「あらすじ・注目した文章」
※ ()内の薄青色の蛍光ペン部分は筆者が補足した部分
※ 黄色の蛍光ペン部分は心に残った文章の部分
第一章 ー(信郎と智恵の結婚と養父の想い)ー
(あらすじ)
成宮智恵(ともえ)が笹森信郎と再婚し、1年ほど在所で生活して、二人は3年ばかり前に江戸に出て来て以来、下谷稲荷裏の借家で暮らしていた。
この四月に三度目の離婚をした姉の多喜は、六月半ば、用があって北の国の在所から江戸に来て、信郎が御用旅で不在にしていたので、智恵の家に泊まる。
智恵と朝餉を共にしながら、共通の話題の離婚時の「去り状」の中身について話し合っていた。
「でも、あんたって、こう見てても、二度目って気がしないよね」と、智恵に言いながら、多喜は、勝手に、智恵の夫の信郎のことに話題を替える。
(注目した文章) ―(多喜と智恵の性格)ー
十行半(三行半×3回)の女になった多喜が、
「三度目の時の去り状には、離縁の理由が"不埒の義これあり"と、はっきり書かれていたのよ。そりゃあ、あたしに好いた男ができたのは間違いないけどさ。その恨みの文句を、わざわざ去り状に書く男が何処にいるかっていうの」と言って、「ねっ、ちえ(智恵)のときはどうだった?」と問う。
「さあ、覚えてないけれど、普通だったんじゃないかしら」と、自分が見ていたように答える。
実は、去り状に目を走らせたのは、父の理兵衛で、智恵が理兵衛に文言を確かめると、子ができなかったのが離婚の理由だが、そのことは書かれずに、「再縁の義はいかようにでも差し支えなく」と書かれていると知らされて、智恵は、うんうんと声を洩らした。
(あらすじ)
わずか25歳で、石澤郡の山花にある幕府代官所(御陣屋)の元締め手代になったのは、信郎が初めてだった。
御陣屋とつながりができれば、これくらい心強いものはないので、石澤郡内の婿を取りたい家も、嫁に出したい家も、信郎みたいな将来性のある手代が親族になれば、どんなに頼もしいかと思っていた。
「あんたとの話がまとまったときには、もう町中の噂になったものよ」と多喜が言う。
智恵自身も、当時、「なんで、わたしなの?」って、考えた。
当時、智恵は22、信郎は27で、齢周りだけなら、頃合いの二人に見えたっておかしくない。でも、3年振りに出戻ったばかりの智恵にしてみれば、そんな気持ちにはなれず、自分とは違う世界のお人とみなしていた。
父親の成宮理兵衛は、むしろ、智恵よりもわずかに先に、二度目の離婚で成宮の家に戻っていた多喜との結びつきを望んでいた。
そして、理兵衛は、女の再婚はさしたる引け目にならないと踏んでいた。
少なくとも在方では、問題にされず、むしろ、初婚の女よりも世間をよく知っていて、家のことを任せ易いとして歓迎されることすらあるし、齢にしても多喜が一つ上なだけで、そんな例はいくらでもあり、多喜のとびっきりの女っぷりと、自分の財力をもってすれば、補って余りあると理兵衛はみなしていた。
また、理兵衛からみれば、信郎は百姓の出である以上、もうこれより上はない。唯一、考えられるのは、代官のつてを頼って江戸に出て、勘定所雇入れの普請役になるか、御家人株を買って、普請役の上の支配勘定を目指すことだが、そもそも支配勘定になれるかどうかが分からないし、その上を目指して、旗本格の勘定や勘定組頭になることは、もう千両籤に当たるようなものになる。
それに、実入りについてだけ言えば、山花陣屋の元締め手代は、旗本格の勘定とならば、決して引けを取らず、5年も続ければ、ひと財産貯まるのが当たり前と見られている。
理兵衛が、信郎の立場に居れば、山花に留まり、再び百姓になって、豪農を後ろ盾に郡中総代を目指す。そのために、多喜との縁を選ぶだろうと、理兵衛は、多喜との縁組に期待をかけていたのである。 (娘を持つ親の想い)
そういう理兵衛の想いは、なにしろ妙につながりの強い父娘なので、多喜に語らずとも伝わって、多喜も同じ心積もりでいるように、智恵に映った。
(注目した文章) ―(女としての智恵の信郎に対する想い)ー
多喜は、出戻っていても、逆にますます怪しく美しくなっている。
罪のない、虫も殺さぬ風の顔だからこそ、いっそう女の性が匂い立つ。それをまた当人が承知しているものだから、すこぶる上手につかい、艶っぽさがいやが上にも際立って、凄みさえ感じさせてくれる。多喜に狙われて落ちない男なんていない。
いくら女がどこまでも張り合わざるを得ない生き物とはいえ、ここまで差が開けば、頭の片隅に信郎を思い浮かべるのさえ馬鹿馬鹿しい。
それでも、ほっそりとした面相といい、躰つきといい、いつも涼しげな様子といい、胡瓜のような匂いを漂わせていて、信郎は智恵の好みであり、顔を合わせれば、気持ちが全く波打たないわけではないのだ。
(あらすじ)
智恵は、出戻ってひと月ほどしたころ、理兵衛に呼ばれ、お前に再縁の話が来ていると告げられた。
よもや、信郎との縁談とは思わず、後から相手が信郎と聞かされたときは、驚く前に、自分が聞き間違えたのだと思って、理兵衛に、多喜の再縁話ではないのかと確かめたほどだった。
しかし、「なんで私なの?」と思い、最後に、多喜の凄(すさ)まじい美しさに信郎が怖気ついたのではないかという考えが浮かんだ。
成宮の家と繋がるために多喜との縁を望んだのだけれど、いざとなると、凄艶で気おくれがする。贅沢いっぱいで育ちもしたし、どうにも厄介だ。そんなときに、扱いやすそうな自分が出戻ってきた。
で、多喜でも自分でも、成宮家と縁つながりになるという点では変わることがなかろうという気になったのでないか……。
そう考えつくと、智恵は、あの人は考え違いをしている。あたしのことを何も分かっちゃいない。
このまま祝言をあげたら、信郎さんはさぞかし後悔するだろう。だから手遅れになる前に、なんとしても、そのことだけは、問いたださなければならないと思った。
「なんで自分なのか」は、答えを聞くのが怖くて尋ねることができないけれど、この疑いだけは確かめなければならないと思い、祝言の前に、智恵は信郎に話があるというと、信郎も「私もです」と答えた。
智恵は、「姉の多喜が、妹が欲しいと父にねだり、父が何処からか5歳の私をもらってきて、姉に与えたのです。わたしは「もらい猫」なんです」と話す。
(注目した文章) ―(「もらい猫」と言いたかった?)ー
そもそも、智恵にとって「もらい猫」は自分のための言葉で、他人に語る言葉ではなかった。
頭の中で、自分の境遇を考えるとき、ずっと「もらい猫」で通していた。「もらいっ子」よりも「もらい猫」のほうが、どこか他人事めいて、使いやすかったのだ。
(あらすじ)
信郎は、「あなたが実の子でないことだけは了解しています。そして、私には、助力は必要なく、成宮家と縁つながりになりたくて、あなたを妻に欲しいと申し出たわけではありません」と答えた。
そして、信郎が、「私も話したいことがある」という話を智恵に告げた。
「もしも、妻になってもらったら、このご実家を遠く離れ、二人で江戸へ行きます。そのことを承知の上で返事をいただきたかった」と。
智恵は江戸で何をされるのか尋ねた。
信郎は、「武家になります。と言うより、私は名子ですから、武士にならなければ、ならんのです」と答える。
智恵は「なんで、わたしなのか」について、察しがついた。そして、きっと信郎は匂うのだ(わたしが名子ということ)、と智恵は思った。
しかし、智恵は、自分も名子であることを言わなかった。
(注目した文章) ―(名主と名子。名子、使用人、小前、小作とは)ー
智恵は、成宮の娘になって間もない頃、喜代と理兵衛が話しているのを、座敷から物陰になる廊下で耳にした。
「名子なのですか」と、喜代が理兵衛に言った。
子供心に、自分が耳にしてはいけない話であることが伝わって、そこから遠ざかろうとするのだが、躰が金縛りにあったように動かない。
「名子は名子だが、ちゃんとした名子なのだ。だから、小前(耕地を所持し年貢を負担する本百姓。この作品では、耕地を借りている百姓を小作人、と分けている)なんぞよりよほどいい」と、理兵衛は答えた。
「わたしは別によいのです。そういう名子でなくとも。あの子なら、よいのです。あの子はあの子ですから」
むろん、話の全部を分かるわけもない。でも、喜代と理兵衛の言った「あの子」が自分であることは、5歳の智恵の胸にくっきりと刻み込まれた。幼い智恵の耳には、なぜか、喜代の「あの子なら、よい」という言葉だけが残った。
名子がなにを指すかは、長ずるにつれて耳に入ってきた。
9歳のころに知った答えは、「名主をはじめとする大百姓の家の使用人」ということだった。でも、名子を語るときの喜代と理兵衛には、外聞をはばかる風があったので、そんな答えでは理兵衛は納得がいかなかった。
智恵は、喜代の野辺送りが済んでから、喜代が存命のころ、お付きの下男をしていて、今は小作人の預かり人をしている弥吉に「名子というのは、どういう人たちを言うのでしょう」と訊ねた。
「この石澤郡の村は、殆どが新田村(新しく拓かれた田畑に、人が入植してできた村)だから、この土地には名子はいません。入植した大百姓の家の使用人という意味で、名子という言葉を使ったりすることはあるでしょうが、本当の意味での名子はいないと言っていいでしょう」と答え、そして、続けた。
「ほんとうの名子は、本田村(新田村よりも前にすでにあった古くからの村)にしかいないのです。本田村のほんとうの名子は、使う、使われるの関わりの雇われている使用人ではなく、主家(名主)に仕えているのです。つまり、家来ということです。元々は百姓ではなく、名主も名子も武家で、殿様と家臣の関わりなのです」
ならば、名子は、なにも恥じる言われはないではないか、と智恵は思った。
智恵が尋ねる前に弥吉が答えた。
「土着した当初は、名主も名子も、武家の気風を大いに残していたのでしょう。しかし、百数十年が経てば、周りだって、名主をかっての武家の領主としてではなく、あくまで、百姓の長として見るようになり、百姓としての才覚が問われるのです。ところが由緒にこだわる草分け名主は、商いを卑しいものとする武家の矜持をも忠実に守るため、伝来の田畑の農作のみで内証を回していこうとする。決して商いに手を染めようとはしません。つまり、田畑で体を動かすことが、名子の仕事になるのです。しかも、その田畑は主家のもので、自分のものではないのですから、遣っていることだけを見れば、賃仕事で雇われる作男と何ら変わるところがありません。そういう状態が続くにつれて、名子は小前どころか、小作よりも下に見られるようになります」
「小作……よりも」
「小作は、作男として雇われて、地主の田畑を耕作しているのではありません。地主から土地を借りて、己の才覚で作物を作ります。借り賃さえ払っている限り、そこは自分の田畑であり、いつどんな種を蒔いていつ収穫するかも、自分で決めることができます。それに対して、名子は、ただ主家の命に従って農作の手を提供するだけです」
「元はお武家様なのに、……ですか」
「あるいは、作男よりも下かもしれません。作男は、自分の意志で雇い主を替えることができますが、家来である名子には、それさえできないからです。そうして、名子は、いつしか村のなかで最も軽んじられる立場になっていきました」
「家来であることを辞める名子は、いなかったのでしょうか?」
「いたでしょう。名子と主家の間柄がどうだったかによるでしょうが、名子にしてみれば、主家が武家を選んでくれさえすれば、自分も武家のままでいられたわけです。主家は自分が選んだことだし、百姓とはいえ、名主でいるのだからまだいいけれど、名子は知らぬうちに小作よりも貶(おとし)められる立場に追い込まれてしまったのです。憤懣やるかたなかったことは、想像に難くありません。人別(無宿人)を失うのを覚悟で主家をかけ落ちる者だっていたことでしょう。そして、その後に、新田村の小前などになってているかもしれないし、武家になっているかもしれません。しかし、なかには、主家との間柄がとりわけ良い名子もいるはずです。だとすれば、主従の縁を切るに切れぬでしょう。いまでも本田村に留まっている名子はそういう名子なのでしょう」
思わず、智恵は、4歳よりも前にいた家を思い浮かべようとするが、いつものように紗(しゃ)がかかって像を結ばない。
(あらすじ)
幾日も考えたけれど、結局、祝言までに、智恵は、自分が名子であるとは言わなかった。
なぜなら、互いを名子と認め合ってしまえば、多分、もう名子どうしとしてしか生きられなくなると思ったし、相手が何か気に染まぬことを言ったとする。そのとき、きっと、自分が名子だからと思う。そうして、二人は、名子であることに閉じ込められてしまうと思ったからだ。
その代わりとは言えないが、智恵は、信郎が武家の家筋に戻そうとの覚悟を見て、どうしても、「子ができずに離縁されたこと」は言わねばならないと思った。
(注目すべき文章) ―(武家になるための励み場)ー
信郎にとっては、山花の陣屋の元締め手代に上り詰め、土地の人間の敬意を一身に集めても、信郎にとって、そこは励み場ではないのだ。
武士になるための信郎にとって、「己の持てる力の全てを注ぎこむのに足りる場処」ではなかったのだ。
信郎は、元の武家の名子であったが、江戸に出て、その元を外そうとしている。信郎のことだから、己ひとりが武家を目指すはずもない。笹森の家を武家の家筋に戻そうとしているのだろう。つまりは、どうあっても後を継ぐ男子を得なければならないということだった。
そう思った智恵は、なかったことにしてくれるようにと口にして、「子ができぬかもしれぬ」と言った。
信郎は、「分からないじゃありませんか。それは相手あってのことでしょう」と言ってくれた。智恵は、嬉しかった。
(あらすじ)
信郎と智恵は、山花で1年暮らしてから、信郎が勘定所普請役のお役目を得て、江戸に出た。それから3年近くにになる。
すんなりと縁談を認めた理兵衛が、江戸行きに反対した。信郎が武家を目指すことにも反対した。
理兵衛は、自分の思惑と違ったので、初めから、そのつもりであるのなら、なにも智恵を嫁に選ばずともよかったのではないかと、信郎を前にして語気強く反対した。
それ以来、理兵衛は、江戸に用があり出かけときも声をかけずにいた。だが、多喜には、年に二度、理兵衛の筆や短冊を買うために江戸に行かせ、それを名目に江戸遊びをさせて、羽を伸ばさせていた。そして、それとなく智恵の様子を視させに会いに行かせた。
智恵たちが江戸に出てきて3年目の六月、多喜は、付き人の弥吉を連れて、父からの指図があったことを内緒にして、下谷稲荷裏の智恵の借家に来た。
朝餉を終えて、智恵を誘い、智恵の家の近くの呉服屋に行き、太物(綿。呉服が絹)なら下谷でもいいやと言いながら、「智恵も気に入ったものを頼みなさいよ」と言って、店の者に、妹の寸法をとってくださいと注文する。
そのあと、時雨卵が名物の料理屋の岡村に行き、しばらくして、多喜が、「理兵衛さんから口止めされたけど、困っていることなんてある? オカネじゃないよ」と尋ねた。
智恵は、ひどく困っていることがあると、頭に浮かべながら、「なんのことかしら。思い当たらないけど」と首をかしげた。
次章に続く