T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

節分そば、恵方ロール、桃太郎市?

2013-01-30 14:18:16 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                           

Setubun2

                                                                                                                                                    

Setubun3

                                                                                                                                        

 近くのスーパーマーケットの"節分祭"特集広告チラシ。

 巻き寿司の恵方巻、節分の各種いわし、福豆、ひいらぎ⇒昔からあつたね。

 節分そば、節分の日の酒(鬼…、富久…)、節分こんにゃく⇒エー?

 恵方ロール(菓子)、…福大福(和菓子)⇒エー?

 いやいや、そんなことはないよ。

 そばは「年越しそば(立春ー昔の新年ーの前日)」と言っていたらしく、

 こんにゃくは「腸の砂おろし」と言って、節分に昔から食べていたようだ。

 酒と菓子は、ほんとにエー?の話だ。

                                      

 そんな話が他にもありました。

 香川県の「うどん県」を真似て、

 岡山市が「桃太郎市」に改名したとか。

 

 

 

 

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バレンタインに春を知る!ー770回ー

2013-01-29 09:08:48 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                               

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 待ち遠しい春。

 待ちに待った春。

 もうすぐ其処に来ている。

 幸せ持って早くこい。

 幸せは、その人に合ったものが必ず来るからね。

                                    

 立春後の初めてのイベント、バレンタインのチョコの山また山がスーパーマーケットに出来ていた。

 貰う人、送る人、それぞれの人に合った好みのチョコも手作りしてくれるようだ。

 

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初冠雪!

2013-01-28 09:16:30 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                               

Yuki2

                                                                                                                                                          

 初冠雪、初積雪、と言っても、うっすらと。

 今朝未明に降ったようだ。

 南国の平地にも、年に一度は積雪がある。

 と言っても二三㎝の積雪だ。

 昨年は2月19日に四五㎝の積雪があった。

 もう降らなくてもよいよ。

 知っているだろう。 来週は立春だからね。

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「秋月記」を読み終えて!ー6/6ー

2013-01-27 09:24:03 | 読書

「第十五章」

ーー 小四郎と吉左衛門(惣兵衛)の間に派閥の溝ができる --

 弾正が討たれた後、大膳も失脚していた。そして、勘七も罷免された、本藩が秋月藩の支配を断念した。

 勘七は別れの日に、小四郎の屋敷を訪ね、我らが去れば、今度はそこもとらが藩内の憎まれ役とならねばなるまいと言う。小四郎は、昔、織部様から同じことを言われたと返事した。

 『旧友達の助力によって弾正の思惑を退けることができたが、家族もあり、重職について各々の立場が異なる旧友らとの政事における齟齬は避けがたく、特に惣兵衛は中老となり吉左衛門と名を改め、藩政の一派を形成し、小四郎との溝が表面していく。

 小四郎は、惣兵衛たちも皆、秋月を背負っておるつもりなのに、気持ちが離れていくのはどういうわけだろうかと言う。女房のもとは、人が自らの道を歩めば自ずと遠ざかるのは当然だと言う。』

ーー 小四郎、日田の借金を大阪商人に肩代りを願う命を受ける --

 そんな中、吉田家老も同席するところで、吉左衛門から大分日田の掛屋(金貸し)からの約1000貫の借金を大阪の商人に肩代りを依頼するため大阪に行くように命じられた。返済を据え置いている上に肩代わりもしてもらうとは虫のいい話だが、殿の御前で討ち死にする覚悟でやってもらいたいと言われた。

 小四郎は前回の返済据え置きで世話になった油屋を訪ねると、蝮にかまれる覚悟があるかと言われ、堺屋の内儀を紹介してくれた。その内儀は、織部崩れの時に弾劾された元家老の帯刀の妾だった七與であった。

ーー大商人の内儀・七與に苦い代償を払って肩代わりをしてもらう --

 七與から、昔、秋月の人々から酷い仕打ちも受けたので、人別講(領民から特別な人頭税をとること)で金を集めろと要求されたが、小四郎は、それを拒絶し、大庄屋から寄進を集めることを提案した。

 七與は代償に賄賂を受け取り、それを重職に配り、小四郎に藩を牛耳れるほどの出世をしろと言われた。

 自分の店の金で秋月藩をどうとでもできたら、昔の仕返しができた気持になると言う。

 『今回もあなたを追い落とそうとして、家老たちは無理難題の用を申し付けたのでしょう。間様も金で味方を増やさないと何事もできません。金は必要です。しかし、金は天から降りません。泥の中に落ちているもので、手を汚さないで取ることはできませんし、商人は金の力しか信用しません。金を受け取ってくれる人だけが味方ですと言う。』

 小四郎は、財政窮乏の救済のために、毒を食う覚悟で賄賂金を受け取り、家老と吉左衛門以外の重役に肩代わりの条件だと言って金を配った。

 小四郎も中老に昇進すると、はっきりと派閥の形ができ始めた。飢饉に備えての備蓄米を蓄えることを行おうとしたことも藩の上士の反対派からは人気取りだと受け止められた。

 久し振りに帰ってきた猷も、小四郎は金で家老の地位を狙っている、昔の友情を踏みにじる人だと小四郎の評判の悪さに驚いていた。小四郎は手が汚れても胸のうちまでは汚れるわけでなく心は内側から汚れるものだと言う。

「第十六章」

ーー 小四郎に対する悪評に対抗し隠居して院政を敷く --

 秋月は70年ぶりの洪水と、台風の惨劇に見舞われた。こんな時に、七與が宿泊している屋敷に、組頭を殺された仇討のために5人ほどの伏影が集まり、小四郎を亡き者にしようとしていた。

 帰省していた猷が山伏に変装した伏影の一人を不振がって後をつけたが反対に人質となり、小四郎は数人の伏影を倒して猷を助けた。

 また、小四郎は、七與は福岡藩の差し金で、金を出しており、小四郎の評判を悪くして失脚させる計略があることを知った。

 一方、小四郎は、洪水と台風によって痛めつけられた領民の救済策として、被害の状況を実際より拡大して付け出し、より多くの窮民を救えるようにした。しかし、各村からはそれだけでは不満で免訴願が出るが、小四郎は前例がないとして反対した。小四郎の心のうちでは、反対して、反対派に免訴願を受領さすようにしたかったのだ。小四郎は計算の上で憎まれ役を買って出たのだ。

 このことにより、当然のように小四郎に対する不満は領内に満ちてしまうようになった。

 小四郎は、これを契機に隠居することにして、名を余楽斎と改めた。しかし、隠居とは名ばかりで、藩の要所要所に自分の指示に従う者を配して影の権力者としての道を歩き始めた。

ーー 小四郎は島流しが許された織部に会い、

             己の行く道に確信を持つ --

 18年間の長きにわたる島流しが許された織部を小四郎は訪問した。織部が住んでいる家の前をよぼよぼ歩く老人姿の織部に気が付かなくて、織部からまだ青いと笑われた。

 織部から、そのあたりで話そうと道端の石に腰掛け、織部は話し出した。

 『人は美しい風景を見ると心が落ち着く、それは、自然は何時も自然だから心が落ち着くのだ、しかし、人は己に迷い己の行動を疑う。小四郎、己が己であることにためらうな。悪人と呼ばれたら悪人であることを楽しめ、それがお前の役目なのだと言う。

 織部から、藩政を影から動かそうとしていることの後ろめたさがあることを見抜かれていたのだ。』

「序章・第十七章」

ーー 余楽斎、幽閉される --

 藩政に専横な振る舞いがあったとして、余楽斎が上意により幽閉される。

 取り調べは本藩の御納戸頭によって行われ、「藩主を廃して、家老の吉田縫殿助を擁立する陰謀を企てしこと、まことか」の問いに対して「身に覚え無きこと、しかし、殿の御心中を悩ましたこと、その罪、軽からずと心得ておる」とだけ答える。

 処分の言い渡しの後に、「かくなることに相成って、随分と悔いておろうな」という御納戸頭に「それがしは弱い人間であった。その弱さに打ち克ちたいと思って、また、逃げない男になろうと、今日まで生きて参った。これでやっと重い荷を下ろせ申す。」と答え、「隠居した後、全く藩政から身を引くという生き方もあったのではないか。」との問いに、「さようには生きぬものだと教わりました。」と言って目を閉じた。

ーー 余楽斎、猷との面会の後、玄界島に流刑される --

 処分の言い渡しの後だとのことで、猷の面会を許してくれた。

 幽閉された原因を問う猷に、余楽斎は、「山内家から婿養子として迎えられた藩主は、切迫した藩の財政を考えずに、参勤交代の時に瀬戸内海の海路をとるための御座船を作ろうとされたので、反対して殿の御隠居を画策したのが発覚してしまったのだ。」と答え、吉左衛門や第蔵とも意見が合い協力してくれたので巻き添えにさせてしまって、彼らも逼塞を命じられた。申し訳ないことをしたと老友たちのことも話した。

 猷は茶室の丸窓を開けて、白い芙蓉が咲いているのを見て、淡窓作「蘭」の漢詩を口にした。

 余楽斎が「過褒と申すべきだが、私は逃げなかっただろうか。」と猷に問う。猷は、「お逃げにならず、命がけで私を助けてくださいました。」と、そっと余楽斎の手を取った。

 数日後、余楽斎は玄界島に流されるため秋月を出立した。

                                                                                           終 

 

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「秋月記」を読み終えて!ー5/6ー

2013-01-26 09:48:33 | 読書

「第十二章」

ーー 小四郎と友との藩政への意見が少しずつ異なっていく --

 小四郎は35歳になった時、郡奉行に加え町奉行と御用人本役を兼務した。家老に次ぐ重職である。

 昇進を言い渡された日に勘七に呼び出され、大阪に共をいたせと言われた。

 所務渡米の半知を3年ぶりに元の70表に戻すことにした。これ以上は藩内がもたぬからだが、それでは、今後の借財返済がとても賄えぬので、12年間返済停止を申し入れることにしたいのだと言う。

 惣兵衛が勘七の本心を漏らしてくれた。勘七は、半知の停止を仕方なく同意したが、長期間の返済停止には、大阪商人は利に敏いから見返りを求めてくるだろう、そのために、本藩の保証を差し出すことを考えているようだ。それにより、今の本藩の差配の上に、保証を乗せて丸抱えとして藩領を乗っ取ることを狙っているのだと言う。

 そして、惣兵衛はそれでもよいと近頃考えていると言う。

 小四郎は、そんなに本藩に負い目を感じていないと、惣兵衛の考えに反対した。先君襲封の際に長崎巡察を引き受け、御所の造立・修復においても本藩の負担を軽くしたのにと思っていたので、惣兵衛の終わりの言葉から勘七に頼まれて話をしに来たと見ていた。

 惣兵衛は小四郎の意見に返事をせず、つまらぬ意地はっては皆が迷惑する。小四郎一人では何もできぬと告げた。

 小四郎は、一人だとは限るまいと呟いて別れ、友の家を次々に尋ねた。

 安太夫は勘定方失態で蟄居の身だ、藩の役目もあり、家族もいるので、若い時とは違うと話に応じなかった。小納戸役の汀と龍助は、殿は本藩との軋轢を心配している、勘七と和解してくれと言う。

 銀奉行の第蔵だけは小四郎の意見に同意して同行を承諾した。

 秋月藩の銀主になっている5人の商人を大阪中の島の藩の蔵屋敷拓きに招待した。勘七から返済一時停止の願いを申し出ると、頭から商人全員の反対を受けた。当番商人から本藩保証の話も出たが、その時、『一人の年老いた商人から間様はどう思っているのかと問われた。小四郎は第蔵に作ってもらった秋月藩の財政の一部始終を書いた資料を提示し、持参した葛を味わってくれと久助に配らせた。領内の百姓の娘が長年かかってこの者と作り上げたもので、近く、殿に献上し江戸にでも売り出す所存ですと言う。

 力のある先ほどの年長の商人が、これは売れると言い、もう一つ我らを動かすものはないのかと問うた。小四郎は、先ほど本藩の保証をつけることを条件にする話が出されたが、本藩は秋月を見捨てるわけにはいかない状況にあり、ここに井出殿がおられることが何よりの証だから、約定も証文も不要で、本藩にとっての借財でもあるのだと見栄を切った。』

 帰藩した勘七は、小四郎に、藩の窮状をさらけ出し、更に本藩が必ず秋月藩を庇うなどとは言語道断だと怒り、村上殿の指図で秋月に伏影が動いてきたと、本藩に逆らう者は闇に葬られると暗に示して恐喝した。

 秋月藩を取り戻すことこそ、流罪となった織部が望んでいたことで、これからは本藩の指図は受けぬと小四郎は決意した。

「第十三章」

ーー 姫野弾正が果たし合いを藩を通じて小四郎に申し出る --

 勘七から、弾正が息子の仇討を果たし合いとしてと言う名目で、本藩に許可を願い出ているが、小四郎の意向はどうかと問うてきた。当然、弾正側には助太刀人が居て、17人だと言われた。小四郎は絶句したが、了承した。

 藤蔵は助太刀を申し出たが、小四郎は相手の人数が多すぎると断って、鍛錬の相手を頼んだ。

 長崎から帰った猷が事情を聴いて、愛しく思う小四郎のために、小四郎の6人の友達に頼んで廻ったが、今の儂には無理だ、藩主の意向もある、助けるいわれがないなどと、色々の理由をつけて断られた。

 『最後に訪問した惣兵衛に対して、猷は、本藩に逆らうのが怖いのでしょう、間様は皆さまが胸の中でやりたいと思われたことを、されただけではないのですかと言って、広瀬淡窓の「蘭」という漢詩を口にした。

 「独り幽谷の裏に生じ   豈世人の知るを願はんや

  時に清風の至る有れば 芬芳自ずから持し難し」

 <蘭は奥深い谷間に独り生え、世間に知られることを願わない。しかし、一たび、清々しい風が吹けば、その香りを自ら隠そうとしても隠せない。>

 そして、「私には、皆さまが間様のお気持ちにわざと気づかぬ振りをなされているように思えてなりません」と言って去った。』

「第十四章」

ーー 弾正が刺殺され、彼らの企みも退けられる --

 弾正が勘七に鷹匠が使う「詰め」という言葉を知っているかと聞く。弾正が、鷹に餌をやらず弱体にさせてから餌をやると、以後その鷹匠の意のままに使える、小四郎一人斬るだけなら自分一人で十分だが、配下も使うのは秋月藩士への見せしめで、今後、本藩に敵対するものを排除しようとする狙いがあるのだと言う。

 果たし合いは、藤蔵と、猷の尽力による齟齬ができつつあった友人の助太刀で、弾正を刺殺し彼らの企てを退けることができた。

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