本を売りにBook.OFFに行くと、
一か月前に本店に出た新刊の「陸王」が出ていた。
字が小さいので、購入を戸惑っていたが、
1700円が1380円になっていたので、
すぐ買うことに決めた。
これからも、新刊本を買いたくなったら、
一度、この古本屋を覗いて見ることにした。
本を売りにBook.OFFに行くと、
一か月前に本店に出た新刊の「陸王」が出ていた。
字が小さいので、購入を戸惑っていたが、
1700円が1380円になっていたので、
すぐ買うことに決めた。
これからも、新刊本を買いたくなったら、
一度、この古本屋を覗いて見ることにした。
数年ぶり、いや、十数年ぶりの渇水。
先日、テレビで屋島の山の木が枯れているとの報道あり。
近所のスーパーマーケットの屋上から見ると、
数か所それらしきものが目についた。
北海道のような洪水も嫌だが、少しは雨が欲しい。
三豊市のほうで、雨を求める踊りが催されたとの報道もあった。
「時のない時計」の文章抜粋による粗筋
個人のあるブログの中に、第155回直木賞受賞作品「海の見える理髪店」を読んで、一番気に入ったのは5話目の「時のない時計」だと述べられていたものを目にした。
私も再読して、なるほどねと思うところがあった。
笑いをももよおす素朴な亡くなった父と息子の家族愛を感じて、粗筋をまとめてみた。
※ 黄色の蛍光ペンのところは作品の要点になったと思うところ。
※ 薄い青色の蛍光ペンのところは私が補足したところ。
私は、父の四十九日の翌週、母からの電話で実家に出かけた。
「これ、形見分けよ。お父さんの分身だと思って、貰ってくれない。いい時計のはずよ。お父さん、結構おしゃれだったから」
と言って、母から渡れた。
いい時計。情けないが、その言葉に心が動いた。 文字盤に刻まれているのは、海外のメーカーの名だった。
その腕時計は、動いていなかったので、入るのは初めての商店街の「鈴宝堂」という古めかしい時計屋に持ち込んだ。
◆
「すみません。修理をお願いしたいのですが」と時計を差し出すと、振り返った白髪頭の老人の時計屋が、「お」とも「う」ともつかない嘆声をあげた。
そして、手のひらを皿にして器用にそれを受け止め、
「いやぁ、これは古い時計だなぁ」と言った。
その言葉から、母が、
「買ったのはあんたが高校生の頃じゃないかな。父親は、おしゃれで、身に着けるものに金をかけていた。兄への形見分けしたコートは同じころ買ったのだが、銀座の洋服屋で仕立てたもので、月々の給料の半分はしたと思うよ」と、言っていたことを思い出した。
父は、息子の目から見ても平凡なサラリーマンそのものの人だった。
大学の法学部を卒業してすぐに勤め始めた最初の会社も、転職した二度目の会社も、同じ自動車部品メーカーで、どちらも経理の仕事をしていたと聞いている。
仕事は忙しかったようで、帰りは毎晩遅かった。休日はいつもゴロ寝。一緒に遊びに出かけた記憶はほとんどない。サラリーマン時代の父の姿と言えば、私には背広姿とステテコ姿しか思い浮かばなかった。
給料もごく平凡だったはずだ。兄も私も大学まで行かせてもらったのだから、文句を言う筋合いではないかもしれないが、兄が大学に入り、私が受験を控えていた高校時代は、弁当の中から肉が消え、ちくわや魚肉ソーセージがおかずになった。
母は、パートで働き始め、映りが悪くなったテレビを買い換えずに見続けた。
うちは、いま大変なんだな、と子供にも分かった。
葬式の時、「あんないい人はいなかった」と泣いた母も、日が経つにつれて冷静に現実的になり、
「お父さん、見栄っ張りだったから、自分の着るものには、ばぁっとお金を使っちゃうの。私はいつもバーゲン品だったのに」と、愚痴をこぼすようになった。
<中略>
「悪いものではないと聞きました」
私が言わなくてもいいセリフを口にすると、時計屋は、診察結果を告げる医師のように、
「当時は、高級と言えば高級だったんだろうけど。まぁ、ミーハー時計だな。スイス製ってことになってますがね、実際は、ブラジルの工場で作ってたんです」と言った。
死んだ父のことは息子の私にも分からないのに、時計屋は、使っていたのがどんな人間かは、時計を見れば分かる、と言いたげだった。
時計に対する知識と愛情は豊富だが、人への接し方は下手な人であるようだ。私が気分を害していることには気づいていない。
「父の形見なんです」
針を仕込んだ私の言葉にも悪びれる風もなく、「ああ、それはそれは」と言っただけだ。
「直りますか」と訊くと、「ああ、このネジがおしゃかになっちまったんだ。ちょっと待ってください。うちに、このネジが残ってると思います」と言って奥へ消えた。
頼もしい言葉。愛想のなさが急に、職人的美徳に思えてきた。
<中略>
「こいつを付け替えれば動くと思います。後は点検と調整をして、軽く分解掃除をしておきましょう。いいですかね」
私は頷いた。時間はたっぷりあった。今日は平日で、私は失業中だ。
時計屋が工具を手に取った。
<中略>
"はぽ"
私は、「おぅっ」と思わず声をあげた。正面の壁の振り子時計の一つから鳩が飛び出したのだ。
午後4時だ。時計屋が小さく笑った。
「鳩時計、珍しいですか」
「いえ、昔、自分の家にもありました」
確か、私が小学生の頃だ。父親が勤める会社の社宅に住んでいるとき、父は、狭苦しい居間を豪華なリビングにしたかったのか、買ってきた。
時を知らせる鳩の声に、子供の私でも眠れない夜には止めてほしいこともあり、父も私も、時を告げる音に辟易して、マイホームに引っ越しするときに、父は、「鳩時計は社宅の誰かにくれてやろう」と言った。
当時の私にはうれしい出来事として今でもおぼている。
<中略>
「それ、ディズニー時計ですよね」
初恋の従妹の家にもあった時計だ。
時計屋が作業から顔をあげて頷いた。
ディズニーで思い出すのは、劇場で見た初めての映画はディズニーのアニメだったが、なぜか、その場に父はいなかった。
父と映画に出かけた記憶はただの一度だけ。「007は二度死ぬ」だった。父親がいたのは、たぶん自分も見たかったからだと思う。
たしかに、父はおしゃれだったかもしれない。映画館に行くのに、わざわざスーツを着込んでいた。映画のストリーは、きれいさっぱり忘れているが、そのことを覚えているのは、映画の後、デパートの食堂で食事をした時の記憶が鮮明だからだ。
父はビーフシチューを注文した。慣れているふりをしていたけれど、たぶん初めてだったのだろう。シチュー鍋が熱せられているとは知らずに手に取って、取り落としてしまい、ライトグレイのスーツをさんざん汚した。母は、「よく知らないのなら、頼まなきゃいいのに」と小言を言っていた。確かに見栄っ張りだ。
<中略>
時計屋にとって、時計のコレクションは家族のアルバムのようなものらしい。時計屋という職業だからこそ、可能な贅沢なアルバムだ。
「これは、お孫さんの生まれた日の記念ですか」
骨董品の陳列コーナーのような品々の中では比較的新しいアニメの美少女戦士が描かれた目覚まし時計を指さして言ってみた。
その時計に描かれた美少女戦士のアニメは、20年ほど前に流行ったもので、時計の針は、8時37分で止められている。
時計屋は、父の腕時計を単眼鏡で見下ろしたまま、ポトリと言葉を落とした。
「亡くなった時間です。生まれたときに、脳障害ができて、長生きはできないと言われました。生まれた時間を記憶するのなら、亡くなった時間も覚えておかなくちゃね」
<中略>
終わりましたと言って請求された代金は、18000円。あまりな金額に思えた。失業中の私には痛い出費だ。
しかし、父の形見だと鼻息を荒くしていた私は、払わないわけにはいかなかった。
父がこの時計を買ったのは、ちょうど転職したころだったことを思い出した。
新しい会社では、高い給料が貰えると皮算用していたのか、それとも新しい職場で舐められたくなかったのか、あるいは経理ではない仕事ができると思って浮かれたのか。
いずれにしても、平凡な会社の経理課長であり、その勤めを続けることに満足していたわけでない父の心は、手の中に握りこめるほどありありと分かる。息子として。同じ男として。
<中略>
私が父のことなどを思い出しているようなもので、釣銭を出しながら、時計屋が、
「私には、時計の針を巻き戻したいって思っていることが多いが、あなたにだったあるんじゃないですか」
と、自分の小さな世界に誘い込もうとして訊いてきた。
あると言えば、まさに今がそうだった。
二か月前に仕事を辞めたのは、定年を三年後に控えた私に、会社が突然異動を命じたからだ。入社以来、ずっと営業畑だった私に、庶務課に行けという。
どうせ後三年だということと、娘の結婚式の時に無職だというのもどうかと思って、受け入れるつもりでいたが、異動が通達された翌日、いたたまられず、局長に辞表をたたきつけた。
上層部の覚えがめでたい局長が、煙たい私を目の前から消したかったのだろうと思え、我慢することができなかったからだ。
妻には「意地っ張り」と言われた。意地っ張りというより、親父譲りの『見栄っ張り』なだけかもしれない。
少し考えてから、「いえ、ありません」と時計屋に答えた。
外へ出るため、入り口に向かうと、時計屋が、
「申し訳ないが、その時計は、偽物ですよ」と告げた。
やはり、父は父だ。
知っていて使っていたのか、気づかずに使っていたのか、どちらにしても父親には、おしゃれや高級品は似合わない。
「そうですか」
私の返事が何やら嬉しそうだったことに、時計屋が驚いた顔をした。
(一般的には、「お父さんは、素晴らしい時計をされていたのですね」とか「思い出の時計のようですが、大切にしてください」と言われると、何か嬉しくなるもので、反対に、「その時計は、偽物ですよーー安物ですよーー」と言われたら、気分を害するものだ。そのため、しまったと思いながらも驚いた顔をしたのだろう。
年老いた時計屋だといっても、「時計の針を巻き戻したいという思い出はありません」と言われて、意地悪く「その時計は偽物だ」と言わなくてもよいと思う。昔気質の職人だからお世辞は言わないのだといっても「大切にお使いください」とでも言えばと思う。
それにしても、主人公は、見栄っ張りの平凡な父が好きだったのだろう。親しみのわく主人公だ。)
終り
芥川賞受賞作品となると、純文学だから自分にはどうもという先入観があって、ここ、何十年も読んでいなかった。
しかし、「コンビニ人間」というタイトルにひかれて、一ページ目を立ち読みした。
コンビニの中のいろいろな音をリアルに描写していて、つい、次ページも読んでみたくなった。
このような純文学の本は、私にはも読めるのではないかと購入した。
四年後には東京でオリンピック。
今より以上に、外国語が自分の周囲で耳にするようになるだろう。
外国語の一つでも少しは聞き取れるようになりたい。
小学生の英語ぐらいの知識があるので、英語ならとっつきやすいだろう。
英語で話しかけられたら、ぜひ、応じられるようになりたいものだ。
<中略>
(話のきっかけがなくて)
私は、「この部屋、暑くない」と言って、私は無言でエアコンのリモコンを探した。
アトリエはなんだか雑然としていた。
昔は、母親が作品の一つであるかのように、部屋の中のすべてのものを本人しか知りえないルールに則ってあるべき位置に置き、勝手に動かすと酷く怒ったものだ。
散らかっているわけじゃないが、そのルールが崩れているように見えた。
リモコンは、トルソーと、そこにもたれかかったケイ・セージの画集の隙間に突っこまれていた。
リモコンのボタンを押してもエアコンは動かない。裏蓋を開けてみたら、乾電池が入っていなかった。
私は、やれやれという表情をつくって、母親に向けて蓋の開いたリモコンを振って見せた。
<中略>
父親が亡くなったのは 13年前、私はすでに家を出ていたが、その葬式の席でも、母親とは一言も言葉を交わすことはなく、母親と最後にまともに言葉を交わしたのは、その3年前、私がこの家を出た時だ。
「あなた一人で生きていけると思っているの。どうせすぐに逃げ帰ってくるんでしょうよ」と、母親は言った。私は答えた。
「いいえ、戻ってきてって思うのは、きっとそっちよ。私は一人でやっていく。これからはずっと」
母親とは二度と会わなくても構わない、そう考えていたのに、何でここへ来てしまったのだろう。
何を描いているのだろう、私が覗き込むと、母親は、キャンパスに顔を向けたまま訊いてきた。
「喉、渇いてない?」
「うん」 確かに。今朝、家を出てから何も飲んでいない。
「じゃあ、突っ立っていないで、お茶でも淹れて。紅茶がいいわね。冷たいのはだめよ」
やっぱり、ちっとも変っていない。地球は自分の周りを回っていると思い込んでいる人なのだ。思いやりなんて、期待するほうが馬鹿。
<中略>
母家のキッチンは、私がこの家を出た時と変わっていなかった。
あの人はティーバッグの紅茶なんか飲まない。食器棚に紅茶を保存するためのティーキャディーがあるはずだ。蓋にヒマワリの花がレリーフされたスチール缶。ずいぶん探して、流しの下の戸棚で発見した。
ティーキャディーを開け、茶葉を移そうとして気づいた。
茶葉が白く粉をふいている。黴だ。こんなもの飲めるものだろうか。とりあえず淹れて一口飲んでみた。
私には飲めなかったので、そこへ、切り刻んだ桃を入れた。私のは、アイスピーチティーにした。
桃を入れた紅茶と、丸ごとの桃を載せた皿を載せたトレイを、空いた椅子の上に置いて、母のそばに寄せた。
「何か入れた?」 母親の猛禽類の目が私に向けられた。
「うん……桃」
「ああ、そう」
気に入ったようだった。両手でカップを抱え、汗をかきながら、赤い唇を尖らせて紅茶をすすっていた。
そのあと、私に取られるのを恐れるように、そそくさと桃を掴んだ。
母親は桃にむしゃぶりつく。赤い唇を歪めて、歯をむき出して。
私に聞こえないとでも思っているのだろうか、ぴちゃぴちゃと下品な音を立てて食べていた。
私は、なんてみっともないと見つめながらも、桃を買ってきてよかったと思った。
<中略>
「ねぇ、少し片づけようか」
親切心ではなく、皮肉で言うと、母親は、どこにそれが必要なのかと、いぶかって周囲を見回した。
本棚の中の画集の何冊かは上下逆さまに突っ込まれている。収納ラックに置かれた石膏像は、そっぽを向いたり、背中を見せていたりしている。私は直したくて体がむずむずする。そういうふうに育てられたからだ。
「余計なお世話です。触らないで」と母親は言う。
「でも一つだけいい?」と、私はサイドテーブルを指さした。
そこには、母親の屋外用の角形パレットが置かれている。何日も使っていないに違いない。載せた絵具がすっきり干しからびていた。桃の缶詰のケースに林立している筆も、どれも絵具がこびりついたままだ。
「使ってない筆やパレットとはこまめに洗えって、私は、誰かさんに教わったんだけど? これもこのままでいいの?」
母親の左右非対称の描き眉がくりっと吊り上がった。
「いいえ、使っていますとも、全部いま使ってます」と言って、母親は、桃缶のケースからラウンド筆を抜き出して、乾燥して罅(ひび)の入った角パレットの絵具をこすりはじめた。
「ねぇ、覚えている。私にこう言ったんだよ。自分の暮らしをきちんとできない人には、絵を描く資格も、生きていく資格もないって。忘れたなんて言わさないからね」
母親が筆を下して私に向き直った。唇をすぼめる。そうすると、唇の周りに初めて見る縦皺ができた。
私に言葉の弾丸を浴びせかけてくるのだと思っていたのだが、ぼんやりした目を向けて、こう呟いた。
「なんのこと? そう言えば、あなた、絵を描いている?」
「まさか」
「学校はどうしたの」
「え?」
「今日、学校は? 課題は終わったの? 美大って課題が全てなのよ」
私は、美大に入学してないのにと思ったとき、充が言っていた母親の病気がどういう種類のものなのかがようやく気づいた。
この言葉を発するのには、長い間と勇気が必要だった。でも聞かねばならないことだ。
「……私が誰だか分ってる?」
母親が眉根を寄せ、肉の薄い頬を引きつらせる。怒っていることはすぐ分かった。
「あたりまえでしょう……あなたは……」
名前を思い出せないのだ。だが、プライドの高いこの人は、このことを決して認めようとしない。
「あなたは……私の……娘よ」
たぶん、少し前まで、私が自分の娘であることも理解していなかったのだと思う。
私が忘れようにも忘れられない、いままでの全てを、全部、忘れているのだ。
「カップ、洗ってくる」
私は、母親から顔を逸らし、トレイを抱えてアトリエを出た。
キッチンに行き、カップを洗いながら泣いた。
<中略>
夕方に飲む薬を探しに行った母親の寝室は、酷い有様だった。
洋服ダンスの引き出しがすべて開けられ、抜き出されたワンピースやスカーフやターバンが、床やベッドに散乱している。
16年前と同じ質素な化粧台の上には、母親の使う化粧品がありったけぶちまけられていた。
鏡に母親自身の文字で、メモが貼られている。
『杏子 PM2:00』
私が訪れることを充から聞いて、着るべき服を探したのだろう。必死に化粧をしたのかもしれない。衰えを隠すために。自分が昔と少しも変わらない、と私に認めさせるために。
片づけておこうかと思ったが、やめておく。個性派女優を演じ続けた人の舞台裏だ。見なかったことにしてあげよう。
私は、家を出て、駅前のスーパーマーケットへ行き、食材を買い、母親のために、得意とはいえない料理を作り、冷蔵庫に作り置きをストックしておこうと、ふと思った。
<中略>
コップを載せたトレイを手にして私がアトリエに戻るなり、母親は、警戒の色を浮かべた。
「薬はいらない。頭がぼんやりしちゃうから」
「でも、5時に飲むんでしょう」
母親が首を振って私に言った。
「娘が来ているの。しっかりしてなくちゃ」
また私は、彼女の頭の中で、違う誰かになってしまったようだ。
母親は、キャンバスを顎でしゃくって、私に向かって、私じゃない誰かに言う。
「見て、吉田さん(いつも来てもらっているらしい介護ヘルパーさん)、絵ができた」
絵、といってもただの色とりどりの模様だ。淡い赤と薄い青と黄色の3色が三本の太く短い柱のように、塗り重ねられている。バックは緑色。
「これは、何か意味があるの」と問うと、
キャンバスの中ほどを筆先で指して、
「これは私の上の娘」と名前は言わずに、筆を右に動かし、
「これは……えーと」 何度か、えーを繰り返してから、
「充。青は充。私の息子。もうすぐ結婚するの」
「じゃあ黄色は」
「杏子。そう、下の子。美大に通っているの」
妄想の中だけでも、美大に通わせていただいて光栄。
それから背景の緑を指さして「パパ。私の夫」と言った。
<中略>
「いつもありがとうね」
母親が笑っている。家族にはめったに見せなかった笑顔。頭を下げてきたから、私も笑顔で会釈した。
ここへ来たら、言おうと思っていたことを、私はもう一つ思い出した。
私、自分の店を持つことになったことだ。
あなたには『下品ね』と眉をひそめられるだろう夜の店だ。しかし、必死で働き、自分の暮らしはきちんとして手に入れた店だ。
でも、私の口からこぼれ出たのは、まったく違う言葉だった。
「また来るから」
終り
※ 後の短編は省略する。