久し振りに、ツタヤで音楽CDをレンタルしてきた。
二年ほど前までは、店名が違うところでレンタルしてきて、Windows XPに取り込んでいたが、その店が潰れてしまって、今回初めてツタヤを利用した。
値段も割合高く、CDシングルは品物が少ないので、楽曲が決まっていて、その楽曲だけが必要であれば、インターネットでダウンロードするほうが安くつく。
今回、音楽を取り込むノートPCはWindows 7で、これも初めてなので、アルバムとシングルをレンタルしてきた。
好きな歌手の歌からお気に入りの楽曲を見つけるのも楽しいものですよ。
レンタルした平原綾香と森山良子からお気に入りのどんな歌が見つかるだろうか楽しみです。
澤田ふじ子の京都を背景にした時代小説。公事宿事件書留帳シリーズ第12弾。
シリーズを通して、歴史的な記述が随所に書かれていて、この第12弾でも、「大黒さまが飛んだ」では京都東西両町奉行の他に寺内町には町奉行が二人いた、「馬盗人」では大津は幕府直轄地で大津代官所は京都町奉行所と一体的に運営されていた、「比丘尼茶碗」では楽焼と楽長次郎のことなど、勉強になることが多い。
「お婆の斧」
油問屋・井ノ口屋のお高は、長年連れ添った隠居の夫の弥兵衛を手斧で殺し損ねた。先代の弥左衛門は遊び好きの人であったが、弥兵衛は物堅い優しい人で、皆が不思議がっていた。
奉行所はお高が高齢のため六角牢に送らず、鯉屋の座敷牢に入れることにした。
お高は世間体や女の誇りから原因は誰にも喋らず墓の中まで持っていくと言いいながら、藁人形に五寸釘を木槌で打ち込むことを頼んだ菊太郎に少しずつ話し出した。
お高の怒りは十年にも及んでいて、弥兵衛が囲った女は坂本屋という店を出し、息子夫婦と住んでいるとのこと。
源十郎と菊太郎が坂本屋を訪ねて息子の松之助に事情を聴くと、先代が店の女子衆に手を付け、弥兵衛と腹違いの妹になるお民が産まれた。お民の連れ合いが若くして亡くなり、先代から貰って残していたお金で店を出したとのこと。それから数年して、弥兵衛が不意に訊ねてきて父親の不始末を詫び、その後、時々顔出してくれているとのことだった。
まことに重畳のこと、弥兵衛が父親を庇う律義さは分からぬではないが、老妻ぐらいには打ち明けておけばよかろうにと、源十郎に菊太郎が話す。
「吉凶の餅」
美濃屋の店先の床几に若い男が放心した顔で座っていた。団子を焼いていた右衛門七が、死神に襟首を掴まれているような顔をしていると言うので、菊太郎が座敷に呼んで事情を聴いてみた。
その菊二という若者が言うには、饅頭屋・泉屋に奉公し、暫くして塩味の干し海老を餅に入れた商品を提案した。
海老餅はよく売れて、海老餅総本舗・泉屋と看板まで変えて、菊二も番頭見習いに格上げさせたが、狡賢い主人の九兵衛は、店が繁盛するにつれて菊二を邪魔者扱いにし、挙句の果てに、店の金を誤魔化したと因縁をつけて、一切の抗弁を許さず、あっさり暇をだし、同業者組合にはお雇い構え回状を回して、菊二が何処の同業者でも雇えないようにしたとのことだ。
菊太郎は一個六文の海老餅をたった一つ買って、九兵衛の前で美味いが胡散臭い匂いがすると言うと、九兵衛は菊太郎を憎悪の目で睨んだ。
菊二を連れて菊太郎は外出した。案の定、泉屋に雇われた殺し屋が現れた。菊太郎はその者の右腕の肘から先を切り飛ばし、奉行所に引き渡した。
事前に源十郎が目安を公事宿仲間の総代の二条陣屋に預けてあったので、陣屋から奉行所の裁きを知らせてきた。九兵衛は死罪、菊二には考案料としての七百両と海老餅総本舗の看板を出すことが許されたが、菊二は断り、自分の将来のことは菊太郎たちに相談させてもらい、両親の食い扶持だけはぜひ届けて貰いたいと言う。
「比丘尼茶碗」
鯉屋の隠居の宗琳は三つ目の黒茶碗を土産に菊太郎・銕蔵の父の次右衛門を訪れた。
次右衛門が最初に宗琳から黒茶碗を貰った時は、楽長次郎の作だろうと驚いたほどで、一度、茶碗を焼いた妙寿尼に会いたいと言うと、宗琳が、最近得体のしれない侍が庵を窺っているので、昔の手下の若い衆に見張りをしてもらっていると言う。
次右衛門は茶碗を貰ったからには昔取った杵柄で何とかしなくてはと、宗琳の家に泊まることにした。
数日して、庵への生け垣を乗り越えかけた侍四人を発見して、若い衆たちが騒いだので、老人二人もおっとり刀で駆け付けた。しかし、事前に、母上から次右衛門を心配して知らされていた銕蔵と菊太郎が庵の中から出てきて、老人二人に手出し無用と、侍たちに立ち向かった。
侍たちは膳所藩の者で、尼御前と一緒に暮らししていた若者が尼御前の子で藩主の庶子であったため跡目相続の争いで若者を殺害しようとしていたとのことだった。
「馬盗人」
馬子の多吉ら三人が大津から京都まで客を送っての帰り、居酒屋の笹屋で一杯やっていたが、雨脚が強くなった中、馬は濡れたままにしていた。
歩き疲れて笹屋の前に来た婆のお常は、雨に濡れた馬を見て、馬子を懲らしめてやれと、多吉の馬を盗んで乗って村まで帰った。
翌日、馬盗人があった時に笹屋に居た人足の一人が、多吉の栗毛馬が吉田神社の拝殿の柱に手綱で縛られていたと知らせてきた。多吉に早く知らせないと、神社に奉納されて神馬となってしまうと人足達は急いだ。
権宮司や村役人は多吉の馬と認めた。そして、多吉の馬は、吉田神社の大元宮に祀られている神様が乗って帰ってきた馬だと評判になり、多吉はお客から御祝儀を貰うこともあった。
それから数日して、笹屋に、お常が馬盗人のことを気にかけ相談に来たので、信濃屋を訪ねて菊太郎の意見を聞きに来た。
菊太郎は、お婆は神馬の熨斗を付けて返したのだし、孫の怪我に神社のお守りを届けた帰りだったとのことで邪気は少しもなく、四人の胸の中に収めたらどうだと言った。
「大黒さまが飛んだ」
大風が吹いた真夜中に、料理屋・重阿弥の座敷に軸箱が飛んできた。中を開けてみると大黒天が描かれたもので、中箱に伊賀屋七郎兵衛と書かれていた。主の彦兵衛は菊太郎に相談し、兎に角、持ち主を探すことにした。
喜六が調べた結果、七郎兵衛は亡くなっていて、婿養子の四郎兵衛が飲み打つ買うの三拍子で三年ほどで店を食い潰し、長屋に住んでいる今でも賭場に入り浸り、嫁と娘に働かしているとのことだった。
菊太郎は重阿弥の繁盛に目を付けて一芝居打ったものと睨み、源十郎が重阿弥の番頭に化けて返しに行くと、四郎兵衛は実際は重阿弥に忍び込んで投げ入れたのに、大黒さまが見切りをつけて其方に飛んで行ったのだろう、いまさら返して貰おうとは思っていないと言う。
彦兵衛は、大黒天が評判になり重阿弥も繁盛するし、相手も損しないようにと20両の金を菊太郎に渡して再び四郎兵衛を訪ねて貰った。
四郎兵衛が20両に手を伸ばそうとした一瞬前に、彦兵衛の意をたいした菊太郎の刀が一閃し四郎兵衛の帯が切れて褌が覗いた。
菊太郎が帰った後、四郎兵衛は20両を子分に持って帰れと言い、畜生見ていろ伊賀屋を再興させ利子も付けて大黒さんを迎えに行ってやると叫んだ。
「鬼婆」
ある日、伊勢屋の娘・お希世が稽古帰りに、昔、産婆をしていた老婆・おたつから、貧乏人はいくら働いても浮かび上がらず金持ちが憎い、そんな気持ちから貧乏な竹籠屋の連れが産んだばかりの女の子・おまさと取り換えのだ、これから時々、金を強請るからと恐喝された。
お希世は芯のたる質の娘で、自分が貧乏を恐れていたら何時までも周囲に不幸をもたらすと覚悟を決めて、竹籠の行商に出るおまさと数日行動を共にした。
そして、おまさが貧しいなりにも、決して心は飢えることのない幸せな暮らしをしていることを確認し、その後に遇ったおたつに、何も怖くない、貧乏を恐れずに生きていこうと思っていると言った。
行商の途中であった菊太郎に事情を話し、 お希世はおたつを許してあげてくれと言う。伊勢屋でおたつやおまさが集まった席で、おたつは心から謝り、菊太郎は本当の親娘が18年にしてようやく会えた上に、すがすがしい心がけの娘が双方に二人ずつできたと考えれば、世にも希な良い話ではないかと言う。
澤田ふじ子の京都の市井を背景にした時代小説。公事宿事件書留帳シリーズ第11弾。
「右衛門七の腕」
昆布商北船屋の一人息子・助松は、社家の出の義母に大事に育てられた。しかし、助松は不運な男で、14歳の時に父親も亡くした。
助松は店を守るために義母に店を任せて、大阪の問屋に見習い奉公に出た。
二回目の2年に一度の帰省時には、義母の姪の小絵が店を仕切っていた。
奉公を終えて20歳の時に店に戻ると、義母は留守で、主人は小絵の婿養子がなっており番頭たちも替わっていて、助松は他人呼ばわりされて店から追い出された。
小絵の父の大里頼康は三男坊で、今は鷹司家に使える給金15石の公家侍。頼康は喰うのがやっとで金を増やすために、小絵を利用して北船屋を自分の物にしたのだ。
心の中に深い修羅を抱えた助松は、昔、重阿弥の料理人で、今は美濃屋という団子屋を始めたお信の店の奉公人をしている右衛門七に助けられ、菊太郎と源十郎は助松の了解を得て出入物として目安を奉行所に提出した。
頼康が若い時に賭場の用心棒をしているときに、右衛門七は賭場での諍いで頼康から左腕を傷つけらたことがあった。
外出した頼康の前に右衛門七が立ち塞がり、北船屋の悪事を話すと頼康は刀を抜いてきた、その間に入った菊太郎の腰から一閃した刀が手元に戻った時には、頼康の右腕は刀を掴んだまま、二の腕からどたっと斬り放されていた。
「あやしげな奴」
お信の子のお清から、寺子屋の友達のお千世を今日も変なおじさんが寺子屋に覗きに来たので、お千世は納所さんに家まで送ってもらったと菊太郎に話しした。
最初から事件になることを恐れ、菊太郎は銕蔵の助けを借りて、ストーカー風の男を見張った。
その男・岩松は何をするでもなく、覗くだけで、日にちが経つばかりなので、岩松の奉公先の大平屋を源十郎と銕蔵が訪ねて事情を話ししだした。その時、奉行所から、暴走する荷車を引く牛にお千世が引かれそうになるところを岩松が助けて本人が大怪我をし、お鈴お鈴と譫言を言っていると知らせてきた。
大平屋から聞いた話では、岩松は生国で旅籠屋の入り婿になったが、女房が淫蕩なので別れて京都で奉公するようになった。しかし、置き去りにした娘のお鈴のことが忘れられず、よく似ていたお千世の後をつけていたとのことだった。
岩松が治癒してから、お千世の両親は度々岩松を夕飯に招いてお礼をしていると菊太郎たちも耳にした。
「無頼の絵師」
扇絵師・定助は応挙、蕪村、雪舟などの偽絵を描いたとして訴えられ、出入物として扱われた。
定助を弁護する公事人として源十郎は白洲に同行し、突這同心に促されて定助も座した。与力の問いに自分が描いた絵だと堂々として態度で述べた。
源十郎にへりくだれと言われても定助にはそんな気はなく、全くの職人肌で、人に媚びて有名な絵師になろうなんて少しも考えていなかったのだ。
定助が言う偽絵は、仕事中にふと探幽や雪村の筆意を真似て描いてみようという気になり、それだけのものだった。
与力たちは、絵師は必ず自分が描いた絵には落款を押すものと信じていたのだ。従って偽の落款まで押していたのだと思い込んでいたが、定助は一度もそれを遣ったことは無いと言いきった。
「薬師のくれた赤ん坊」
尾張藩京屋敷の中間をしている佐市は親の元に戻って百姓をしたいと、安五郎一家の徳蔵に相談した。
徳蔵は百姓をするにも金が要るから、赤ん坊を誘拐して身代金を手に入れようと、赤ん坊を老婆に任せきりにしている杉村屋の2歳ぐらいの正太郎を誘拐した。しかし、途中で同心たちと出会い不審な奴と咎められるのを恐れ、青物の引き売り屋の八十吉夫婦の大八車の竹籠の中に入れた。
八十吉夫婦は、毎日、薬師堂に無事な商いと子供の授かりを祈っていて、その日もお参りした後、大八車の竹籠の中に赤ん坊がいるのに気が付いた。
八十吉夫婦は悪いと知りながらもお薬師さんからの授かりものだと、幸助という名前を付けて育てていた。それから、10日ほどして八十吉夫婦は子供を誘拐したとして奉行所に引っ張られ、仏さんのような八十吉夫婦なので、その話は一刻もせず鯉屋まで広がっていた。
徳蔵と佐市は、何の恨みもない赤の他人に罪を着せるのは忍びないと奉行所に自訴して出た。
徳蔵は一年の遠島、佐市は百叩きで洛中追放との裁きが出た。その場に居た菊太郎は、貸のある安五郎から十両を脅し取り、田畑を買うための金として佐市に渡すことの許しを与力からもらった。
その後、八十吉夫婦は商いは八十吉だけがして、女房は杉村屋に雇われ、名前を幸助に変えたままの正太郎の子守をすることになった。
「買うて候えども」ー最も心を打たれた短編!!ー
龍田屋の手代・清三は骨董商の蓬莱屋で見つけた五両の仁清の掛け花生けが欲しくて一両の手付金を渡した。
残金は、自分が小僧になるときに身請け人にもなってくれた同じ生国の根津屋番頭の栄三郎に助けて貰おうと、自分の部屋に一枝の花を挿した仁清の掛け花生けがあればどれだけ気持ちが和むだろうと思うのだと訳を話しして三両を借りた。
翌日、自分の金を足して蓬莱屋に出かけた。ところが、蓬莱屋から、既に百両で売ってしまった、しかし、買い手から詫び金を五十両預かっていると言われた。
清三は、一旦、売買の約束ができたものを、相当の高値がついたとして他人に売るとは阿漕すぎないか、しかも、手付金を払っている私に無断で売るとは商人の道に外れていないか、また、今、五十両の大金を貰ったら今後、地味に小商いができなくなると言い、しがない手代だと侮り大金を渡せば了承するだろうと思った者は誰だと聞くと、鍋島藩の京屋敷留守居役が伊万里焼の手本にするため藩のためにと買って行ったとのことだった。
清三が、相手が藩の留守居役ではと放心して歩いていると、菊太郎に声を掛けられ、事情を聞かれた。
菊太郎は源十郎と清三を連れて京屋敷に行き留守居役に会った。
清三は、鍋島のお家のために掛け花生けが大いに役立つほうがいいと辞退し、留守居役も困っているときに、菊太郎が近江商人には三方よしの言葉があると、龍田屋と根津屋が鍋島藩の出入商人に加えてもらうことを提案し、両者が喜んで了承した。
「穴の狢」
団子の美濃屋に、副業の瀬田蜆の佃煮を時々買いに来る8歳ほどの男の子は、がりがりに痩せていて両手足のあちこちに生傷や青痣が見え傷が膿んでいた。
お信や右衛門七が可哀そうにと一本の団子を渡すと妹にも遣るので持ち帰ると言う。
ある時、少し多めに団子を渡した翌日、父親が来てお節介をやいて欲しくないと、子供が持ち帰った団子を踏みにじった。
右衛門七が、昔、賭場でよく会っていた権三だな、実の子かと言うと、権三から女房の子だがそれがどうした、同じ穴の狢が何を言うかと言われ、右衛門七は改めて打ちひしがれ黙り込んだ。そして、権三から殴り蹴り上げられたが、なすがままにした。
右衛門七が権三から子供を引き取り育てたいと菊太郎に頼むので、源十郎と右衛門七を連れて権三の家の前に行くと、家の中から、お前たちが憎いんでなく自分の不甲斐なさについ腹が立って、その怒りの矛先をお前たちに向けてしまうのだと、権三の涙声が聞こえ、そのあとに、男の子の声で、儂も妹もまだ死にたくない生きたいけどあかんか、お父ちゃんの気が済むように叩いてもええさかいと、すすり声が聞こえてきた。