「第五章 ラストゲーム」 ―1――
(取締役会でのアストロズ廃部意見に君嶋は負けないと宣言する)
12月初旬の土曜日。プレーオフ初戦の会場は、東大阪市花園ラグビー場であった。
ホワイトカンファレンス1位のアストロズ対レッドカンファレンス2位東京電鉄ブレイブスの戦いだ。
ブレイブスの成績は6勝1敗。唯一の敗北は、サイクロンズ戦で喫したもので、しかもそれはかなりの接戦であった。拮抗した好ゲームが予想された。
だが、誰もが信じた試合展開は、前半であっさり覆された。
満を持してスタメン出場した佐々と七尾のハーフ団が次々と繰り出すプレーが相手がディフェンスを圧倒したのだ。
後半になってそのハーフ団を下げ、先週まで2週連続でスタメン出場していた浜畑らが出ても攻撃のリズムは変わらなかった。
最終スコアは、45対7。 戦前予想を完全に覆し、実力の差をこれでもかと知らしめた会心の勝利であった。
快勝に沸く選手たちの中に入り、君嶋が、真っ先に握手を求めたのは柴門だ。ところが、
「来週、取締役会に呼ばれてるんだってな」
そのひと言に、君嶋は思わず返答に窮した。
「ついに、アストロズの存廃が判断されるそうじゃないか」
お互いに握手をして試合の健闘をたたえ合っていた選手たちが、柴門のそのひと言を待っていたかのように全員が君嶋を囲むように集まってきた。
アストロズの強化費削減を議論するため、取締役会に召集されたことを、君嶋は黙っていた。
選手たちの集中力を削ぎたくないという思いからだ。そのために、多英や岸和田といった身近な部下にも話さなかった。
「今度は君嶋さんの番です」
そう応じたのは岸和田だ。「俺たちは社会人チームです。だから会社の方針に左右されることもあるでしょう。でも、以前君嶋さんが言ったように、安穏とした環境なんかどこにもない。その中で戦うことが俺たちのラグビーだ。そうみんなで話し合いました。勝つことで、自分たちの存在をアピールしようって。今度の取締役会、俺たちのために、君嶋さんも全力で戦ってきてください。
君嶋は渾身の力を込めて言い放った。「ラグビーと違って、俺の戦いにはルールはない。結果が全てだと思っている。お前らのラグビー人生を預かってるんだ。そのために俺は、命を懸ける。お前ら一人一人のために、応援してくれるファン全員のために、俺も絶対に勝つ」
固く右の拳を握りしめた君嶋を、選手とスタッフ全員が挙げる雄叫びが包み込んだ。
「第五章 ラストゲーム」 ―2――
(アストロズの存在価値を熱弁し、取締役会で君嶋の意見が通る)
君嶋が、取締役会に呼ばれ本社に向かったのは、翌週木曜日の朝だった。
アストロズの予算縮小案が提出される運命の一日である。
入口脇の壁に並べられた椅子の一つにかけた君嶋。
脇坂が立ち上がり、アストロズ予算縮小案の必要性について説明が始まった。
――昨シーズンのプラチナリーグの平均観客動員数は3千数百人程度で、プラチナリーグ規約によると、集客によって分配金が支払われるとなっているが、リーグ創設以来、過去16年間一度も支払われたことはない。我々は、たった3千数百人の観客のために年間16億円もの貴重なコストを投入しているがこんなことを見過ごしていいだろうか。
――日本蹴球協会は長い間、一部の既得権益にしがみつく理事によって私物化され、いまなおその支配下にあり、改革案を出しても、断行する力も意思もない。ラグビー人口が減少する中、プラチナリーグ16、2部リーグ8の24もあるチームを維持できるわけがない。プラチナリーグの数を削るリストラが必要だ。
――アストロズはリストラの対象になって、ラグビー部は2部リーグに残り、アマチュアらしい生き方を探せばいい。
コストの減少だけに目を向けての予算減少案。
脇坂が発言を終ると重苦しい雰囲気が会場を包み込んだ。
事態の危機を察した君嶋は、発言の許可を求めた。
許可をもらった君嶋は、アストロズがファン獲得のためにしてきたことや成果が出てきていることなどを取締役たちに説明する。
――アストロズのホームともいえるトキワスタジアムに関して言えば、今季2戦、満員のファンをスタジアムに迎え、今季ここまで8戦全勝で、さらに来週には宿敵サイクロンズとの優勝決定戦に挑むところで必ずや勝利し、日本一の報告ができるよう、選手スタッフ一丸で戦う。
――昨年創設したジュニア・アストロズの参加者は150名になり、毎週日曜、アストロズの選手が指導し、ラグビーの普及に努めている。子供たちは心強いファンでもある。
――アストロズのファンクラブの加入者数は現在2万5千人をゆうに超える大所帯になり、このファン層の裾野の広がりを背景にスタジアムのチケットの販売に大いに尽力している。そして様々な声を寄せられている。
――アストロズをコストという一面で切り取り、協会の問題を指摘されればまさにその通り、だが、アストロズは今多くのファンに支えられ、地元で愛されるチームになった。アストロズは数字の集まりではなく、人の集まりです。今や地元のファンにとってアストロズは勇気と元気を与えるチームに成長している。
君嶋が説明しているのは、アストロズの存在証明に他ならない。
コストでは測ることができない、プライスレスの価値だ。もちろん、それが企業にとっていかほどの意味があるのか、受け取る側の考え方に大きく左右されることもわかっている。
君嶋の発言が終わると、島本がついに口を開いた。
「君嶋くん、ありがとう。君のおかげでアストロズが愛され、広く支持されるチームになった。そしてトキワ自動車という名前を冠しながら、同時に地域に密着したチームになるという難しい挑戦が実を結びつつある」
島本は改めて、テーブルを囲む取締役に問いかける。
「脇坂君の意見もわからんではない。だが、私はあえて、君嶋くんの挑戦を、いやアストロズの挑戦を応援してやりたいと思う。組織を憎んでラグビーを憎まず。ラグビーは一度失ったら二度と手にできないだろう。だが、組織などいくらでも変えられる。変えていくよう、私もプラチナリーグに参加している経営者仲間とともに働きかけていくつもりだ」
脇坂は、「16億円ですよ、それを稼ぐのがどれだけ大変か、わかってるじゃないですかか」、そう吐き捨てる。
「アストロズの維持費が高いのは誰もが承知だ、脇坂君」
島本は言った。「だが、少なくとも我々は間違った方向には進んでいない。我々は営利目的の組織であると同時に、社会的存在でもある。世の中の皆さんと繋がり、共に喜び合える何かが必要だ。そのためにアストロズが受け皿になってくれるのなら、こんな嬉しいことはないじゃないか。皆さん、どうだろう」
島本の問いかけに拍手が起きた。
脇坂は顔を真っ赤に染め、唇を噛んでいる。脇坂の案を支持する声は最後まで上がらなかった。
脇坂が出した議案は、かくして退けられたのである。
「さて、そういうことで、本日最後の議案に移ろうと思う」
島本は、なおも厳しい表情のまま宣言した。
議題を記載したペーパーには「コンプライアンス問題に関する報告」という漠然としたタイトルがついている。
議案が変わっても、君嶋が退出せずにそこにいたので、脇坂は、「君嶋、もう終わったんだよ。さっさと出てけ」、と不機嫌に言い放った。
「いや、君嶋くんにはまだここにいてもらう用事があるんだ」
思いかけないひと言だったのだろう、脇坂はキョトンした顔で島本を見た。
「最終議案は、実は彼から私に提案されたものだ。君嶋くん、引き続き頼む」
新たな資料が取締役全員に配布された。
どよめきが起きる。脇坂は、さっきまで真っ赤だった顔を青ざめさせている。
君嶋は続けた。
「本年2月、この取締役会で否決されましたカザマ商事買収事案について、新たにコンプライアンス上の問題が惹起されましたので、ご報告させていただきます」
君嶋が説明したのは、東京キャピタル社長の峰岸からの情報提供によって明らかになった事実であった。脇坂とカザマ商事社長風間有也との関係。ブレーンとしてバンカーオイル品質の隠蔽工作を教唆し、価格の引き下げによる再売却を提案した経緯である。結果的に脇坂に利用されただけと知った風間の、いわゆる意趣返しだ。
10数分に及ぶ発言で全ての経緯を語り終えた君嶋は、ようやく間を置き、一人の男を凝視した。
「脇坂さん、これがあなたの真実です。なにか間違っていますか」
「冗談じゃない。こんな報告をする前に、なんで私に聞いて確かめないんだ」
「君がそれを言える立場かね」
島本の皮肉が割って入った。「意見があるなら今、ここで聞こうじゃないか。実はこのあと、風間社長と面談することになっている。時間はたっぷりある。さあどうぞ」
「第五章 ラストゲーム」 ―3――
(日本蹴球協会会長の解任動議が通り、プラチナリーグ改革案も通る)
トキワ自動車の取締役会が開かれていた同じころ、飯田橋にあるホテルの一室でも、一つの会議が開かれていた。日本蹴球協会理事会である。
2か月に1度開かれる定例会議は、この日もおおかたの予想通り議事は淡々と進み、議題を一つ残すのみとなった。
「プラチナリーグ改革案」と題された最後の議題は、木戸専務理事から提案されたものだった。
改革案は、プラチナリーグのチーム数を減らした上で、ホームアンドアウェーのリーグ戦にし、チケットと販売の一元化によるマーケティングの強化、地域密着型チームとしての再生を目指すというもの。
これは、君嶋の提出した改革案をベースにしたものだったのだ。
専務理事の立場上、理事会の意向とおり対応せざるを得なかったが、木戸個人は君嶋の意見に同感だった。
会長の富永は、この改革案に反対するが、木戸は怯まない。
「皆さん、私はここに新たな動議を提案したいと思いますが、いかがでしょうか」
その木戸のひと言は、その場に出席していた理事たちに向けられて、富永の「会長解任」を提案する。一人の理事がさっと立ち上がると、たちまち出席者が次々と起立していく。そして、富永の会長解任は承認されたのだった。
「第五章 ラストゲーム」-4以降―― に続く