著者・岡本さとるはテレビドラマ「水戸黄門」の脚本を手掛けている脚本家だが、著者初の時代小説。
この「取次屋栄三シリーズ」は6冊目が出ているが、その1作目のこの本は短編4冊が収録されている。
主人公・秋月栄三郎は大阪住吉の野鍛冶屋の倅で、侍になろうと剣豪の道を進んだものの、権威と保身に走る武士に幻滅し、手習い師匠と剣術指南の手習い道場を開いているが、それでは「たつき」が立たないので、武家と町人のいざこざを知恵と腕力で丸く、時には強引に収める仕事の取次屋という商売をやっている。
心を打つような文章は少ないが、内容は面白いの一言が合っている。
請け負った取次の内容。タイトルが持つ意味。感じ入った人情の文章。その3点をポイントに各編を以下に纏めた。
「幼馴染」
(松江藩江戸留守居役と商人が結託して、名香合「桜花香」の独占販売を企む者を幼馴染のために解決する話)
栄三郎の幼馴染で大阪の薬種問屋・太田屋の手代の蓑助が訪ねてきた。暖簾分けされて大伝馬町に出店している瀬川屋・徳兵衛の様子を見て来てくれと言われて江戸に来たのだ。
蓑助は主人から、噂によると徳兵衛は商いの幅を広げているようだが、どこに落とし穴が潜んでいるか解らないとの戒めの言葉を伝え、何か悩み事があれば相談に乗ってやって遣れということで送り出された。
徳兵衛は、先日、松江藩から茶会の引き出物として太田屋譲りの評判の桜花香の200個の注文を受けた。しかし、期限が過ぎてもいろいろ理由を付けて藩からの支払いがない。
栄三郎は取次屋として、難しいが蓑助と徳兵衛の話に乗り、この解決に動き出した。
裏で同業の三州屋が動き、瀬川屋に300両を貸し応援した形をとって瀬川屋を潰し、江戸で太田屋の桜花香を独占販売したかったのだ。また、それを確実なものにするため、江戸留守居役が松江藩主を通じて上様に献上することを企て、金の無い瀬川屋では必須の献上はできず、三州屋の金で具現化するようになっていた。
栄三郎は、元渡り中間で今は栄三郎の道場の下働きをしている又平を使って、これらの情報を掴み、友達の数奇屋坊主の宗春と一緒に江戸留守居役を脅かし解決した。
その結果、献上も瀬川屋がすることができ、江戸留守居役は公金隠匿で減知謹慎、三州屋は藩の出入り差し止めとなった。
栄三郎は久しぶりに幼馴染の蓑助と美味しい酒を酌み交わした。その席で、蓑助の優しさ・人を気遣う温かい人柄を買って、主人が江戸に向かわせたのだと言い、昔、転居した栄三郎に友達がいなかったときに、蓑助が花火を持って遊びに来てくれた喜びに礼も言わずに離別したことを詫びた。
「現の夢」
(栄三郎が、昔、妓楼で出会った忘れがたい想いを持つ女が、探し人として頼まれた旗本の婿養子の姉であったという話)
栄三郎は剣の師を品川まで見送って帰ろうとした時、にわか雨を逃れて妓楼に入り、遊女と情を交わした。一夜を共にした女も、もう来ないでと言い、別れがたい想いが二人の胸の内で募っていた。その女はおはつといったが、5年たった今になってもその女の夢を見たのだ。
ある日、昔、師に伴って出稽古に行っていた三千石の旗本・永井勘解由の用人・深尾又五郎から永井家の事で相談を受けた。
永井家の婿養子になることになっている塙房之助の姉上の久栄を探して欲しいとのことだ。兄弟の父が禄を失い母は早くに病死し、聡明な房之助を何とか世に出したいとの願いから久栄が苦界に身を沈めて金を用意した。その後、父は切腹した。勘解由もこのことは承知で婿にすることになったとのこと。
栄三郎は、元深川芸者で居酒屋そめじの暖簾を出しているお染に相談した。お染から紹介された元女衒の弥助が彼女らしい人を三人探してくれた。そのなかに品川洲崎の大の屋のおはつがいた。今でも夢を見るおはつである。品川に行くと、おはつは居らず、佐吉という男に騙されて根津権現の門前町の郭に出ていた。
栄三郎は佐吉たちを始末して、永井家に無事に送り届けた。
それから数日たって、初午稲荷祭で町人の子供たちと共に永井邸に栄三郎も招かれた。
庭に面した廊下に房之助の後を行く萩江と改名した夢の女のおはつの姿が見えた。栄三郎に暫し注がれるひとりの女の眼差しを総身に覚えつつ、おはつの姿が消えるまで栄三郎は目を伏せる。
何もかもが夢だったのだ。そう、己に言い聞かせつつも、栄三郎の胸の鼓動は、なかなか止みそうになかった。
「父と息子」
(剣の修行に江戸に出たが、役者に転向した息子を一層に想う父親の優しい心が窺える話)
栄三郎の剣友の新兵衛は、栄三郎に頼まれて今は栄三郎の道場の代用師匠をしている。その二人にとって弟弟子だった岩石大二郎が役者姿になっているのを新兵衛が見つけた。その経緯を問いただすと、宮地芝居だが今有名な河村直弥の弟子で川村文弥という名で修行している、その事で栄三郎殿にぜひ相談したいことがあると告げられた。
大二郎の父は柳生新陰流を修めた剛直な郷士で、近く他用で江戸に来るのだが、今の大二郎は父に内緒で役者に転向していて、まだ「牛の足」やその他大勢の斬られ役では、許しを乞うわけにもいかないので、出世払いで取次の仕事を受けてもらい、きっちりと剣の修行をしていると口裏を合わしてくれとの事だった。
栄三郎は、武士の真似事をしている自分より武士を捨てた大二郎のほうが何やら輝いて見えた。自分はいったいどこへ向いて歩いて行っているのだろうか。度々口にしていた父親の言葉を思い出した。
「人は生きるのが仕事や。ところがいつか死んでしまうことも分かっている。夢を見たとて虚しい事や。だから、どんな時にでも楽しみを見つけて生きていたら、短い一生も捨てたものでない。」
栄三郎は、旗本・永井家の用人・深尾又五郎にお願いして、大二郎は永井家に出稽古に行っていることにし、新兵衛やお染たちにも調子を合わせてもらい、何とか一日を凌いだ。
父は、大二郎、何はさて励めよと宿も告げずその場を去った。大二郎は目に涙を浮かべ、その思いは不肖の息子を許して欲しい、必ず己の本懐を遂げていつか得心させてみせると詫びと決意が交錯しているようだった。
数日後、栄三郎は皆を誘って河村直弥一座の芝居を見に出かけた。ところが、向かいの客席に大二郎の父を見つけた。
芝居の途中で、数日前に街中で直弥師匠の悪口を言っている処のならず者に我慢が出来ず大二郎がその者たちをやっつけた。そのならず者たちが親分を連れて小屋に乱入して文弥に向かった。
小屋内が騒然とした時、喧嘩なら儂が引き受けた、外へ出ろと大二郎の父の大音声が小屋に響いた。栄三郎たちも助太刀して、ならず者たちは逃げて行った。
父親の前に跪いた大二郎に、父は、縁を切ればお前もただの町の者、芝居がしたくば好きにせいと言い、大二郎を客が待っていると小屋に戻した。
その後、栄三郎に、私も芝居が好きで偶然の出来事だったのだが、父子の縁が切れるものでなく、むしろ、江戸に出てくる楽しみが増えましたと笑って、今後も倅の事を何卒良しなにと言う。
「果たし合い」
(新兵衛に恋する娘から、新兵衛の果たし合いを止めさせてくれと取次を頼まれ、栄三郎が一芝居打つ話)
呉服商田辺屋の末娘・お咲はならず者たちに因縁を付けられているところを新兵衛に助けられ、新兵衛を慕うようになった。
7年前、新兵衛は他流試合で相手の亀山左兵衛から無理矢理に木太刀での立ち合いを迫られた。真剣での試合と同じで、何があっても遺恨を残さぬ誓約を交わして立合った。結果は亀山が息を引き取った。
その場に居た、亀山に可愛がられていた弟弟子の盛田源吾から、私は道場を去って修行して帰るから何時の日か真剣で立合ってくれと新兵衛に言い、新兵衛は断れなかった。
その話が現実となって、源吾が立ち合いを願ってきた。その話を聞いたお咲から栄三郎に何としても止めさせてくれと取次を頼んできた。栄三郎は了承したものの武士の立ち合いを止めさせる難題に暫し唸った。
栄三郎は田辺屋の主人に相談し、亀山の書き残した字を真似て表具師に書置きを作らせた。その書置きの内容は「決して仇討の類をするな、それは、わが身を辱めることとなる」といったものだ。それを立ち合いの寸前に亀山の兄弟子の大沢先生を通じて源吾に見せ、大沢も、この場を引いても恥辱にならぬと口添えした。栄三郎は二人に向かい、この立ち合いは大沢先生に預けたらどうだということで両者は了承し、果たし合いは意外な結末に終わった。
そのひと時後、栄三郎は友を気遣い新兵衛を飲みに誘って、二人は居酒屋そめじで議論を肴に何時までも飲んでいた。
以上