていた。

 どれか一つの首を取ることは決して難しいことではあるまいと思っていたが、本懐を遂げぬままに時は移ろい、明治の御世がやってきて、明治6年、あの桜田門外の変から13年の歳月が流れようとしていた。

 小雪降る2月、金吾は昔の知人の紹介で、あの事件を起こした刺客のその後のあらましを知っているという警視庁を退職した元旗本の秋元和衛を訪ねた。

 秋元は、旧評定所の書付を調べたり、自訴(自首)した者の吟味に立ち会った時の状況を思い出したりして、事件に関わった18名の刺客のその後について話してくれた。

 『その場での斬死が1名、自刃が4名、自訴し切腹を許されたものが8名、逃亡が5名、いずれも国を憂うる無私の心情からでた行為の国士であった』と。

 金吾は、大老を誅した者に切腹を申し付けるとは如何にとか、逃亡者は国士でなく卑怯者だと反論した。

 秋元は、この男はおのれの上にだけ時が止まっていることに気がついていないと思い、『志村殿。彦根藩なるものは、もはやこの世には無いのだぞ。何故仇討にこだわる。家禄も旧に復するはずはなく、汚名が返上されるわけでもあるまい』と説諭した。

 しかし、金吾の心から仇討が消え去っているように見えず、秋元は、先日知り得た逃亡者の一人の消息を教えなかった。

 それから数日たった日、雪で真っ白に染まった夕方の新橋の駅頭で、先ほどまで、数日前の新聞の「仇討禁止令」太政官布告を読んでいた車夫・直吉の前に、散切頭に二本差しの男が立った。事件の逃亡者と見た金吾である。

 人力車に乗った金吾が行き先を言わないので、直吉は、桜田門外の変の警固をしていた元彦根藩士ではないかと思って、「雪見でござんすね」と言って、柘榴坂に向かった。そこは、昔、各藩の屋敷があり、直吉は自訴できず死に遅れた場所である。

 途中の話の中で、お互いの正体をはっきりと知り、名乗り合う。直吉は佐橋十兵衛と名乗る。

 柘榴坂の途中で、金吾は車を止めることを命じた。十兵衛は梶棒を下ろして雪の上に座り頭を出して、『そこもとの執着、頭が下がり申す。存分に本懐を遂げられよ』と声が唇を震わせた。

 しかし、金吾は、『立合わぬか』と言い、わしは脇差でよいからと、自分の太刀を十兵衛に渡した。

 十兵衛は、今さら人殺めるのであれば、おのれが死にたいと思っていたし、雪の中に佇む金吾の姿にも、戦う意思がいささかも感じられなかった。

 十兵衛は、13年もの間、一点の陰りもない魂を持ち続けた侍に本懐を遂げさせようと、先に自らの喉を掻き切って自死しようとした。それを見ぬいた金吾は十兵衛に体当たりをして押し倒し、胸倉を締め上げた。

 そして、金吾は、『あの時、掃部頭様は仰せになった。かりそめにも命を懸けたるものの訴えをおろそかには扱うな。よしんばその訴えが命を奪う刃であっても甘んじて受けるべきだと思われたのじゃ。おぬしら水戸者は命を懸けた。だからわしは、あるじの仇といえども、おぬしを斬るわけには参らぬ。どうか、そなたも今の苦しみ乗り越えてくれまいか。わしもそうするゆえ』と言う。

 やがて、金吾は、苦労をかけた妻が酌婦を務める酒場に行き、仇討禁止令が出たと喜び、この先は、車引きでもすると告げる。腕が千切れ足が折れるまで、この妻に報いていこうと決心していたのである。

                                              

                                     (終)

  

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1178話 [ 「五郎治殿御始末」を読み終えて-1/2- ] 10/24・土曜(晴)

2015-10-24 13:35:03 | 読書

                                                             

 [作品概要]

 勢州桑名藩の岩井五郎治は、新政府の命で、旧藩士の整理という辛い役目についていた。だが、廃藩置県によって御役御免。すでに戊辰の戰で倅を失くしている老武士は、家財を売り払い、幼い孫を連れて桑名を離れたが……「五郎治殿御始末」。

 江戸から明治へ、侍たちは如何にして己の始末をつけ、時代の垣根を乗り越えたか。激動の世を生きる、名もなき武士の姿を描く珠玉の全六編。(裏表紙より)

 直木賞受賞作家の浅田次郎の時代短編ー椿寺まで・箱館証文・西を向く侍・遠い砲音・柘榴坂の仇討・五郎治殿御始末ー小説。

  ※ 以下に、太字の標題について「あらすじ」等を記述しました。

                                           

[椿寺まで]

「内容紹介」

 元武士であった商人・江戸屋小兵衛は、薩長軍に討たれた友人の子の新太を引き取り育てて、新太が丁稚になったある年に、地方へ反物の買い付けに連れて行き、途中、新太に内緒で、椿の大樹がある寺に住む尼僧の母親に会わす。新太は母親だろうと思うが、黙って椿の花を懐に入れ去って行く人情話。

「登場人物」

 江戸屋小兵衛: 武家を廃して、反物や羅紗地を扱う商人になった男。

 新太:       甲州勝沼で薩長軍に討たれた武士の子で、

            武士の友人の小兵衛に商人に育てられている。

「あらすじ」

 江戸屋小兵衛と伴の新太は、国領町の飯盛旅籠についた。小兵衛が今夜は女は買わないよと言って、新札を女将に手渡した。法外な金額だろう、女将は急に愛想を振りまきながら、可愛らしい丁稚さんと、新太の顔を覗き込んだ。『丁稚というより、倅みたいなもんさ』と、小兵衛は梯子段を上った。

 新太は捨て子で小兵衛に拾われたといわれているが、新太が物心ついたのは、江戸屋の女中部屋で、数えの五つから丁稚部屋に移り、ほかの丁稚と同じく、寺子屋に通いお店の手伝いを始めたのだ。そんなことから、新太は、『倅みてえなもんさ』と言う小兵衛の口癖は何故か嬉しかった。

 夕飯を終え、小兵衛と風呂に入ったとき、新太は、小兵衛の醜い傷跡をみっしりと背負った身体を見て目を瞠った。新太は、小兵衛の背中を流しながら、この傷だらけの背中にせをって、店に連れ戻ってくれたのだろうと、この背中の温もりを何時までも思い出したかった。

 小兵衛から薄気味悪かねえかいと言われて、新太は答えが見つからず、糠袋に力を込めながらかぶりを振った。そして、みんな行きたがっているのに、どうして、おいらをお供になすったんですかと問うた。小兵衛は尻を回して、『のっびきならぬ訳があるのさ。この先どんなおっかない思いをしたって、泣いたり喚いたりするんじゃあねえぞ。いいな、新太』と言う。

 翌日、府中の宿場に入ったのは昼前だった。そこで昼飯を食って、札の辻の先の寺町についたとき、小兵衛が、今日は寄り道があるので、日野の泊りだと言う。

 小兵衛は、いったいどこへ行くつもりなのだろう。高幡不動の手前から雑木の山道へと歩みこんでいく。

 しばらく登ると、椿の森の中に茅葺の山門が見えた。そこをくぐった先は一面の椿の庭だった。そこに寺男が待っていた。

 小兵衛は新太に、おれは庵主様に話がある。そこの椿の木の下で待ってなと言って中に入っていった。

 新太は、言われたとおり、椿の大樹の根元に座ると、寒くはねぇですかと、後ろから、寺男が横に蹲った。そして、しわがれた声が呟いた。

 『三浦様はご立派です。天下のお旗本が、よくも胎をくくって商人におなりなすった』そして、『忘れてやしませんよ。実は甲州勝沼の戰で、あっしァ若さんのお父上様のお馬口を取らせていただいていたんです。そこでお父上は討死なすった。三浦様は、勝沼から上野のお山にお入りになり、5月15日の総攻めで膾(なます)みたいに切り刻まれてお先手組の長屋に担ぎ込まれたのです。新太郎様……』

 自分の名前だ。新太は震える体をおのれの手で抱きしめ、天蓋の椿の花を見上げた。

 『お父上様の幼馴染の三浦様は、傷の癒えぬお体を引きずって深川のお屋敷を訪ねて下さったのです。すんでのところで、お母上様は新太郎様を道連れに御自害なされるところでした。三浦様は、お母上様の手から若様を奪い取って、それほど死にたくばお一人で死になさいと怒鳴られ、血の涙を流していなさった。今も忘れやしません』

 庵の玄関に、2人の近づく足音がした。ひとりは滑るような静かな音だった。新太は、膝の間に頭を抱え込んで寝たふりをした。

 『手前どもの丁稚でござんす。一言お声をかけてやっておくんなせぇ』少し芝居がかった小兵衛の声が聴こえた。

 椿の帳(とばり)を押し開けて、小さな尼僧が白い掌を合わせて新太を見つめた。『おやおや、旅の疲れでお休みでしたかえ』と優しい声が聴こえたが、新太は武家言葉を覚えていなかったのか、『母上』と口にすることができず、『おいら、一所懸命やるから心配しないでくれろ』と、抱きとめようとする母の手をすり抜けて椿の枝の間から走り出した。

 母上は、きっと、椿の森に佇んで見送っているだろうと、新太は、一目散に石段を駆け下りて、雑木林に変るあたりで、足元に落ちた大輪の椿をそっと懐に入れた。

                                  

                                    (次篇に続く)

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