「その一日」
ー その日は心配事が次々に起こった --
源太郎の探索で上州に行った小平太は5人の筒井藩士に襲われ、3人に傷を負わせた。しかし、小平太は刺殺された。この事は後まで分からなかった。
そんな中、西岸寺にいた安藤家老が、自分の判断で寺から抜け出し何処かに身を隠した。このことを和尚は急ぎ松蔵の家に伝えに来た。
松蔵の家に和泉屋と和尚が来ているときに、いつの間にか、源太郎が板に書置きして出て行った。和尚は源太郎が越後に向かったのではないかと想像した。土間の隅では、お順は気が狂ったように泣いていた。
源太郎は、今までの状況から、自分が藩主の落胤だと信じざるを得ないが、妻である奥方の威勢に恐れ入り、何もできずにいる藩主の姿を思う時、藩主が自分の父親だと感じられなかった。自分のような者のために、命がけで働いてくれる小平太や松蔵、お順などに申し訳ないとつくづく思うのだ。
私の父は源右衛門ひとりだ。なんとしても越後に戻り、父親の安否を確かめ別れを告げなくては気が済まぬ。その上で、私は全てを捨てて、別の世界で生きようと決心している。そうしなくては、筒井藩士の源右衛門に迷惑がかかるからだ。
源太郎は越後への道中、僧に遭い、無理矢理に僧衣を脱がせて、それを着衣、上手く変装した。そして、板橋に差しかかった時に老人から声をかけられた。
「帰国」
ー 源太郎の強い意志を御長老と源右衛門に伝える --
離れ屋を建ててくれ、大工道具の使い方を教えてくれた棟梁の伊助だった。事情を話し、源太郎は、伊助の紹介で駒込の新光寺の和尚を訪ねて、道中は了円という名の寺僧になることが許された。
江戸に行く用があった伊助は、源太郎からの松蔵と和泉屋、お順への手紙を預かり、五日後に折り返して越後に同道した。
安藤家老は、幕府老中・松平照久の江戸家老の屋敷に身を隠していたのだ。照久は柴山藩主筒井正房の従兄弟である。後年、照久の次男が筒井家の婿養子となる。
柴山城下にすぐ入ることは危険なので、源太郎は山本村のおきぬの農家に身を寄せて待っていて、伊助だけが源太郎の手紙を持って城下に入った。伊助の感覚で大丈夫と思った4日目に御長老の屋敷の潜り門を叩いた。そして、源右衛門と御長老にお会いできた。
その事を源太郎に知らせたら、何よりだと激しく喜んだ。伊助はもう一つ源太郎に、ある内緒ごとを告げた。
その翌日、御長老の嗣子が3名の家来を連れて野駆けに出て、源太郎が泊っている農家に寄って休み、一刻ほどして、源太郎と一人の家来が入れ替わって帰還した。五日後に、また野駆けの家来になって、おきぬの農家に帰ってきた。伊助は、帰ってきた源太郎の相貌から不安と苦悶の陰りがぬぐったように消えているのを知った。
数日後、僧侶姿の源太郎と伊助は越後・柴山を去った。
「歳月」
ー 千代之助の早逝に伴う筒井藩の御家騒動は収まる --
源太郎が伊助の柴山を去って2年が過ぎてようやく筒井家の内紛は収まった。
藩主の長女・光姫に松平照久の次男が婿養子になった。藩主の心を思う安藤家老や御長老の考えは、源太郎の信念によって取り下げられ、奥方様の考えのようになった。
「薫風」
ー 安藤家老の許しを得て、源太郎は父親を訪ねる --
源太郎が、源右衛門に別れを告げ、棟梁の伊助と共に城下を去ってから15年目の端午の節句が来た。
安藤家老も60歳を超え、今なお壮健で役目についている。そして、小平太の遺骨の一部を江戸に移し心光寺に立派な墓を建て供養を欠かしていない。
御長老は10年前に亡くなり、嗣子が後を継ぎその嗣子も70歳の半ばに達した。源右衛門は昔の屋敷に戻り、文吾に後を譲って静かに毎日を暮し続けていた。
堀家の潜り門を入った源太郎に、昔からいた中間は吃驚した。見事な禿頭にふさわしいでっぷりした体躯も堂々たるもので、顔にも身体にも生気がみなぎっていた。中間は、源太郎と分かって驚き、転げるように、許されていない玄関の式台から家の中に走り込んだ。
源右衛門はまじまじと源太郎を見守り座り込んでしまった。源太郎の挨拶に、源右衛門は、昔のような父親の言葉にならず、「かたじけなく……、再び、……お目に掛れようとは」と、途切れ途切れの言葉で感動し驚喜する。「我が子であって我が子でない」源太郎なのだ。源太郎は昔と変わらず父上と呼ぶたびに、源右衛門はどうしたらよいのか分からぬ表情を浮かべ、「お止め下され」とも言えず、感激で、朽ちかけている老体が喜びに震えるのであった。
源太郎は、伊助から大工の仕事はもちろん棟梁としての教えを受け、今は松蔵の後を継いで、堀松蔵と名のり、お順を妻にして一本立ちの棟梁となり、安藤家老のお蔭もあって御公儀の作事方からの工事も行わせてもらっていると話した。
また、一幅の画軸を出して、源右衛門に、幼児の行水をしている町女房の人物画を見せて、女は私が名前を継いだ棟梁の娘で順という私の妻で、この子は父上の孫で名前は源太郎とつけました、どうぞ手元に置いてやってくださいと言うと、源右衛門は泣いて「かたじけなく、……」「かたじけ……」と言うばかりだった。
源太郎は翌々日、堀父子の見送りを固く辞退して、城下を立ち江戸に向かった。
居間に戻った源右衛門は、養子の文吾に、「男振」は今の殿さまよりも立派だと、まだお目にかかったこともない藩主と比較した。