T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

葉室麟著「散り椿」を読み終えて! -9/9ー

2014-06-28 08:39:58 | 読書

「面影」

 1年余り前。篠は、京の地蔵院の庫裏で療養していた。しかし、私の命は長くないのではないか、そう思うと、新兵衛のことが案じられてきた。

 采女との縁組が破談になり、すぐに新兵衛との縁談が纏まり、篠は当初は戸惑っていたが、その後の新兵衛の行動に、篠は、この方と共に生きようと素直に思えてきて、私が確りとこの人を見守らなければと思った。

 采女からの祝意の文に対して送った和歌の返状も、采女から遠い存在になったのだと思ったからで、それだけに采女が縁談を断り続けていると耳にするたびに心苦しかった。

 また、新兵衛が追放になり、落ち着くまで里に戻っていてはと新兵衛に言われた時も、共に国を出ることを選んだが、なによりも新兵衛に影のごとく添って生きようと心に決めたからだった。

 江戸にいるとき、新兵衛は旗本家の家臣などから婿養子の話が持ち込まれても妻がいるのでと一顧だにしなかった。わたしを離縁して話を受けられたらと言うと、出世のために妻を捨てるような男と思うかと、怒りだす新兵衛は、無欲なうえに、細やかな心遣いと優しさがあって、私と共に生きることを心の支えとしているように見受けられた。

 自分が、この世を去った後は、生きる張りを失うのではないだろうか。もしかしたら死を選ぶかもしれないと篠は恐ろしかった。新兵衛は采女と同じく用いられるに足る人だと思う。妻の後を追うような道を歩ませてはならない。

 篠は意を決して、自分が死んだら国許の椿を見に帰って欲しいと頼み、そして、新兵衛に嫁ぐ直前に貰った采女からの最後の文を見せて、采女を助けてやってほしいと言った。自分が采女に心を寄せていたと新兵衛に思われるのは身を斬られるように辛かったが、そう言わねば新兵衛は決して故郷に戻ろうとしないだろうと思ったのだ。

 『まことの心と裏腹な言葉を口にしながら、篠は胸の中で、「生きて、生き抜いて下さい。」それが私にとっての幸せなのです。あなたが生き抜いてくださるなら、私の心もあなたと共にあるはずです。いついつまでもあなたの傍らに寄り添えることでしょう。』

 『そう願う篠の脳裏に、坂下家の庭に咲いていた椿の花が浮かんでいた。白、紅の花弁がゆっくりと散っていく。あれは、寂しげな散り方ではなかった。豊かに咲き誇り、時の流れを楽しむがごとき散り様だった。「わたしも、あのつばきのように……」篠は新兵衛に手をさしのべた。その手を、新兵衛はかけがえのないものを扱うかのように両手で包み込んだ。』

 

 榊原家(元坂本家)の椿の花が、一片、はらりと散った。

 采女は新兵衛に語りかけた。『新兵衛、散る椿はな、残る椿があると思えばこそ、見事に散っていけるのだ。篠殿が、お主に椿の花を見て欲しいと願ったのは、花の傍らで再び会えると信じたゆえだろう。』

 その時、里美が滋野に案内されて入ってきた。

 里美は、新兵衛に顔を向け、小杉十五郎と申される方より藤吾に書状が届きまして、三右衛門殿のご遺族に家老からの討手が差し向けられるとのことでした。藤吾は、母上、家は潰され追放されても大切な人を守りたいとのです。申し訳ございませんが、新兵衛殿と同じことを致したいと出て行きましたと伝えた。

 新兵衛、行ってやれとの采女の言葉に、新兵衛は門に向かった。

 采女は登城した。

 藤吾は、篠原家の潜り戸から入って、家士に美鈴の様子を聞くと、弟の弥市と仏間にいるとのことで、そのほうに行った頃、門のほうで大声がした。

 上意だ、神妙に致せとの声が、裏口に向かう藤吾たちに近づいた。先頭は十蔵だった。藤吾が、上意を騙るとは大罪ですぞと言うと、お前も吉右衛門のように、わしに斬られたいかと言う。藤吾は吉右衛門の無念を思って憤りを感じた。死ねっと、振りかぶって斬りかかってきた十蔵に、抜き打ちに胴を払って続いて腹に突きを入れた。その時に新兵衛が刀を振りかざして助けにきた。

「椿散る」

 采女が大広間に入ったとき、広間を埋める藩士は石田派の者で占められているように見えた。ご世子様が毒を盛られた責を負って采女が謹慎させられたことは、誰でもが知っている。その采女の登城に藩士たちの好奇の目が向けられていた。

 玄蕃の指示で、次席家老の滝川が声を発した。殿が病床なので、我らより方々に申しあげる。江戸の神保家久様の御嫡男太郎丸様をご世子のご養子としてお迎えすることと相成ったとのお達しであり、この事について、神保家へ使者が立てられたと告げた。続けて、玄蕃がご世子のことだけでなく、近頃、城下や村方でも不穏なことが相次ぎ家老として深く憂慮しており、わしに対する恨みに報いるに、徳を以ってすべきではないかと考えた。いらざる企てをして藩に騒ぎを起こそうとした者たちが改心し許しを乞うならば許そうと思うと言う。

 玄蕃の言葉に、采女は、それがしは、これまで藩の行く末を案じて参りました。されど、案ずるが故に藩に争いを招いたことを知りましたと言う。玄蕃が、詫びる気持ちがあるのであれば、ここにて、手をついて二度と逆らわぬと誓い、助けて欲しいと命乞いをすれば許して遣わすと言う。

 采女は、立ち上がって玄蕃の前に進み、急にその歩を早めて脇差を抜き玄蕃の肩先に斬りつけた。

 周囲の藩士が采女に斬りかかるが、采女は避けようとせず、刃傷に及んだのは私怨でなく上意であると声を上げた。続けて、殿は蜻蛉の解散を家老の口から言うように仕向けられた。これは蜻蛉組に家老を討てという上意が下ったことに他ならなかったのだと言った。

 蜻蛉組には、藩主の命令が無ければ組を解くことを禁ずる定めがあり、藩主に替わって組の解散を命じるものがあれば、その者を斬るべしとされていて、小頭以上だけが知っていたことだった。玄蕃が謹慎中だった采女に登城を命じたことは、奇しくも采女に蜻蛉組としての使命を果たさせたのである。

 ご世子様のお成りでございますと小姓の声が響いて、藩士たちは脇差を鞘に納めて、その場に控えた。すぐに医師が呼ばれたが、采女は絶命した。玄蕃は、采女が手加減したのだろう、助かった。

 ひと月後、藤吾の献策を内膳がご世子に申し上げて、奥平刑部の屋敷に頭巾を被った蜻蛉組を従えた新兵衛が刑部の前に進み、これ以上の謀はお止め下されと、刑部が手にしていた盃を居合で真二つに割り、『主君が魚であるとすれば、家臣、領民は水でござる。水なくば魚は生きられませぬ。』と鯉口を切って一歩歩を進めた。刑部が、企みは致さぬ許せと言うと、新兵衛の後にいた男が頭巾を取って刑部と新兵衛の間に入った。政家である。伯父上、かような荒療治をしたことを許されよ。今後何かあれば、命亡きものと、今日のことを肝に銘じられよと重々しく言い置いて再び頭巾を付けて立ち去った。

 本復し藩主となった政家は、玄蕃をお役御免で隠居させ、次席家老や勘定奉行は家禄半減の上の隠居させたが、政家の毒殺の企てなど石田派の過去の悪行について、ことさら詮議めいたことはしないことになった。内膳を中老にしただけで親政を行なうことを宣言した。武居村周囲の水路造りも明らかにされた。

 篠原家は弥市が家督を継ぎ、後顧の憂いなく藤吾はすぐに美鈴と祝言を挙げた。

 采女の死後、跡取りがない榊原家は政家の意外な裁定で、藤吾夫婦が450石の榊原家の夫婦養子になり、里美と新兵衛も一緒に榊原家に移り住んだ。

 里美が離れの隠居所に滋野を訪れた。滋野は、采女殿も篠殿の血縁の者が、この屋敷に入り、家を継ぐことができて喜んでいることだろうと言った。

 そして、坂下家は藤吾夫婦に子供でき跡継ぎができるまでお預かりとなった。

 『その後、ある日、新兵衛は旅姿で椿を見入って立ち尽くしていた。そこへ現れた里美が、その姿は何故です。わたしの胸の裡の姉がここに留まっていただきたいと申しておりますと言った。里美は、新兵衛を愛する想いを始めて口にした。すると、新兵衛は、だからこそ出て行かねばならんのだと、裏木戸から外へと踵を返した。』

 

                              終

 

 

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葉室麟著「散り椿」を読み終えて! -8/?-

2014-06-27 08:10:52 | 読書

「迷路」

 世子政家の身に異変があった報せと政家の身代わりになった三右衛門が鉄砲で撃たれた報せが城中に届いた。

 報せを受けた玄蕃は、直ちに政家を城中に運ばせ、惣兵衛はじめ田中屋の使用人全てを捕縛し、入牢させるように命じ、采女に対しては自邸で謹慎するように伝えさせた。そして、三右衛門の遺骸は検視を行なわず屋敷に送り届け、病死として扱うよう申し付けた。鉄砲を撃った者の検索について無用であると言い渡した。さらに案内役であった内膳に対しては、一行が襲われたことの責任を問い、あらためて沙汰すると告げた。後は次席家老の滝川十郎兵衛と佐々八右衛門を呼んで、3人で全てを決していくことにした。

 玄蕃は采女は恐ろしい男だということを忘れてはならぬぞと、石田派の主だったものに言いふらした。

 平蔵を斬ったのは采女ではないかとわしは疑っている。実は2年前、源之進に平蔵を斬ることを命じたのだが、源之進は平蔵殿を斬りにいったら、既に絶命していた。途中で真っ青な顔で走り去る采女を見たと言った。わしは、それがまことなら采女の首根っこを押さえられるぞと言うと、今のは罪を逃れたいための虚言だと言って自害した。源之進は采女の友情のために秘密を守って死んだのだ。

 采女は源之進に見られたと分かっていたのに源之進の自害にも素知らぬ顔をしておったし、三右衛門にも平蔵を斬ることを命じていたのに、わしには既に斬殺していたというだけで、采女が斬った秘密をしていたのだ。采女は自分の秘密を知っている三右衛門の口封じのために世子様の身代わりにして死なせたのだと言った。

 玄蕃は、3人の評定が終わった後、これより、わしは政家様の御養子として、神保家久様の御嫡男太郎丸様をお迎え致すことを殿に進言して参る。それと、蜻蛉組も無くすように申し上げるつもりだ。さよう心得てくれと言って立ち上がった。

 玄蕃は親家の寝所に入って行った。玄蕃はご世子様の急病につき、江戸の神保家久様に太郎丸御養子の件を内密にてお願い上げ仕りたく存じます。また、蜻蛉組の解散を申し渡したく存じますが如何仕りましょうやと言上した。親家は、政家が本復したときは養子の話は白紙に戻すこと、蜻蛉組解散は、そなたの名で通達いたすがよいと告げた。

 その頃、藤吾は篠原家に向かっていた。藤吾が訪(おとな)いを告げると、潜り戸の向こうから美鈴の声がして、この屋敷は見張られていますので、そのままお聞きください。家の者だけで密葬に致せとのお達しだけがあり、父は、何か恥ずべき行いをしたのでしょうかと問うた。藤吾は、父上は武士としてまことに立派なお最後でした。わたしが必ずお助けに参りますと言う言葉を残して去った。

 屋敷に戻った藤吾は新兵衛と里美に、藩内で起こったことと、美鈴の家のことを知らせた。

 5日経った。玄蕃が、滋野殿からのたっての要請で訪ねてきた。源之進が死んだのは使途不明金の責を取らされただけでなく、平蔵殿を斬った後、そなたが立ち去るところを見たと、うっかりわしに喋ったのだ。そなたに義理立てして自害したのだと玄蕃が言った。

 采女は初めて聞く話で、三右衛門と源之進が自分に関わったために死んだことになると肩を落とした。

 玄蕃は話を続けて、もういい加減でわしに従わぬか。明日には城に呼び出すゆえ、満座の中でわしに詫びを入れろ、さすれば、許して遣わそう。それが嫌ならご世子様の警固に怠りがあったことで切腹を命じる。どちらかを選べと言って部屋を出て行った。

 翌朝、新兵衛は独りで采女の屋敷を訪ねた。昨日、上意とだけ書かれた回状が届いていたのて、その日非番だったが、藤吾は新兵衛を見送った。その後、蜻蛉組の小者が呼び出しに来た。

 新兵衛は采女の屋敷の中庭に案内されていた。采女が登城姿だったので、玄蕃の軍門に下るのか三右衛門の死を無駄にするのかと問うと、采女はそれに応えず、三右衛門だけでなく、源之進もわしを庇って腹を切ったそうだ。玄蕃がそう話していきおったと采女は目を伏せ、早く気づいていれば死なずに済んだのにと、采女の声には後悔の想いが滲んでいた。

 新兵衛は椿をじっと見つめ、篠が最後に言い残したのは、椿を見て欲しいという願いと、もう一つ、お主からの手紙を大事に持っていて、お主の助けになってやってくれとわしに頼んだ。わしは篠に一日としていい日を見せてやることができなかったので、篠の頼みなら己にとってどんなに苦しいことであろうとも聞こうと心に決めたのだ。

 しかし、今はその気持ちを捨てて、あの世で篠に詫びるつもりだと言いながら、新兵衛は刀の鯉口を切った。采女は、どうあってもかと言うが、新兵衛はくどいと言う。采女も刀を抜いた。両者は雷斬りの秘技を繰り出し、二三合斬り合い、間合いを取った新兵衛は刀を納めた。

 采女が何故だと言うと、三右衛門が死ぬ前に言い残したことを伝えようと思ってなと言った。平蔵殿を斬ったのは自分だと思い込んでいるだろうが、平蔵殿の首筋をはねたのは三右衛門だ。偶然にも雷斬りの形になってしまったのだ。以前に永福寺で三右衛門が立ち合いを挑んだのもそのためだと言う。

 しかし、采女は父に刀を向けた罪は消えることないと言う。

 新兵衛は、采女に、なぜ三右衛門をご世子様の身代わりに立てたのだ。采女自身の罪を知る三右衛門を死なせるためと疑われても仕方あるまいと言うと、采女は、藤吾と同じように自分も蜻蛉組で、殿からの指示で身代わりを立てることになったが、三右衛門が自らかって出たのだと言う。

 話が篠のことに及び、新兵衛が采女に、お主が確り篠を受け止めていれば篠は別な生き方ができた筈だ。わしと夫婦になったばっかりに寂しく世を去らねばならなかったのではないかと言う。采女は、新兵衛、お主はまださようなことを思っているのか大ばか者だと言うと、先日、滋野殿から聞いたが、篠と破談になってからも密かに会っていたとわざわざ告げに来たぞと言う。采女は、お主ほどの男がさような妄言に惑わされるとは情けないと言って、篠から最後に貰った和歌の返状を持ってきた。

 わしは、この歌の意を、もはや曇り日の影のごとく、自分は見えない身となったが、心はわしから離れないということだと思い込んでいた。しかし、それはどうも違っていた。形影相伴うというが篠殿の心はすでにお主に寄り添っていて、篠殿はお主の妻としてのその想いを歌に託したのだ。正しい歌の意は「雲の影のごとく目に見えなくとも、決してお主と離れずについて行くつもりだ。それゆえ、気持は受け入れられぬ」ということで、それを、わしに告げたのだと、ようやく気が付いた。

 新兵衛、お主は篠殿が亡くなったときに後を追うつもりでいたのだろう。篠殿は、それが判っていて、お主を死なせたくなかったのだ。篠殿はお主を生かすために心にもないことを言わなければならなかったのだぞ。その辛さがお主には分からんのかと言って、采女の目には涙が溢れていた。

 

                             次章に続く

 

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葉室麟著「散り椿」を読み終えて! -7/?-

2014-06-26 09:22:28 | 読書

「国入り」

 三月に入り、藩主親家と世子政家の帰国の行列が城下に入った。親家は駕籠で、政家は騎馬での国入りだった。

 ひれ伏す惣兵衛に政家が言葉をかけた。我が藩は、そなたに随分と世話になっておるようじゃ。今後とも良しなに頼むぞと。

 大手門の前には家臣が出迎えていたが、玄蕃の姿は無かった。初手から予に逆らう所存かと目が憤っていた。素早く采女が前に出て、ご家老は急病のことのようでございますと言うと、政家は、出迎えもできぬ重病なら役目も務まるまいと言い放った。采女は、殿がお決めになることですと囁いた。予は焦り過ぎる質で困ると笑って本丸に入った。

 藩主親家は一刻したら蜻蛉を呼べと小姓に命じた。

 その後、蜻蛉ただ一人を居室に入れて、藩内の情勢等を聞いた後、何かを命じて、家臣との対面は延期となった。

 国入りから三日後に、ご世子様が領内巡視をなさるとの通達が郡奉行所にあった。藤吾は奉行から呼ばれて武居村あたりまで足を伸ばされるかもわからぬので、用心のため、新兵衛を連れて赤瀬峠へ先回りしろと命じられた。

 藤吾と新兵衛が玄関を出ようとしたとき、滋野が来て、新兵衛殿に詫びねばならぬのだ。実は、采女殿は、そなたの妻となった篠殿と密会を重ねていたと、わが屋敷に宇野十蔵とか申す男が来て、密会のことは誰でも知ってことだと知らせてくれた。誠に申し訳ない。母として詫びねばならぬと深々と頭を下げた。新兵衛は荒々しく足音を立てて外へ出て行った。藤吾は、滋野に、その言葉、それがしの親族をも辱めるもので、しかと胸に畳んでおきますぞと、目に殺気を漂わせて滋野を睨みつけ、新兵衛を追った。藤吾は、十蔵が起請文を奪えなかった腹いせかも知れない。気にすることはないと新兵衛を励ました。

 赤瀬峠付近に行った時、頭巾で顔を隠した数人の武士が、新兵衛と藤吾を囲んだ。だが、不思議なことに間合いを取る動きに人を斬るという勢いがなく、二人を囲んで足止めをさせているように感じたので、新兵衛は、藤吾に、こやつらはわしが引き受けるから、ご世子のもとに走れと、新兵衛は男たちの中に斬りこみ、包囲網を割いた。そこを藤吾が必死に走った。

 2町ほど先の一行に、藤吾が、ご用心下されと大声で叫んだ。刺客が潜んでいますと告げた時に、少雨の中を鉄砲の音がして、2番目の馬に乗っていた頭巾の男が馬から滑り落ちた。

 先頭の馬から降りた内膳が、藤吾に、ご世子様の身代わりになった篠原様だと言われ、藤吾は篠原様とすがりついた。

 三右衛門は震える手を伸ばして藤吾の肩をつかむと、平蔵殿を斬ったのはわしだと囁いた。声を絞りながら三右衛門は話を続けた。三右衛門が土手に潜んでいると、采女に出会った平蔵殿は何事か罵り始めた。采女は懸命に弁明していたが、平蔵殿はいきなり刀を抜いて斬りつけた。驚く采女は、交わすはずみで父上の小手を斬った。平蔵殿は狂ったように采女に向かって行った。采女は呆然として動けない状態でいた。采女が斬られると思った瞬間、わしは飛び出して、抜き打ちざまに平蔵殿の首筋を斬り上げていた。だが、采女は平蔵殿を斬ったのは自分だと思い込んでいたようだ。

 先日、わしは、刀を交えて采女にあのときのことを思い出させ、思い違いを正そうとしたが、新兵衛が入って邪魔された。

 采女は、鷹が峰様と玄蕃を倒すことに凝り固まっていて、それを成し遂げたら死ぬつもりでいる。あの男を死なせるな。藩を背負っていく男なのだと言う。

 藤吾が、何故身代わりになられたのかと問うと、蜻蛉組の組頭だからであり、身代わりになれる上士であって、殿から世子を守るように命じられたからだと返答した。采女が殿に進言して身代わりとなったのだ。

 三右衛門は話を続けた。

 平蔵殿を斬ったのも、十数年前の状況においては蜻蛉組の仕事とされたのだ。源之進は最後まで采女が平蔵殿を斬ったと思っていた筈だ。玄蕃を憎んでいただろう。

 わしは組頭になってから采女を影ながら援けた。それだけに、玄蕃に憎まれていた。玄蕃はいずれ蜻蛉組を潰しにかかるだろう。その時に、家の者の命を助けるために、美鈴の縁組を破談にしたのだと言う。そして、藤吾に美鈴を頼むと言って頭を垂れた。

 刺客が身代わりの一行を襲った頃、政家は忍び姿で城下の田中屋を訪れていた。

 これは、鷹が峰殿がそなたに出した起請文だが、これにより、そなたを処罰しない。江戸に送る金は、わしに渡してくれ。手許金にして藩のために使いたい。神保家久と話済みだが、幕閣への手当てや鷹が峰様には藩庫から出すことにしたと話す。

 采女は、これで玄蕃は維持できなくなると思った。

 政家は喋りすぎたと茶を所望した。ところが油断があり、いつもの毒見を怠ったのである。田中屋の使用人として入っていた石田派が毒をもったのである。医師を呼んで一命は取り止めた。

 

                               次章に続く

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葉室麟著「散り椿」を読み終えて! -6/?-

2014-06-25 15:33:51 | 読書

「采女の恋」

 滋野は、采女から惣兵衛が斬られて怪我をしたことを聞いて、田中屋は当家とは関わりの深い商人ですので、早く知らせて下さらなかったかといきり立った。采女は、田中屋は闕所になるかもわからないので、田中屋と関わりがあるなどと申されますと、わが家にも累が及びますと、きつく注意した。

 とうとう、母上に容赦のない言葉を返してしまったと、采女は独り言を言いながら、脳裏に若き日々が浮かんでいた。

 隣家の坂下勘右衛門から、和歌や漢籍の話を聞く機会に恵まれ、篠と親しく言葉を交わすようになり、この人を妻に迎えたいと心の中で強く願った。父の平蔵からは承知してもらったが、数日してそのことを知った母の滋野は、あなたにはご家老の親戚の娘ごを娶らせようと前々から考えていたと不承知で、自分ひとりで坂下家に行き、人を立てて申し込んだ縁組の破談を申し入れに行った。その席で篠を悪しざまに罵った。勘右衛門はいわれのない非望に憤り榊原家と絶交した。

 その後、勘右衛門は隣家の新兵衛と篠の縁談を勧めた。新兵衛と篠の縁組が成って、わしは篠殿を大事にするぞと呟くと、采女は、大事にしなければわたしの気が済まぬと、激しく物言いをした。

 采女は、篠との文通を複数回していていて、滋野の反対にあって破談にとなったときも自分の本意を文に託した。

 最後のものは、新兵衛との婚儀を祝するものであった。采女はそのことだけを書くつもりでいたが、その文を書いている途中で、篠の面影が浮かんできて、どうにも心を押さえることができなくなっていて、自分の想いを篠に知っておいてもらいたいと、叶えられるならば坂下家の椿の傍らで篠殿ともう一度話がしたいと、そう書き連ねていた。そして、篠殿にじかに渡すように使いの者に申し付けた。

 暫くして篠からの返状が届いた。それには、「くもりの日の影としなれる我なれば 目にこそ見えぬ身をばはなれず」と古今和歌集の歌だけが書かれていた。曇った日の影のように、あなたの目には見えなくなったが、いつもあなたの傍にいます、という意で、采女には篠の想いが込められた歌だと思えた。

 それから1年後、新兵衛は平蔵の不正を訴えた。新兵衛は、そのことで藩にいられなくなり、国を出る破目に陥った。采女は、新兵衛が師のを坂下家に戻すのではないかと期待した。采女はそのようなことがあればと独り身を通したいたのだ。しかし、篠も自分の意志で新兵衛について行った。

 采女は城への道をたどりながら、篠の面影を偲ぶにつれ寂しさを感じて、寂寥の想いを持て余しながら城門に続く石段を上っていた。

 今日の執政による評定の議題は、田中屋が襲われた一件だった。

 町奉行が非難を浴びた。盗賊の話から奪われた物の話しへと話題は移っていったが、蜻蛉組や起請文のことが絡んでいて明らかにできにくいことから結論は出ず、これ以上の詮議は無用との采女の言葉で評定は終わってしまった。

 采女は御用部屋に戻った。机の上の書状を開くと「永福寺にて談合仕りたく候、蜻蛉」と書かれていた。采女は、談合の中味が不明で仲裁をたのむため新兵衛宛てに急いで書状を認め、家士に急ぎ届けるよう命じた。夕刻、下城すると、そのまま永楽寺に向かった。

 寺の境内の石畳に三右衛門が立っていて、采女が近づくと、三右衛門はすらりと刀を抜いた。采女は心当たりがなく、仕方なく刀を抜いて、斬りかかる三右衛門の刀を受けた(三右衛門が斬り合った理由が後述されている)。そこへ新兵衛が来て仲裁に入った。

 采女は屋敷に戻って書見台に目を落とした。何故か、平蔵が亡くなった夜のことが脳裏によみがえった。

 16年前、平蔵は田中屋との繋がりを追及され、連日のように城中で取り調べを受けていた。平蔵は、次第にやつれ、苛立ちを深め家人に荒い言葉を投げかけるようになった。そんなある夜、城中にいた平蔵は、翌朝江戸に向かうので旅支度をするように、下僕を通じて知らせてきた。父上は、藩主に無実を訴えるつもりかもしれないが、取り調べの最中の密かな江戸行きは、脱藩同様の行為で止めなければと、采女は城に向かった。

 采女は、途中、父上に出会った。平蔵は、わしを始末して全てを終わらせようとして、家老は刺客を差し向けたと耳にしたが、采女、お前が刺客かと猜疑に満ちた目を向けて刀の柄に手をかけた。采女は、血がつながらぬとは申せ親子ですぞと言うと、平蔵は、ならば父に逆らいはせぬなと刀を抜き放った。采女は平蔵の刀を避けようとして平蔵の小手を斬りつけていた。一時、采女の記憶は途切れたが、気がついたとき、平蔵は首を斬られ倒れていて、その傍らに三右衛門が立っていた。

 私が遣ったのかと采女が呟くと、三右衛門は何も答えず早く屋敷に戻れ、父上とは行き違ったと申せばよいと言った。采女は腹に脇差を突き立てようとしたが、三右衛門から采女の腕を抑えられ、父上の真の仇を打たねばならぬと言われ、平蔵の遺骸を残して屋敷に帰った。その後、順調な出世を遂げはしたが、いつも心の中に虚しさを抱いていた。

「人質」

 二月になった。来月には藩主らが国入りするとあって、郡奉行所でも文書の整理で慌ただしかった。

 そんな中、十蔵が藤吾を訪ねて、吉右衛門の女房が下手人が上がらないので、ご世子様に直訴するかもしれぬという噂を聞いたと知らされた。

 翌朝、藤吾は、武居村へ向かった。吉右衛門の女房は、直訴などとは何かの間違いでしょう。子供いることだし、家族に累が及ぶことは明らかで滅相もありません。何かの罠ではないでしょうかと言った。藤吾はすぐに辞去した。

 藤吾は赤瀬峠が見えると嫌な予感がした。峠の道を上りきったところで、十蔵ら6人に囲まれ、田中屋に連れて行かれた。

 夜遅く、田中屋から藤吾の家に使いが来て、藤吾を人質に取っておる、新兵衛が起請文を持って田中屋に来いとの連絡があった。

 新兵衛は、里美に、起請文を采女のところへ持って行ってくれと頼んで、藤吾を助けに田中屋に向かった。

 田中屋の奥座敷に惣兵衛と奥平刑部がいて、刑部が起請文を渡せと言うので、新兵衛は去るところへ預けてありますが、藤吾をここに連れてきたら、その場所を教えましょうと言う。刑部が藤吾を連れてくるように命じた。しかし、藤吾は、蜻蛉組の小者に助けられ、匿われていた土蔵から逃げていた。刑部が誰に起請文を預けたと問うと、新兵衛は采女だと答え、采女がどう使うか見ものでございますなと廊下に出て行った。

 里美は、新兵衛の使いで榊原の屋敷を訪れた。事情を説明し、起請文を渡して、そのの扱いは、榊原様にお任せするとのことでございます言った。

 その後で、これは私の一存でお伺いするのですが、わたしは源之進殿の最後について、かねてから不審を抱いておりました。榊原様はこの起請文をどのように使われるおつもりかと尋ねると、采女は、ご世子様に見て頂き、その後は、ご世子様の考えのままですと答えた。

 玄蕃は、十蔵から刑部が起請文を取り損なったことを聞き、親政を為そうとする政家の暗殺を企てることに、既に罪の意識は無くなっていて、重臣たちの意見を聞き入れ藩政をまかせてくれる人物こそが、藩主にふさわしいと思っていた。玄蕃は刑部の孫を藩主と考え、先ず、新兵衛をして采女を殺す、そのために、十蔵を使って滋野を騙すように十蔵に命じた。

 

                                  次章に続く

 

 

 

 

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葉室麟著「散り椿」! -5/?-

2014-06-24 08:22:54 | 読書

「襲撃」

 庄屋の吉右衛門を斬った者の正体は分からないまま年の瀬にとなり、正月になった。

 正月三日になって、藤吾の屋敷に美鈴が訪ねてきた。そして、破談の話を聞かされたのは年が押し詰まってからで、父から、近く、別の方との縁談を勧めたいと言われましたが、私は別の方との縁談はお断りし、藤吾さまとのお話をお待ちしたいと思っていますが、よろしいでしょうかと言われた。藤吾はもちろんですと言いきった。藤吾は、近いうちに篠原家を訪ねてみようと決意した。

 翌日、郡奉行所に出仕すると、どことなく騒(ざわ)めいていた。奉行が罷免されるらしいとのことだった。武居村の吉右衛門が斬られるなど領内に不穏な動きがあることの責を負わされるらしいとの噂であった。

 藤吾は奉行に呼ばれた。藤吾から罷免の話はまことですかと尋ねると、昨日、執政の評定で決まったものの、まだ公(おおやけ)にはなっていない。そのわけは、江戸におられる殿の御裁可を仰ぐ立場の榊原様が罷免を認めていないからだと言う。

 ご家老は、ご世子様が三月にお国入りされるそれまでに、我々をことごとく排斥しておきたいのだ。しかし、榊原殿は味方も多く簡単にはいかないので、ご家老は榊原殿を揺さぶる手段を必死に探しておられる筈だ。采女殿の弱みは、父上が賄賂を受け取った疑いをかけられ、取り調べの最中に亡くなったが、実際に誰が遣ったのか判らないのだ。それで、ご家老は密かにそれを調べさせておられるらしいのだ。いずれにしても、ご家老は、そなたも自分の派閥の者だと思うておるまい。そろそろ腹をくくらねばなるまいと言われ、藤吾は、承知しておりますと引導を渡された。

 藤吾は部屋に戻り文書を見ると、結び文が挟まれているのに気づいた。以前と同様、「永福寺にてお待ちいたし候、蜻蛉」とあった。

 城内の執政の間で、玄蕃と采女は向かい合っていた。先程まで執政で評定が行なわれていたのだが、玄蕃が采女と二人で話がしたいと言いだしたのである。

 玄蕃は、今回は、山路の罷免だけで、わしは引き下がる。そなたの職を辞せよとまでは言わぬ。それで手を打たぬかと取引を始めたが、采女は、私の職とは別の話だし、山路の罷免も殿の御裁可を得たわけでなく認められていないと言う。 玄蕃は、別の話に切り替え、そなたの父の死には不審があると思っている。不幸の極みの行いではないかと思っているが、もし、そうだとすれば、わしがしたこととは比べものにならないと言うと、采女は仮の話にはお答えしても詮無いことでありますと言う。玄蕃は、今日は、これで打ち切り、あらためて評定を開き、そのおりに、そなたに見てもらいたいものがある。それは、そなたの息の根を止めるもの(?)であるのは確かだと言った。

 この日の夕刻、新兵衛は酒を飲みながら惣兵衛の世間話を聞いていた。その数日前に、土蔵の中で惣兵衛から大切なものを見せられた。それは、鷹が峰様から頂いた起請文と千賀谷家の紋が入った煙草入れで、今となってはこれが私を守ってくれる物ですと言った。新兵衛は、この品物のために、わしを守り役に雇ったのかと思った。

 惣兵衛が部屋を出た後、新兵衛は考えをめぐらせた。起請文は藩の重役から受け取ったものであろう。それは、平蔵の不正を証(あか)し立てるものだ。新兵衛はその不正を質そうとしたために、篠と藩を出されたことを思い出していた。

 その後、江戸から京へと10数年、艱難に耐える日々だったが、不思議に、どのように辛くとも、篠は笑顔を絶やさなかったし、恨み言も一度も言わなかった。

 最後に、病床にあった篠は、自分が死んだら故郷の椿を見に帰って欲しいと新兵衛に頼んだ。新兵衛が戸惑っていると、わたしは実家の椿の傍で、想いをかけたおひとにお会いしたいと願い続けてきましたと言って、采女のことを話し始めた。そして、采女のことを話し終えた後、『ひとがひとを想うとはどのようなことなのか、わたしは榊原様の想いによって初めて気づかされました。わたしにも、ひとへの想いはあると分かったのです。』 その想いがいままで自分を支えてきましたと篠は頬を微かに紅潮させて言い添えた。新兵衛は、思わず、そなたの頼みを果たせたら褒めてくれるかと尋ねると、篠はお褒めいたしますとも、と答えてくれた。篠が亡くなった後、新兵衛は、采女の恋文を見つけ、嫉妬に苦しんだ。

 国許に戻るとはしても、場合によっては采女を斬るかもしれない。しかし、采女を斬れば篠は哀しむだろう。だから自分にはできないことだ。椿の花を見たら、采女に合わずに国を出よう。新兵衛はそう心に決めていた。それがいつの間にか藩内の不穏な情勢に巻き込まれていて、先日も、采女に会った時に、新兵衛は刀に手をかけようとしていた。(篠の心情は後述の「迷路」と「面影」で明らかになる)

 同じ頃、藤吾は永福寺にいた。小頭から、紙問屋田中屋に押し入り、あるものを奪うのでついて来いと言われた。新兵衛が用心棒をしているので、そなたを選んだのだと言われた。

 田中屋に着くと、先客の賊(上士の家士であった)3人と新兵衛が斬り合っていた。、その場の見張りは藤吾に任せ、小頭は土蔵に走った。土蔵のほうで悲鳴が上がった。悲鳴を上げたのは惣兵衛で、小頭が急所を外して斬りつけたのだ。

 3人の賊を斬った新兵衛は土蔵に走った。藤吾も後を追った。土蔵の入口にいた小頭と新兵衛は斬りあい、小頭の頭巾が取れて、顔を見せたのは十五郎だった。十五郎は、この事を漏らせば蜻蛉組は容赦しませんと言って闇の中に独り消えた。

 藤吾は、新兵衛の指示で田中屋の家人と共に医師を呼んで惣兵衛の傷の手当てをした。

 新兵衛は、惣兵衛の懐に手を入れて、例の煙草入れと起請文を取出し、しばらく預かっておくと言った。

 永福寺に戻ろうとした藤吾は、小者から用が済んだので家に戻られよと言われ、家へ戻った。

 既に新兵衛は家に戻っていて、藤吾は新兵衛から無造作に煙草入れに入った書状を見せられた。それは起請文で、奥平刑部から惣兵衛宛ての中味は「違変無く申し合わせ候」とあるだけだった。新兵衛、藤吾ともに、その扱いに決めかねていた。

 

                              次章に続く

 

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