T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

「男振」を読み終えて! -4/4-

2013-03-29 15:18:37 | 読書

「その一日」

ー その日は心配事が次々に起こった --

 源太郎の探索で上州に行った小平太は5人の筒井藩士に襲われ、3人に傷を負わせた。しかし、小平太は刺殺された。この事は後まで分からなかった。

 そんな中、西岸寺にいた安藤家老が、自分の判断で寺から抜け出し何処かに身を隠した。このことを和尚は急ぎ松蔵の家に伝えに来た。

 松蔵の家に和泉屋と和尚が来ているときに、いつの間にか、源太郎が板に書置きして出て行った。和尚は源太郎が越後に向かったのではないかと想像した。土間の隅では、お順は気が狂ったように泣いていた。

 源太郎は、今までの状況から、自分が藩主の落胤だと信じざるを得ないが、妻である奥方の威勢に恐れ入り、何もできずにいる藩主の姿を思う時、藩主が自分の父親だと感じられなかった。自分のような者のために、命がけで働いてくれる小平太や松蔵、お順などに申し訳ないとつくづく思うのだ。

 私の父は源右衛門ひとりだ。なんとしても越後に戻り、父親の安否を確かめ別れを告げなくては気が済まぬ。その上で、私は全てを捨てて、別の世界で生きようと決心している。そうしなくては、筒井藩士の源右衛門に迷惑がかかるからだ。

 源太郎は越後への道中、僧に遭い、無理矢理に僧衣を脱がせて、それを着衣、上手く変装した。そして、板橋に差しかかった時に老人から声をかけられた。

「帰国」

ー 源太郎の強い意志を御長老と源右衛門に伝える --

 離れ屋を建ててくれ、大工道具の使い方を教えてくれた棟梁の伊助だった。事情を話し、源太郎は、伊助の紹介で駒込の新光寺の和尚を訪ねて、道中は了円という名の寺僧になることが許された。

 江戸に行く用があった伊助は、源太郎からの松蔵と和泉屋、お順への手紙を預かり、五日後に折り返して越後に同道した。

 安藤家老は、幕府老中・松平照久の江戸家老の屋敷に身を隠していたのだ。照久は柴山藩主筒井正房の従兄弟である。後年、照久の次男が筒井家の婿養子となる。

 柴山城下にすぐ入ることは危険なので、源太郎は山本村のおきぬの農家に身を寄せて待っていて、伊助だけが源太郎の手紙を持って城下に入った。伊助の感覚で大丈夫と思った4日目に御長老の屋敷の潜り門を叩いた。そして、源右衛門と御長老にお会いできた。

 その事を源太郎に知らせたら、何よりだと激しく喜んだ。伊助はもう一つ源太郎に、ある内緒ごとを告げた。

 その翌日、御長老の嗣子が3名の家来を連れて野駆けに出て、源太郎が泊っている農家に寄って休み、一刻ほどして、源太郎と一人の家来が入れ替わって帰還した。五日後に、また野駆けの家来になって、おきぬの農家に帰ってきた。伊助は、帰ってきた源太郎の相貌から不安と苦悶の陰りがぬぐったように消えているのを知った。

 数日後、僧侶姿の源太郎と伊助は越後・柴山を去った。

「歳月」

ー 千代之助の早逝に伴う筒井藩の御家騒動は収まる --

 源太郎が伊助の柴山を去って2年が過ぎてようやく筒井家の内紛は収まった。

 藩主の長女・光姫に松平照久の次男が婿養子になった。藩主の心を思う安藤家老や御長老の考えは、源太郎の信念によって取り下げられ、奥方様の考えのようになった。

「薫風」

ー 安藤家老の許しを得て、源太郎は父親を訪ねる --

 源太郎が、源右衛門に別れを告げ、棟梁の伊助と共に城下を去ってから15年目の端午の節句が来た。

 安藤家老も60歳を超え、今なお壮健で役目についている。そして、小平太の遺骨の一部を江戸に移し心光寺に立派な墓を建て供養を欠かしていない。

 御長老は10年前に亡くなり、嗣子が後を継ぎその嗣子も70歳の半ばに達した。源右衛門は昔の屋敷に戻り、文吾に後を譲って静かに毎日を暮し続けていた。

 堀家の潜り門を入った源太郎に、昔からいた中間は吃驚した。見事な禿頭にふさわしいでっぷりした体躯も堂々たるもので、顔にも身体にも生気がみなぎっていた。中間は、源太郎と分かって驚き、転げるように、許されていない玄関の式台から家の中に走り込んだ。

 源右衛門はまじまじと源太郎を見守り座り込んでしまった。源太郎の挨拶に、源右衛門は、昔のような父親の言葉にならず、「かたじけなく……、再び、……お目に掛れようとは」と、途切れ途切れの言葉で感動し驚喜する。「我が子であって我が子でない」源太郎なのだ。源太郎は昔と変わらず父上と呼ぶたびに、源右衛門はどうしたらよいのか分からぬ表情を浮かべ、「お止め下され」とも言えず、感激で、朽ちかけている老体が喜びに震えるのであった。

 源太郎は、伊助から大工の仕事はもちろん棟梁としての教えを受け、今は松蔵の後を継いで、堀松蔵と名のり、お順を妻にして一本立ちの棟梁となり、安藤家老のお蔭もあって御公儀の作事方からの工事も行わせてもらっていると話した。

 また、一幅の画軸を出して、源右衛門に、幼児の行水をしている町女房の人物画を見せて、女は私が名前を継いだ棟梁の娘で順という私の妻で、この子は父上の孫で名前は源太郎とつけました、どうぞ手元に置いてやってくださいと言うと、源右衛門は泣いて「かたじけなく、……」「かたじけ……」と言うばかりだった。

 源太郎は翌々日、堀父子の見送りを固く辞退して、城下を立ち江戸に向かった。

 居間に戻った源右衛門は、養子の文吾に、「男振」は今の殿さまよりも立派だと、まだお目にかかったこともない藩主と比較した。

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「男振」を読み終えて! -3/4ー

2013-03-28 17:11:36 | 読書

「大工道具」

ー 堀家は北島家より養子を貰い、源太郎は家督相続はならぬとの沙汰が出た --

 150石の近習頭である源右衛門は御長老と言われる家老筆頭の筒井但馬(藩主の一族)の屋敷に呼ばれ、夕餉も馳走になり、帰宅した。

 源太郎を呼び、驚かぬと約束させて、他家の北島家の次男・文吾を養子に迎えることになったと言う。これには深い訳があるが今は言えないと言う。

 源太郎は、「父は実子の私より家名が大切なのだろう」と何故か珍しく胸が騒いだ。また、自分の身はどうなるのかと尋ねた。父は、この屋敷に儂と共に住むのだ、私と共に生きてくれ、生きねばならぬ、ぜひともと、父は両眼を手で押さえていた。

 年が明けて、北島文吾養子の件が君命によって申し渡され、源太郎には、「狂気の故をもって家督相続がならぬ」との沙汰が下った。

ー 離れ屋を建ててくれた大工・伊助から大工道具の使い方を教わる --

 源太郎のために5坪ほどの離れ屋の建築工事が御長老の指図で城下でも名の知れた大工の棟梁・伊助の手で始まった。家を建てる現場を見たことのない源太郎は、大工たちが道具を魔法のように操り、物を作っていくことに瞠目して見守った。

 源太郎は、この離れ屋が出来たら、ここで読書して一生を終えよう。父が亡くなるまで共に生きよう。父亡き後は私も死のうとも考えた。

 春から夏にかけて、伊助が数度来て源太郎の注文に応じて離れ屋の手直しをし、それが終わっても時々やってきた。その頃から、伊助が来ない日も気を削る音や鋸を引く音がした。老女が見に行くと源太郎が本箱を作っていたのだ。老女にお前の針箱も作ってあげようと夢中で手を動かしていた。

 それまで、源太郎は痩せて動作ものろのろと老人くさくなっていたのが、元の源太郎に戻ってきた。

 源右衛門が倒れたのは、この年の夏のある朝だった。文吾に登城ができない旨の届を頼み、しばらく休むことにした。御長老の命で特に、翌日の夜、藩主の侍医が内密に訪れ診察した。

 しかし、倒れてから10日ほど過ぎて侍医からこれならと大きく頷くのを見て、源太郎は心強かった。

「異変の夜」

ー 回復に向かった源右衛門に源太郎が書見台を作る --

 心の臓が悪くて倒れた父もだいぶんよくなり、源太郎は腹切蔵を出た時よりも嬉しかった。

 侍医からも許しが出て、書見もできるようになったのを見て、源太郎は臥せていながら書が読める書見台を造って父を喜ばした。

 秋になると、棟梁の伊助は仕事で新潟に行った。その時、伊助は自分が手掛けた寺社や民家の設計図を源太郎の手元に預けておいてくれた。源太郎は見ていて飽きなかった。

 秋もたけなわの日、侍医が源右衛門に来春はお城に出仕もかなうと言われた。その三日後、源右衛門・源太郎親子の身に異変が起こった。偶々、文吾は、源右衛門から許されて初めて実家に泊りがけで出かけていた。

ー 小平太が安藤家老の密書を持って堀家を訪れる --

 夕暮れ時、小平太が安藤家老の密書を持って堀家を訪ねて来た。それまで小平太は、源太郎殿と呼んでいたのに、源太郎さまと呼び方が変わり、態度も変わっていた。源太郎は、急ぎ小平太を中に入れ門扉を閉ざして父の居間に案内した。

 源右衛門は家老からの密書を二度読み返した。そして、源太郎に小平太と一緒に急ぎ夕餉を取れと命じた。その後、旅の支度をしろと言った。

 源太郎は、小平太から、御城下に居ては御身が危ないので、これから私がお供をさせてもらい江戸に行きます。訳は道々話しますと言われた。

 源右衛門は、侍医の遊佐医師あてに急ぎ拙宅に来ていただくよう下男に手紙を託した。

「脱出」

ー 千代之助が他界し、母君から刺客が城下に、源太郎は無事領外に逃れた --

 源右衛門も袴を付けて、食事を済ませた小平太に誰の命で刺客は何人と聞いた。奥方様の指図で12名が当家に押し込む予想だと答えた。源右衛門は、源太郎に小平太殿から寸時も離れるなと指図した。

 急ぎ来訪した遊佐医師は、御長老に手紙を書いて下男に渡した。できれば源右衛門を御長老の屋敷に匿ってもらうことをお願いするためである。

 源太郎と小平太は、源右衛門の指示で、源右衛門からの次の連絡があるまで、一旦、領内山本村の堀家老僕・儀助の妹・おきぬの嫁ぎ先の農家に身を寄せた。

 源太郎は、道々、刺客が放たれた原因を話ししてくれた。若殿の千代之助が他界されたとのことで、死因は化膿性腹膜炎で激しい腹痛の後に亡くなられたらしいとのことだった。源太郎は昔、自分が顔面を殴打したことによるものでないようなので一応安心した。

 時をおかずに山本村へ父からの連絡があり、御長老の屋敷に匿ってもらっている、また、家の者も無事家を離れることができたとのことで、二人も、急ぎ領内を抜け出せとの知らせがあった。連絡に来た下男から金子も十分用意してもらい、払暁、おきぬの家の裏の川から舟で音水潟へ逃げた。

「大工の家」

ー 刺客に襲われ、源太郎と小平太は別々に江戸に着いた --

 小平太は源太郎に、万が一、刺客に遇ったら、とにかく逃げて浅草の大工の松蔵の家を訪ねてくださいと言う。根岸の和泉屋の寮に奉公していたお順の家で、父親の松蔵は全てのみ込んでいると言った。藩邸はもちろん狙われている和泉屋に立ち寄らないでくださいと念を押された。

 道中、4人の刺客に遭い、源太郎は逃げながら一人と立ち会い刺殺したが、小平太とは別れ別れになって久し振りに江戸の土を踏んだ。

 小平太は3人を死傷させ、源太郎も浅草に着いているだろうと松蔵の家の戸を叩いた。

「その夜」

ー 安藤家老も身の危険を察して和泉屋の手配で西岸寺に匿われる --

 松蔵は、源太郎がまだ江戸に着いていないので、明日早く和泉屋に連絡する事を告げた。

 翌日、和泉屋が来て、安藤家老の身も危なくなって、後刻案内するが、ある処に匿ったと話してくれた。

 小平太は商人風に姿を変え、和泉屋の後を追った。葛飾郡の西岸寺で安藤家老に会う。

 小平太は、今までの経過を話し、源太郎様を探しに今から出立すると言って、その場から急ぎ出発した。

ー 小平太が源太郎を探すため出立した夜、源太郎は松蔵の家に辿り着く --

 源太郎は一日遅れて夕暮れに松蔵の家を尋ねた。お順が転げるように駆け現れ、源太郎は安堵の思いが胸にこみ上げた。小平太が昨夜生きて此処へ帰ってきて、今は出かけているが、もうすぐ帰ってくるでしょうと松蔵が言うと、源太郎は顔を覆いむせび泣いた。

 しかし、小平太は、この夜のうちに源太郎を探すために上州に向かっていた。このことは、西岸寺の和尚が和泉屋の手紙を持ってきてくれて分かったことだ。

 松蔵は、源太郎が無事に江戸に着いたことを和泉屋に少しでも早く知らすため、日が暮れていたが出かけた。

「決意」

ー お順は源太郎に体を許した。その日、源太郎は自分の出自を知らされる --

 源太郎とお順だけの二人になった家の中で、隠れ部屋で二人は体が触れあい自然に源太郎はお順を抱きしめた。

 和泉屋が松蔵の連絡を受けて松蔵の家に来て、初めて源太郎と対面した。和泉屋は安藤家老から許しを得ているのでと、あなたはお殿様の御子だと打ち明けた。源太郎は驚き、もう一度聞かせてくれと言った。御生母は早くに亡くなられたのですが、詳しくは安藤家老から申し上げることと思うと和泉屋は言った。

 源太郎は呆然として身じろきもしなかった。出生の秘密を信じる気持ちはあっても、私の父母は堀の両親をおいて他にはないと呟いていた。

 源太郎が帰着したこと、出生の秘密を明かしたことを、西岸寺の安藤家老に知らすため、和泉屋の手紙を持ってお順が出立した。

 和泉屋と松蔵が居間で語り合っていると、隠れ部屋のほうから、かすかに鉋で削る音がしてきた。二人が部屋に入って見ると、源太郎がありあわせの木材を削っていた。源太郎は、「松蔵殿に断りもなしに勝手な真似をして申し訳ないと謝り、この鉋は地金が柔らかい良い鉋ですね」と言う。

ー 源太郎は自分の今後について決意する --

 源太郎は、改めて、出生の件について、これからも堀家の子として生きていきたいと、ぜひ安藤家老に申し伝えてほしいと願った。しかし、和泉屋は断った。

 源太郎は、千代之助様が他界しなければ、源太郎として捨て置かれたはずだと言い、なんと言われようとも私は堀源太郎であって、一命を何度も奪われかけ、ついには筒井家を脱走した男で、「私は、もはや、心を決めています」と凛然とした態度で自分の心を披露した。

   

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「男振」を読み終えて! ー2/4ー

2013-03-27 15:58:01 | 読書

「初霜饅頭」

ー 打ち首の時が近づく --

 腹切蔵は締り土蔵と同じく二階建てで、入り口を入ると青竹の柵が立て回されていて、一階は打ち首が出来るようになっていた。

 源太郎は二階に押し込められ、見張り人が一人いた。お仕置きは何時になるかといっても返事がなく、死を前に髭を当たりたいとの願いには、伝えておこうとの返事があった。

 この三か月、剃刀は与えられていないので、髭は伸び放題、この髭が頭についていたらと涙が吹きこぼれることもあった。

 締り土蔵と違って見張りの交代時間が早いのに、小平太が来ない。今は、死ぬ前にもう一度小平太から貰ったあの初霜饅頭を食べたいことだけが心残りだった。

 打ち首のお仕置きは明朝だろうと思ったが、ここには布団が無いので、お仕置きは今夜かと落着きを失い始めた。なんといっても死ぬのである。首を斬られるのである。

ー 安藤家老の尽力で、別人となって生き延び、腹切蔵から解き放たれた --

 源太郎は、翌朝、一階に下された。無我夢中の態で恐怖は層倍のものとなったが、不思議なことに腕を縛されなかった。

 板敷のある場所への別の入口から安藤家老と彦五郎が入ってきた。そして、家老から申し渡しがあった。「堀源太郎は死んだのじゃ。今から別の男になった。杉本小太郎となったのだ。源太郎は狂い死にで死んでしまったのだ。今後、筒井家とは何の縁も無き者じゃ。」と言われた。源太郎は、家老の御尽力で命が助かったのだと激しい歓喜の思いで一杯だった。また、国許の父や彦五郎にもお咎めはないと言われて、自分の時よりはるかに大きな喜びで安堵感が波紋のように源太郎の五体へ広がっていったのである。

 腹切蔵を出るときに、彦五郎から金子を渡され、これが別れじゃと言われた。18歳の源太郎の身体を不安と絶望が抱きすくめてきた。「私は又しても、この禿げ頭を人前にさらして生きていかねばならぬのか。」今までの藩邸内だけの生活とは異なり、一人きりで世の中に放り出された時の自分が味わうことになる屈辱は計り知れぬものがあるに違いなかった。

 しかし、思いとは違って、腹切蔵の外に小平太が立っていて裏門口に案内され、そこで小平太から、頭巾と大小の刀を小太郎に渡され、饅頭が入った紙包みを小太郎の手に掴まされた。そして、駕籠に乗せられ、根岸の里にある和泉屋善助の寮に連れて行かれた。

 小太郎は、寮についてから発熱し意識を失い、ようやく、5日目に回復した。横を見ると側に小平太がいて、安藤家老から世話をするように命じられたと言い、理由は不明だが、あなたは運のいい方だと言われた。

 ここは、上屋敷出入りの菓子所の和泉屋の寮で、私の差し上げた饅頭は、ここの「初霜饅頭」と名がついた物ですと言う。

「恐怖」(以下、源太郎の名前はそのままとして記述する)

ー 奉公人の少女・お順から普通の人を見るようにみられ、源太郎は勘当を覚える --

 寮に泊まり込むようになった小平太から、あなたは元気になれば、この寮を出て行くことになると言われ、源太郎は何処へと問い返すと、きつく鋭い双眸で自分で決めたらよいと言われた。源太郎は、小平太の眼は徒のものでなく相当の剣士だと思い、もしや、自分が一介の浪人になったことから、寮を出たらいずれ殺せと家老から命を受けているのではないかと、あらぬ想像をした。

 翌朝になって、源太郎は、私は一介の浪人になったので、越後・柴田の城下の堀家を訪ねてもよいかと尋ねた。小平太から思うままにと言われ、父母に会えると、譬えようのない歓喜を覚えた。

 根岸の寮へ来て半月が過ぎ、数か月ぶりに下男の喜平の介添えで入浴した。喜平に抱えられるようにして寝間に帰ると、下働きの少女のお順が新しい寝床をしつらえていて、源太郎を見たが、その眼は普通の人を見る目であり、源太郎は微かな感動を覚えた。

ー 元の堀家の養子にとの家老の命と、母親が重病だとの彦五郎の知らせで帰国する --

 縁が切れた筈の彦五郎が寮を訪ねて来た。彦五郎から、「源太郎は越後に赴き、筒井藩士の堀源右衛門の養子になれとの安藤家老から沙汰があった。それと、母親重病とのことで、一日も早く元気になって越後に行け」と言われた。小平太からも、安藤家老から私があなたを国許までお送りするようにと言い使ったと言われた。

 源太郎は、一か月後に、喜平とお順にお礼の金子を渡し、「では…」と言っただけで涙があふれてきて後の言葉が出なくなった。お順だけは涙もなく、ひたと源太郎の顔を見つめていた。

 小平太は、そうした源太郎を抱えるように付き添って江戸を発足した。

 ある処まで行ったとき、顔見知りの筒井藩士3人が自分たちの後をついて来ていることを知った。源太郎は、道中の何処か人の見ていないところで、この3人と小平太に斬られるのではないかと、まだ不安が残っていた。源太郎は何時でも逃亡できるように、小平太に掴まれている手を振り放そうとした。小平太は、源太郎の心を見透かしたように、静かにしなさいと、物静かに私はあなたを無事に国許に送り届けねばならないのだと言った。そして、小平太はいささかも油断を見せず、旅籠でも小平太は風呂まで一緒に入ってきた。

 3人の藩士は柴田城下に入るところまでついて来たが、いつの間にかその姿を消していた。

「音水潟・一本松」

ー 母親の死に目に会えなかったが、父の心を知る --

 小平太は、初めて明るい顔を見せ、もうすぐ肩の荷が下せそうだと言って城下に入り、堀家の門前で源太郎が小平太を家に案内しようとしたら、安藤家老の書状を届けなくてはと小平太は去っていった。

 源太郎は、いつまでも小平太との別離の感傷にふけっておれず、母親の枕頭に駆けつけたが、既に息絶えていた。

 母の葬儀はひっそりと行なわれた。父親の思い遣りで、倅は謹慎の身だと言って、源太郎を人々の目に晒さないように部屋から一歩も出さなかった。

 帰国した我が子を眺めて、ふきこぼれる涙をどうすることもできなかった父は、「ようやったぞ。大名の世子たるものが、おのが家来の容貌を辱めるなどとはもってのことじゃ。」と、その言葉に激しい怒りがこもっていた。源太郎は、この父の言葉を生涯忘れまいて思った。譬えようもない傷心を、この父の声によってどれほど勇気づけられたことであろう。父のために、私は、これからどのような苦汁にも耐えて行こうと決意した。

ー 元婚約していた娘から望まれて会ったが、源太郎は笑われたので刀を抜いた --

 堀家の老僕の儀助を通じて、源太郎の元婚約者の妙から、ひと目、会って慰めたいと思う純な心からだろう、ぜひお会いしたいとのことだったので、源太郎は熟慮の結果会うことにした。

 源太郎さまと呼ばれた時に、源太郎は思い切って笠を脱いだ。立ちすくんだ形になった妙はぽっかりと空いた赤い唇がそのまま空へ張り付いたようになって、次の瞬間、硬直した顔が崩れ、吹き出すように笑い出し駆け下っていった。

 源太郎は、笑い崩れた妙を見た瞬間に、胸の中に得体の知れぬ熱い血が固まってきて、その胸苦しさをこらえきれなくなった、その怒りから、我知らず、腰の大刀を引き抜いていたのである。

 近くにいた馬上の藩士が急いで追いつき、妙を追いかける源太郎の腕を鞭で叩き、刀を落とさせ、更に顔面を横殴りして源太郎を転倒させた。

「狂気」

ー 狂気の故をもって、生涯の謹慎蟄居を申し付けられる --

 父親の源右衛門も謹慎されていた。今度のことは言い逃れの仕様もないことだ。

 江戸から処置が届いた。「堀源太郎は狂気の故をもって、生涯の謹慎蟄居を申し付ける」とのことで、自邸内で座敷牢へ閉じ込め、外へ出してはならぬと言うのである。

 源太郎は、まことにもってご迷惑をと謝るが、源右衛門は、そんなことはない、自ら死ぬるようなことを考えるなと、自殺を案じていた。

 翌年の夏になり、父親の謹慎は解かれ、二度と父上に難儀はかけぬと源太郎は我が胸に固く誓った。源太郎も禁固が解かれ、屋敷内から出てはならぬと命じられた。

 秋が来て、長老の筒井但馬から源右衛門が呼び出され、「生涯、妻帯を禁ず」との沙汰が出た。

 

 

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「男振」を読み終えて! -1/4-

2013-03-26 18:13:18 | 読書

「概要」

 池波正太郎の家騒動を背景にした武家と庶民の時代小説。

 裏表紙より。「若くして頭髪が抜け落ちる奇病を、主君の嗣子・千代之助に侮辱された17歳の源太郎は、乱暴を働き監禁される。別人の小太郎を名乗って生きることを許されるが、実は主君の血筋を引いていたことから、お家騒動に巻き込まれることになる。しかし、源太郎は、宿命的なコンプレックスを強力なエネルギーに変えて、市井の人として生きる道を拓いていく。清々しく爽やかな男の生涯。」

 本書「解説」からの抜粋。「典型的パターンとは全く異なるお家騒動を背景にした小説。」

 「主人公・堀源太郎は筒井越後守正房の血を分けた子であり、藩主の座につくべき存在である。しかし、結局、源太郎は筒井藩を継ぐことなく、本人の積極的な意思により一介の市井人として数奇な人生を歩み続けたのである。

 我々は、誰でも生まれて来たその日から動かしがたい人間社会の桎梏(シッコク・手かせ足かせ)の中にある。金持ちの子に生まれ育ったか、貧乏人の子に生まれ育ったか。生まれつき頭がいいか、悪いか。美しいか、醜いか。元気に育ったか、病の中で育ったか。人はどうにもならない運命の様なものを背負って、この世の中へ出てくる。そこでどう生きるか。肝心なのはその事である。

 眉目秀麗にして秀才の誉れ高かった15歳の源太郎が、突然のつるつるの禿げ頭になってしまい、次第に厭世的になり、心の底で死を待つ望むようになる。しかし、ある事から、源太郎は、宿命的なハンディキャップやそこから生ずるコンプレックスを、むしろ強力なエネルギーに変えて自分の生きる道を拓けていくのである。

 世の中には、コンプレックスに負けてしまい、ずるずると人生から脱落していく人間もある。また、具合の悪いことは何でも「他人のせい、周りのせい」にする人も多い。と言って、理想的な環境で何不自由なく、思った通りに生きていけるなどということは、元々あるはずがないのが人生というものである。

 源太郎は運命のいたずらに翻弄されながらも、次第に人間というものに対する目を開いていき、周りの人々あっての自分なのだと悟り、その人たちの温かな思い遣りのためにも、自分はあくまで強く生きていかなければならないと決意する。

 この小説の中で我々の印象にひときわ鮮やかなのは、お順という娘である。人がみな源太郎のつるつる頭に失笑を禁じ得ない中にあって、この娘だけは、普通の人を見るように事も無げに源太郎を見た。その一瞬が源太郎の一生を左右したと考えては考え過ぎだろうか。男にとって、女との出会いほど大きな影響をもたらすものはない。」

                                                  

「あらすじ」

 上記「概要」の下線を引いたところをポイントにあらすじを纏めてみた。

 「あらすじ」の中の下線を引いたところは、私の心をひきつけた部分である。

「腹切蔵」(ハラキリグラ)

ー 15歳の小姓・源太郎は、若殿との相撲中に前頭部の毛髪が急に抜け落ちた ーー

 家中の子弟の模範とされていた15歳の堀源太郎は、一つ年下の藩主の嗣子・千代之助の小姓を務めていた。

 ある日、千代之助の相撲の相手をしていたとき、異変が起こった。千代之助が頭を抱え込んでひねり倒そうとしたところ、源太郎の前頭部の毛髪がずるりと急に抜け落ちたのである。

 まさに奇病で、その後、2年のうちに源太郎の頭髪は、左右の小鬢へ残されているのみで、額から後頭部にかけて見事に禿げ上がってしまった。人は当初は憐れみをもって接してくれたが、月日が経つにつれて笑いに変わっていった。

 源太郎は単身、江戸で母親の縁類の筒井藩士・小島彦五郎の長屋に住んでいたので、彦五郎殿に国元の父母には内緒にしてくれと健気に頼んでいたが、参勤交代で、その噂は越後にも伝わっていった。

 父親の源右衛門は、彦五郎に源太郎の帰国を希望し、江戸家老・安藤主膳へも密かに願書を出していたが、若殿は帰国を許さなかった。

 源太郎の紅顔は青ざめていき、豊頬は痩せこけ、涼やかな両眼は光を失っていったが、源太郎は家中の嘲笑・憫笑に対して必死に耐えていた。

 国許では、岡部忠蔵の娘・妙との婚約も、言い出した岡部家のほうから一方的に破棄を申し出てきた。

 安藤家老は、若殿の反対を押し切り、源太郎の帰国の件をほぼ承諾させた。しかし、その矢先、第二の異変が起こった。

ー 宿題の習字が嫌になった若殿が、諫言する源太郎の頭に墨を塗りたくった ーー

 千代之助が、宿題の習字が済まぬうちに相撲を取りたいと我が儘を言ったので、源太郎が、筆を持つ手が震えて後から字が書けなくなるので、なりませんと諫言すると、千代之助は「このつるつる頭が主人に逆らうのか」と、源太郎の頭に筆の墨をなすりつけて毛が生えたぞと笑った。

 源太郎は、千代之助の顔面を拳で強打し、馬乗りになって「おのれ、おのれ」と殴りつけ、千代之助は鼻血を出して失神した。

ー 「締り土蔵」で処刑を待つ源太郎に、彦五郎は親達にも累が及ぶことを知らせる ー

 家来の身で若殿へ乱暴を働いた者はおよそいないが、罪人を監禁するための牢格子などの設備がなされている下屋敷の「締り土蔵」に押し込められ、処刑を待つ身となった源太郎は、ここにいるのも三日だろうと死を覚悟した。

 源太郎は、「このような頭のまま生きていて、人々の侮辱を受けるよりもいっそ死ぬるがよい」と死の恐怖はなかった。彼の厭世感は、この2年の間に芽生え、日を追うて胸底に積もりつつあったのだ。父親が密かに息子の身を案じて江戸家老に帰国の願書を出したことなど、源太郎は少しも知らず、「父親も、むしろ、私が死ぬることによって、肩の荷が下りるのではあるまいか」とさえ思っていた。

 締り土蔵の見張り藩士の中に一人、若い藩士の原田小平太が同情の眼差しを源太郎にあたえていて、見張りが一人の時に饅頭を差し入れてくれた。何とも表現できない感動で、源太郎は無我夢中で饅頭を頬張った。

 土蔵に入って20日目に彦五郎が現れて、若殿は回復されたが、母君の奥方様(徳川将軍の実妹)は大変なお怒りだ。国許の父上のことを考えたことはあるのか、と言われ、源太郎は「連帯の責任」のことを気付いていなかった。忘れていたのだ。

 彦五郎から、父上の責任が少しでも軽くなるように殿さまに嘆願書をしたためろと言って、硯箱と料紙が差し入れられた。源太郎は小父上(彦五郎)への咎めはと尋ねたが案ずるなと言われた。幸い、その夜は小平太が当番で源太郎に「望みを捨ててはなりません。早まったことをしてはなりません。」と言われたが、そのようなことをすると父上などが難儀することは源太郎もわきまえていても、小平太の気持ちが嬉しかった。

 翌朝、彦五郎が嘆願書を受け取りに来て去ったが、父母と彦五郎殿の安泰を願うばかりであった。小平太から希望を持てと言われたが、自分の命については毛筋ほどの希望も抱いていなかった。

 年が明けて1月も末になったある日、源太郎は「腹切蔵」(切腹や打ち首の処刑をするための設備がなされている土蔵)へ移された。 

 

 

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菩提寺のモクレン!

2013-03-19 13:08:20 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                         

Tera3

                                                                                                                                                         

 春のお彼岸に墓参。

 菩提寺の庭に白木蓮。

 春のお彼岸に何回も墓参していたのに、目につかなかった。

 どうしてなんだろう。頭の上に咲いていたからだろうか。

 人なんていい加減なものだ。

 明日は私の誕生日。

 うん歳? 老人になると、誕生日は嫌なのか嬉しいのか???

 和尚さんに尋ねてみたいものだ。

 

 

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