T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1154話 [ この一週間 ] 8/28・金曜(曇・晴)

2015-08-28 11:17:26 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                       

                                                                                                          

                                                                                                                 

 この一週間、さすがに猛暑日と熱帯夜はなくなったが、真夏日は続いている。

 猛暑日のときは、午前中でも30℃を超える気温になっていたので、

室内でも、あまり動く気がしなかったが、やっと気持ちが動いた。

 今週は、まず、三日ほど午前中、室内整理、本棚整理、衣類整理を行なった。

 次に、5年前に最初に記載したエンディングノートの修正補足と

付帯資料の修正追加をした。

 一週間の午後は、前項の2日間を除き、

写真の「テキスト」でPC復習をした(あと半月ほど時間が必要)。

 以前、もう一度、俳句の勉強をと思っていたが、

全く興味がわかず、少しもできなかったが、PCのほうは続きそうだ。

 昨日と今日の早朝、1時間、やっと虎刈りの剪定をした。

 このあと、雨が降った日の後、三日ほどかけて、

庭の草取りをしたいと思っている。

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1153話 [ カレンダーと体感 ] 8/23・日曜(晴)

2015-08-23 11:07:37 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                       

  今朝の最低気温は22.8℃。

  二十四節気の「処暑」に合った秋を感じる涼しい朝だった。

  しかし、最高気温は今日も30℃を越えるようだ。

  最低気温が23℃以下、最高気温が28℃以下になると、

 一日中、秋を感じるようになるのだが。

  昨年は8月28日以降からそのような気温になった。

  今年はどうだろう。9月中旬からかな。

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1152話 [ 朝顔が咲く時 ] 8/18・火曜(曇・晴)

2015-08-18 13:23:06 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                  

                                                                             

  朝顔に みとり労(づか)れの 目をやりぬ        中尾 白雨

  妹は作者の看護のため徹夜した。 作者が明け方少しまどろんで目を覚ますと、

  雨戸を繰ったまま、縁側に佇んでじっと朝顔の鉢に見入っている。

  妹よ、さぞ疲れたであろうと、呼びかけたい気持ちを込めて、

    作者はこの句を詠んだだろう。

  初秋の暁の兄妹の心持が、朝顔の花のように美しく思われる。

                                                      

  初秋の暁に、露を含んだ朝顔は、美しく一層の涼しさを感じさせてくれるし、

    上の掲句のように、気持の安らぎを感じさせ、疲れを癒してくれる。

  私は、朝顔が咲く時間を、朝顔自身で日の出を感じて咲いているのかと思ったら、

  前日の日没時間から、一定の時間を経た後に咲くようである(上掲新聞による)。

  私と妻の朝起きる時間は、日の出と気温に基づいている。

  夏は最低気温と日の出後に近い6時過ぎに、

    冬は日の出後、少し暖かくなる7時過ぎに起きている。

  朝顔は前日の日没時間を基準に咲き、

    我々は日の出時間と朝の気温を元に起きる

  どちらも自然を基準にしているが、どうして、こうも違うのだろうか。

 

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1151話 [ 文庫本の購入 ] 8/17・月曜(曇・晴)

2015-08-16 16:07:26 | 日記・エッセイ・コラム

                                       

 面白いかどうか確信が持てなかったが、

 いい本を発刊する幻冬舎が最新刊のチラシのトップに持ってきていたし、

 直木賞受賞作家の葉室麟の作品だったので、購入した。

 早く読みたい気持ちで一杯だ。

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1150話 [ 終戦と亡き母 ] 8/16・日曜(曇)

2015-08-16 10:59:50 | 日記・エッセイ・コラム

                                                      

 昨日は、終戦から70年を迎えた終戦記念日。

 昨年同日、このブログに「終戦記念日!?」と題して、亡き母を偲んでUPした。

 今年は、そのブログに文章を追加、修正(赤字)して、改めて亡き母を偲ぶことにした。

 終戦の年の7月に戦死した父の思い出を、先月、ブログにUPしたので、

 それに続けて母への想いをUPし、記録することにした。

                                                     

 70年前の今日は、母親と私たち兄弟の人生を大きく変化させた日。

 終戦の年の3月に、佐世保から両親の故郷の田舎に疎開し、親戚の家を転々と数回転居した。

 終戦後の11月9日、父親が7月8日に戦死したと知らされた。

 父の「俸給」は終戦前の6月から届かず、そのために、貯蓄もすぐ無くなったようだった。

 親戚の方々から、いろいろと援助していただいたが、当然、その援助だけでは生きていけないので、母は衣類の行商、農業の雑用、林業の雑用(雑木運び)と、とにかく、なんとしても生きることに努めた。

 終戦1年後、裁縫の仕事ができるようになると、母が布団の上で寝ている姿を見たことがなかった。座ったままで、2時間ほどしか寝ていなかったのだろう。

 食べ盛りの男の子4人(1931年生、1936年生、1938年生、1942年生)にできるだけ満足させようと、「団子汁」(米飯は無い)の食事のときは、自分は汁だけで我慢していた。

 食べるものが無くなったときは、子供を連れて、あちこちの親戚のところへ行き、家事の手伝いをして、食事を貰ったこともあった。母は辛く哀しい思いをしたことだろう。私でも何か乞食のようで嫌だったし、従兄弟たちを妬ましく思った記憶が残っている。

 終戦後7、8年ぐらいして、どうにか人並みの生活ができるようになったが、それまでの母の苦労は並大抵のものでなかった。

 苦労した母親は1972年11月に62歳の若さで亡くなった。あまりにも苦労をしたことによる若死にだったと思う。

 今でも、従兄弟たちから母親の思い出話を聞くと、すぐ涙が出る。そんなことから、人前で自分から母親のことを話題にしたことはない。

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