写真は高松市の玉藻城。福山城とは直接の関係はない。お城の写真を掲載したかったのだ。
ここ数日、広島県の福山城の築城400年記念しての大規模な改修工事が終えたことがニュースになっている。
全国で唯一、天守の外壁に防御のために施されていたとされる「鉄板張り」を復元したとのことである。
1622年8月28日、福山藩10万石の初代藩主水野勝成が徳川幕府(家康)に築城を報告したそうである。
私の家の本家の家系図のコピーによると、私の祖先は水野勝成に仕えていたそうで、その後、阿部家の藩主の時代の1786年に許しを得て、当時の讃岐国に転居したとのことである。
1786年といえば、松平定信が老中であった時代だ。
(私から六代さかのぼった時代だ)
いまだに不思議に思っていることは、広島県から当時他国であった香川県にどんな関係から、どうして転居してきたのかだ。
武士をやめて、どんなつてで遠い他国へ移ってきて、百姓ができたのか。
当時は藩の許可を得る必要がいったのではないか。多分、田畑を開拓したのだろう。
福山藩内で百姓はできなかったのだろうか。