T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

第二弾、古い日本語?

2007-01-25 18:03:05 | 日記・エッセイ・コラム

今、藤沢周平の「蝉しぐれ」を読んでいる。60頁ぐらい読んだところだが、またまた、難しい日本語が次々に出てくる。

「露悪的な口ぶりで」「やまかがしはこわい蛇でない」「恬として恥じる気色もない」「禍々しい」「打飼いを背負っていて」「はばきと草鞋」「書肆に使いに行く」……と出てくるが、作家はよく言葉を勉強していると感心する反面、「やまかがし」「打飼い」「はばき」「書肆」は別にして、「露悪的」「恬として」「禍々しい」などは江戸時代には通常的に書き物を書くときに使われていたのだろうか、それとも時代物を書くときは難しい日本語を使ったほうが似つかわしいのか、疑問だ。

失礼なことを言ったかな?、自分の知識が低いのが真実かもしれない。

なにはともかくも、辞書を片手に、時にはパソコンの辞書で検索しながらも、もう少しもう少しと夜更かしをするほど読者を飽きさせないことは確かだ。

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古い日本語!

2007-01-17 20:12:18 | 日記・エッセイ・コラム

私は歴史ものや時代ものの小説が好きなので、昔から文庫本で多く読んでいる。

昨年映画化されて評判を取っている「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」は共に藤沢周平の小説だが、そのこともあって、最近、藤沢周平の小説を読んでいる。先日、「用心棒日月抄」を読み終わり、今は新井白石の生涯を描いた「市塵」を読んでいる。

人情の機微の表現にも感心させられるが、なによりも読者を飽きさせないところが憎らしいものだ。

昨夜も12時過ぎまで読みふけった。今朝はパソコン勉強会のため早起きしなければならないことが解かっていながら・・・。

ただ、時代ものを読むときは、どうしても、辞書を片手にといった状態になる。だから寝ながら読むことが多い私は、そのときは推測しながら読み、後から、もう一度辞書を見て確かめている。

例えば、「瀉の痼疾」「苛政」「熨斗目の時服を拝領」「瞠目」「狷介な性格」「やつがれ」「微恙を患う」・・・・。どうですか、すべて解かれば感服します。

一番感服していることは、作者がいかに多くの資料を調べ勉強していることだ。

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散歩!

2007-01-12 12:15:00 | 日記・エッセイ・コラム

とにかく、健康が第一。何をするにも健康でなければ、何も出来ない。その健康を保つためには、高齢者にとって散歩が第一だと思う。解っていても、冬はなかなか継続できないものだ。

しかし、今年は雨の日を除き、どんなに多忙でも、時間を作り、必ず少しの距離でも歩く時間を取ることにした。

幸い家が郊外にあり、南北東西、何通りもの散歩道がある。その日の気分といったほうがよいが、今日は、久しぶりだので、あの辺りを見たい、あの本屋に行ってみたいとか、何かの目標を持って、散歩を続けている。

郊外なので、1ヵ月も行っていないと、お店が出来ていたり、駐車場が出来ていたりと散歩道にはいろいろ変化がある。もちろん、四季の変化もある。

今年は雨も少なく、今日も天気がよいので、必ず散歩する予定だ。散歩の継続を目標に体重を3kg減らしたい。これが今年の目標の一つだ。

もう一人の自分が言っている。今年は選挙の年でもあり、多忙な年になりそうなのだが、大層なことを言っていてもよいのかと。

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書初め?

2007-01-05 17:55:17 | 日記・エッセイ・コラム

毎年正月5日頃までに俳画を描いているが、「芽柳」のデッサンをした。賛句は「春浅き水城の堀の潮早し」。暇を見つけて、今から2週間ぐらいかけて仕上げたいと思っている。

話は変わるが、テレビで作家の五木寛之?が人間腹八分というが、これは30代の人のことで、70代であれば腹四分でよいとのこと。ご本人も一食半だとか、本当にお腹が空いたと思ったこと無くて、習慣的に三食食べている。少し量を減らしたほうがよさそうだ。

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美の感性?

2007-01-02 14:53:49 | 日記・エッセイ・コラム

以前から期待していたし、奥様からご案内も受けていた萩焼第十二代三輪休雪さんの個展をデパートに見に行った。開店間も無くの時間だったので、人も少なく、ゆっくりと拝見できた。

美術部の係の方から、先生の作品についての説明を受けるのだが、私には難しいことが多々あり、相槌を打ちながらも、どのように鑑賞したらよいのか判らないものがあった。

或る方が、言われていたが、目を肥やすには、本物を多く見ることだと。それにしても何を訴えようとしているのか、作品に何を感じたらよいのか、自分の感性の無さに呆れるばかりである。

俳画を十数年ほど継続して描いているが、いっこうに変わりなく、壁を破ることが出来ない。努力が足らないのだから当たり前のことだと思うが、とにかく感性がないことも事実だ。

しかし、正月早々から立派な作品を見て、このように感じさせられ、少しずつでも努力すべきだと思わせてもらったことは何よりだった。

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