[あらすじ・注目した文章]
第九章 (大口の代金回収遅延)
(あらすじ)
12月半ばのある朝、田代が出勤すると、副社長の高橋と幹部の鶴巻が、「ミャンマーのイラワジ社の代金回収が遅れています。その額3億円です」と報告した。
イラワジ社はミャンマーの大物官僚の親族がやっていて、経営状態には何も問題なく、亡くなった前の鈴木社長が開拓した大口取引先であった。
田代は担当の幹部を現地に飛ばし、状況を調べさせると、経営者の後ろ盾となっていた大物閣僚が収賄で失脚したとのことだった。
田代は、友人の国際業務に強い弁護士に相談し、ミャンマーの弁護士を紹介してもらう。
ゴールドツリー社にとって、3億円の貸倒れは間違いなく経営基盤を根底から揺るがすもので、自分の給料の50%カットはもちろん、田代は倒産させぬよう懸命に努力した。
第十章 (倒産)
(あらすじ)
イラワジ社の債権者が多く、貸倒れは回収できず、7月になってゴールドツリー社は倒産した。
社長である田代は、個人で、銀行へ9千万円の返済をしなければならないことになった。手元に残った個人財産は1千万円である。
千草は、「あんなに止めたのに……いうこと聞かないで社長やって……それで……これ?」と怒りをぶちまけ、翌朝から、千草はいなくなった。
5日経っても帰宅しなかった。
トシから電話があり、千草はホテルにいて、そこから、「美容院ちぐさ」の開店に張り切って出かけているとのことで、田代はとにかく安心した。
残務整理が着々と片が付いた7月下旬、千草が望んでいた「美容院ちぐさ」はオープンした。
千草が出て行って9日、田代は千草と全く話していない。
こうなったのは、すべて俺の責任であり、千草には一点の瑕疵もない。
であればこそ、別居であれ離婚であれ、あるいは元の生活を願うのであれ、俺が動いてけじめをつけなければならない。
オープンの夕方、田代は美容院を訪ねた。千草は、「来てくれたの。ありがとう」と、嬉しそうに駆け寄ってきた。
良い美容院だと、あちこちを褒めた後、しばらく沈黙があって、田代は「好きなようにしていいよ。離婚でも別居でも」と切り出した。
千草はそのことに返事をせず、「今回のことは許してないわよ。夫婦で長年かけて積み上げてきたお金を一瞬で全部使った。その金、半分は私のものだったのよ」と言う。まったくその通りだ。
そして、千草は、「明日から戻るわ、家に。今回のことは、あなたが悪行をしたことでないので離縁という形はとりませんから」と言う。
第十一章 (成仏)
(あらすじ)
倒産の後処理は続いていたが、大手町のオフィスは7月末で明け渡した。
ゴールドツリー社の残務は、11月にはすべて終了する予定だ。それからあと、田代は、また定年直後のような生活に入る。だが、かつてのように、仕事を熱望する気持ちはない。
千草をひどい目に合わせてしまったが、ゴールドツリー社のおかげで、サラリーマンとして『成仏』できた。
これからは主夫として、家事全般をこなそうと思う。金もかからないし、それが妻へのせめてもの償いだ。
夜一人でテレビを見ていると、二宮から南部高校が岩手県高校野球大会の決勝に出るので、盛岡に行かないかの誘いがあった。
田代は、春の甲子園に出られるかもしれないとの興奮から盛岡に出かけた。
野球は、10対1で大敗したが、その夜、何十年ぶりかの同期会に出席した。
第十二章 (苦し紛れの一言、「卒婚」)
10月6日、田代は、東京へ帰るため盛岡駅へ行く道すがら、故郷に帰ってきて住みたいと思った。
だが、俺は千草に一生かけて贖罪しなければならない。千草が盛岡で暮らすはずがないので、東京で俺が主夫となって支えていく。それしか贖罪の方法が思い浮かばない。
俺にとって、それは本格的に『終わった人』になることを意味していた。家事と留守番をやり、ギクシャクしている妻の顔色を見る『余生』だ。
それにしても、俺を必要としている故郷に戻りたかった。だが、俺だけが郷里に帰るのは、余りにも無責任だ。
夜8時半、店から帰ってきた千草は、盛岡駅の駅弁を食べながら、たまの故郷は、よかったでしょうと、ギクシャクはしているが、話を続けようとしていることを感じた。
11月15日、すべての残務整理が終わって、田代は、元の幹部へ報告した。その後、同期生の工藤から電話があった。
数か月前、帰郷したときの同期会で、「リボーン(再生)岩手」という(残りの人生を郷里の復興と、被災者に尽くすための)NPO法人を立ち上げて活動していると紹介された工藤から、税金の申告や事業計画のことで相談したいので盛岡まで一泊でもいいから来てくれないかとの願いの電話があった。
田代は、千草から「あなたの用でしょ。いちいち私に聞く必要はありませんから」と言われながらも、11月17日、意気揚々と盛岡に向かった。
田代は、工藤に事業計画における銀行との交渉についても細かく指示を出しておいて、翌日早くに帰り、お土産に「芋の子汁」の材料を持ち帰っていたので、夕食に芋の子汁をつくった。
千草が店から帰ってくるなり、娘とトシも呼んで宴会となった。
トシの「いいものなんだろうな。遠い故郷ってな」の一言に、田代が思わず言った言葉が千草の心を刺して静かな口論とになった。
そして、最後に、田代は、千草に(離縁になるだろう思える言葉の)「俺、盛岡に帰ろうと思うんだ」と言ってしまった。
以後、夫婦の会話はますます無くなった。
(文章)
「うん。何ていうのか……故郷にいると自信が戻ってくるんだよ。
東京でのいろんなことがさ、取るに足らないことじゃないかって」
その時だった。千草が鋭く言った。
「それ、ずいぶん失礼なセリフね」
俺は意味が分からなかった。トシもわかっていないようだった。
「あなた、散々好き勝手やって、私にこれほどの迷惑をかけて、
会話する気にもならない家庭にしておいて、
東京でのいろんなことが取るに足らないなんて、よく言えるわね」
焦った。
俺が「取るに足らないこと」と言ったのは、
倒産と会社の負債の肩代わりの二点だけを指していたのだ。
憮然とする千草に、トシが言った。
「壮さんは、倒産や借金を免れようと駆けずり回って苦労したことや、
住んでいる東京という町が、
故郷に帰ったら何か遠い幻のように思えたって……
そういうことだろう」
俺は、「その通りだよ」と言いたかったが、黙った。
(あらすじ)
田代が「帰る」と言ってから10日ほど経った12月が近い寒い夜、帰宅した千草は「ちょっと話があるの」と食堂のテーブルの椅子を引いた。
向かい合った田代に、
「『卒婚』しましょう。離婚はどちらかの悪行で不仲になった夫婦が籍を抜く方法だが、卒婚は不仲なんだけど、悪行をしておらず離婚には行きつかないので籍を抜かずに、お互いに自分の人生を生きるために同居の形を解消するの」と言う。
田代は、「わかった。年明けには盛岡に帰るよ。……お互いに、その趣旨通りに、『ちょっと会いたくなったから来た』とか言って、ゆっくり話ができる日……きっと来るように努力するよ」と言って涙腺が緩むのをこらえていた。
あくる年の1月の終わり、田代が盛岡に立つ朝、千草は、「いずれ休みの日に、お義母さんにご挨拶に行きますから」とだけ言い、出勤して行った。
福島あたりを通過しているとき、田代の携帯電話が鳴った。
千草からだった。
「あなたより1時間遅く着くので、盛岡駅南口の改札で待ってて。急ですが、私も姑に挨拶した方がいいと思いまして」と言って、電話を切った。
1時間遅れて現れた千草に、田代は嬉しさを隠せなかった。
千草も照れたような笑顔だった。
終