昨年と同様、今年も、ブログを覗いていただければ幸いです。
私も健康に留意して、ブログのアップに努めます。
午前、墓参りと近くの神社に初詣に行きました。
晴れて風もなく、田舎の社に行く道に沿っての川面に映る枯れすすきが、
揺れることなくくっきりと見えました。
そこで、拙句。
" 枯れすすき 川面に静か やしろ道 "
昨年と同様、今年も、ブログを覗いていただければ幸いです。
私も健康に留意して、ブログのアップに努めます。
午前、墓参りと近くの神社に初詣に行きました。
晴れて風もなく、田舎の社に行く道に沿っての川面に映る枯れすすきが、
揺れることなくくっきりと見えました。
そこで、拙句。
" 枯れすすき 川面に静か やしろ道 "
年の暮れの予定作業の「トイレ清掃」が一つ残っている。
明日1日あるが、残ってしまうかも。
実は、来年のオリンピックでテレビの録画をしたいことがあるだろうと、
数日前に、「ブルーレイディスクレコーダー(BDレコーダー)」を購入したのです。
ところが、その取扱説明書があまりにも簡易で、
業者に電話で教えてもらいながら、
分かり易い自分用のものを作っていたのだ。
昨日、今日と午後の数時間を費やして、
実際に録画や再生、消去しながら説明書を作っているが、
明日もその作業に時間を取られることと思う。
その他に、明日は上掲の俳画のように仏壇の飾り付けなどの作業も待っている。
大晦日追伸
大晦日午後、トイレの掃除をすることができた。
といっても、老人なので、少ない作業を12月10日から行うという計画を立てたので、
のんびりした年の暮れになった。
年の暮れは、毎年同じだが、「データの更新と室内の整理整頓、屋内清掃」で多忙だ。
◎データの更新(主にパソコン内データ)
年賀状発送
医療費集計
来年度分の日記様式の作成(上掲写真)
〇生活記録(新聞一面の見出し、知り得た知識、日常外行動、平常外気象、
失敗したこと、新に行うこと、の六項目)の日誌(新規)
〇健康(体重、血圧、脈拍、外出歩数、外出先、天候、気温)の日誌
〇家計簿
エンディングノートの更新
老人施設資料の更新(未了)
生活関係データの集計・更新
◎室内の整理整頓・清掃
書斎の資料整理、衣料整理
寝室の整理
台所の整理清掃
風呂場の清掃
トイレの清掃(未了)
1年先の予定表にも使えるかな。
毎日「一物整理」の生活目標を掲げていても、年末の整理整頓は減らないものだ。
孫への今年の年賀状に、私の今年1年の目標3項目を添え書きしました。
◎毎日、散歩(2000歩以上)と読書(1時間以上)をする。
◎毎日、ブログを記述する。
◎毎日、なんでも、少し(一つの抽斗・1枚・1品)でもいいから整理・廃棄する。
目標どおりは中々できなくて、3項目の「一物整理」などは、
1週間に1回といった調子で、何か実行できる方法はないかと思っている。
それだのに、来年は、下半身を鍛える3部位の筋トレ(スロートレーニング)を、
一日1部位で週2回(太もも、お尻・太もも裏側、ひざ下の3部位を6日かけて)の
プログラムで実施する目標を追加する予定にしている。
追加目標 ◎毎日、下半身1部位のスロートレーをする。
さあ、できるでしょうか !!
先日、12月15日の最終便で、宇高航路が109年の歴史に幕を閉じた。
宇野と高松の宇高航路は、鉄道連絡船として明治43年(1910)に開設されたとのことだ。
宇高連絡船は、瀬戸大橋線が開業したことから、
昭和63年(1988)4月9日限りで廃止され、
その後は、フェリー主体の航路となっていた。
宇高航路で、思い出に残っているのは宇高連絡船だ。
記憶にある最初は、長崎県佐世保市からの高松市への疎開時(昭和20年(1945)3月)。
いまでは、一日もかからない旅程を一泊か二泊?の車中泊をして、
三日目にやっと連絡船に乗り、足を伸ばしてゆっくり船の中で眠った思い出。
そのあとは、長崎県への新婚旅行時(昭和33年(1958)11月)。
高松港からの出発時、何十本の色とりどりのテープが二人の手に握られ、
五十メートルほども切れずに続いていた記憶だ。
東京(本社)への転勤時(昭和45年(1970)2月)。
天候が悪く、波が船首の窓にぶち当たり、
ノンキャリのこれからの勤めの厳しさを感じていた。
郷里(くに)発ちし夢の中にも春の雷
との拙い俳句が、いまも手帳に残っている。
母親が存命中の帰郷時(昭和46年、昭和47年)。
新幹線が東京ー大阪間の時代、親子五人での帰郷。
まず切符を買うのに一苦労。
新幹線、大阪から岡山まで特急、宇野までローカル線と乗り換えて、
連絡船の乗船場まで200メートル以上あっただろう連絡船まで走り、
連絡船が宇野港を出ると、甲板の端のうどん売り場まで子供二人を連れて急ぐ。
今日は、これから年賀状の印刷を予定している。
昔の数百枚から数十枚に減っているので、半日の仕事で済むようになった。
この時期、宇高連絡船が航行されていれば、
帰郷する人の大きな楽しみであったろうに。