T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

ペイントの字?

2013-12-30 09:18:23 | 日記・エッセイ・コラム

 

Hidaliuma


 

 PCアプリの「ペイント」で字を書いてみた。

 縁起がいい「左馬」に新年の季語で思いついた俳句を添えてみた。

 マウスで絵や字を書くのがこんなに難しいとは思わなかった。

 

 次回は「餅花」の絵に、新年の俳句を添えたものを書いてみたい。

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葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! ー6/6ー

2013-12-29 10:01:29 | 読書

(26) お芳の声が花を咲かせてくれと励ます。

 お芳の亡骸を寝かせている部屋で、櫂蔵は、お芳、お芳、と何度も呼びかけた。柱に身体を持たせかけていると、お芳の顔が脳裏に浮かんで、お芳の声が耳の奥に響いてきた。

 「生きてください。生きてください。そして見せてください。櫂蔵様の花を。落ちた花がもう一度咲くところを。だから生きてください。」

 優しい、悲しさに満ちた、櫂蔵を愛しく思う声だ。だが、私に我慢ができるのか。この憤りを抑えることが果たしてできるのか。無理だ。お芳がいたから、落ちた花をもう一度咲かせようと思えたのだ。

 

 日田から戻った咲庵は、お芳がこの世を去ったと知って愕然となった。

 それから数日後、博多から半兵衛と信弥が帰ってきて、播磨屋の情報を知らせた。

 正月に、播磨屋の主人が、羽根藩藩主に年賀の挨拶で出てくるとのことですが、大名貸しで大損したとのことで、おそらく、蔵にある5千両に何らかの動きがあるのではないかと存じますと言う。

 陣内の留守を見て、櫂蔵は、配下の4人に、私の妻にするつもりだったお芳が、清左衛門に辱められようとしたゆえに、私のことを思って命を投げ出したことを告げた。

(27) 染子が、妙見院に、お芳を自殺に追い込んだ清左衛門の非道を上申した。

 この日、染子は、二の丸の隠居所の妙見院に拝謁していた。

 妙見院の何用かの問いに、染子は、「わたしの手許にありました花一輪、非道なる者のために散りましてございます。」と答えると、妙見院から、その非道なる者はと尋ねられ、井形清左衛門様にございますと申し上げる。井形の悪しき噂を耳にせぬでもない。如何したのじゃとの妙見院の問いに、染子は答えて、「伊吹櫂蔵の妻になってもよいと、わたしも誇りに思っていた女子のお芳が、清左衛門から辱めに遭おうとして自殺した」ことを話した。妙見院は、井形め、女子を道具としか見ておらぬようじゃのう。憎やと呟いた。

(28) 清左衛門の独裁で、播磨屋の出店から博多に向けて、5千両が運び出された。

 年賀の挨拶の席で、藩主から直答を許すと言われた播磨屋庄左衛門は、お貸ししたものは、いつお返ししていただけるのでしょうかと言った。とっさに清左衛門は、まことに、何事も速やかに致さねば、されば、播磨屋殿の蔵にお預けいたしたものを、お引渡ししては如何かと存じますと藩主に申し上げた。藩主が、日田の掛け屋のこともあるのではないかと言うと、何の関わりもありませんと言って、播磨屋への引き渡しが決定した。

 

 この日の夜、播磨屋の出店の奥屋敷で、庄左衛門は勘定奉行の清左衛門に向かって、貸している金に比べれば僅かなもの、そのために昼間のような茶番を演じねばならぬとはと、藩の重役に言う商人の言葉と思えない言葉を発した。清左衛門は、それには気を掛けず、とはいえ、天領の掛け屋からの金を播磨屋からの借財に当てたということが分かれば大変なことになるので、内密に急ぎ運ばねばと言う。

 そこへ、陣内が来て、私の宰領で、博多まで運ぶ事を告げると、清左衛門が急げと命じた。

(29) 新五郎の提案による小判の朱印で5千両が無事小倉屋に戻る。

 夜の闇の中を国境に向かって、陣内が宰領し浪人の用心棒で囲んだ、小判を摘んだ大八車が進んでいた。

 その時、前方から櫂蔵とその下役、咲庵、そして日田の小倉屋と西国郡代配下の井上子兵衛が現れた。

 陣内は、櫂蔵の居合の気迫に刀を抜くこともできず、浪人たちは大八車から離れた。

 櫂蔵が小倉屋の小判を何処に運ぶのかと問うと、陣内が、小倉屋のものだという証しがあるかと言う。小倉屋が千両箱の鉄枠に「天」の字の焼き印があると、それを見せると、陣内は、焼印は中の小判が誰のものかの証しにならんと言う。小倉屋は落ち着いて、新五郎様の案でもしもの時のためにと、小判の紙包みの裏に小倉屋の朱印を押すことにしました。これが証拠ですと陣内に見せた。

 櫂蔵は居合を放って、陣内の髷を切った。井形様に今すぐ注進されたら都合が悪し。日田の小倉屋に小判が着いたことを確認して貰いたいと言う。

(30) 清左衛門の罪状が暴かれる。

 翌日、城の中庭で正月能が催されて、藩主、妙見院と家老、清左衛門などの重役が居並ぶ中に、播磨屋も招待されていた。

 脇能「老松」(菅公の飛び梅伝説)が演じられた後、妙見院が、今の能もどこか憐れみを感じさせますのうと呟くと、それに応えるように、清左衛門がまことに趣きがございましたと言う。すると、妙見院は、解せぬな、そなたは昨年末、罪のない女子を一人手にかけたというではないか、さような者に菅公の気持が解るはずがないと思うと言う。清左衛門が、その女は、昔、私の馴染みで、今は金にて客を取る商売女になっているのに、家中の屋敷に女中として入り込んでいるとは、由々しきことだと厳しく叱責いたすと、逆上して自殺したものですと言う。

 「妙見院は、それは不可解なこと、昔のことはいざ知らず、その女子は伊吹改蔵の妻になるべき者であったと、櫂蔵の継母で武門の賢夫人と言われている染子から訴えがあった。染子は、昔、わらわに仕えていて、その頃より、周りもよく知っていたように虚言を弄したことはない。その染子が申すのに、死んだお芳も嘘を言わぬことを信条といたしていたと、染子も誇りに思っていたとのことだ。妙見院は後ろに控えていた染子に、そうであったなと言うと、染子が、相違なく、我が家の嫁になるべき女子でございました。一旦は己を見失いましたが、その後は、人を愛おしむ心こそ何ものにも代えがたいものであると知りました。それは井形様が御存じでない心でございますと返答した。」

 妙見院は、藩主に向かって、「殿は家中の女子をすべて敵に回しても御家が立ち行くと思いか、厳しくご詮議を願わしゅう存じます。もう一つ。日田の掛屋からの借銀が何処かへ消えたことについても詮議を致さねばなりませんぞ。」と言い、証はそこの伊吹が申すであろうと言う。

 能役者の傍らにいた櫂蔵に、清左衛門が申してみよと命じたので、櫂蔵は、新五郎が明礬による藩財政建て直しの邪魔をした播磨屋の一件、日田の小倉屋からの借銀を隠していた件、播磨に出店に会った小判には小倉屋の朱印があったこと、そのために夜明けまでに日田に持ち帰ったことを申し述べた。

 見物席にいた播磨屋は、金繰りがつかぬようになったと呻きながら崩れ落ちた。

(31) 江戸に向かう櫂蔵の胸の中に、お芳の花が咲き、お芳が励ます潮鳴りが聞こえた。

 清左衛門は閉門蟄居の身となった。藩主兼重は妙見院に詫びて、養子縁組をおこなった後の隠居を約束した。さらに櫂蔵を勘定奉行に登用した。

 

 この年の夏、勘定奉行の櫂蔵は、唐明礬の輸入禁止を幕閣に働きかけるために江戸に赴くことになった。田代西国郡代の配慮により、老中たちに会える段取りもつけて貰っていた。

 出立に際して、染子が櫂蔵殿ならば必ずや成し遂げましょう。「櫂蔵殿は落ちた花が再び咲いたと思いかと問うと、「私の花が咲いたとは思っておりません。咲いたのはお芳の花でございましょう。そしてその花は、我が胸の奥深く咲いております。私が生きている限りはお芳の花は咲き続けることでしょう。」と言う。染子が、「我が命は、自分を愛おしんでくれた人のものでもあるのですね。」と言う。」

 「同行する咲庵が、「伊吹様、今日の潮鳴りは、何やら初めて聞く心地が致します。」と言う。

 かって、咲庵は、亡くなった妻の泣き声に聞こえると言っていたが、「潮鳴りは愛おしい者の囁き。」だったのかもしれぬと櫂蔵は思った。そして、櫂蔵は、その潮鳴りの音が、お芳が静かに囁き励ましてくれているように感じた。」

 櫂蔵が咲庵と共に船に向かって歩いていくと、潮鳴りの響きは一層高まるようだった。

 

                                 終

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葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! -5/6-

2013-12-28 10:20:40 | 読書

(19~22) 播磨屋庄左衛門との面談。

 櫂蔵は4人の下役に、小倉屋が、唐明礬輸入金の件を、西国郡代を通じて老中への話を手助けしてもよいと言ってくれたことを知らせた。といっても、肝心の5千両を取り換えさせないと、どうしょうもないので、播磨屋の蔵にあると知っておると臭わせるために博多行ってみたい言うと、半兵衛が村の娘が博多の遊里へ売られておるという噂を調べることにしたらと助言したので、それを理由にして清左衛門の許しを得て、信弥と半兵衛、咲庵が櫂蔵の供をした。

 翌日、咲庵を伴って櫂蔵は播磨屋本店を訪ねた。家老が見えても突然の訪問では会わない主人が、中庭での立ち話で会うと言われ、庭に行くと、主人の庄左衛門が松の盆栽をいじっていて、櫂蔵が自己紹介すると、相手にせず、「これは出来が悪い。元から悪いものは、どんなに手を入れても良くならんようだ。」と呟いた。櫂蔵がそういうものでしょうな、と言葉を継いだ。すると、それが判っていて何故悪あがきすると言うので、櫂蔵は、弟が果たせなかったことを成し遂げるため、日田の掛屋から借り出した5千両の行方を追っておりますと言うと、庄左衛門は、盆栽の一枝を容赦なく切って、無様(ぶざま)だなと嗤って一人だけ縁側で茶を啜った。櫂蔵は、懸命に生きることは無様でござるか」と反論し、失礼仕ったとその場を去った。

 咲庵が、あれほど無礼に振る舞う商人は、江戸にもおりませんと言うと、櫂蔵は、それだけ弱みがあるということですし、会ってそれがしを怒らせ何かを聞き出したかったのでしょう、博多に来たのも無駄でなかったと言って宿に向かった。

 宿へ戻った櫂蔵は、半兵衛と信弥に播磨屋での結果を話し、今後の播磨屋の動きを見はるように言い付けて、咲庵と羽根に戻った。

 

 羽根に戻って1ヶ月したころ、咲庵に、長崎の息子から、頼んでいた調べ事の書状が届き、その書状を櫂蔵に差し出した。

 お尋ねの輸入商人は播磨屋庄左衛門と判明いたし候と書かれていて、その後にこまごまと唐明礬を一手に引き受けていることが記されていた。

 もし、弟様がなされようとしていることが播磨屋の耳に入ったとしたら、なんとしても潰そうとしたことでしょうと咲庵が言う。

 櫂蔵は、「いかに新五郎ず責を負って腹を切ろうが、場合によっては、西国郡代から老中に訴え出られて御家取り潰しになりかねないので、いかに江戸で金が要るからといっても、危ない橋を渡るはずがなく、用心のため、いつでも小倉屋に返済できるように、5千両は播磨屋の蔵に隠しておき、新五郎が切腹さぜるを得ないように仕向けたのか、新五郎は死ななくてもよかったのだ」と歯噛みした。

 

 清左衛門は陣内を呼んで、櫂蔵は、博多の播磨屋へ押しかけ面談を強要し、日田の掛屋から借り出した5千両の行方を追っていると申したそうだと伝える。そして、それにしても伊吹め手強いなと言うと、陣内が、一策があると提案した(お芳を陥れることを)。

(23) 小倉屋の紹介で西国郡代に播磨屋の悪行を申し出る。

 櫂蔵のもとへ、日田の小倉屋から書状が届いた。このほど赴任した西国郡代の田代宗彰様が、諸藩の人材と広く交流したい意向で句会や茶会を開こうとしている。ぜひ、これに合わせて顔つなぎのために日田に来てはどうか。その際に、唐明礬の輸入停止を望んでいることを密かに耳に入れておかれれば、伊吹様が、この先動きやすくなるのではないかと書いてあった。

 清左衛門に申し出ると、郡代様に眼通りが許されるなら御家のためだと、案に相違してあっさりと許可が出た。

 

 三日後に、櫂蔵と咲庵は日田に着いた。早速に、櫂蔵は小倉屋に、長崎で唐明礬を仕入れて売りさばいておる元締めは播磨屋らしいのです。それで、播磨屋は新五郎が唐明礬の輸入禁止を幕府に願い出ようとしていたことを知って、我が藩に、小倉屋殿からの借銀を踏み倒させ、5千両を手に入れると同時に、新五郎の動きを封じて切腹に追いやったようですと告げる。

 小倉屋は、それは迂闊だった。播磨屋に対しての手だてについてお手伝いさせてくださいと、口元を引き締めた。

 

 同じ頃、伊吹屋敷で、染子は、お芳に生け花を教えようとして、次のようなことを話しした。

 「そなたは、いつか武家の妻女とならねばなりません。その折、花の心得が無くては務まりませぬと言う。昔の事は忘れなさい。そなたに汚れたところはありません。女子は昔のことなど脱ぎ捨てて生きるのです。今を懸命に生きてこそ武門です。決して嘘をつかないという生き方その心がけでいてくれれば、そなたをこの家に迎えて誇りとすることができると思っています。」

 お芳は、染子の言葉に胸が震えた。

(24) 西国郡代に唐明礬の輸入禁止を要請している時、羽根城下ではお芳が危機に。

 翌日、櫂蔵が、新郡代の前に出た時、既に小倉屋から概要を話して貰っていたので、新郡代から唐明礬の輸入禁止をお上に願い出たいという話があるそうだがと持ち出された。櫂蔵は、藩の重役に諮っていないが、為さねばならぬことを御家のためになす所存にございます。「落ちた花は二度と咲かぬと誰でもが申します。されど、それがしは、一度堕落した自らの立身出世を企んでいるのでなく、それがしの他にもいる落ちた花を、もう一度咲かせたいと念じています。二度目に咲く花は、苦しみや悲しみを乗り越え、きっと美しかろうと存じます。」と申し上げる。櫂蔵のその言葉に小倉屋は静かに頷いた。

 

 場所を違えた、この日の昼下がり、陣内が伊吹屋敷を訪れた。

 お芳に、井形様がそなたと会いたいと仰せになっておられる、せっかくの井形様の言葉に逆らうと伊吹様にとってよからぬことになる。井形様の御身分もあるので外聞を憚ることゆえ他言は無用で、桔梗屋に一刻ほど後に参れと言った。

 お芳は、染子に言えば行くなと止められるが、そうすれば結果的に染子に迷惑がかかると、千代だけに外出すると告げて外に出た。

 部屋にいた清左衛門は、陣内を下げらせて、見知らぬ他人を見る思いで早く帰りたいと願うお芳に向かって、儂が江戸に行った後、客に身を売って商売していたらしいが、馴染みであった儂に恥をかかせよるような真似をしおってと腹ただしく思ったぞと言う。儂はそなたを捨てたわけではない。だから、こうして会いに来たのだ。儂の心が解らぬそなたではあるまい。清左衛門は、膳を横に押しやってジワリとお芳に近づいてきて、そなたのことを忘れたことはなかったぞと言いながらお芳の手を取った。

 お芳の背筋に冷たいものが走って身体が激しく震え、もう伊吹屋敷に帰れないかもと、お芳の胸に悲しい思いが湧いた。

(25) お芳は、櫂蔵と染子のために自害する。

 櫂蔵は、この日、西国郡代に対面を果たすと、句会を辞そうとした。驚く小倉屋に、実は先程から胸がざわついて潮鳴りのような響きが聞こえはじめ耳から離れないのだと言う。

 櫂蔵は街道を行く足を速めた。

 翌日の夕刻、屋敷に戻った。

 奥屋敷に入った櫂蔵は、お芳が布団に横たえられているのを見た。お芳、お芳と呼ぶ櫂蔵の声に、お芳がうっすらと目を開け、「旦那様」と、か細い声が震えていた。

 「お芳さんは、陣内に呼び出され、清左衛門と桔梗屋で会われたのです。断れば、旦那様に迷惑がかかると陣内に脅かされ、奥様にも迷惑がかかると黙って出かれたそうです。」と、宗平が言う。

 清左衛門を拒んだために斬られたのだなと言うと、宗平はそうではないと言い、医者が手当てをする間にお芳から聞いたことを涙ながらに話し始めた。

 「清左衛門がお芳を抱こうとしたので、お芳は清左衛門を突き倒して、床の間の清左衛門の脇差を自分の喉元に擬し、それ以上近づいたら死にますと言い、片手で襖を開けた。清左衛門が近づこうとすると、お芳は大声を上げて、「井形清左衛門さまが私を切ろうとなさいます。助けて、人殺し。」と叫んで、お芳は脇差を逆手に持って自分の胸に深々と突き刺したということです。」

 宗平の話が済むのを見計らったように、お芳は櫂蔵を見て、僅かに残る生命の火を燃やすかのように、か細く震える声で、「わたしが井形様に辱めを受けたら、旦那様だけでなく奥様にも恥をかかせることになると思いました。わたしは、奥様から旦那様の妻として迎え入れ、誇りとしたいとおっしゃっていただき本当に嬉しかった。」と言うと、ゆっくり眼を閉じた。

 櫂蔵は、宗平、後を頼むと玄関に向かった。

 染子の、櫂蔵殿、行ってはなりませぬ、と頬を叩いて、「お芳が自らの命を絶ったのは、そなたが為そうとしていることを、妨げたくなかったからではありませぬか。その心も慮らず、井形様を切って憂さを晴らそうとはなんと愚かな、お芳一人を守りきれなく、その心も生かそうとせぬとは、それでも武士ですか。」と叱責する口調に、櫂蔵は、私の好きな女の仇も討ってやれぬのだと止めどもなく涙が溢れた。染子は、悲しみの声で、「あなたは行き恥をさらすしかありません。」と言う。

 

                              次章に続く

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葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! -4/6-

2013-12-26 17:09:22 | 読書

(13) 染子がお芳の他人に尽くす人間性を認める。

 染子が気鬱で倒れた。しかし、医師が精のつくものを食べさせなさいとのことで、お芳が作り千代が作ったことにして卵粥を食べさせ、10日ほどで回復した。

 床払いした夜、染子はお芳と千代を呼んで、粥はお芳が作ったのですね。何故、私の許しを得ずに粥を作ったのですか。武家の奉公人ならば主人の指図もなしに何かをなすことは許されませぬ。これからは、酌婦上がりだからといって容赦せずに私が厳しく躾けますよと言う。

 千代がお芳に、これからもっと叱られるのでしょうと言うと、お芳は、奥様は私が目障りなのかもと思うが、私は、あの襤褸蔵様が世の中に出て行こうとされて何事かを為そうとしていることが気になり見届けたいとのですと答え、どれほど厳しく辛くあたられても諦めないと自分に言い聞かせた。

(14) お芳の己を偽らぬ生き方に、染子もお芳を見直していく。

 翌日、お芳は、漆塗りの大小の器の手入れを申し付かり、ようやくに仕上げた後、植え込みの陰で胃の中のものを吐いた。その様子を染子に見られて、お芳は粗相をしたことを謝り、子供のときに漆にかぶれ、その匂いが苦手だったことも告げた。しかし、染子から、夕餉の後で聞きたいことがあると言われた。

 

 染子から身籠ったのではないかと疑われた。お芳は、決してさようなことはございません。信じてくださいと言っても、すぐに信じていただけれるものではないと思いますがと言い、次のような話をした。

 「さるお武家に弄ばれ、身を持ち崩し汚れた身ですので、奥様にどんなに蔑まれても仕方のない下賤な女です。だけど、わたしを弄び捨てたそのお武家は嘘ばかり言いましたので、嘘をつけばあの人と同じになってしまう。わたしは、あんな男と違うと思い、決して嘘は言わないと思い定めました。その時から、他に守ることが無い私は、嘘をつかないという一つのことだけを守って生きてきました。」

 宗平も千代も心からそう思いますと言う。

 染子は、「嘘をつかぬ女かどうかはわからぬが、嘘をつかぬとは、己を偽らぬと言うことです。それは大変良いことです。」と呟くように言って、自室に戻って行った。

 お芳は涙ながらに見送った。

(15) 新田開発方の下役の過去と、江戸への送金方法。

 櫂蔵は、陣内を除いた下役から話があると、小料理屋に誘われた。

 四郎兵衛が話をし始めた。

 我々は江戸詰めの勘定方にいたが、藩主の吉原通いの遊興に耽るなどの江戸屋敷の乱費で、藩の財政は窮乏をきたしたので、訴え出た。

 その訴えは僭上の沙汰だと切腹を命じられたが、江戸屋敷の用人格だった清左衛門の助命が通り、国許の新田開発方に戻された。そして、その新田開発方は名ばかりの組織で、藩主の費用として江戸屋敷への多額の送金を、藩主の実母の妙見院様の眼から逃れる為の送金機関の役を為していた。

 新五郎様は、貧困の村を救おうとして、明礬の輸入差し止めを願い出ようと小倉屋に掛け合って借銀した5千両はいつの間にか江戸送りになったと告げられ、殿と井形様によって責めを負わされ自害するはめとなったのだと。

 櫂蔵は清左衛門のはかりごとがはっきりと見えてくると憤りが募ってきた。

 その時、部屋の隅にいた咲庵が櫂蔵の了解を得て自分の考えを話し出した。

 「殿さまは、今、国許に戻られている。そんな時期に5千両を江戸に送る必要があるでしょうか。また、城下の大商人は播磨屋だけだけど、播磨屋は江戸には出店が無く両替商でないので、両替商を使って大金を為替や手形で送金するとしても、大阪の播磨屋の出店に金を送って、大阪の両替商を利用しなければならず、それでも、江戸の両替商と播磨屋の取引がないので、信用がなく、容易に換金できないし、間違いが起きやすいので大変なことです。そのため、送金する場合は、播磨屋の蔵から入用分だけその都度現金を送金されるのでしょう。別の見方をすれば、播磨屋にとって、5千両という大金が手元にあるというのは商売上大変うま味のあることですから、現金を容易く動かさないと思います。」と。

(16) 5千両の行方。

 四郎兵衛と権蔵、半兵衛がこっそりと5千両の行方を、勘定方の詰め所で調べると、5千両が播磨屋の手形に換えられたが、その後が不明だし、何故、今回に限って手形にしたのか分からないことだった。

 

 咲庵から、櫂蔵が最初に小倉屋に会った時、何を聞きだされたかの問いに、新五郎が唐明礬を国内に入れぬように、西国郡代を通じて幕府に願い出るつもりでいたことを告げられた。もう一つは、新五郎には力を貸すつもりいたが、あなた(櫂蔵)には力を貸すつもりはないと言われたと言った。

 咲庵は、そのような場合、然るべき手いわゆる賄賂を贈るが、多分、3千両は、そのための金だったのでしょうが、そのあたりの図を描いたのは小倉屋でないかと思うと言う。今となっては小倉屋の胸の内を聞いてみないと分からないが、小倉屋の心を開かせるには、伊吹様の覚悟が必要だと言う。但し、切腹の覚悟では商人の心は動きませんと助言した。

 四郎兵衛が、日田に行かれるなら、小見殿に用心してください。元々、小見殿は横目付で、今は井形奉行の目と耳となっていますからと言う。

(17) 小倉屋の心を開くためのお芳の助言。

 櫂蔵は、小倉屋の心を開かせる覚悟が思い浮かばず縁側に出て月を見ていると、お芳が顔を出した。

 櫂蔵が継母上は相変わらずかと問うと、奥様からは、行儀作法や文字まで教えて頂いています。人の心が解る優しいところもおありですと言うと、櫂蔵が、儂はいつも突き放した物言いしかされたことがないと言う。お芳が、それは旦那様が奥様に心を開かれなかったからでしょうと言う。櫂蔵が継母上の態度がどうして変わったのかなと問うと、分かりませんが、ひとつ言えることは、嘘をつかぬことを心に決めていることを奥様に申しあげると、己を偽らぬということは良いことだと言われましたと答えた。

 「櫂蔵が、商人の心を開かせたいことを考えているが、嘘をつかぬではと言うと、お芳が、わたしは、嘘で誤魔化したいことばかりだったので、嘘をつかぬことは一番辛かった。だからその方のために、旦那様が一番辛いことを為さるといいのではありませんかと言う。櫂蔵は、いかなる時でも生きるということが自分にとって一番辛いことに思い当たった。

 翌日、櫂蔵は、清左衛門に、弟の不始末を詫びるために日田の小倉屋まで参りたいと願い出た。

 許されて、櫂蔵は咲庵を連れて日田に出向き、「借銀の事 五千両 右の条無相違候」と書いた文章に新田開発奉行並の役名と伊吹櫂蔵と書いた書状を、小倉屋の前に差し出した。

(18) 小倉屋の心を開くことができた。

 櫂蔵は、小倉屋に、この証文を使って借銀を踏み倒されたと幕府に訴えてください。藩が知らぬ存ぜぬを通そうとしても、それがしが幕府のお調べに対し、借銀が間違いなくあったことを申し立てます。いくら殿の命であっても、いわれない切腹は致しません。但し、幕府の取調べが始まってからこの証文を利用してくださいと念を押した。それがしは、新五郎が借銀した5千両は、領内の播磨屋の蔵にあると思っています。その5千両が播磨屋の蔵から引きずり出した暁には、ご老中方へ唐明礬の差し止めを願い出る手助けを、ぜひとも小倉屋殿にお願いしたいのでござる。そのため、ある者の言葉から、武士にとって一番辛いのは生きることで、小倉屋殿からの借銀を証し立てるため、何があろうとも決して死なずに生きようと決意しましたと言う。

 さらに、櫂蔵は、小倉屋殿には、貸金を踏み倒されたのに、その事は一言も口にされず、弟の死を悼んでくだされた厚情をかたじけなく思っていると、頭を下げた。

 小倉屋は、それに応えて、私も生き抜かねばならぬと常に心に定めています。手前どもと同じ覚悟を示されたからには、もはや知らぬ顔は(唐明礬輸入禁止の件を西国郡代に取り次ぐこと)できませんと言う。

 

 日田から帰ってきた咲庵を長男の長次郎が訪ねて来ていた。女房と子供を捨てて俳諧師として放浪の旅に出たので、会い難い立場にあったが、お芳の言葉で、長男の待ち合わせ場所に行った。

 長男が、長崎の薬種問屋に雇われて、長崎に行く途中で、親父の顔を見ていくかと思って立ち寄ったのだと言う。咲庵は、「一生に一度の願いだ。生まれて初めて、人の役に立つための願いなので聞いてくれ」と言うと、長男は手前勝手だと咲庵の顔を蹴り上げ、咲庵の頬から血が滲んだ。しかし、父親が言う、長崎での播磨屋の扱い商品と取引内容(唐明礬との関連)の調査を承諾した。

 

                           次章に続く

 

 

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葉室麟著『潮鳴り』を読み終えて! -3/6-

2013-12-25 15:26:23 | 読書

(5) 日田の掛屋・小倉屋が新五郎に5千両を貸した目論見は「明礬」の量産にあった。

 櫂蔵は、染子から屋敷に来るように呼ばれて、井形様の話は間違ってもお受けしないようにと言われた。ご重役方から借財の責任を押し付けられた新五郎を、死なせてしまったことを難じる声が上がるのを避けるため、伊吹家に恩を売ろうとしているのです。しかも、あなたを同じ役目に就けてしくじらせて、新五郎も同じ失態をえんじたが故に腹を切ったのだと思わせるためなのだから受けるべきでないと言う。

 櫂蔵は、しかし、しくじりを犯すとは限らないが、迂闊にのってよい話でないことは確かなので、時をかけて考えたいと言って辞した。

 櫂蔵は、お芳の店によって、咲庵とお芳に、新田開発奉行並としての出仕を受けていることや、断るべきだと継母上の話をした。

 お芳は、弟様が為さろうとしたことを引き継がれるのですから、亡くなられた弟様は喜ばれるだろうと思うと言う。櫂蔵はまさにその事で、貧乏藩に何故5千両もの金を貸したのか、何か裏があるように思う、そこを知りたいのだと言う。咲庵は厳しい顔して、商人にとって金は命より大事なものなので、何かの目論見があったものと思うが、それを知るには、小倉屋に聞くしかないと言う。櫂蔵は、その目論見を知るために禁酒を決心した。

 櫂蔵は、三日後に、湯治に行くと藩に届けて日田に行く。小倉屋との面談で、櫂蔵の真心が通じて「明礬」と言う言葉を引き出した。

(6) 櫂蔵は新五郎が為そうとしたことを自分の使命と決意する。

 小倉屋から、新五郎様が、「羽根藩内の納谷村では明礬作りが盛んになり、長崎に唐から大量に輸入される唐明礬の輸入禁止を、西国郡代を通じて幕府の許可を貰えば、藩の明礬作りは今の10倍ほどになり、商人からの運上金も1千両にもなるし、借銀にも応じてもらえるようになる」と言っていたことを聞かされた。

 

 櫂蔵は、新五郎が為そうとしたことを自分の使命として行うことを決意し、「日田から帰り、咲庵に、屋敷に同居して御雇となって援助してほしいと依頼する。咲庵は、自分の怠け心から商人の道を捨て女房を困窮のうちに死なせた男なので、お役に立てないと断る。櫂蔵は、そのように己を卑しめる人のために、女房殿は苦労をなされたのでしょうか、昔のように自分の力を振るわれるのを女房殿は喜ばれるのでないかと思うがと言う。お芳にも妻として屋敷に迎えたいと言う。海でお芳に助けられた折、おぬしを愛していることを知り、幸せにしたいと思ったのだと言う。おまえが言った落ちた花は二度咲かぬという世の道理に抗ってやろうと思うので、この闘いの行く末を傍にいて見届けてくれと言う。」

(7) 櫂蔵は弟の役職を引き継ぐことを決意して勘定奉行に伝える。

 翌朝、櫂蔵は、宗平を共に勘定奉行の屋敷を訪ねる。井形清左衛門は、殿は新五郎を憐れに思われ、そなたを出仕させてはとお慈悲で申し付けになられたが、そなたが受けるとは思わなんだと冷ややかな物言いだった。櫂蔵は、非才だが、殿の御仁慈を賜ったからには新五郎のためにもご恩に報いたいと言う。

 昼下がり、櫂蔵は、お芳と咲庵、宗平を伴って伊吹屋敷に向かった。継母上の染子に会って、亡き新五郎が為そうとして果たせなかったことを遂げるのが私の務めと心得て出仕することにしたので、この屋敷に戻りますと告げた。

 「染子は櫂蔵にお芳を妻としたいと申されたが、それはまかりなりません、妾であれば目をつむると言う。お芳は、私は妾にはなりません。私は泥にまみれた女ですから、人様からまともに扱ってもらえるとは思ったことはなく、それなのに伊吹様から妻にと望んでくださったので恩返しに女中をしたく、この屋敷までついて来たのですと言う。」

 染子は、汚らわしいそなたと顔を突き合わせて暮らしたくないと言う。宗平は、染子のあまりの言葉に、確かにお目障りだと存じますので、いっそのこと、私が娘の千代と一緒に奉公に上がりますので、お芳と顔を合わせなくてもお暮しできるようにしますと言う。

(8・9) お芳も屋敷に慣れ、櫂蔵と咲庵も新田開発方の内情を少しずつ知ってくる。

 10日後、櫂蔵は始めて出仕する朝を迎えた。櫂蔵は咲庵と朝食を共にしながら、咲庵に新田開発の帳簿を見て貰えないかと命じた。咲庵が、初めから帳簿などを調べたら憎まれるだろうと言うと、櫂蔵は、蔑まれ、誰にも見向きもされなくなるのに比べれば、憎まれるほうがどれだけましかわからんと笑う。

 

 染子は、最初の日と同じように、お芳がいないかのような態度をとっていた。でもお芳は、染子の身の周り以外のことに一日中こまめに働き、この屋敷で勤め上げることができたら私は生まれ変われるかもしれない、そうなれたとしたらどんなに嬉しいでしょうと、肌もみずみずしいくなり、目の輝きを増してきた。

 

 櫂蔵が、清左衛門に挨拶すると、小見陣内を呼んでいるので詰め所に案内してもらい、後のことは、小見に聞けと言われ、小見は私の目や耳でもあるので、全て小見を通じて私に伝えることを忘れるなと言われる。

 新田開発の下役には、陣内の他に、江戸で勘定方にいた長尾四郎兵衛、浜野権蔵、重森半兵衛と、初めて新田開発方に就いた20歳で山周りの笹野信弥がいた。

 新田開発といっても金がないため開発は全く手がつかずで、本来、隠し田を扱うのは郡方の仕事だが、見つけられると罰を与えられるので、新田開発方が郡方より早く見つけて新田だと証明して百姓に郡奉行に届けさすと報償が出るために山周りをしているのだと説明を受けた。

 この日、咲庵は、四郎兵衛が積み上げた帳簿10数冊を丹念に見た。「新田開発方は、この3年間、何も仕事らしいことはしておらず、それなのに商人から材木や石材を仕入れ、人夫の手間賃を支払っており、商人に支払った金額とほぼ同額が運上金として戻って来ておるのですが、その商人は播磨屋庄左衛門と記されていた。」咲庵は、その事を櫂蔵に伝えた。

(10) 櫂蔵は播磨屋の出店に出向き、新五郎が明礬のことを話ししたことを知る。

 出仕してひと月が経った。咲庵が御用達の商人の処へ顔を出してはと進めた。櫂蔵は、播磨屋への誘いだと気付いて、下役に播磨屋の出店に出向くと言うと、権蔵が、番頭がいるがすぐには会えないし、井形様の御意向も伺わねばと言うが、櫂蔵はそれを無視し、出向いたことが先方に伝わるだけで良いのだと言って出かけた。

 播磨屋の番頭と会うことができた。番頭が、新五郎様には手前どもの主人も大変お世話になりましたと言うので、どんなことだったのかと問うと番頭が言葉を濁した。部屋の隅に控えていた咲庵が明礬の事ではございませんかと言うと、さよう弟様に明礬で儲かる方法を教えてもらいましたと言った後、番頭の態度が変わった。供の方が手前どもの話に横合いから口を出すとは失礼な事だと言う。

 店を辞した櫂蔵は、咲庵に、播磨屋の番頭め、語るに落ちたな、明礬のことなど認めなければよかったのに、何か裏があるなと、咲庵と笑った。

(11・12) 新五郎を愛しく思いながら女郎になった村の娘・さとの事を聞いて、

      申し訳なかったと憐れむ櫂蔵。

      その思いの言葉に陣内以外の下役は櫂蔵を信頼した。

 

                          次章に続く 

 

 

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