北原亜以子のこの本は、短編11話から成っている。最初の話は序章といったところかな。
初めての慶次郎縁側日記なので、私の感覚も間違っているかも分らないが、何か今までの作品に比べると、深さがないように思う。同一シリーズのものをもう一二冊読んでみないと一概に言えないかもね。
「その夜の雪」
南町定町廻り同心慶次郎の娘三千代は、晃之助との祝言を前に男に襲われたのを苦に自害した。
惚れた女房を殺された岡っ引の辰吉に慶次郎は「俺は、お前にあやまらにゃならねえ。あの男を殺してやりてえと、お前が思ったのは当り前だった」。
「まともな人間は、たとえ身内を悪党に殺されても、ご法度の中で暮らしていなけりゃならねえと、そう思っていたんだ。俺は、身内を殺された者の気持ちを忘れていた。」と言う。
慶次郎は辰吉や北町の岡っ引吉次の身を挺しての助けによって三千代を侵した犯人を殺さずに済んだ。
慶次郎は終わった、そう思ったが、辰吉や吉次に目をやって「女房を失った後、一人だけの歳月を二人はどうやって踏み潰してきたのだろうか。何も終わってなく、悩みはこれから始まるのだと思った。
犯人を含め、4人の体に夜の雪が等しく白に染まっていた。
「律儀者」
慶次郎は山口屋の寮番になった。
隣家は美濃屋清兵衛の寮で、内儀のおときが暮らしていた。清兵衛が生活費を持ってきた。その金を飾り棚に置いて、慶次郎が元同心ということもあって、家が留守になるのを承知で夫婦二人で慶次郎のところに挨拶に行った。
帰ってみると、飾り棚の上の財布が無くなっていることに気付き、帰りを待っていた注文取りの酒屋の仕業かと皆で追いかけたが、見失って戻ってくると、財布の中身が半分になって元の場所にあった。
慶次郎は、近くで見かけない男を見ていたので、吉次の手助けで、その男を尋ねた。
岩松というその男は、確かに子供の薬代が要ったので、盗んで不要な金は元に戻して置いたと白状した。
慶次郎が律儀に返しに行ったのかと問えば、岩松は「へえ、返さなければ、あっしの沽券にかかわりやす。」と言う。
「似たものどうし」
吉次は、源太という男の子から「誰にも話すな。話せば死ぬ。」と書かれた脅し文が家に投げ込まれたと、相談を持ちこまれた。
吉次が捕まえた男は味噌問屋の息子の佐兵衛で、源太に首実検させたら違うと言う。首実検する直前に、佐兵衛の親から口封じの大金を手に入れたからだが、源太は初めからその積もりでいたのだ。
吉次が問い質すと、源太が可愛がっていたおしんの姉を身請けさせてやりたかったからだと言う。
源太は「おしんちゃんに渡せば涙を流して喜んでくれらあ。」と言う。
吉次は自分自身の子供の頃そのままだと思った。米問屋の内儀の不倫の恋文を持って行き、吉次の妹のおきわの雇い入れの約束とお金を強請った。
食べることにも困っていた時だから、おきわは喜んでくれただろうし、その後、亭主と蕎麦屋を開くことができたことも有難く思ってくれているだろうけど、今は養子をもらいたいが同居している吉次にどこかへ引越してくれと気軽に言えぬ別の重苦しさが胸の底に残っているに違いないと、吉次は思うのだった。
「傷」
札差の越後屋の番頭七五郎とならず者の伝左衛門が喧嘩して番屋に引っ張られたが、どうも隠し事があるようなので、慶次郎に預けられた。
辰吉を手先に探索したら、七五郎がお直という女を囲っていたことが分った。
お直の父は御家人で無心を七五郎に断れたことがあり、ある時、物乞い同然のその御家人と会い、お直と女房が病気で寝ていることを聞き、見舞って施した。
七五郎は見舞ううちにお直に溺れていき、所帯を持とうと、つい言ってしまったが、妻帯者で堅物の七五郎には難しい話だ。
伝左衛門はこのことをねたに強請りだした。お直は一緒になれない原因は伝左衛門の強請にもあると思っている。
お直は七五郎のはっきりしない返事に出刃包丁で七五郎に怪我をさせ、後を追って出たところに伝左衛門が居たので天秤棒で殴りかかった。これが真相だった。
七五郎は「お直には何の罪もなく伝左衛門を傷付けたことは自分が悪く、お直の心も傷つけた。」と慶次郎に謝るのだった。
「春の出来事」
おせんの亭主の卯之吉は手間取りの大工で大怪我をしてしまった。少し良くなって空き巣に入って捕まった。卯之吉を庇うおせんが番屋を飛び出して慶次郎にぶっつかり足を挫いた。
慶次郎はおせんを見舞ううちに情をかけるようになったが、おせんは初めから惚れた卯之吉を元の体にしてやりたくて金目当てで仕掛けていた。
卯之吉が又空き巣に入った。おせんにばかり苦労させるのが辛く自分が情けなかったのだと言う。
おせんは、自分が居なかったら、遣らなかっただろうから自分も悪く、一緒に伝馬町の牢に送ってくれと言う。
慶次郎の養子の定町廻り同心の晃之助は「盗みを働かせる元となった者は淋しくても暫くは一人で暮らさにゃならない。」とおせんを諭す。
「腰痛の妙薬」
慶次郎は近頃よく腰痛が出るので、医者のところへ行く途中で休むため番屋に寄った。そこへ、泥棒が入ったので来てくれと、若い女のおたみが入ってきた。
行ってみると痴話喧嘩だったので、奉行所でも扱わないから我慢しろといって帰ってきた。
数日して、おたみが山口屋の寮にやって来て、亭主を探してくれと言う。
慶次郎は成行きから一緒に出かけたが、気が付くと腰痛が消えている。まだ若いなあと思った。
「片付け上手」
慶次郎や晃之助はどうも片付けが下手だ。整理整頓の才がまるでないのだ。
慶次郎は差配をしている仁右衛門の家を訪ねる。女が入ってすぐ出て行った。
銀煙管を持ち逃げしたので、番屋に突き出すぞと言うと、その女は「半人前のおはるに物を盗まれた大間抜けだって嘲笑われるよ。」と言い返す。
仁右衛門も一度や二度でないので困っていた。
確かに、おはるは何をやらせても、どじで半人前で何処へ奉公にでても長続きしないのだった。
おはるを立ち直らしてやろうと、晃之助・皐月夫婦に預けたところ、おはるの長所が一つあることが分った。
それは、次々に片付ける才能があることだった。
「座右の銘」
空き巣専門の伊太八は、貧乏人と身内に迷惑をかけないことを座右の銘にしている。
ある日、同業という豊蔵と盗みに入るが、そこは豊蔵の弟の家だっだのだ。途中で豊蔵が帰ってきた。伊太八はまさかの驚きからあわてて逃げて気が付いたら懐に盗んだお金が入った茶筒が入っていた。
藤蔵の弟は兄貴が作った借金を返済している働き者だった。伊太八は豊蔵の人の道に外れた行為に立腹、返しに戻ったが、伊太八は指名手配の押し込み強盗にされていて追っかけられ、やっと逃げおせた。
しかし、伊太八は人の道を優先したく、水腹で又返しに戻ったが、今度も失敗し追われて逃げぬいたと思ったときに気を失っていた。
気が付いたら山口屋の寮に寝かされていた。伊太八は座右の銘と豊蔵の人でなしを力説しながら、金を返して豊蔵を殴りたいとこれまでの話をした。
晃之助が、俺も付いていくから豊蔵を殴ってもいいぞと言ってくれて、伊太八は世の中には物事の筋道が分る人がいるものだと思いながら、満腹も手伝って、また瞼が重くなった。
「早春の歌」
慶次郎は佐七に頼まれて買物に出た。途中で御家人の次男坊や三男坊でよろず屋なんかで盗むのは悪戯だといった悪さの一団に会う。
慶次郎は少し痛めつけてやって山口屋の寮に遊びに来いと言う。
剣術の稽古をつけてやりながら若者の言い分を聞いてやったり説教をすることもあった。
古道具屋の翁屋与市郎にこの若者達の仕事はないのかと訊ねると、「部屋住みのお方はそれぞれに自分の行く道を見つけられますよ。旦那は、それから後押しをして差し上げなさい。」と言われ全くその通りだと思った。
「似ている女」
翁屋与市郎の紹介で傘問屋清水屋の入り婿の彦三郎が慶次郎のところへやって来て、最近雇った女中のおはつが、彦三郎が昔まだ実家にいた時代のいい仲だったおきちと同人のようだが調べてくれと言う。
親が住んでいる所から調べても、どうも不確かなうちに、今度は彦三郎夫婦の部屋に天地紅の結び文が落ちていたと与市郎から連絡があった。
辰吉に頼んで調べたら確かに同一人で、一目惚れした彦三郎と何とかして一緒になりたいので遣った事だと白状した。
慶次郎は「彦三郎の一時の出来心を追っかけるより、出里ではお前の評判は良いので、田舎でお前に惚れてくれる男を探したらどうか」と言うのだった。
「饅頭の皮」
慶次郎がすれ違った女おゆみの顔は、人を恨み命を奪いたいと思う顔だった。
慶次郎はおゆみのそばで仮病を使い、昔馴染みの医者の庄野玄庵のところへ連れて行ってくれと頼む。
玄庵の家に着くと、おゆみの心の昂ぶりが治まるまで自分と共に留め置いてくれと玄庵に頼む。
おゆみが片想いの中次郎はおゆみを弄び、ときには女の家を持ち歩いた古い皮が固くなった饅頭を手土産に持ってくることもあり、おゆみは殺そうと出刃包丁を買って中次郎に会いに行く途中だった。
玄庵の家を出たおゆみの後をつけて行くと、案の定、出刃包丁を帯から抜いて家に入ろうとしたところを慶次郎が止めようとして腕を切られた。
「人を殺せばもっと血が出て、決して気持がいいものでなく、恨みが晴れるものじゃないんだよ。」と言う慶次郎の胸におゆみは頬を埋める。そのとき、中次郎が奥から出てきた。
慶次郎はおゆみの心が又揺れるのを感じ、もう一度医者に連れて行ってくれと言う。