T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1189話 [ 「雲竜剣」を読み終えて 4/6 ] 5/5・木曜(晴)

2016-05-04 16:14:03 | 読書

[ 流れ星 ]

1章

 左馬之助の頬を刃風が掠めた。相手は次の刀を突きいれたが、左馬之助の一刀がこれを打ち払った。

 相手は、先ほど左馬之助と同じ渡し舟に乗っていた旅の侍だった。

(こやつ ……では、助治郎と同類のものか……)

 いよいよ、ただならぬことになってきたと、左馬之助は隙を窺い攻勢に出た。相手は左馬之助の敵ではなく、

「あのときの恨みは、きっと晴らすぞ」と叫んで逃げ去った。

 左馬之助は、一人ではどうにもならぬと、藤代へ引き返そうと、今日の最後の渡し舟に乗って、船頭に旅の町人が戻らなかったことを確かめ、板戸屋へ戻った。そして、同心・沢田と密偵・五郎蔵に全てを語った。

「助治郎が、今日まで、この藤代に潜〔ひそ〕み隠れていたことが分かっただけでも、大変なことだ」

 と、沢田が言った。そして、先生を襲った浪人者に覚えがありませんかと問うた。 左馬之助にはどうしても思い出せなかった。

2章

 翌日の夜が更けてから、江戸の芝の平野屋の表戸を叩く者があった。

 番頭の茂兵衛が潜戸の前で訊ねてみると、鍵師・助治郎だった。

 平野屋源助が、もう用が済んだのかと問うと、助治郎は、それに答えず、「こちらへ来るとき、牛久で、怪しい浪人に後を付けられた。とにかく眠たいので、明日話すから休ませてくれ」と頼んだ。

 源助は、探し物が向こうから転げ込んで来たねと言いながら、茂兵衛に長谷川さまへこのことをお知らせしてくれと頼んだ

3章

 夜中ではあったが、平蔵は寝所に入っておらず、茂兵衛の知らせを聞きとった。

 今日の日暮れ、同心・沢田が、藤代から馬をつかって駈け戻り、平蔵に、牛久で鍵師・助治郎に似た町人を見たことや堀本伯道が近江の生まれだということなど牛久と藤代のすべての様子を告げていた。

 平蔵は、茂兵衛と沢田の情報から、藤代方面の模様が少しわかったが、さらに、情報を集めるため、与力・小林金弥と小柳安五郎と玉井広之進の同心、それと、密偵の仁三郎と鹿蔵の2人を添えて藤代へ送ることにして、沢田に案内するよう命じた。

 また、平野屋の助治郎には、同心・木村に密偵の彦十とおまさを付けて、念のため、旅支度をした上で見張らすことにした。

4章

 その翌日、昼過ぎに起きた鍵師・助治郎は、番頭の茂兵衛に、何処ともいわず、明日の朝早く発たせてもらいますよと告げた。

 茂兵衛は、朝方、すでに見張り所として知らされていた近くの倉橋左京屋敷の門長屋へ、その旨を知らせに行った。

 門長屋に出向いていた同心・木村は、明日は早朝から平野屋の側の茶店の陰に彦十を出しているから、助治郎が出立するときに知らせてくれと頼んだ。

 その後で、平蔵のもとへ密偵の元次郎を走らせた。この他に、門長屋には密偵の彦十・おまさ・駒蔵が待機していた。

5章

 朝早く出立した鍵師・助治郎の前後を少し離れて、同心・木村と密偵のおまさ・駒蔵・元次郎の4人が尾行した。

 助治郎はさっさと品川宿を通り過ぎた。

 駒蔵と元次郎が先行し、後を木村とおまさがつけている。そこへ街道の陰から筆頭同心・酒井祐助があらわれ、木村と肩を並べて歩き出した。

「昨夜、あの鍵師は、平野屋源助にお盗めはまだ取り止めとなったとは限らないので、もう一度、江戸で泊めていただくことになるかもしれぬと言ったそうな。お頭の見込みでは、鍵師は、このまま、近江へ帰ることもあるまいとのことだが、行く先々のつなぎには心配するな」と、酒井は木村に告げた。

 この日。助治郎は、明るいうちに程ヶ谷の桔梗屋へ宿をとった。 先行した密偵二人は、都合よく、桔梗屋の真向いの清水屋に宿を設けていた。

―中略―

 この夜、藤代へ急行した与力・小林からの第一報が同心・玉井によって平蔵のもとへ届けられた。

 助治郎が泊っていた場所を突き止めようとしたが手掛かりはないとのことだったので、平蔵は、牛久の正源寺にはまだ手掛かりが残っているとして、寺の内外を探っている左馬之助と密偵の仁三郎を残して、他の者は江戸へ戻れと指示を出した。

 そのとき、役宅へ、鰻の辻売りの忠八を探っている仙台堀の政七が情報を届けて来た。 与力・佐嶋が聞こうと出て行った。

6章

 翌朝、日がすっきり昇りきってから、鍵師・助治郎が桔梗屋から出てきた。木村たち4人も尾行した。

 藤沢宿を通り抜けたので、平塚まで行くのかと思っていたら、助治郎は、南湖茅ヶ崎〕で旅装を解いたのである。

 南湖を少し通り抜けて、海岸のほうに行き、松林の中に、二棟の百姓家があった。助治郎が、そこへ近づくと、中年以上の男女が数人で迎えた。

 木村たちが、後から知ったのだが、そこは、助治郎が金を出した報謝宿だった。

7章

 平蔵は同心・松永弥四郎を伴い、前夜、役宅へ駆けつけた仙台堀の政七と、密偵の小房の粂八が経営する船宿・鶴屋で昼過ぎに落ち合った。

 昨夜、仙台堀の政七が役宅へ届けた情報は、政七のとこへ出入りの漁師の安蔵から聞いた話だといって、以前に、鰻の辻売りの忠八が足袋問屋・尾張屋に、時々、夜遅く、木箱で鰻を運んでいたとのことだった。

 それを聞いた平蔵は、政七に、たしかに、尾張屋の若い者が忠八の鰻を食べていたかを調べて、明日、鶴屋に出張るから知らせてくれと命じのだ。

 尾張屋の下男の彦兵衛という爺さんの頼みで、忠八は鰻を持ち込んでいたことが分かった

 平蔵は、松永・粂八・政七の三人に、

「金子を殺害したものが、忠八と決め込むことにもなるまい。しかし、盗賊どもが尾張屋へ目を付けているものと、一応は考えねばなるまい。松永と粂八は今夜からでも見張ってもらいたい」

 と命じた。

 松永は、とりあえず粂八の舟で、堀川から尾張屋周辺を見張ることにした。

 その後、平蔵は、途中、軍鶏鍋屋・五鉄で少し酒を呑み、一人、役宅へ向かった。

 しばらく歩き、御蔵橋と呼ばれる狭い橋の上にかかったとき、前後から三人の浪人に挟まれた。

 平蔵は、一人が川に落ち込んだため逃がしたが、二人を斬殺した。 相手の素性は全く分からなかった。

〈 平蔵と知っての勝負を挑んだ犯人は誰なのか? 〉

[急変の日]

1~2章

 平蔵が、三人の刺客に襲われた翌日に夜更けになって、同心・木村が相州から役宅へ駆け戻って来て、鍵師・助治郎が泊りこんだのは、報謝宿といわれている百姓家だと報告した。

 平蔵は、平塚の米屋をしていた円蔵という者が、蓄えた金で開いた報謝宿らしいと、藤沢の本陣から聞いたという木村の話を聞いて、少し探ってみよと命じた。

 そして、同心だけが騎乗できるために、木村一人が連絡することは大変だとして、同心・吉田藤七を加えることにした。

 平蔵の居間を下がった木村は、廊下に出てきた平蔵にもう一つ申し上げることがあると、密偵・おまさの言葉を告げた。報謝宿の金を出したのは、助治郎ではないかということである。

―中略―

 この日、常陸方面から、牛久に左馬之助と密偵・仁三郎を残して、与力・小林と小柳・玉井・沢田の同心、五郎蔵・鹿蔵の密偵が役宅へ戻ってきた。

3章

 平蔵が夕餉を済ませたころ、仙台堀の政七が深川からやってきた。

「尾張屋には、たしかに彦兵衛という飯炊きがおりました。なんでも3年ほど前から住み込んでいるようです」と告げて、

「鰻の辻売りの忠八も3年前から深川で商売を始めているところから、忠八と彦兵衛とは、結びついている」と確信を込めて報告した。

 平蔵は、忠八が姿を消したにもかかわらず、彦兵衛はいまだに住み込んでいるので、関係がないのやもしれぬが、彦兵衛から目を離すことはならぬと考え、見張りに都合のいい場所を政七に尋ねた。

 尾張屋の筋向いに瓢箪屋という釣道具屋がありますとの政七の答に、手配することにした。

 政七が帰った後、平蔵は、与力・佐嶋に、

「尾張屋を盗賊どもが狙っているとなれば、3年がかりの盗めということになるので、長崎屋へ押し入った兇賊どもの手口とは全く別のものじゃ、これはいよいよ、手を広げておかんといかんな」

 と言う。 また、

「鍵師の助治郎が近江へ帰らず、南湖の報謝宿へ足を留めたのは、何のためと思うか?」

 と尋ねた。佐嶋がしかと分かりかねるというと、平蔵は、

「助治郎が、平野屋に、今一度江戸へ戻る、そのときはよろしくと言っていたこともあるので、南湖の宿に何者かがあらわれるのを待っているのではないか」と告げた。

4章

 翌日は、目も眩むような快晴となった。

 役宅の門番の一人の関平が門前の石畳に水を打つため井戸に水汲みに行った。そのとき、門前に何を見たのか、もうひとりの門番の磯五郎が門の外へ出て行った。 関平が戻って来たとき、磯五郎がふらふらと門内に入ってきて、倒れた。心の臓をひと抉りされていて絶命した。

 これは、まさに深川の海福寺の庭で発見された亡き同心・金子の致死傷と同じなのだ。

 市中見廻りに出ていた平蔵は、駕籠を飛ばして帰ってきた。

 死体をあらためて、一人が首を絞めて声を出さぬようにしておいて、別の一人が短刀を心の臓へ突きいれたのじゃ、金子もおそらく、同様の手口で殺害されたのであろうと言う。

5章

 ちょうどそのころ、相州・南湖の報謝宿に一人の訪問者があった

 見張っていた同心・吉田と密偵の駒蔵が、松林の向こうの道から闇の中を提灯が一つ近づき、脇差を差し左手に杖をもって、顎ひげを蓄えた浪人が報謝宿に入って行くのを見た。

6章

 翌朝、平蔵は、門番の磯五郎の通夜が今夜ということもあって、早めに帰るといって、市中見廻りに出て行った。

 浅草寺に詣でて聖天宮の下へ出た。 

 聖天宮の表門を入りかけた平蔵は、ふと、門前の茶店を見やって、(これは、新しい茶店のようじゃ)、そう思った途端に足が止まった。屋号を印した白い暖簾に〔丸子屋〕と黒漆で書いてある。

 〔丸子屋〕の三文字を見た瞬間、平蔵の胸の底にわだかまっていた一事がたちまち氷解した。

 平蔵が京都へ発つとき、亡師のとこへ挨拶に行ったときに、門前で出逢った客人のことを、

「わざわざ、丸子から来てくれた……」

 と言った亡師の言葉を思い出したのだ。

 平蔵は、急ぎ辻駕籠で役宅へ戻り、与力・佐嶋に、密偵の五郎蔵を連れて、武蔵の国の丸子現川崎市〕へ行くことを告げた。

7章

 平蔵と密偵・五郎蔵が出立して半刻ほど経ったころに、仙台堀の政七が役宅に駆け込んできた。

 与力・佐嶋が対応すると、辻売りの忠八が屋台を出して、鰻を売り出したということであった。

 佐嶋は、藤代から帰ってきた同心・小柳に相棒の密偵・彦十を付けて、深川の見張り所の瓢箪屋へ送り込むことにした。

 一通りの指示を下し終えた佐嶋のところに、藤沢から同心・吉田が騎乗で駈け入ってきた。

鍵師・助治郎を訪ねて、昨夜、旅の老いた侍が一人訪れました」と告げた。

                                            

                   次節に続く

 

 

 

 

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1188話 [ 「雲竜剣」を読み終えて 3/6 ] 5/4・水曜(晴)

2016-05-04 08:41:18 | 読書

[ 剣客医者 ]

1章

 さすがの平蔵も愕然となった。片山と金子の二同心が、二夜の内に殺害されたのだ。

「して、場所は?」と問う平蔵に、

「深川の海福寺境内でございます」と、気を取り直した与力・佐嶋が答えた。

 海福寺には、異国風な石造りの穴門や九重の石塔があり、これを見物に来る人々も多い。

 門前の茶屋の亭主が、朝、境内を掃除しているときに発見し、近くの仙台堀の御用聞・政七の手下が知らせてくれたのだ。

 平蔵は、居間にいた源助に、助治郎の一件と何やら関わり合いがあるやもしれぬので、他言無用だと命じた。

腕利きの同心を殺害した犯人は誰か?

2章

 平蔵は、与力・佐嶋らを従え、海福寺に駆けつけた。

 金子の顔は、殆ど血に汚れていない。心の臓をただひと抉りで即死させたのか、胸から腹におびただしい血汐がこびり付き、すでに凝結していた。だが、そのあたりには一滴の血も落ちておらず、平蔵は、金子が他所で殺害されたと見た。

 金子を突き刺した刃物は明らかに大刀でなく、正面から短刀で突き刺されたものだ。とすれば、相手が接近するまで、金子はこれを見咎めなかった。つまり警戒してなかったのだ。

(すると、相手がよほどの手練の奴か、もしやして、金子の顔見知りのものだったのではあるまいか?)と思った。

 平蔵は、寺の裏が堀で、別に塀を巡らされているわけでなく、死体を舟で運んできて寺の庭に運んだとみたが、なぜ、この寺を選び、人の目につく場所へ打ち捨てたのが妙だと思い、なお、寺を調べてくれと、仙台堀の政七に命じた。

なぜ、金子の死体を此処へ運んだのか?

3章

 この夜、平蔵は四ツ谷の火盗改方の組屋敷へ赴き、片山・金子の二同心の霊前に祈りをささげた。

 その後、夜遅くになっていたが、盗賊改方の総員の集合を命じて、半年前に自分が襲われた事実を含め、これまでの経緯を全て打ち明け、自分の推理をも語った。そして、当分の間、市中見回りを一人きりでしてはならぬと厳命した。

 ちょうど、その頃であったろう。盗賊改方の役宅から遠く離れた場所で、取り返しがつかぬ事件が起こりつつあったのだ。

4章

 事件は、牛込の若松町にある薬種屋・長崎屋へ兇賊が押し込んだのだ。主人夫婦以下の全員16名が殺害され、二千両に近い金が盗まれたのだ。

 こうなると、嫌でも、二人の同心の殺害事件と、この長崎屋の畜生ばたらきが、(一つのもの……)と、ならざるを得ないではないか。 盗賊改め方の〔図式〕としては、そうなるのである。

 平蔵は朝餉も取らず、与力・佐嶋と共に騎乗で牛込へ駆け向かった。

 長崎屋の金蔵は、母屋の奥に、土蔵造りで設けられており、錠前は外されている。これは、盗賊どもに脅されて、主人か番頭が鍵で外したものとみてよい。16人の死体は、一か所に集められ、縛られ猿轡を噛まされて、それぞれに、急所を短刀で一突きにされ息絶えていた。

二人の同心の殺害と長崎屋の畜生ばたらきは、同一盗賊一味の仕事か?

5章

 平蔵は意識なしに馬をすすめ、気づいたとき、本所に入り、旧高杉銀平道場の後の庭の一角に佇んでいた。

 平蔵が馬を下りたとき、突如、雷鳴がとどろいた。平蔵は、「そうだ、あのときも……」と呟き、父と共に京都へ行くので、老師の高杉銀平への別れの挨拶に此処へ出向いたときも、同じ天候だったことを思い出した。

 あの挨拶に来たとき、あまりもの驟雨に、道場の門内に駆け込もうとした、そのとき、門の内から編笠を被った旅姿の侍があらわれ、会釈して立ち去った。

(まさに、半年前のこの冬、金杉川の道で、おれを襲った奴にそっくり……)ではなかったか。

 その後、居間に入り、老師に、「客人でございましたか?」と尋ねてみた筈だ。

(すると、先生は、確かに何かおっしゃった)

 しかし、どうしても思い出せなかった。

―中略―

 平蔵が役宅に帰ると、妻の久栄が、昔、長谷川家で女中をしていたお順が来て、お土産に平蔵の好物である落雁の〔初霜〕を持参したと伝えた。

 そのとき、連想的に、昼間、亡師の道場跡で思い出せなかった亡師の言葉が浮かんだ。

「何時か、おまえにも話したことがある人じゃよ」と、亡師が牛久沼のほとりで剣を交えた堀本伯道だと話してくれたことを思い出した。そして、確かに、いま一言、何かおっしゃられたが、そのことまでは思い出せなかった。

6章

 その日の午後に、牛久の宿場へ入った左馬之助は、旅籠・柏屋へ旅装を解いた。

 左馬之助は、番頭に、

「わしはな、江戸の剣術つかいだが、いつであったか、この牛久にも、たしか、堀本伯道という大変強い剣術つかいがおられたと耳にしたことがある。知らぬか?」と尋ねた。

 番頭は、主人に尋ねてみると部屋を出た。

7章

 50そこそこの主人の三右衛門が、左馬之助に、

「30何年前のことです、このすぐ近くの正源寺の和尚をよく訪ねてお出でなさった堀本とか仰るお医者様がございました。 その方がわが家の前を通ったとき、先代が、あの方は、大変な剣術つかいだそうなと、私に言われたことがありました」と教えてくれた。

 左馬之助が、その寺に案内してくれと頼むと、いまの和尚も何か耳にしておられるやもしれませんと、三右衛門は快く案内してくれた。

 和尚は、先のお商家から聞いたことだがと言って、

「伯道先生は、剣術も大層なものらしいが、医者としてもすぐれた腕をお持ちで、この先の藤代宿におられるのだ。 わしと生まれ故郷が同じでな、わしが死んだ後、姿を見せたら親切にもてなしてやってほしいと言われた。 流浪を好まれるのか、藤代を早く引き払われたらしく、私の第ㇻなっては、お見えになったことはない」と話してくれた。

 そして、和尚は思い出したように、

「伯道先生は、ある時、当寺に二百両もの大金を御寄進なされたそうです」と続けた。

 左馬之助は、(流浪と金品とは、全く相容れぬものだ。何か怪しむべきことと言ってよい)と、直感した。

 明日は藤代宿へ出かけてみるかと思いつつ、左馬之助は、平蔵へ宛てた牛久の様子の第一報をしたためていた。 そのとき、番頭が来客を告げた。

―中略―

 そのころ、平蔵は、寝所で記憶の糸を手繰っていた。

 平蔵が、京都に行く前に、別れの挨拶のため亡師を訪ねたあの日、驟雨の中、門前であった亡師の客人について、亡師は、以前にお前に話したことがある人じゃと言ったあと、

「わざわざ、×××から来てくれたのに……」と言われたことを思い出した。

 「×××」は、どうしても思いたせぬままに空が白んできた。

[ 闇 ]

1章

 柏屋の番頭が、左馬之助のとこに案内してきたのは、同心・沢田だった。

 左馬之助は、沢田から、

「八日市の助治郎という鍵師が、左馬之助先生も知っておられる平野屋源助のところで一泊したあと、合鍵を作るために、わざわざ、藤代へ行ったということ。但し、依頼主は告げてないとのこと。それと、朋友の同心・金子清五郎が深川で殺害されたこと」を知らされた。

 左馬之助も沢田に、堀本伯道について知り得たことを話し、明日も正源寺に行って、伯道と同じと言った前の和尚の生まれ故郷について、今の和尚にもう一度、寺僧の誰かが聞いていない尋ねてみると告げた。

 沢田も、左馬之助から聞いた伯道の二百両の寄付について、伯道は盗賊のように思われると言った。

2章

 訪ねて来た左馬之助に正源寺の和尚は、

「老いた寺僧が、先住から琵琶湖のほとりが自分の生まれ故郷だと聞いたことがあった」と話した。

 となると、鍵師・助治郎が八日市だから、堀本伯道の故郷も近くだと言えることになる。

 同心・沢田と左馬之助は、昔、伯道が住んでいた藤代へ向かった助治郎の後を追った。

3章

 藤代に入った二人は、同心・沢田と途中まで一緒で、先に藤代に着いていた密偵・五郎蔵と会った。

 旅籠に着いて、五郎蔵は、助治郎の人相書を左馬之助に見せて、左馬之助と沢田に、「藤代には鍛冶屋が三軒あります。助治郎のような男はいないようです」と藤代の様子を報告した。

 その後、泊っている旅籠のあるじに、伯道のことを聞きに階段を下りて行った。

4~6章

 左馬之助と同心・沢田が藤代に入った日、平蔵は、江戸市中を一人歩きの見廻りに出ていた。

 平蔵は、弥勒寺の門前の茶店・笹屋のお熊婆から、亡くなった同心・金子は亡くなった当日、万年橋の向こうで屋台を出している鰻売りの忠八と連れ立っていたことを教えられた。 その忠八は3年ほど前から屋台を出しているのだとのことだ。

 そして、お熊婆から、忠八はここ五日ほどは姿を見せてないと言われたが、平蔵は、その夜、辻売りの鰻屋を見に行った。しかし、忠八の屋台は出ていなかった。

 平蔵は、海福寺の近くに住んでいる仙台堀の政七の家によって、お熊婆の話を告げ、忠八を探ってみてくれと頼んだ。

同心・金子が刺殺された後、忠八は何故五日ほど姿を見せていないのか?

7章

 密偵・五郎蔵が宿泊先・板久屋のあるじ・種吉から聞いた堀本伯道と思われる人のことを左馬之助と同心・沢田に報告した。

「昔、この藤代宿に、吉田玄竹という年寄の医者の所にもう一人の医者がいて、種吉の母親の病気を見てもらったが、大病にも拘らず全快した」と。

 その話を受けて、左馬之助と沢田は藤代の町に出てみた。

 玄竹夫婦は亡くなり、家は提灯屋になっていた。そして、玄竹の出自は明らかでなかった。もう一人の医者は、30数年前に足かけ2年ほど滞在していたとのことだった。

―中略―

 翌朝、早く、左馬之助は、正源寺の和尚が何か思い出しているかもと、牛久に向かった。

 牛久の手前の小貝川の渡し舟に乗った左馬之助は、同じ舟に乗っていた笠を被った旅姿の待ち人と、これも笠を被った侍に、何か不審の様子を感じた。

 その町人が傘の下から見上げた時、左馬之助は、その顔を見て、鍵師・助治郎に似ていると直感した。

 左馬之助が、舟を下りて歩き出すと、助治郎に似た男が、左馬之助の少し前を歩いていて、途中、その男は立ち止まり、左馬之助にどちらまでと声をかけてきた。左馬之助は、牛久と答えた。

 左馬之助は、この男の行き先を突き止めようと思ったが、男は休んだままだった。仕方なく、平蔵さんならどうするだろうと思いながら先へ進んだ。

 しばらく行くと、木陰から街道へ躍り出てきた人影が、左馬之助に斬りかかった。

                                                  

                        次節に続く

 

 

 

 

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