乙川優三郎の短編時代小説。
(今回は本の解説部分の文章を多く借用した。)
五つの短編には、主人公でない場合もあるが、様々な女性達の懸命に生きる姿が鮮やかに描かれている。
女の地位が低く、生き方に幅がなく、女の幸不幸は関わる男に左右される事が多かった封建社会に、女がどう生きたか、また、そんななかで女達は何を心の支えにして生きたか、その生き様は読み応えがあった。
芥火
かつ江は家が貧しかったために早くから身体を売って生きてきた。といってわが身を嘆いているわけではない。塵や芥のなかで逞しく生きようとしている。
ある商人の囲いものになったが、九年後男から別れ話を持ち出される。いったんは惨めな思いをしたもののすぐに頭を切替えて、明日からの生きる手立てを考える。
彼女は男に暮らしを頼りきる女ではなかった。着物に興味を持つ彼女は自分を最も凛々しく見せる着物を着て、売りに出ている女郎屋を手に入れようと金策に走り回り、金のありそうな男に早速媚を売る。
彼女の先輩格で、昔働いていた水茶屋の主人でもあり、今は娼家の主のうらに借金を申し込むが、かつ江以上に修羅場をくぐってきている彼女は、甘え心の見えるかつ江をおいそれと助けようとはしない。
かつ江は、知恵と気力で商才を尽くし娼家の主になったうらの「生きるのが商売だから」という言葉を理解し、次の金策のことを考える。
その身一つを頼るしかない女が男よりしたたかにならずに、どうして生きてゆけるだろうか。女は弱い、だからこそ強く、したたかにならねばならない。
おそらく、かつ江はこれからも弱音を吐くことなく、男から上手く金を引き出して生き続けてゆくだろう。
夜の小紋
大店の魚油問屋の次男由蔵は着物の小紋に惹かれ、紺屋に入り浸るようになり、型彫師の職人になるつもりでいた。
しかし、兄が急死した為、兄の子供が一人前になる10年間だけ主人になってくれと父親に説得され、家が大事な封建社会では、個人の自由は許されず、夢を捨てて家業を継ぐことになる。
由蔵には、紺屋で知り合い将来を誓い合った裏店生まれのふゆという女がいたが、嫁取りは親の許しが得られず、といって別れられず、別宅にふゆと住み店に通うという由蔵に対して、ふゆは妾と同じだと断り、色挿し職人の道を進んでいった。
それから九年。由蔵は心のどこかで小紋への夢を捨てきれないでいた。
甥も一人前になり、仕事にも暇ができて自分の将来について心の迷いが出ていた由蔵は、着物好きの女将に惹かれているゆきつけの小料理屋で、銚子縮の着物を泊りがけで買いに行こうと誘うと、女将は頼りない男と感じてか、漸く自分で自分の面倒が見られるようになったばかりだとそっと断られる。
その女将から、ある時、仕立てたばかりの見事な小紋を見せられ、由蔵はその出来栄えに心が高ぶった。それは明らかにかって好き合ったふゆの仕事だった。
自分は挫折せざるをえなかったが、ふゆは、その後も自身の可能性を求めて小紋の世界に生き、見事な職人になった。
ふゆの小紋を見て、由蔵は遅い出発かもしれないが、もう一度、夢を追おうと心に決めた。
虚舟
72歳の老女いしは一人暮らしを幸せに感じている。夕暮れになると晩酌の支度をし、1日良く働いた自分に与える。これがささやかな幸せだった。
いしは、子供の頃から家族のしらがみの中で生きてきたが、夫に先立たれた後、日本橋の通りで炭団と漬物を売る小商いで自分の身は自分で処して何とか暮らしを立てている。
船大工と結婚し、幸せに暮らしている娘から一緒に暮らそうと言ってくれるが、いしには、その気は無い。
そもそも一人娘を嫁がせ暮らしを分けた親が老いたからといって、娘に頼るのはおかしいし、いしは、見栄も捨てて、一人で暮らしかった今の一人暮らしが一番いいと思っている。
血の繋がりだけが人の寄る辺なら肉親が多いほど幸福なはずだが、いしの生涯からはそう思っていないのだった。
いしは、父親の病気で、12歳から奉公に出され、両親と弟の一家を支えてきた。
そして、いしが弟子も持つ表具師と所帯を持った後も、母親と弟は仕事を怠けて、姉のいしに度々無心に来た。
そのため、いしの夫婦関係も悪くなり、夫に妾ができた。その後、夫が急死したので弟子への後始末をして無一文になってしまった。
いしは、そのような人生から、世間の隅でひっそりと暮らし、心を悩ませるものから開放されると、つましい暮らしにも何時しか安らぎが生まれたのである。
柴の家
二百俵の大番組番士の次男・新次郎は17歳の時に三百石の直参旗本の養子になった。
蔵米取りと違い知行地のある身分なので、経済的には裕福で家の生活の心配は無いが、無役のため若い新次郎にとっては、家の飾り物のような存在に毎日が苦痛でならなかった。
妻は跡取りができると、露骨に用済みの夫を拒みはじめ、姑と二人で跡取りを宝物のように育てることだけが生き甲斐になった。
といって家族の形を保つ事が女二人にとっては大切な事で新次郎の離縁は許されず、三十路を前に彼自身は途方に暮れ、生きてゆく支えが欲しいと思い、何かを始めずにはいられない気がした。
そんな時に、向島に紅葉狩りに行ったとき、老人の陶房があることを知り、焼き物の世界に強く心惹かれる。そして、ひそかにその家に通い、老人から手ほどきを受けるようになった。
不自由な家から逃れて個人の夢を追い、市井のあばら家のような陶房にささやかな幸福を見つけた。
老人には、ふきという孫娘がいて、新次郎から見ると娘のような年齢だが、身なりなどに構わず黙々と焼き物の仕事に専念する。その一途な姿に次第に新次郎は惹かれていく。
間もなく老人が亡くなるが、ふきは夢を求めて陶器の技法をいったん捨てて磁器を焼く事を目指す。
新次郎も家を捨てて、ふきへの愛情と作陶への情熱が一杯で陶房に向った。
妖花
佛師の夫と暮らす妻さのは男の子にも恵まれ、傍目には幸せに見える女だが、心は不安に揺れていた。
一時、体を壊していた夫が達者になり、仕事で度々長く家を空けるようになると、賑やかな浅草に生まれたさのにとっては、江戸を一歩はなれた川向こうの竹薮がある家での暮らしは淋しくてやり切れなかった。
浅草をぶらつくだけでは寂しさは直らず、一時は無意識のうちに万引もやっていた。
そのような彼女を励ましてくれるのは、夫に先立たれ一人で生きている幼馴染みの女友達しなだった。健康的で逞しいしなの存在が、崩れそうになるさのの心を救ってくれていた。
夫が女遊びをしていたことをしなに話すと、女が別れてくれたのだからそれでいいじゃないか、すんだことをほじくり返して苦しむのはあんただし、後ろ向きに歩くようなものだよと言う。
しなも夫が女道楽で苦労したが、夫の看病で一年を過ごした時期には、夫からまるで観音様だといわれたこともあった。何もなく円満に過ごしてきて、夫の死亡でその幸せを失っていたら、立ち直れなかっただろうと思うと言う。
嫉妬や激情があって、恨み辛みがあったからこそ、尽くした後はかえって吹っ切れよい想い出にもなり、そのために平穏な日を手にしたと言う。
さのは自分の力強い気持のなさを知り、夫婦でなければ味わいようのない苦楽を終えてしまったおしなよりましかと思うのだった。
世界史の入門編に挑戦
新聞記事やテレビの報道で理解できない部分が多々ある。
特に国際的な記事は経済的記事はもちろん社会的記事も理解できない事が多い。
現在のような国際的な社会に生きている人間としては情けないことだし、癪なことだ。
私は、その要因は世界史を知らない事だろうと思っている。
日本の歴史については、ドラマや小説などで知識を得て概要は知ってているつもりだが、世界の事になると、歴史も昔の「地理」で習ったことや民族・宗教のことも全く忘れている。私の頭の中には殆ど知識が無いといった状況だ。
そんなことから、入門編から世界史の勉強をやろうと思って本を探していたら、BOOKランキングのベストテンに写真の本が入っていたので、迷わず購入した。
浅田次郎の長編時代小説。
解説文を借りると「人生の中の小さな損得に、一喜一憂し、神頼みなどしている限り、人は本当に幸せな心の境地に達することはできない。その小さな損得の発想を乗り越えた人には、貧乏神や厄病神がやって来てもなすすべがなく逃げていく。その人の心の持ち方次第で、幸福にも不幸にもなるといったことを語りかけてくれる作品。」といったところだ。
幕末の江戸を背景に、貧乏神などを信じていただろう幕府の下級武士の社会の中で、貧乏神・厄病神や死神を横糸に、開明派の勝海舟、榎本武揚たち、努力もせず堕落していく主人公の兄のような人たち、自らの生きる方向を見出していく主人公らの三様の武士を縦糸に、各々の生きる姿を書いた小説だと思う。
「あらすじ」
1
幕末、江戸。七十俵五人扶持の御徒士の家の次男・別所彦四郎は養子に出される宿命を自覚し、学問に励み、直心影流男谷道場の免許皆伝まで授かり、小十人組組頭三百俵高の井上家の入婿になった。
しかし、彼には落ち度は無かったが、妻の八重に男子が生まれると、あからさまな婿いびりが始まった。そして、子供が六歳の時に、嵌められたようにして家を追い出された。
実家に帰った彦四郎は古びた納屋の離れに母と一緒に住んでいた。
そうした鬱々とした気持の中、彦四郎は馴染みの夜鳴き蕎麦屋の親爺から向島の三囲稲荷が出世に霊験あらたかなのを聞いた。榎本武揚も川路左衛門尉も願をかけたという。
その帰り道、彦四郎は同じ読みの三巡稲荷を見つけ願をかけた。
2
翌日、母から昨夜は客人が見えたのかと言われ、出任せの嘘で両替商の伊勢屋と飲んで友達になったのだと話す中で、三巡稲荷の話をしたら、昔、拝むな触れるなと教えられた覚えがあると言われた。
しかし、出世の憑神が早速憑いたかと一人微笑んだ。
3
蕎麦屋の親爺にそんな話をしたら、神仏の御利益なんてのは当人の思い込みだから、神仏のご加護なんぞに頼らず、人生なんて努力して自分で切り開いていかないと駄目だといわれる。
前日よりも酔って、酔いの中で伊勢屋に会い、共に酒を飲みながら、なるたけ高く出世させて欲しいと望んだら、その返答に手前は貧乏神だと言う。
4.5
翌朝、彦四郎の兄夫婦が揉めていた。俸禄を任せていた湊屋から今月の米代は前借金の利息を差し引くと皆無と言われ、一粒の米も買えなくなったとのことだ。
彦四郎は井上家に借金の申込に行ったが、馬鹿呼ばわりされて断られた。
帰りに井上組の番士で修験者の能力のある小文吾に会い、彦四郎が離縁された罠を聞いた。彦四郎は激怒し、義父だった軍兵衛を斬ると立ち上がるところを祠の影から伊勢屋が出てきて止める。
伊勢屋が、別所家の不幸は俺の仕業だが、あなたが立派な侍なので格別の扱いで貧乏神の宿替えの望みを聞こうと言う。
彦四郎は不幸の対象を井上家に替えることを望んだ。
6.7
彦四郎が帰ってみると、湊屋から間違いだったと陳謝して帰ったとのことだった。
夜明けに、彦四郎の兄が火事場吟味役を伴い帰宅した。井上家が焼けて、その火付けの嫌疑が彦四郎にかかっているのだと言う。伊勢屋が現われ、彦四郎のアリバイを証明してくれた。
伊勢屋が帰りに、自分は消えるが、彦四郎には次は厄病神が憑くと言う。
8.9
大雨が降ったのに、川の堤が切れずに済んだのは、両国の回向院に興行で来ていた力士達の助勢のお陰だった。御徒士屋敷の人々も総出で水を防いだが、兄夫婦は子供だけを連れて、母と位牌を置いて逃げていた。母と彦四郎は周囲にお詫びして回った。
別所家は御影鎧一切の管理を徳川初代から代々受け持っていたが、組頭から御影鎧は錆び付いていて兄は仕事を疎かにしているので、お役替えの話があると言われた。彦四郎は兄の行ないを改めさすので暫く待ってくれと頼む。
蕎麦屋の親爺から、兄は役替えを聞き分けたかと尋ねられ、彦四郎は、兄は平和な時に出番の無い鎧番は性に合わない、お役替えなら望むところだと言われたと答えた。
親爺は、御蔵改めがあれば兄さんは切腹者だ、別所家の存亡もかかっているが、彦さんも苦労するな、厄病神に憑かれたのだと言う。そして親爺は、厄病神に拝み倒して頼み、誰かに振れと言う。
急に寒気がして、厄病神の九頭龍関為五郎という名の力士に背負われて帰宅した。彦四郎は先祖代々の家を護る為に、厄病を兄に宿替えしてくれと九頭龍関に拝んで頼んだ。
10
朝起きたら、彦四郎は元気になり、兄が熱を出して寝ていた。
そして、万一のことがあったら嫁と子供を頼むと言い、いま一つ頼みがある、それは力士の引退興行の前売り札があるので、見てきて様子を知らせてくれと言うのだった。
母を頼むと言うのかと思ったのに、生来の能天気のなせる業で役替えの事の重大さにさえ関心の無いのもうべなるかもと思った。
興行を見に行ったら、小文吾に連れられた八重と市太郎に会った。爺婆から火付けはお前の父親だと教え込まれていたのだ。八重はたしなめるが、彦四郎は己が家を守る事が大事で、爺婆様の言葉を信じることが大切なことだと言う。
このことを九頭龍関が後ろで見ていて泣かせるなぁと言う。
11.12.13.14.15
厄病神にとり憑かれた兄の衰弱は甚だしく、御影鎧番の役職も組頭のほうから彦四郎に譲るように取り計らい、引継ぎのために城内の御具足蔵に入った。
兄から御影鎧三十領の歴史を聞き、御影鎧の手入れなんて退屈でつまらぬものだが、鎧兜の錆を落とし漆を塗っておけと引継ぎを終えた。
兄と組頭が帰った後、蔵の中で祖先のことを考えていると、榎本武揚がやって来て、新しい日本国をつくるため海軍奉行になるのだが幕府には人材が少ない、俺と一緒に働かないかと誘われた。
彦四郎は、わが家は三河安祥以来の御家人で、権現様よりわが祖が承った勤めを十分に努める事が今の役目であり、武揚のように新しき国づくりには薩長や水戸にも人がいるだろうと思い、返答を保留した。
16.17.18.19
彦四郎はろくに食事も取ってないと言う可哀そうな女の子を連れて帰り夕食を食べさせた。その女の子おつやは、それから毎晩夕食を食べに来た。おつやは最後の憑神の死神だった。
それから、暴れ馬に撥ねられそうになったり、欄干が腐っていて堀に落ちそうになったり、おつやの口車に乗ってのことだが、市太郎が彦四郎に斬りつける。しかし、小文吾の助けもあり難を逃れた。
小文吾が、彦四郎に貧乏神や厄病神のように宿替えを薦めたが、死神は今までと異なり、他人に死を振るのは武士道の基本の仁に悖ると言う。
20.21
小文吾の誘いで憑神祓いを終えた彦四郎は、祓い料を支払いたいと小文吾に言うと、彦四郎は日本に無くてはならない人物だという事から武揚が御用金を使って支払ったと言う。
おつやが宿替えをしてもいいと言うのに、彦四郎はもう少し生かしてくれと頼む。
22.23.24
上様が大阪から逃げ帰った。彦四郎は影武者と名乗って出迎え、上様からよろしくの言葉があった。しかし、城内は戦いを回避した勝海舟の独り舞台、彦四郎は死神に延命を懇願したのに中々死に場所を得ぬのである。
上様は江戸から水戸まで落ちた。御家人の脱走はいよいよ盛んになった。
官軍から、新しい国づくりを手伝えとの誘いがあったが、彦四郎は別所家代々の役目は、平時は将軍家を護り、戦時は御影鎧を纏って影武者となることだとはっきりと断り、御影鎧を着けた影武者となった。
上様の影武者となった彦四郎は、「慶喜これにあり、徒士達の出陣は許さず、上野にこもる武士で十分だ、おのれ等は新しき世を生きよ、かたく下知する。」と小文吾と上野へ向けて馬を翔けた。