T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1692話 「 久しぶりの百田直樹 」 7/29・月曜(曇・晴)

2019-07-29 10:54:20 | 本と雑誌

                                                                                                

 百田直樹の3年ぶりの長編小説。

 いま、「ノーサイド・ゲーム」の粗筋を纏めている。

 半月ほどでそれが済むだろう。

 早く済ませて読んで見たい。

 もし、興味深く読めた小説であれば、ブログに粗筋を記録したい。

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1691話 「 今年初の猛暑日 」 7.27・土曜(晴・曇)

2019-07-27 18:28:20 | 日記・エッセイ・コラム

                                   

 今日、台風6号が三重県に上陸した。

 当地は天候も晴・曇で、全く被害がなかった。

 しかし、今年初めての猛暑日だった。35.5℃

 初めて、朝からエアコンを入れた。ただし、まだ「26℃の冷房」。

 昨年は、7月13日から2週間も猛暑日が続いた。

 といっても、一昨年は、8月に初めて猛暑日になった。

 自然はどうすることもできない。

 猛暑が来たときは敵対せずに、予防が大切。

                    

 ブログが2週に1回程度のアップになっている。

 しかし、もう1週間ほどしたら、

 ドラマ化されてすでに2回放映された池井戸潤の「ノーサイド・ゲーム」を、

  1回読み終え、いま、2回を読みながら粗筋の下書きに懸命なので、

 毎日アップするつもりだ。

 もうひとつ、

 「ノーサイドゲーム」を読んだので、

 今日、釜石で開催された日本代表対強豪ヒジ―のラグビーを興味深く見た。

 勝ったので、より面白く見た。

 サッカーよりずっと面白く感じた。

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1690話 「 梅雨明け 」 7/24・水曜(晴・曇)

2019-07-24 13:50:30 | 日記・エッセイ・コラム

 

  今年の梅雨明けは、平年比べて大変おそかったと思う。

 ようやく、明けたとの実感だ。

 昨年が7月9日、今年が24日だから半月遅いのだ。

 梅雨入りが6月26日とこれも遅かったので、

 平年、約1か月の梅雨の期間からすれば、普通でもあるけれど。

 それと、当地は雨の被害がなかったので、やれやれとも思っている。

 降水量は203.0mm(平年159mm)と少なくてよかったのが実感。

 

 東京だけは梅雨明けはまだとのこと。

 1年先の今日、東京オリンピックが開催される。

 その時は東京も梅雨が明けていればと願う。

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1689話 [ 「そして、バトンは渡された」を読み終えて 13/13 ] 7/9・火曜(曇・雨)

2019-07-08 18:58:31 | 読書

 「作品の文章を抜粋してのあらすじ」

「終章ーエピローグ」 →(主人公が優子から森宮壮介(俺)に変わる)

 (森宮はバージンロードを優子と歩き、早瀬君へ優子を渡す)

 大きく窓が取られた親族控室に入ると、早速、早瀬家のご両親とお姉さんが駆け寄って来てくれた。先日、顔合わせの食事会でお会いしていたので、自然に会話が弾んだ。

 ひととおり、早瀬君のご家族と挨拶を済ませると、俺は小さく息を吐いた。新婦側の親族と顔を合わせるほうが気が重い。

「あらまあ、緊張しているの ? 」と梨花がにこやかに寄って来た。

「申し訳ないというか、なんとうか」

 泉ヶ原さんは大きな躰を縮こませて、俺に頭を下げた。

「いや、いいんです。今のほうが梨花も幸せそうだし」と俺は正直に言った。

 水戸さんは言葉を発する前に深々と頭を下げた。

「本当に有難うございます。今日まで育ててもらったことも、連絡して下さったことも、感謝してもしきれません」

 当然のことをしただけだ。

                   

 優子ちゃんが読まないと決めた水戸さんからの手紙は、ざっと112通あった。勝手に読むのも気が引けたど、誰にも読まれずしまわれている手紙はむなしい。それに、子供時代の優子ちゃんがどんなふうだったか知りたくて、手に取られずにはいられなかった。

 優子ちゃんはブラジルにいる間の手紙だといっていたけれど、日本に帰ってからも手紙は続いていて、新しい住所が知らされ、なんとかして会えないだろうか。顔だけでも見たい。と必死な願いが書かれていた。

 水戸さんからの手紙を読んで、優子ちゃんの幸せになろうとしている姿を見ることが、この人にとって何にも代えられない大きな喜びだということを、想像するするのは簡単だった。だから、水戸さんに結婚式場と日時を手紙で知らせた。

 今朝、優子ちゃんには、水戸さんが来ることを伝えた。

「早めに時間知らせておいたから、式の前にすこし話したら」と添えて。

 13年ぶりの父娘の再開は想像していたよりも朝里したもので、優子ちゃんは「お父さんが来てくれるなんて」と満面の笑みを浮かべ、水戸さんは「ああ、すっかり大きくなって」とまっすぐに涙を落とした。本当の親には、躊躇なく「お父さん」と呼べるのだ。語らいなくても理解し合えるものが、共に生きなくても通じ合えるものが、二人にはある。血のつながりを見せつけられた気がした。

 

 水戸さん話していると、

「皆さま、教会にご移動願います。ご新婦のお父様は、バージンロードを一緒に歩いていただきますので、ご準備なさってください」

 と部屋に入って来たスタッフが告げた。

 俺は水戸さんに「では」と一礼して一歩進んだ。

 するとスタッフが、「森宮様はご新婦とご入場いただきますので、私と一緒にご移動をお願いいたします」と声をかけてきた。

「あ、それ、間違いです。水戸さんに変わったはずです」

 本当の父親が一緒に入場するように訂正しておいたのにと申し出ると、

「お願いします。優子を早瀬君に送り出すのは森宮さんです」

森宮様だとご新婦様からもお伺いしています」とスタッフから再度告げられた。

 

「こんなセンチメンタルな役割させられるんだから。最後って損だよな」

最後の親だからバージンロード歩くのじゃないのよ。森宮さんだけでしょ。ずっと変わらず父親でいてくれたのは。私が旅立つ場所も、この先戻れる場所も森宮さんのところしかないよ」

 優子ちゃんはきっぱり言うと、俺の顔を見てにこりと笑った。

ありがとう。森宮さん」

「最後にお父さんと呼ぶのかと思った」

「そんなの似合わないのに ? 」

 優子ちゃんは声をたてて笑うと、「お父さんやお母さんにパパやママ、どんな呼び名も森宮さんを超えられないよ」と俺の腕に手を置いた。

 光が差し込む道の向こうに、早瀬君が立つのが見える。自分の知らない大きな未来へとバトンを渡すときだ。

「さあ、行こう」

 一歩を踏み出す、そこにもう光が満ち溢れていた。

 

     

 

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1688話 [ 「そして、バトンは渡された」を読み終えて 12/13 ] 7/8・月曜(曇)

2019-07-07 16:55:09 | 読書

 「作品の文章を抜粋してのあらすじ」

 「第2章の7・8」

 (結婚式の準備。しかし、森宮さんのトリは残っていた)

 6月の日曜日。朝から結婚式場を幾つか見て回った私たちは、昼食にと喫茶店に入った。

 結婚式場っては思ったよりもたくさんあったが、パンフレットを並べてみて大差ないことを知り、梨花さんの体調も気になるので、二人で相談して近場で済ませることにした。

「住まいは俺のアパートでのスタートになるし、式は簡単だしって、夢がない感じだかな」と早瀬君が言うのに、私は首を横に振った。

「誰かに祝福してもらえる場所があって、新しい暮らしが始まればそれで十分だよ」と言えば、早瀬君は「ならいいけど」と言う。

 早瀬君はフランス料理店での仕事を止めて、いまは音楽教室の講師と結婚式場やレストランでピアノを演奏する派遣の仕事をしている。

 ピアノさえ弾ければ楽しいようで早瀬君の顔はずっと健やかだ。

 

 梨花さんにも泉ヶ原さんにも賛成され、最初のお父さんには会わないことを決め、それで終わったような気になっていたけど、トリが残っていた。

「そ。本当のお父さんなんだし、森宮さんの賛成をもらわないと始まらないだろう」

「本当のお父さん ? 」

「優子の戸籍って森宮さんじゃないの。優子を送り出すのも森宮さんだろう」と早瀬君に言われ、「まあね。面倒だけど、説得するしかないのかな。あ、あと、早瀬君のお母さんも」と言いながら、早瀬君のお母さんのことも気になっていた。

 早瀬君の実家には、泉ヶ原さんに会った次の日に挨拶に行った。

 お父さんは、「こんな息子と結婚してくれるなんて有難い」と大歓迎してくれたけど、お母さんは「森宮さんに会わなかったら、うちの子、ピアノ続けてたんじゃないかな」とぼそりと言ったきりだった。反対だと言葉にされたわけではないけれど、私を受け入れていないのは明らかだった。(優子と婚約してから早瀬がピアノから遠ざかっているのがお母さんには不満だったのだ)

 

 7月になり、早瀬君の仕事が土日に入ることが多くなってきた。結婚式は9月の第3日曜日に予定しているのに、これでは森宮さんを説得できないままになってしまう。平日もやむを得ないと思い、7月最後の木曜に夕飯を作りながら森宮さんの帰りを待った。

 夕飯後、結婚の許可をもらいたいと切り出した。

「いいや、俺。どうせみんな賛成したんだろう」と言って、テーブルの抽斗から、泉ヶ原さんから結婚祝いといって300万円送って来たと言って私たちの前に置いた。

「泉ヶ原さんはこんなに大金を出して、二人を応援している。水戸さんは連絡をとらなくたって優子ちゃんの幸せを願ってるのは明らかだ。梨花は大喜びだろう。それなのに、俺が反対するとおかしいもんな」

 森宮さんは静かにそう言った。

 

 「第2章の 9 」

 (実の父にも勝る森宮の愛情)

 9月も中旬を過ぎた土曜日、そうめんの夕飯を食べ終え、私はゼリーにシュークリームにチーズケーキに黄な粉のおはぎを食卓に並べた。

 森宮さんはすべてに合う飲み物って難しいなと文句を言いながらお茶を淹れてくれた。

 森宮さんが結婚を承諾してから、私たちは夕飯後にデザートを食べることが多くなった。甘いもの食べると、いくらでも話が続いていつまでも時間が過ぎない気がする。

「私が居なくなってもちゃんとご飯食べてね」

「わかっている。俺、もともと一人暮らしで、一人でご飯食べてたんだから」

「それと、明日から、飲み会にも行けるし、遊びまわれるな」

「私がいたって、してくれてよかったのに」

「子供がいるとそうはいかないからなあ」

「子供って森宮さんと暮らし始めたとき、私すでに15歳だったけどね」

「わかってないなあ。高校生の子育てほど大変なものはないんだよ」

「手はかからないとしても、高校生の私を引きとるの、ちょっと抵抗あったでしょう ? 嫌なことだってゼロではないよね。私が森宮さんの立場だったら、絶対勘弁してほしいもん」

 今までも何度か同じようなこと聞いたことがある。そのたびに、森宮さんは「全然」と笑っていた。

 だけど、突然娘ができたうえに、その母親はすぐに家を出たのだ。一切の迷いもなく、そんな状態を受け入れられたのだろうか。結婚前夜なら本音が聞けるかもしれない。私は森宮さんの顔をじっと見つめた。

「本当にちっとも厭じゃなかったんだよな」

「それって変わってるよね。血もつながっていない子供の面倒を見なくちゃいけないなんて、負担が増えるだけでいいことないのに」

 今なら、「実は困ってたんだよね」と言われたって心のどこも痛くはならない。それくらい私たちの間には、消えない時間が積み上げられている。

「俺さ、必死に勉強して東大に入って、一流企業の就職も決まって。なんかそこでゴールしちゃった感じでさ。そこから先、目指すものも何もなくって、自分も時間も持て余してたんだよな」

「就職してからも出世するとか結婚するとか。まだまだすることがありそうなのに」

でも、それは自分を削ってまでやることには思えなくて。そんな時、梨花に会って、娘を一緒に育ててほしい。娘の人生を作って欲しいって言われたんだ

「梨花さん、強引だものね」

だけど、そんな大ごとを頼まれることに、気持が奮い立った。やらなきゃいけないことが、やるべきことができたって

「えらい引き受けさせられたね」

何度も言うけど、俺本当にラッキーだったよ。優子ちゃんがやってきて、自分じゃない誰かのために毎日を費やすのって、こんなに意味をもたらしてくれるものなんだって知った

「そうなんだ」

自分のために生きるって難しいよな。何をしたら自分が満たされるか分からないんだから。金や勉強や仕事や恋や、どれも正解のようで、どれもどこか違う。でもさ、優子ちゃんの笑顔を見せてくれるだけで、こうやって育っていく姿を見るだけで、十分だって思える。これが俺がしたかったものなんだって。あのとき同窓会に行ってよかった。梨花と会わなかったら、俺今頃路頭に迷ってたな。迷っていたは大げさだが、人生はきっともっとつまらなかった」

 私もだ。森宮さんがやってきてくれて、ラッキーだった。どの親もいい人だし、私を大事にしてくれた。けれど、また家族が変わるかもしれないという不安がぬぐえたことは一度もなかった。心が落ち着かなくなるのを避けるため、家族というものに線を引いていた。冷めた静かな気持ちでいないと、淋しさや悲しさややるせなさでおかしくなると思っていた。たけど、森宮さんと過ごしているうちに、そんなことなど忘れていた。ここでの生活が続いていくんだと、いつしか当たり前に思っていた。血のつながりも、ともにいた時間の長さも関係ない。家族がどれだけ必要なものなのかを、家族がどれだけ私を支えてくれるものなのかを、私はこの家で知った。

「ありがとう。私もだよ」と言おうと思ったけれど、そんなことを口にしたら絶対に泣いてしまう。私はかわりに、

「でも、次は恋人見つけてその人に尽くしてよ」と冗談めかした。

 

 私は何も知らなかったけれど、早瀬君は2度目の訪問で断られてから、3、4日に一度、森宮さんに手紙と自分が弾いたピアノを録音したCDを送り付けていた。

 それが分かったのが分かったのは、式場や日取りが決まり早瀬君の家に挨拶に行ったときだ。

 前回と違って、穏やかな表情で迎えてくれたお母さんに不思議に思っていると、お母さんが、「先日、被害届が届いたの」と一通の手紙を私に差し出した。そこには見慣れた字で端的にメッセージが書かれていた。

 

 森宮さんから、3日に一度、早瀬賢人君からピアノ曲と暑苦しい手紙が送られ、困っています。結婚がうまくいくまでは続くようです。これ以上こんな目に遭わされては平穏な暮らしができません。どうか、二人が何も気にとめることなく、結婚できるようにしてください。       森宮壮介

 

 賢人が送った曲のCDを聞かしてくれて、

「必死でピアノに向き合っていた頃より、ずっといい曲が弾けるって不思議ね」

 とお母さんは言った。(賢人が迷いなくピアノの道に進んだことを母は嬉しいのだろう)

 

       「終章」に続く

 

 

 

 

 

 

 

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