T.NのDIARY

写真付きで、日記や趣味をひとり問答で書いたり、小説の粗筋を纏めたブログ

1407話 「 謹賀新年 」 1/1・月曜(晴・曇) 

2017-12-30 15:19:09 | 日記・エッセイ・コラム

                                     (Googleから写真借用、ペイントで追加修正)

 あけましておめでとうございます。

 皆様のご多幸をお祈りしています。

 今年もよろしくお願いします。

 

 私の今年の目標は、昨年と同じく

  毎日の1000歩以上の買い物散歩、

  毎日のブログ更新と充実、

  毎日の一品一点の断捨離、

  と毎日、健康データ日記(天候、気温、行動、血圧2回、体重、外出歩数)をつけること。

  

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1406話 [ 自分史「―第三の人生―」 2/? ] 12/30・土曜(晴・曇)

2017-12-29 15:24:36 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                               

 2. OB会等の世話役と趣味

 退職後は、NTTのOBの皆さんに大変お世話になったこともあって、OBの会の電友会、電友会会員のサークル会のふるさとを歩く会、園芸クラブ、インターネット(パソコン)愛好会、俳画愛好会、そして、電友会会員で構成しているボランティア会、そのほかに、主に電友会会員で構成している政党支部の各々の世話役を依頼され引き受けて、多忙な毎日を送ってきた。

 インターネット愛好会では、講師役も引き受け、自分の今の生活にも役立っていて良かったと思っている。

 これらの世話役はほぼ20年間続けたが、80歳を過ぎた時点で全て辞退して、今はのんびりと趣味を楽しんだ生活を過ごしている。

 その趣味だが、退職後に始めた趣味は俳画で、NHKの講座も長く続けて受講し、作品の一部は、扇子にして知人にも差し上げたり、数点の掛け軸にして今も床の間に下げている。しかし、それも80歳を過ぎて筆を持つ手が震えたり肩が凝ったりと満足のいくものが出来ず全く止めてしまった。

 今も続けている趣味は、パソコンを使って生活の上で必要な家計簿、健康に関係するデータを纏めた日記、その他にデータをまとめた資料作りと小説の粗筋を纏めたものや日記・コラムを記述した写真付きのブログのアップ、それに生活上の知識をインターネットで取得することと、読書だ。

 読書は小説が殆どで、時代小説と現代小説のどちらも楽しんでいる。時代小説は古くは池波正太郎、山本周五郎、藤沢周平、新しくは山本一力、葉室倫、浅田次郎、女性作家は北原亜以子、宇佐美真理、高田郁、現代小説は何といっても池井戸潤といったところだ。

 最近は、高齢の知識人が今をどう考えて生きているのかといったところに興味を持ち、「九十歳。何がめでたい」、「孤独のすすめ」、「百歳人生を生きるヒント」、「生きていくあなたへ」などのエッセイも読んでいる。

 そして、日課として、午前、散歩がわりに買い物に毎日外出し、午後には、家事やパソコンをいじり、夜は読書と、毎日、充実した時間を過ごしている。

 

 以上で、とりあえず40話にわたる「自分史」の筆をおき、数年先に「第三の人生」の続きを記述したいと思う。

 

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1405話 [ 自分史「―第三の人生―」 1/? ] 12/29・金曜(曇)

2017-12-29 12:35:52 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                              

 自分史「―第三の人生―」

1. 妻との旅行

 平成6年(1994)3月、再就職した電気通信共済会も退職した。

 そして、NTTを退職した同年の初秋に新しく購入、転居していた家で、夫婦二人だけの落ち着いた無職の人生を送ることになった。

 その後、まず妻と私の長年の苦労の褒美として、夫婦で南九州を旅行した。博多を起点に大分、宮崎、鹿児島と回って博多に戻った。新婚旅行は北九州の長崎県だけだったので、これで九州を一周したことになった。

 それから数年して、千葉・船橋のマンション社宅で妻が親しくしていた2家族(K様、S様)が四国を一周したいとのことで、私達もまだ四国を一周したことがなかったので、喜んでご一緒した。少し大きめの車一台に6名が同乗しての楽しい旅行であった。

 その後、これがきっかけで、関東の八王子に住んでいるS様の案内で北関東(草津、軽井沢、日光、鬼怒川)を、そして、札幌に住んでいるK様の案内で北海道の南部(千歳、洞爺湖、登別、帯広、摩周湖、阿寒湖、大雪山、旭川、札幌、小樽、函館)を一周するといった旅行をした。北海道からの帰路は、憧れの寝台特急「北斗星」で青函トンネルを通過したことが特に今も鮮明に記憶に残っている。

 これらの3家族での旅行も、苦労の褒美として神様から頂いたものと思っている。

 旅行といえば、その他に、子供の結婚によって、お相手様の地元の萩・長門周辺、金沢・福井周辺、栃木県を観光したことも忘れられない。

    次の「OB会などの世話役」に続く

 

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1404話 「 日野原重明先生の遺言 」 12/28・木曜(曇・晴)

2017-12-28 11:21:16 | 本と雑誌

                                                             

 死を目前に意識してのエッセイ。

 死を目前にした真実の声。

 こんな本は滅多にないだろう。

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1403話 [ 自分史「―温故知新―」 21/21 ] 12/27・水曜(晴・曇)

2017-12-26 12:39:50 | 日記・エッセイ・コラム

                                                                                                                       

9. 再就職

 昭和62年(1987)3月、56歳になった時、NTTを退職し、同年4月、NTTグループの福祉団体・電気通信共済会四国支部に再就職した。そして、故郷の香川営業所の販売課長として勤務することになった。

 販売課の業務は、県内のNTTの支店や営業所等で使用するあらゆる物品を販売するといった何でも販売し配達もするスーパーのようなものなのだ。

 扱う商品はスーパーより多く、家具、布団、テレビなどの家電、ガソリン、コピー機のリースと多種多様であった。

 課員は5名で2名が女性なので、私も、毎日のように車で県内を御用聞きして回り、時には電話で受けた注文の詳細を聞きに行くこともあり、ついでに配達もする状況で、また、卸業者との打ち合わせにも行くといった、外回りが私の仕事であった。

 NTTへの物品販売の仕事以外に一時期、ファクシミリ―の世間的利用が少なく、家電販売店ではまだ販売していなかったので、ファクシミリ―受信紙の全種類をNTTから委託されて一般のお客さんに販売していたこともあった。。

 県内で販売しているのは、NTT支店等と私のとこだけだったので、昼間はともかく、終業時間が終わった午後5時過ぎてからも、お客様から用紙がなくなって困っているが、買いにも行けないので、配達してくれないかとの電話を受けることが時々あった。また、ときには、市外の遠方のNTT営業所から、通常より多く売れて在庫が無くなり、遅い時間に、お客から是非にと注文があったので、配達してくれないかといわれ、車で1時間以上かかる場所まで配達することがあった。

 そんな時は、配達に行くのは、超過勤務手当がいらない私一人であったので、一年間ほどであったが、帰りがいつも遅くなったこともあった。

 福祉団体の中の販売部門は福祉業務を支えるものであると理解もしていたので、私は忙しさに別に不満はなかったが、殆どが自営業に近い卸売業者の社長からは、あなたのお客様(NTTの関係社員)に対する態度が対等に見える(営業に対する真剣さが足らないように見える)と遠回しに教えられた。

 あなたの会社は、お客様がNTTと特定しているし、注文が減っても潰れることはないからねとも言われたことがあった。

 ありがたい忠告であったし、民間の業者との付き合いはいい経験になった。

 販売課長を5年務めて、その後2年、福祉部門に移り同営業所で「ケースワーカー」を担当して、平成6年(1994)3月、63歳で再就職先も退職し、無職となった。

 山あり谷ありの長い就業期間、種々の業務を担当していい経験をさせてもらった。その間、多くの方からの支援をいただき、運にも恵まれ、幸せでもあったと思っている。

 ◆ ◆ ◆

 若い時に、自分の家を購入していたが、母親が亡くなってから借家にしていたので、本社から転勤して四国の現場勤務をしていたときも社宅暮らしであった。そんなことから、NTTを退職した年に、再度、家を購入し、借家にしていた家は、家の前の道が狭く車が入らなかったこともあって、無職になる数年前に売却した。

 ◆ ◆ ◆

 無職になった後も、OBの各種団体の世話人をさせてもらい、80歳まで、多忙な毎日を送ることができた。そのあたりのことを次回記述して、とりあえず「自分史」を終りとしたい。

 

 

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